冒険者たちの浮世語り (4)
車窓を流れる景色は、半日ほど前から退屈を極めていた。かたたん、かたたんと一定のリズムを刻む揺れが眠気を誘う。しかし、木製の椅子は固く、汽車の冷たい窓枠は居眠りを許してくれなかった。
「暇だな」
口を開いたのはスカーレットだった。向かいのアルグレッドが、無言で同意する。目的地の春寄谷まではまだ遠い。馬車よりはよほど速いとはいえ、徒歩で十日の距離である。日がな一日、硬い椅子に腰かけて大地を眺めていれば、嫌でも暇になってくる。
「じゃあ、はい」
ロアルが、細く切った紙きれを差し出す。先端に数字の書かれた、簡素な籤だ。
一番を引いたのは、クリフだった。
『東方民話:カスカガズリを植えた男』
アークリヴァルティの東の果てには海がある。その海をさらに、朝日が昇る方向へずっと、ずうっと行った先にあるのが、東方群島のシャンカ・ハ・ルカリだ。小さな島国が寄り集まってできた国であるため、同じ国、同じ言葉でも文化がまるで異なっている。
その島々の一つに、カスカガズリと名付けられたものがある。カスカガズリは東方でよく食べられている果物だ。晩夏、低木に鳴るこぶし大の橙色の実は、齧れば甘く、干せばより甘く。秋口に家の軒先にカスカガズリを干しておくのは、シャンカ・ハ・ルカリの風物詩となっている。
このカスカガズリは、まさにそのカスカガズリ島に生えた、たった一本の木から増えたと言われている。
これは遥かな昔、シャンカ・ハ・ルカリの王朝がまだ栄華を誇る前の話である。
カスカガズリ島に、キザシという青年がいた。若く身寄りもなく、気心の知れた友人と他愛のない話をするのが人生の楽しみだった。若さにかまけたその日暮らしをしていたので、村の大人からは苦い顔をされていた。そんな大人たちへの反抗心も手伝って、キザシはろくすっぽ働きもせず、たびたび村人たちのおこぼれに預かって腹を満たしていた。
そのうち真面目にやるさ、がキザシの口癖だったという。
あるとき、一人の旅人が村にやってきた。その年は夏に冷たい風が吹き、方々で不作になっていた。食べ物の無心かと気を張る村人に、旅人は、一つ話をするから、握り飯――東方のパンのようなものらしい――を一つくれないかと言った。村人たちは痩せた畑の世話に忙しかったので、旅人の前に残ったのはキザシだけだった。キザシは桃を持っていた。あんまり腹がうるさいからと、村人がひとつ投げてよこしたものだった。
旅人はこんな話をした。
シャンカ・ハ・ルカリから南西へ、海を少し超えた先に山がある。海の底からにょっきりと生えたような山だ。五つの山のちょうど真ん中から、朝日に、おうい、と呼びかける。すると、はあい、と声がする。声が聞こえたら、願いを一つ言うといい。一つだけだ。二つを願うと、船が二つに割れるそうだ。
しかし、願いをかなえてもらうのもただじゃない。五つ山に住まう人々に、一つ差し出さなければならない。ただし一つ差し出せば、どんな願いも一つ叶う。
旅人が話を終えると、キザシは問うた。あんたは、その山を見つけたのか。旅人は黙って微笑した。
何かひとつ、善いことをしたかった。しばらく黙ってから旅人はぽつりとそう言った。キザシは持っていた桃を割って、旅人に差し出した。
翌朝キザシが様子を見に行くと、旅人は村の外の川辺で横になっていた。旅で汚れた外套と靴を脱いで、きちんと畳んで置いてあった。そうして襤褸切れのような服だけを纏って、たいそう満足そうな顔で死んでいた。
痩せてもいない健康そうな手から、半分の桃がころりと落ちた。一口、ちいさく齧った跡があった。
キザシは久方ぶりに鍬を持ち、穴を掘った。川から少し離れた場所に旅人を埋めた。腹が減ったので、残っていた桃を川で洗った。
それからキザシは西へ向かった。海際で、朝日におういと呼びかけた。返事はなかった。そのまま、古い手漕ぎ舟で海へ繰り出した。
朝日が出るたび、おうい、と呼んだ。返事はなかった。小さな舟は風が吹くごとに揺れ、夜もろくに眠れなかった。それでもキザシは、何かに引かれるように海を進んだ。毎朝、朝日に呼びかけた。
ずいぶん旅をした。キザシはふと、村のことを思い出した。あれから何日、何十日経っただろう、百日を超えたかもしれない。自分が急にいなくなって、村人たちは何かを思っただろうか。
何か一つ、善いことをしたかった。そんな旅人の言葉を思い出す。
おうい、と呼ぶ。何度目かも分からない朝日に、掠れた声は届いたのだろうか。
気付くと、キザシは五つの山に囲まれて、ぽつんと浮かんでいた。
旅人が村を訪れて、百日と少し経った。一人の男が、カスカガズリの村にやってきた。ずかずかと遠慮なしに村に入ってきた男に、村長が慌てて駆け寄った。
どこから訪れたのか。何のためにここへ来たのか。食べ物なら分けられない。不作でみんな困っているから。村長が言うと、男は薄汚れた外套を持ち上げ、少し笑った。そして、一粒の種を村長に差し出した。桃の種に似たそれは、痩せて細くなった村長の手から、ころんと落ちてそこで芽吹いた。
乾いた地面に根を張って、芽が伸び、茎が幹となり、枝を広げ、葉をつけ、花を咲かせて実になった。瞬く間に一年が過ぎたその木には、橙色の実がたわわに生っていた。腰を抜かす村長の口元まで、実の重さで枝が垂れ下がっていた。驚くほど甘い香りがした。
旅の男は、この木の実を村のみんなにやる、と言った。村長が驚いて男を見ると、男はまた少し笑った。その笑顔を、どことなく寂しそうな顔を、知っていたような気がしたのだが、村長はどうしても、それが誰だか思い出せなかった。
どうして、見ず知らずの自分たちに、施しをするのか。村長が問うと、旅人は少し黙って、それから言った。
何かひとつ、善いことをしたかった。




