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蒼天のアルターレ  作者: 日凪セツナ
第一章 魔法使いと黒の騎士
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5)戴冠

 古い時代には、人間を神の子と特別視する思想がそこかしこに存在していた。総じて宗教と言い、多くは現実の艱難辛苦から目を逸らし、心の安寧を守るためのものであった。しかし人が神と崇めていたものの正体が知られ、魔法と力を得て、宗教の存在意義は変わった。

 それは発展の中の変化であり、ある種避けられないものではあった。だが同時に、人類を支えてきた思想の揺らぎは、価値観の大きな転換点ともなった。


 すなわち、人間は神に愛された嬰児ではないということ。


 神と崇め奉られたナニモノかは黙示録の獣と同じ姿で現れ、神話の雷神のごとく獰猛であり、何より――人間に無関心だった。


『人間だれしも、どこかで傲慢があるものだ』


 神の実在を信じているか否か。それに関係なく、人々は悟ってしまった。

 星に生きる有象無象、自分たちが支配できていると思っている命と人間の命は、同じ天秤の上にあるのであると。


『我らは天秤を操る側だと。……お前もそうじゃないか、未来の魔術師』


 何が不運だったかと言えば、人間が魔法という力を得たことか。

 魔法の魔とは、悪魔の魔。決して、人の手にあっていい力ではない。魔術学校で最初に教える心構えだ。例にもれずクリフも、その考え方をまず叩き込まれた。

 どれほど強大な力を持とうとも、自分が所詮人間であることを忘れないように。


「……傲慢」


 だが、言葉一つで世界の理に反する、そんな力に魅了されない訳がない。指先に光があれば夜の闇を恐れる必要はなく、言葉一つで水が逆巻くなら洪水に怯えなくてもいい。


「俺は……」


 そんな力が、自分にもあれば。

 確かに、そんな希望を抱いたこともあった。


『確かにお前は、歓迎されているが』


 沈む意識の中で、手を引かれる。泥沼の底とは反対側へ。


「……る」


 絞り出した言葉は、音になっていただろうか。




 夕日の差し込む内廊下に出ると、あ、と上から声が降ってきた。トートは陽の光に安堵の息を吐き、上を見る。


「二人は上で日光浴してきなよ。準備はボクがやっておくから」

「人呼んでくるわよ。手助けくらいしてくれるでしょ、事情話したら」


 二人を見送り、ロアルは持っていた紙束を開く。細々と文字が書かれたそれを一枚ずつ、内側の柱に針で打ちつけた。一周する頃には日もだいぶ傾き、見上げた空は橙色からクリーム色へ、西側には藍色が混ざり始めていた。雲ひとつない晴天。腰に手を当て、ロアルは閉じた大穴を見下ろす。


「……そりゃあ、ボクってばそれなりに強いし。でもさ」


 空中へ手を伸ばす。差し出した右手は空をつかんだ。


「ボクはちゃんと、君を必要としているんだけどなあ」


 足音が近付いてくる。振り向くと、揃いのケープを纏った闘士がぞろぞろと昇降機から降りてきていた。先頭に立つのは、濡羽色のローブの女だ。


「援軍?」

「……お前、名はロアルか」

「うん? うん」

「クリフはどうした」


 女を押し除け、アルグレッドが顔を出す。ロアルは「うへえ」と首を振る。


「せっかく拾った命を捨てに来たんだ」

「質問に答えろ。お前、」

「お望みの魔法使い君は、あそこ」


 ロアルがシャッターを指差すと同時に、ずっ、と床が振動した。アルグレッドを下がらせ、スカーレットが前に出る。


「第六階層を攻略できたと聞いて来たのだが」

「できたというか……うん。そうだね。できた。けれど第六階層の攻略と、第七階層の攻略は同時じゃなければいけない。だから援軍が必要だった」

「……どういう意味だ?」

「そのまま。すぐ分かるよ」


 シャッターが開く。内廊下に立ったコーヴィスの冒険者たちは、驚嘆の声を上げた。その先頭に立ち、ロアルは剣に手をかける。

 シャッターの下には、黒い海が広がっていた。その中央に、鋼鉄で作られた大きな獣が鎮座している。アルグレッドは腰の剣をつかみ、表情を険しくした。

 その頭の上に立ち、金髪の青年がこちらを見上げていた。黒々とした水面は光を避けるように渦巻き、獣に吸い込まれていく。


翼竜(ワイバーン)


 独り言のようにつぶやいて、スカーレットも杖を抜いた。


「……ひゅー。幻想種を模した兵器とは」


 廊下のふちに立ち、ロアルは剣を抜く。クリフはそれを見上げ、口元をわずかに緩めた。


「あれがこの遺跡の目玉。ご理解いただけたかな?」

「……なるほど。これは、確かに」


 ワイバーンはゆっくりと首をもたげた。スカーレットはフードを上げ、琥珀色の双眸で鋼鉄の翼竜を見下ろす。クリフが体を傾け、黒い椅子がそれを受け止めた。


「何か手はあるのか」

「ワイバーンはどうとでも。アレ、魔術師なら分かる?」


 柱に貼られた紙を見ると、スカーレットは黙って頷いた。


「アレが発動するまえに、クリフを助けたい」

「承知した。では露払いは私が請け負おう」


 スカーレットはテキパキと指示を出し、コーヴィスの面々をひとつ上の階層に移動させる。アルグレッドだけは残り、二人からやや離れた場所で腕を組んだ。ロアルは廊下の縁に足をかける。


「あの黒いの……フォールマン少尉はナイトメアとか呼んでいたけど。あなた、あれの対処法をご存知なんだね」

「【大喰らいの幻影(ナイトメア)】……なるほど。魔術師ならば大抵が知っている。忌避すべき第六の魔術の中でもとびきりの禁術だ」


 杖で空中に魔法陣を描くと、そこから白いカケラが手のひらへ落ちる。スカーレットはそれをロアルへと突き出した。


「食っておけ。お守りだ」

「ボクにはいらないな」

「死ぬぞ」

「あはは!」


 剣をゆっくりと抜き、ロアルは剣先で空を切る。蒼銀の刃の峰を、橙色の光がゆっくりと伝った。


「それなら、ボクはその程度だったってこと」


 床を蹴る。飛び出したロアルの外套が、一瞬、大きく翻った。

 赤い瞳が、ぐるりと辺りを見回す。生物の眼とは違う、水晶灯に近い目だった。

 鋼鉄のワイバーンは、ロアルに気付いて咆哮した。翼のある前足が壁をつかみ、その巨体を持ち上げる。


「!」


 咆哮に、白い刃が混ざっている。ロアルは空中で身を捻り、刃をいなした。


「ごめんよ、同志。……死んでくれ」


 眩い光が、ロアルの背後から降ってくる。空中に杖を突き出し、スカーレットはフードを下ろした。ワイバーンの頭にロアルが着地すると同時に、スカーレットはその火球を撃ち下ろす。ほぼ同時に、半透明の壁がロアルを覆った。


「あちち」


 火球は、ワイバーンに正面から激突した。ロアルはワイバーンの首を滑り降りながら、背に縛り付けられているクリフに狙いを定める。黒い液体――ナイトメアが膜となり、クリフを炎から護っていた。


「素晴らしい献身だ。涙が出ちゃうね! でも、」


 ロアルは躊躇うことなく、その膜に突っ込む。


「ボクの方が、クリフが大事だ」


 刃が滑り、クリフの拘束を切断した。ロアルはクリフの首根っこをつかむと、ワイバーンの背を蹴って飛び上がる。虚ろな表情のクリフは、揺さぶられて咳き込んだ。口の端から、黒い水が溢れる。


「そぉー……れっ!」


 高々とクリフを放り投げる。縋りつくような黒い手は、その勢いで引きちぎられた。決して小柄ではないクリフの体は、第六階層の下端を通り過ぎ、そこから落下を始める。

 第六階層で、アルグレッドが両腕を伸ばしていた。再びクリフを捕えようとした黒い腕は、


「【滅却線(メア・レーザー)】」


 スカーレットにあっけなく焼き尽くされる。フォレイルに腰を支えられ、アルグレッドはかろうじてクリフを受け止めた。がくんと首が反り、衝撃でまた黒い水を吐く。内廊下に放り出されたクリフの両腕をつかみ、フォレイルは陽の光が差す場所へと引きずっていく。


「ナイスー!」

「うるせ……仮面、おい!」


 ロアルは親指を立てたまま、背中から落下する。その背後に、ワイバーンの口が迫っていた。頼りない鉄の拘束具を引きちぎり、ワイバーンは上体を持ち上げる。

 ロアルの足が、ワイバーンの鼻先に乗った。舞うような一回転。真円を描いた剣はそのまま、ワイバーンの眉間を捕える。

 火花が散った。甲高い金属音に顔をしかめ、スカーレットは次の魔術を編む。

 魔族、【大喰らいの幻影(ナイトメア)】。それは生物の魂を材料とした、人造の怪物である。肉体から剥がれた魂を縛り付け、混ぜ合わせ、新たな在り方を押し付ける。確かにそれは、肉体の死という絶対の終わりから解放された姿だと言えば、そうなのだろう。あの黒い液体が、生きているのだと言えるのならば。

 哀れみに目を細め、スカーレットは杖を振った。




 泥沼の底で、誰かが泣いている。


『私たち、もう外に出られないの』


 うずくまった少女の幻影は、だから、とクリフに訴える。


『王様、ここにいて。何でもあるから』


 泥からテーブルが浮かび上がり、その上にはきらびやかな食卓が並ぶ。瑞々しい果物も香ばしく焼かれた肉も黄金色のスープも、クリフにとっては贅沢品だ。


『私たちには、あなたが必要なの』

「……必要」


 クリフはテーブルに近づくと、果物を一つ手に取る。毒々しいほどに赤い柘榴だった。手に取った時の冷たさも重さも、香りすら、本物だと信じるに値する。

 だが。


「お前たちには、俺が必要かもしれない。それは、嬉しい」


 はるか遠くから、誰かが自分を呼んでいる。嫌になるほど聞き覚えのある声で、自分の命を繋ぎとめようと、必死になって。見上げれば、こちらだと示すように、半透明の手が空を指差していた。


「でも、お前たちは」


 必要とされる。それは確かに嬉しいことで、心地良いことだ。


「俺を呼んではいないだろう」


 柘榴を放り投げる。弧を描いた紅色の実は、ぐちゃりと潰れ、泥に混じる。


『そう』


 瞬間。

 飛び出した無数の手が、クリフをその場に縫い付ける。両腕は後ろへ、足は膝まで沈み込み、鉄鎖のように重苦しい拘束がクリフに絡みついた。ぬうっと伸びた手が柘榴を拾い上げ、クリフの口元に近づける。

 少女の幻影は、黒と茶と赤が混ざった土人形だった。


「……はっ」


 勝ち気に吐き捨てて、クリフは口角を上げた。




 滑り降りながら、ロアルは剣を振るう。

 鱗を模した装甲を削ぎ落とすと、無数の管があらわになる。生き物であれば、血管や神経、筋肉がある場所だ。痛覚のない人造ワイバーンにとっては傷にも入らないのだろうが、装甲は確実に減っていた。剥ぎ取られた金属板が、床の上に散らばってゆく。


「もうちょっと……!」

「仮面、急げ!」


 スカーレットの一撃が、ロアルを包もうとするナイトメアを焼き払う。


「夜が来る。よしんばそいつを倒せても、ナイトメアが解放されたら!」


 見上げるとすでに空は暗く、コーヴィスの闘士たちが掲げるランプの光が目立つようになっている。


「もう少しもたせられないか!」

「夜は【亡霊(マッドラム)】たちの領域だ。手強くなるぞ!」

「ちっ、分かったよ!」


 ロアルは剣を振り、ワイバーンの首を駆け上がった。振り向いた顔の眉間を踏み、垂直に跳ぶ。


「来い!」


 目の前を一瞬で通り過ぎたロアルに、スカーレットは思わず上を見た。夜空を背負い、双剣だけが薄く光っていた。


「何……」


 スカーレットの足元に、ワイバーンの爪がかかる。アルグレッドがスカーレットを抱え、壁際まで退いた。


「……今!」


 ロアルが貼り付けていた、魔法陣の紙。その円を繋ぐように、緋色の閃光が走る。


「賭けるぜ、少尉殿」


 空中でゆっくりと旋回したロアルは、自分を目指してくるワイバーンと相対する。剣を逆手に持ち替え、身を縮めて刃の峰に足を当てる。

 ワイバーンが翼を広げ、ついにその腹が床を離れる。第五階層に控えるコーヴィスが、一斉に武器を構えた。飛ぶか、とアルグレッドが顔を引き攣らせる横で、スカーレットだけが何かを悟ったように杖を構えている。


「……古代魔法……帝国の遺産か」


 暗闇の落ちた通路の奥で、仕掛け人は微笑(わら)う。内臓が腐り、皮膚が朽ち、ただ座っているだけになった自分の、最期の大仕事。


『さらば』


 悲鳴のような、甲高い風切りの音。閃光の輪は、ワイバーンの首が通過した瞬間、鋭い槍となって収束した。

 管を貫き、骨組みを砕いて、槍は反対側へと突き抜ける。十字に発射された槍は体内で無数に枝分かれしていた。破裂する弾丸を受けたかの如く、ワイバーンの内側が切り裂かれていく。


――ギィィイイイイイイイイイイイ!


 ワイバーンの悲鳴が、空気を揺らす。ロアルは真っ直ぐに、そのさなかを落下した。

 赤い眼に映るのは、蒼銀の蝶。表情のない仮面が迫り、ワイバーンの口が、わずかに震えた。




 鉄の塊が落下していく。赤い槍の上に立ち、漆黒の双剣士はじっとそれを見下ろしていた。首を失ったワイバーンは、バチバチと音を立てながら静止する。薄黄色の液体が、体液のようにどろりと流れ出した。

 ワイバーンの膝が折れ、装甲の隙間から黒い水がどろどろと流れ出す。じわりと、赤い槍が再び光り出した。


「退け!」「退避!」


 ロアルとスカーレットの叫びが重なった。フォレイルが手を伸ばし、ロアルはそちらに走る。

 ぱちん、と何かが弾けるような音がした。

 轟っ! と、空気を切り裂いて熱が空へと立ち上る。閃光は炎を伴い、巨大な火柱となる。引火した外套の端を叩き、ロアルは肩を震わせる。


「眩しいなぁ少尉殿」


 たっぷり十秒。灰すら許さないと言わんばかりの赤と白の炎は、現れたのと同じ速度で小さくなる。柱に貼り付けた紙は焼け落ち、炎の受け皿となっていた槍もボロボロと崩れ落ちた。


「……凄まじいな」


 近づいてきたスカーレットは、感嘆したように呟く。


「お前の……ではなさそうだ。どこに協力者が?」

「後でゆっくりじっくり暴いたらいいさ。ところで」


 ロアルはフードをつまみ、顔を隠すように俯く。


「静かだな」

「……?」


 ぴり、と頬を嫌な気配が刺す。フォレイルとスカーレットの目が、同時にクリフを見た。


「……ぜぇ……」


 がっ、とクリフの手が、床をつかんだ。ほとんど同時に、スカーレットの杖が振られる。深紅の鞭が、クリフをはじき上げ、壁へと縫い付けた。食いしばった口が緩み、ごぼりと黒い粘液が吐き出される。


「離れろ。まだナイトメアがいる」


 フォレイルとロアルに言い、スカーレット自身もジリジリと距離を取る。

 垂れ下がっていたクリフの腕が拘束をつかむ。皮膚を焼く音と、嫌な臭いがした。


「わっ……ぜぇ、なァ……!」


 吐き出されたナイトメアが、クリフの声に従うように飛び上がる。濁った声と鋭い視線に、スカーレットは一瞬、射竦められた。


「スカーレットさん!」


 上階から声が飛ぶ。はっと振り向くと、頭が落ちた首が、ぐうっと持ち上げられていた。ロアルがスカーレットの後ろに立つ。

 咆哮の代わりに、粘液が泡立つ音が響く。装甲の内側から滲みだしたナイトメアが、床を伝ってクリフへと向かった。


「焼き残しか。執念ばかりは人っぽいなあ!」

「言っている場合か!」


 スカーレットの意識が逸れた一瞬を突いて、クリフは拘束を引きちぎる。着地した足はそのまま、焦げ臭さの残る穴へと走り出した。


「ロアル!」


 クリフの叫びに、ロアルは間髪入れずに応えた。穴に飛び降りるクリフを追い、ロアルは両腕でその腰を捕まえる。ロアルの足が廊下から離れた瞬間、クリフの指先が、空中に線を引いた。

 呪文詠唱も魔力の揺らぎもない、静かでささやかな魔法。魔術師一人にひとつだけ与えられた奇跡の技が、空中に壁を形作る。


またね(ヴィ・セース)諸君! 生きて会おう!」


 ロアルの声は、次の瞬間には壁に閉じ込められていた。小さな正方形の集合体が白い壁となり、穴に()をする。這い出そうとしたナイトメアもワイバーンも、全てがその下にしまい込まれた。


「バカ!」


 怒鳴って飛び出したアルグレッドは、そのままの勢いで転ぶ。拳を当てた蓋は冷たく、石とも金属ともつかない感触だった。心臓が跳ね、顎が震える。

 ほんの一瞬こちらを見たクリフの目は、悲鳴をあげていた。アルグレッド自身そう(・・)なったから知っている。ナイトメアに触れられて、侵されて、正気でいられるわけがない。


「生得魔法か……」


 スカーレットの爪先が、蓋を叩く。アルグレッドは振り向きざま、その襟首に手を伸ばした。


「何落ち着き払ってんだよ!」

「ではどうしろと?」

「反転魔術ってのがあるんだろ、それでコイツを解いて」

「その後は?」

「そっ……れから、あの黒いのは炎に弱いなら……」


 アルグレッドの手を払い、スカーレットは「あのな」と声を低くする。


「私は魔術師。魔術の玄人だ。お前のような魔術のまの字も知らないような奴の考えなんて、一番最初に検討しているんだよ」


 足でアルグレッドを転がすと、スカーレットは上を見て片手を挙げた。


「防衛陣形! ルビーは可能ならば上層階のシャッターを閉じろ。増幅の陣を組め。先刻の古代魔法の解析を急げ。セドはギルドの魔術師に協力の打診を。全員【癒しの石(アルニカ)】を内服しろ。魔力計の動きに注意し、警戒態勢のまま待機!」


 指示を飛ばし終え、スカーレットは水筒を傾ける。口の端からこぼれた橙色の水をぬぐい、アルグレッドを振り返った。


「で、お前はどうする?」




 呼吸の感覚が戻ってくる。指を折り、クリフは一度長く息を吐いた。自分の意志で肉体が動く。それを確かめたうえで、もう一度意識を沈ませる。

 クリフは、崩れ落ちたワイバーンの上に立ち、じっと俯いた。ロアルはその背後で背中合わせになり、剣を抜いている。


「クリフ」

「……あ?」

「ふふっ、ああ、クリフだ」


 クリフの頬を、汗が伝う。ロアルは剣を片方納め、その場に胡坐をかいた。

 熱を持ったワイバーンの下で、ナイトメアがじりじりと焼けている。黒々とした海を作っていたナイトメアは、そのほとんどが焼かれていた。しかし体積を減らしてもなお、膨大な魔力の塊であることには変わりない。ただの人間であれば、触れるだけでも危険な化け物だ。


「君なら負けないだろう?」

「……おう」


 目を閉じると見えるのは、自分に縋りついてくる無数の手。肉体を失っても死にきれず、自分がナニモノかも忘れ、ただ、救いを求めている。絞り出した言葉でクリフを王と担ぎ上げて。

 彼らは、死にたいわけではない。既に肉体はなく、ナイトメアとして変質した魂は自己と他者の境界すらない。設定された命令通りに基地を守るため、冒険者を襲い、魔力結晶を育て、闇の中で肥大化する。

 そんな現在を、終わらせてほしいと叫んでいる。

 ならば。


(全部まとめて救ってやるから、俺を王だと言うんなら)


 息を吐いて、吸って目を開き。


「黙って俺に傅け、有象無象が」


 背後のロアルが、背筋を正したような気がした。

 腹の奥底から、何かが迫り上がってくる。全身に染み付いていたナイトメアが、一斉にクリフから逃げ出した。最後の一塊を吐き出して、クリフは右の拳を掲げる。


「あァそぉだよそれでいい。できるじゃねえか。じゃあ俺が! 与えてやるよ、あんたにも! お望み通りの」


 拳を開くと、そこに青い光が集まった。海蛍のようなそれは、闇に包まれた第七階層の中で、渦巻く銀河を描き出す。


「永遠の死ってやつを!」


 高らかに宣言する。光輪のように、クリフの頭上に黒い冠が顕現した。

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