6)葬送の千年竜
クリフの宣言に、空気が変わる。
竜の死骸を踏みつけ、黒い冠を持ち、星を操る。その姿はまるで――
「御伽話の……」
そこまで呟いて、ロアルは「いいや」と言葉を切った。
「君は魔法使い君。そうだよね」
首のないワイバーンの鱗が、青い光に縁取られた。千切れた首の先に、銀色の新しい頭が生える。青い目を光らせ、ワイバーンはゆっくりと起き上がった。
「おっと」
バランスを崩したクリフを、ロアルが抱えて飛び降りる。クリフはロアルの肩をつかみながら、右手は掲げたままで息を吸った。
「【汝は獣、汝は使徒、汝は導】【四騎士の槍の果てに得た永遠を穿ち】【ここで暁を夢見る星となれ】! 【汝の果ては死、汝の果ては再生】【星の内海に揺蕩う根源のオドへ】【逝きて還らぬ命の方舟】!」
右手の甲に、黒い刻印が浮かび上がる。全身に刻んだどの魔術式とも異なる、槍の穂先のような紋章。それに導かれるままに唱える。どんな術かは、既に知っていた。
それは、命の終わりを祝福する禁術。
「【千年竜】、再起動!」
クリフの叫びと同時に、天井を塞いでいた蓋が砕け散った。ロアルはクリフを片腕で支え、ワイバーンの背、鱗を剥いで露出した管をつかむ。瞬間、ワイバーンは翼を大きく上下させた。
つい先刻、あれほどもがいてようやく起き上がった翼竜は、嘘のように軽々と飛び上がった。翼の先端が内壁を擦り、耳障りな音を立てる。第六階層を通り過ぎる瞬間、スカーレットたちがこちらを向くのを、クリフは視界の端で捉えた。
狭い星空はぐんぐん広くなる。頬を切る空気の冷たさに、クリフは身震いした。変わらず掲げた右手が震え、指先が痺れる。魔術の反動で指先の皮膚が裂け、血が滲んだ。
(もう少し……!)
垂直に上昇したワイバーンは、発射された砲弾のようだった。光の粒は渦を巻き、その後を追う。地面を離れ、夜の帳を抜け、地平線の向こうの夕日が見える上空まで。橙色の光で、ワイバーンは金色に輝いた。
窮屈そうだった翼が、大きく広げられた。引っ張り上げる力が緩んだ一瞬、クリフとロアルは空中に浮き上がる。
「……星」
死んだ人間はどこへ行くのだろう。
魂とはひと塊になった魔力である。肉体というよりべを失った魂は、多くの魔力がそうなるように、拡散し、世界の中へ溶けてゆく。それは動物も植物も、生きて死ぬものならば、全て。
では、自分が自分であったという証も、いつかは消えてしまうのか。
(……違う)
生まれ、生き、死ぬ。それを繰り返し、連綿と続いていく命の路の一端に自分たちは存在した。それを、誰が否定できようか。
自分の足跡が、いつか誰かの道になる。それは、今も昔も変わりなく。
『ロマンないなあ』
あの時のロアルの気持ちが、今のクリフには少しだけ、理解できた。
「あんたらは、いたんだ」
掲げた手のひらを返し、差し示す。その先に、路があるように。
「だったら……王様なんて、もう、いらないだろ?」
それは魔族としてではなく、人間としての、命の肯定。型に押し込められ、絡まった縄を丹念に解くような魔術だった。空中へと追いかけてきた光は、そのままクリフたちを追い越し、空へと昇る。遠い稜線の向こう側に日が隠れ、藍色の夜空には一番星が瞬き始めていた。ナイトメアだったものが、小さな光の粒へと解ける。
光の粒はクリフの手に従い、夜風の中へと流れてゆく。ワイバーンが大きく旋回すると、光の緒が輪を描いた。
クリフを支えながら、ロアルはじっと、光の舞う空を見上げていた。百や二百ではない数の光が、クリフの手を離れ、流星のように空を走って、消えてゆく。
『ありがとう、未来の魔術師』
最後の一粒が指先から離れる、その一瞬。は、と口元を緩め、クリフは歯を見せる。
「調子のいい……あばよ、少尉殿」
先刻とはまた違う眠気が、瞼を重くした。
ゆっくりと、クリフが指を折る。右手を完全ににぎった瞬間、ガクン、とワイバーンが大きく揺れた。上下していた翼はそのままの形で硬直し、生えた首は塵となる。長い尾も全身の装甲も、凍りついたように動きを止めた。
「……クリフ?」
首を失い、鉄の塊となったワイバーンを動かしていたのは、膨大な魔力である。その源は何かと言われれば、魔力の塊であるナイトメアだ。クリフの魔術に従い、ワイバーンは魂を【八重塔遺跡】の外へ連れ出した。そしてクリフの魔術に従い、ナイトメアは人の魂へと還った。
では、魔力を失ったワイバーンはどうなるか。
旋回したそのままの速度で、ワイバーン――だった鉄の塊は滑空を始める。ロアルはクリフの腕と足をつかみ、担ぎあげた。
「クリフ! 君ねえ!」
「……ねむい……」
「永遠に寝ちゃうよこのままじゃ!」
不安定な背で立ち上がり、ロアルは地上へと顔を向ける。いつの間にか、【八重塔遺跡】の穴は随分と小さくなっていた。幸い周辺には、ギルドが設置したテント程度しか建物はない。だが、このワイバーンは生物ではなく金属である。総重量など、考えるだけで恐ろしい。
空中でバランスを崩し、滑空は落下へと変化する。ロアルは背から尾までを駆け上がり、もう一度、【八重塔遺跡】の穴の位置を確認する。
「ああくそ、ようよう自由落下に縁があるなあ!」
クリフを先に放り投げ、跳んだ。空中でクリフを抱え直し、左手で剣を抜く。
(地上から第七階層まで約三十メートル、地上からここまで六十として使える時間は)
剣で壁を捉え、速度を殺したとして、間に合うだろうか。剣が折れるのが先か。急激に速度が落ちれば、その衝撃は空中では逃せない。内臓に傷でもつこうものならどうなるか。ただでさえ、今日一日でクリフの体にかかった負担は計り知れないというのに。
(クリフが死ぬのだけはダメだ)
握った剣の柄が軋む。無茶をさせたのは自分だ。無茶と知って、クリフは引き受けた。魔力結晶の解凍も、ナイトメアの掌握も。
ならば、リーダーとしての責任が、自分にはある。
(クリフの命さえなんとかなれば……!)
穴が近付いてきた。
「【浮遊】、【重】【重】!」
穴から、光が飛んでくる。空中に赤い円が現れ、ロアルとクリフはその円の中心を通過した。三つの円を通過すると、見えない手で受け止められたかのように、落下が遅くなる。
「わっ……」
着地点となったのは、第五階層と第六階層の間だった。コーヴィスの闘士たちが広げた布に、ゆっくりと二人は受け止められる。呆れ顔で杖を構え、スカーレットは長々と息を吐いた。
* * *
古ぼけた本が、どさりと机に積み上げられる。ロアルの向かいに座り、スカーレットは腕を組んだ。
「では、洗いざらい」
「なにこれ、尋問?」
「我々はギルドから第六階層の攻略を請け負った。貴殿らが攻略したことは構わないが、少しばかり、理解の範疇を超えているものが多い」
丸椅子に腰かけ、ロアルは体を揺らした。
「それよりクリフの容体を教えて欲しいんだけどな」
「死にはしない。ルビー」
はい、とコーヴィスの少女が紙を差し出す。ロアルはそれを受け取ると、スカーレットを見て首を傾げて見せた。
「診断書だ。完全な魔力過剰。薬湯に漬けておいたので三日ほど日光に当てれば本調子に戻るだろう。必要ならばこちらで引き取って療養させる」
「オーバードーズ……ふうん……魔力ってありすぎてもダメなんだ」
「私が見た限り、あの魔術師が使っていたのは【葬送の円舞】……古い魔術だ。杖もなしに魔術を使うこと自体、【亡霊】化のリスクが大きいというのに……」
スカーレットは頬杖をつき、指先で挟んだペンを回した。ロアルは診断書を持ち、しばし押し黙る。
「お前が反省しても今更だ。あの魔術師は承知だったはず。さて、何から聞こうか」
「言葉で言うには、少し色々とありすぎるな、あそこは」
ロアルは立ち上がると、テントの入り口を開いた。開けた平原には、巨大な翼竜を模した兵器が転がっている。落下の衝撃で周囲の地面は隆起し、ギルドのケープを着た十数人がうろついていた。
「私もこれでも魔術師だ。古代の技術については少しだけ知っている」
「【機械仕掛けの神】をご存知かい。ユーフロウ語だと自動計算機」
「知っている」
椅子にどっかりと座り直し、ロアルは「ふうん」と返した。
「あの遺跡は……まあ、どんな場所だったかは記録に残ってるだろうさ。君たちが知りたいのは、あそこで何があったか、ボクたちは何と会ったか。そうだろう」
「そうだな」
「あのナイトメアは、遺跡が遺跡じゃなかった頃に働いていた人間たちだよ。色々あったようでね。死にたくなって、それができたのがクリフだった。それだけ」
息継ぎのないロアルの言葉に、スカーレットは目を細め、わざとらしく溜息を吐く。
「あの魔術師に聞いた方が速そうだ」
「あはは! ボクってば人の心ないしね。保存状態のいい記録がたくさん残っているんだから、それを解読した方がいいと思うよ」
それ以上の会話を拒否するように、ロアルはテントから出てゆく。引き止めようとしたルビーを、スカーレットは片手で制した。
「引き続き、第六階層の探索を行う。準備を」
「はい」
「それと……」
揺れる入り口を見て、トン、とペンの尻で机を叩く。
「『ロアル・ユークリッド』という人物についての情報を、可能な限り」
「はい」
「……ああ、念の為あの魔術師の身元も、」
そこまで言ったところで、ばさり、とテントの入り口が開かれる。二人が同時にそちらを見ると、金髪の魔術師が立っていた。
「お前は……」
「クリフォードっす。ええと……スカーレット、さん。助けてもらったとか聞いて、いや、よく覚えてはないんすけど」
竜を操った魔術師は、不器用に笑って頬を掻いた。スカーレットは「ふうん」と頷き、琥珀色の目を滑らせる。青白いクリフの顔は世辞にも健康的とは言い難いが、少なくとも、正気ではあるようだ。
「もう起きられたのか」
スカーレットが椅子を勧め、クリフは首を横に振る。
「元気なら、話を聞きたい」
「あー……いや、俺なんかに話聞くより、見てもらったほうが早いっていうか……はい。俺は必死だっただけで、何が何だか」
視線を泳がせながら、クリフは頭に手をやった。その手の甲にある刻印に、スカーレットの目が向いた。黒々と刻まれた刻印は、痣のように残っている。
「第六の……」
「?」
「クリフォード、と言ったな。お前、エキスパートは?」
「え、あー……その、ない、です」
「……そうか。だがそうすると、腑に落ちないことがある」
スカーレットは頬杖をつき、組んだ足先を上下させる。クリフは頬を緊張させた。
「お前はナイトメアに勝利した。光も炎も、白魔術も使わずに。ナイトメアに完全に侵された状態から、お前は自分の意思で離脱し、生得魔法を使い、そして五体満足で戻ってきた。どれほど優秀な魔術師でも、これは不可能なんだ。私でもおそらく、自分の身を守ることがせいぜいだろう」
「……はあ」
「お前は自分の所業についてよく分かっていないようだ」
手招きすると、スカーレットは杖先でクリフの刻印を示した。
「意識的無意識的に関わらず。お前が使った魔術は死霊魔術。禁忌に分類される第六の魔術だ」
「しっ……!? 知らねえっすよ、俺だっ……て……」
言葉を切り、クリフは視線を落とす。
改めて記憶をたどると、心当たりが全くないでもなかった。
魔力結晶に守られ、朽ちた肉体に縛り付けられていたがために正気だった男。魔力結晶を破壊した際、確かにあの男と自分は会った。一瞬が永遠に引き延ばされた、知覚外の次元で。
瞬間、脳の奥で火花が散る。強烈な頭痛と吐き気に、クリフは反射的に口を押さえて体を折った。目の端で光が弾け、鮮烈な記憶が流れ込んでくる。
『待っていた』
静かに、冷徹に。クリフの魂に無造作に手を入れて。魔力結晶を分解し、疲弊しきった肉体は、たやすくその侵入者を受け入れた。
『少しばかり、間借りさせてもらうとしよう』
そうか、と今更ながらに理解する。
ナイトメアは、【亡霊】の集合体。飲まれた時点で、生物ならばまず生きて戻れない。だというのにあのナイトメアは最後まで、クリフを従えることができなかった。
つまり、クリフの魂を、何者かが護っていたということだ。
クリフの脳裏に、夢現で見た光景が蘇る。泥沼の中から伸ばされた無数の手。自分も、放っておけば泥に沈んでいただろう。
「……クリフォード、やっぱりまだ寝ていた方が……すごい顔をしているなお前」
だがそうはならなかった。あのとき、戻るべき道を示していた、あの手の主は。
「少尉殿にムカつくけど、感謝しなきゃいけねえって思うとイラつきます」
「よく分からないが、やっぱり寝ていた方がいいのではないか」
ルビーに背中をさすられる。クリフはしゃがみ込んだまま、長々と息を吐いた。
八百年。考えるだけで気が遠くなるような時間だ。行き場を失った魂が蠢く中、ただ一人正気のようだったあの軍人が、尊敬に値するのは分かっている。だがそれはそれとして、肉体も魂もいいように使われたという実感もぬぐえない。
何が一番頭に来るかと言われれば、最後の一人に至るまでクリフが自分自身で送り出してしまったので、今更文句も言えないということだろうか。
「スカーレットさん、これから、第六階層に行くんすよね」
「ああ」
「……その……」
ようやく落ち着いた視界を手で覆う。指の間からスカーレットを見上げると、速く言え、と言いたげな顔だった。
「あんまり……荒らさないでやってください……」
「……何を言うかと思えば。考古学的に貴重な遺跡を荒らすほど、我々は愚かではない」
呆れたように首を振ってから、スカーレットは微笑をこぼす。
「それに、墓標のない誰かの命を蔑ろにするほど、浅はかでもない」
安心して寝ろ、とクリフの肩を叩く。クリフは表情を緩め、「そっすか」と消え入りそうな声でつぶやいた。
「……それで、クリフォード。これはまた、違う話なんだが」
「はい」
「あの双剣士は、何者だ?」
スカーレットの問いに、クリフは首を傾げる。
「いや、知らねえっすけど」
「知らない奴のために、お前、命を懸けたのか?」
「え? はあ、はい」
「……そう……そうなのか……」
事もなげに言うクリフに、スカーレットは次の言葉を失っていた。クリフはしばし考え込むように視線を落とすと、「ああ」と手を叩く。
「まさか、俺だって命は惜しいっすよ。でも、あいつは俺が必要だって言うもんだから」
くしゃりと顔を笑わせて、クリフは照れたように首筋を撫でる。
「そりゃ、嬉しいし、しょーがねえなって、思うじゃないっすか」
スレた青年の表情とはまた違う、幼さが滲む笑み。純粋に、自分を頼るロアルの存在を喜んでいる。それは伝わってきた。
「長生きはできないぞ」
「そうっすね」
まるでそれが当然、自然の摂理であるかのように。まだ年若い魔術師は、半笑いでそう言った。
礼を告げ、クリフはテントを出る。外で待っていたらしいロアルが、食事を提案していた。
「そういや腹減った気がする」
「君もしかして、丸一日寝てたのご存知でない?」
二人の声が遠ざかる。
「……クリフォード……」
スカーレットの手元には、クリフが使用した魔術の一覧表がある。トートとフォレイルから聞き取り、スカーレットの推察を合わせて作成したものだ。
魔術師の優秀さは、闘士や盾士のように分かりやすい強さでは計れない。扱える魔術の数、種類、精度から継続時間まで、さまざまな要素が加味される。
「……本当に無名か?」
「そいつも調べます?」
「そうだな。あの過保護な剣士のこともある。スカウト……は難しそうだが」
唇に指を当て、スカーレットは頷いた。
多くの魔術師が自分の練度を示す基準の一つに、魔力回路の許容量がある。これは単純に、一度にどれほど多くの魔力を肉体に流すことができるか、というものだ。
クリフが行使した魔術と状況から推定できる魔力量は、常人の致死量の五倍。魔力回帰を起こして肉体が崩れてもおかしくない数値だ。うっかり自分の限界を越え、黒い泥になってしまった魔術師を、スカーレットも見たことがある。
だが、肉体どころか末端の指や髪すら全く浸食されず、平気な顔でクリフは立っていた。
「今後、厄介かもしれない。せめて敵にはなりたくないものだ」
「……あの依頼のことですか」
ルビーに頷き、スカーレットは鞄から分厚いノートを取り出した。ルビーはぺこりと頭を下げ、テントを出て入り口を閉じる。
ノートの表紙には、『Altare』と書かれていた。
クリフの向かいに座り、ロアルは頬杖をついていた。卵粥を口に運びながら、クリフはちらりとロアルを見る。ロアルは自分の前に置いた食事には手を付けず、黙ってクリフを見ている。粥をおおかた食べ終えてから、匙でロアルを差した。
「何をニヤニヤしてんだよ」
「んえ? ふふ。元気だなあって……よくボクの表情分かったね?」
器を空にして、息を吐く。ほとんど丸二日ぶりのまともな食事だった。
「分かるよ」
「そう。嬉しいなあ」
ギルドのカフェは、夕飯どきということもあって賑わっていた。【八重塔遺跡】の第六階層攻略と鉄のワイバーンについての噂はすでに広まっており、考古学者が護衛の冒険者を募集する様子もあった。
「月が昇ったら、今夜は宴だってさ」
煮魚を勧められ、クリフはありがたくそれを受け取る。
「宴? 何で」
「ほら、大きいダンジョンを攻略したじゃない。ボクと君が主役だよ」
指さされると、クリフは露骨に顔を顰めた。ロアルは笑い声を漏らす。
「イヤそう」
「……認められるのは嬉しい。けど、宴はな……」
「そう思って、手柄はコーヴィスに持っていってもらったよ。目立つの嫌いそうだもんね」
二皿目を空けたクリフの前に、ロアルはスープ皿を差し出した。黄色いトウモロコシのポタージュだ。積まれたパンが三つ減るうちに、スープ皿の底が見える。次の皿には、薄く叩かれた肉と根菜のバター焼きが乗っていた。
「すげえ食わせるじゃん」
「だって綺麗になくなるんだもん」
三人前ほどを綺麗に平らげたクリフに、ロアルは小さく拍手を送る。と、空いた大皿の上に、新しい皿が重ねられた。
「よう」
山盛りのチキンピラフの主はアルグレッドだった。その背後から、四人分の取り皿を掲げたトートが顔を出す。
「あれぇ、あと三人は?」
「パーティ、解散したんだ。辞めるとさ。フォレイルはエール取りに行ってる」
「酒!」
ぱっとクリフが顔を上げる。アルグレッドは、その額にジョッキを押し付けて座らせた。
「てめぇにはこれだ、病み上がり」
「白湯じゃねえか」
「仮面は飲まねえだろ?」
「うん」
エールを二杯、ジュースを一杯持ったフォレイルが加わり、二人には広かったテーブルもだいぶ狭くなる。掛け声もなしに乾杯し、クリフは渋々白湯を啜った。
「クリフォードはピラフ、これくらい?」
「おう、どーも」
「え、クリフまだ食べるの?」
「仮面、あんたは?」
「ノーサンキュー。見てるだけでお腹いっぱい」
「あっそ」
五人前はありそうだったピラフの山は、ほとんどがクリフとアルグレッド、フォレイルの三人によって片付けられた。食器がなくなったテーブルには、四つのジョッキと炒り豆が置かれている。
カフェの中央では、着々と宴会の準備が進んでいた。アルグレッドは二杯目を飲み干し、乱暴にジョッキを置く。
「クリフォード」
「……んだよ」
「お前、冒険者続けんのか」
白湯を置き、クリフは一度アルグレッドを見た。世間話のような調子だが、視線は交わらない。
「続ける」
「……そいつと?」
「ご不満かい勇者君」
「じゃ……何だって?」
「勇者だとさ」
「うんう……えっ、クリフ、ボクの言葉分かってたの?」
「ニアルーク語だろ。珍しいモン使ってるなとは思ったが」
「うええ、分からないと思ったから好き勝手呼んでたのに。じゃあ赤ちゃんとかも?」
「初対面でクソ失礼だとは思ってた」
トートが手を叩き、「話逸れてる」と二人を引き戻す。
「ああごめんごめん。で、何の話だっけ?」
ケロリと言うロアルに、アルグレッドは額に手を当てて息を吐いた。
「お前らがそれなりに強いのはよーっく分かった。助けてもらった恩もある。だけど、クリフ。お前が冒険者続けるのは、俺は変わらず反対する」
「……ンだよ。もう同じパーティじゃねーんだから、俺に口出しする権利はないだろ」
「あるわボケ。お前が田舎で大人しく羊追いかけてたら俺だってとやかくは言わねえがな」
クリフの顔が険しくなる。すかさず、ロアルが突き出した手が、クリフとアルグレッドの間に割り込んだ。
「二人とも短気じゃない? やっぱ兄弟って似るんだねえ」
「兄弟じゃねーよ!」「何で知ってるんだよ」
二人の声が重なり、顔を見合わせる。ジュースで咽せ、トートが二人を見た。
「認識が噛み合ってないね。ボクからしたらそっくりだもん、血縁によらず身内かなって」
「に…似てる?」
トートに視線を向けられ、フォレイルも首を横に振る。外見から言えば、髪や目の色から顔立ち、体格までじっくり見比べても、似ているところはない。兄弟であることを否定したのはクリフで、肯定したのはアルグレッドだ。歳の差からして、アルグレッドの方が兄になるのだろうか。
「まあまあ、素直じゃないところも似てるってことでさ。はっきり言えばいいじゃないか、おにーさま。危険な冒険者なんかやめろ、って」
「……フー……」
長々と息を吐いてから、アルグレッドは立ち上がり、ロアルの襟首をつかむ。
「お前ほんと、ちょっと、黙れ」
指先でアルグレッドの手を払い、両手を合わせて首を傾げる。
「怒った? それって照れ隠しだよね。ちゃんと言えばいいのにさぁ」
「お前俺のこと嫌いなのか?」
「ご存知でなかった?」
口の前に指を立て、ロアルはグッとアルグレッドの目を覗きこむように身を屈めた。黒い石に不機嫌な顔が映る。
「人生の先輩として言わせてもらうとさ。心根がどれだけ優しくても、口から出た言葉が棘なら、棘を吐く人間だ。いつか、後悔しても知らないぜ?」
「……うっせえな」
「ゆっくりお話ししたらどう、と言ってるのさ。ボクたちの部屋貸すから。ほら、もうすぐ宴も始まっちゃうよ」
カフェの中央には、コーヴィスの面々が集まっていた。スカーレットはフードを下ろし、席につく。コーヴィスの一人がクリフたちを見つけ、声をかけた。
「お前ら、混ざっとけよ。主役だろ?」
「んー、ボクはいいかな。騒がしいの苦手だし」
「俺も部屋に戻る。ごちそうさん」
「お、じゃあボクとヤマネコ娘と」
「お前も来るんだよ」
クリフに襟首をつかまれ、ロアルは引き摺られていく。嫌そうに頭を掻きながらも、アルグレッドはその後に続いた。残念そうにコーヴィスの青年が戻っていくと、トートはアルグレッドの残したジョッキを取る。
「にが」
「トートにはまだ早いか」
「あたしクリフォードの一個下よ? もう大人」
「はいはい」
トートの手からジョッキを取り上げ、フォレイルは眉尻を下げた。