前編
流行り?の白い結婚を書きたかった。どうしてこうなったか、自分でもわかりません。
外がいつもより騒がしい。
楽しげな、でも下品な笑い声が響いてきて、マチルダは針を止めた。
近くのテーブルに作りかけの刺繍を置き、窓に近づく。
真正面には、澄んだ青空が広がる。そのまま下へ視線を移動させると、数十人の人が庭に集まっている様子が見えた。
手入れされた庭にいくつものテーブルが置かれ、その近くで数人が談笑しているようだ。
高い位置に造られたこの離れでは、相当な大声でなければ聞こえてこない。
どれだけ大声で笑っているのか。それだけで、貴族としての程度はよくないとわかる。
「……まぁ、私が言える立場じゃないけどね」
自嘲気味に呟く。
貴族令嬢だというのに、マチルダは勉強をさせてもらえなかった。
生家の使用人、むしろ給金もいらない奴隷扱いで、未だに本も読めない。
思い出すと辛いだけだが、どうしても昔が浮かんでくる。吐き捨てるように、大きくため息をついた。
マチルダの気分は露知らず、外からは相変わらず笑い声が聞こえてきた。不快感が胸でグルグルしてくる。
「随分と楽しそうだけど、何だろう?」
【マチルダ・フェルトーネ侯爵夫人誕生パーティーだよ。つまり、キミの誕生日だ、ボクの女神】
後ろから声をかけられ、振り返る。
同じ構造の窓に、見慣れた人物がいた。
正確に言えば、形は人ではない。稼働部を歯車で動かしている、木でできた小鳥だ。
腹部と背部にはふわふわな素材がついており、青いガラス玉の眼は透き通って綺麗だ。
小さな体に見合わない、四角い箱の取っ手を足で掴んでいる。
唯一無二の友人の来訪と、自分の誕生日という驚愕に、おかしくなって小さく笑った。
「ヴィラじゃない、久しぶりね。それにしても、今日が私の誕生日!? なら、ここに来て三年目なのね。日付の感覚が分からないって嫌だわ〜」
【そうだね、愛しの女神。キミのように素晴らしく、可愛く、美しい人がこんな場所にいるなんて。今すぐに攫いたいよ。攫いに行ってもいいかい?】
「それは……」
【ああ、すまないね。出来ないと何度も聞いてはいるが、キミを目にする度に忘れてしまうよ。兎にも角にも、ボクだけでもキミを祝福しに来たよ】
そう言い、ヴィラは羽を広げる。スっと中に入り、刺繍の横に箱を置いた。
マチルダはようやく、それがケーキが入っている箱だと気づいた。
近づいて開ければ、カットケーキが二つ。ヴィラの気遣いが何よりも心に響く。
「嬉しい……ありがとう、ヴィラ!」
【その笑顔だけでお釣りが出るよ。さぁ、是非食べておくれ】
「これだけで食べるのは勿体ないわ。紅茶を淹れましょう!」
美しいケーキに心躍らせ、マチルダは紅茶の準備をする。
ここに侍女も侍従もいない。何代か前のフェルトーネ侯爵が、爵位欲しさに実父を監禁した離れという名の塔。
扉は外から鍵をかけられ、数日おきに扉近くに食料だけが置かれている。
悲しいやら悔しいやらの感情はない。元々、マチルダは持ち合わせていなかった。
マチルダの両親は、典型的な政略結婚だった。利益だけ求めた子爵家同士の結びつき。それでも、マチルダを産んだ母は愛してくれたと思う。
産後で弱った体力がなかなか戻らず、五歳の時に流行病で儚くなった。
喪が明ける期間も持たず、父は義母と数ヶ月違いの義妹を連れてきた。
ふわふわなセピア色の髪にラズベリーの瞳、可愛らしい見た目だが心が強くしっかりとしていたらしい母。
真っ直ぐなインディゴ色の髪にシアンの瞳、妖艶だが中身は子供っぽく感情の起伏が激しい義母。
マチルダも義妹もそれぞれ母親に似た見た目で、父がどちらを愛するかは明白だった。
あっという間にマチルダの部屋もドレスもアクセサリーも義妹の物になり、味方は義母によって追放され、使用人以下の扱いでこき使われてきた。
ここまではまだ、貴族の間で多くもないが少なくもない出来事だ。マチルダもそういった普遍的な話に埋もれるはずだった。
フェルトーネ家から婚約の打診が、より状況を悪化させた。
「このケーキ、すごく美味しい!」
【本当かい? 女神の口に合ったのなら、ケーキも本望だろうね】
「相変わらず、お世辞が上手ね」
【本心だよ。ボクがどれ程、キミに熱情を抱いているか知らないのかい? キミの絵姿を描いて、キミ好みの家具を取り揃えて、身一つでも不自由させないようにしているんだ。キミしか考えられないんだ】
「はいはい」
ヴィラからの愛の囁きはいつも通り、真正面から堂々と告げてくる。聞いてるこちらが気恥ずかしい。
気を取り直して、ケーキを頬張る。甘さが控えめで、優しい味だ。嗜好品など食べ慣れていないマチルダの為に、探してくれたのだろう。その分、ヴィラからの愛が甘くて溺れそうだ。
当の本人、もとい小鳥は、首を傾げたり羽を掃除したりとちょこちょこ動いている。
それもそうだろう。この小鳥は、普通ならただの小鳥にしか見えないはずだからだ。
『え、鳥の人形が飛んでる!?』
この離れに閉じ込められて少し経った頃、何気なく見た外の光景に声を上げたのが始まりだ。
マチルダの声に群れに紛れていたヴィラが落ちかけ、お互いに混乱しながら状況を説明しあった。
ヴィラが言うには、この小鳥の体は古代道具と呼ばれる代物らしい。
失われた知識で作られた優れた道具。とある王族の五男坊らしいヴィラは古代道具に心惹かれ、小鳥の身体を操って東西南北どこにでも飛んでいくという。
しかし、なかなか見つからない。古代道具に認識阻害効果があり、一般人には普通の物に見えてしまうからだ。
識別する道具もあるが、マチルダはなくても判別できる珍しい目の持ち主だそうだ。
その時のヴィラは、四季を祝う祭りがいっぺんに来たかのような喜びようだった。
それ以外でも、ヴィラはむず痒くなる程にマチルダを褒めちぎって恥ずかしかったものだ。
それからかなりの頻度で、ヴィラは訪れてきてくれる。話し相手のいない状況で、凄くありがたい事である。
心惹かれていると自分でも分かっているが、簡単にヴィラの手を取れる状況ではない。
遠くから笑い声をかき消し、怒鳴り声が聞こえてきた。知りたくないが、念の為にとヴィラに尋ねる。
「ねぇ、ヴィラ。外の騒ぎ、原因知ってる?」
【心当たりが多すぎるね。でも、安っぽいヴィオラを無理やり奏でたこの声。エルゴート伯爵夫人だと思うよ。フェルトーネ侯爵夫人がアクセサリー壊しておいて、イミテーションだと決めつけてまともに弁償してないと噂だね】
「あら〜。それで誕生パーティー楽しんでるなら、お相手が怒るのも無理ないわね。まーたマチルダ・フェルトーネの悪評が広がるな〜」
もう、笑いしか出ない。ヴィラが悲しげな目をしているが、手出ししなくていいと言ってある。
マチルダの名誉なんて、元からマイナスなのだ。今更である。
十五歳の誕生日、成人したその日にマチルダはフェルトーネ侯爵家に嫁いだ。
どちらかと言えば、嫁がされたが正しい。
使用人扱いで、他の貴族と交流はゼロ。それをいい事に、名ばかりの家族が酷評ばかりしていた。
そんなマチルダに、二十八歳と若いフェルトーネ侯爵が求婚するなぞ、裏があるに決まっている。
案の定、屋敷に着いて早々に侯爵は断言した。
『勘違いするな。私が買ったのは、お前の貴族籍だけだ』
冷たく言い放つ侯爵の隣に、美しい女性が性根の悪い笑顔を向けていた。
あれよあれよという間に、この離れに軟禁である。何か言う暇もなかった。
その後に知り合ったヴィラの話では、あの女性は平民だろうとの事だ。愛する女性と高位貴族の地位、フェルトーネ侯爵は両方を得る為にマチルダを買ったようだ。
大金を積めば生家は喜んで売り、いくらでも口を噤む。簡単に想像できた。
「はぁ〜……貴族籍はあげるから、自由が欲しいわ」
【じゃあ、ボクの元においでよ女神。キミを憂う物事は片付けておくからさ】
「そうしたいのは山々ね。でも……どーしても一歩が踏み出せないの」
自称、王族の五男坊なら何とかしてくれそうだ。それを以てしても、どうにも出来ない物がある。
ケーキを食べ終えた皿にフォークを置き、近くに置いてある包みを持って開ける。
銀でできた指輪だ。爪についているのは、同じ銀でできた平たい円形。そこに植物がモチーフだろう模様が精密に彫られている。
そして、マチルダの目には、淡い霧のような光が見えていた。
【その指輪の御相手は、まだ女神を探し出していないのかい? 早く見つけて貰わないと、キミが動きようがないのに】
「本当にねー。早く来て欲しいわよ」
口ではそう吐き捨てるが、指輪を見ていると心の寂しさが埋まっていく。胸に指輪を押し当て、静かに目を閉じた。