明日の君:レオナルド
いずれ王となる青年のお話。
冬が深まるにつれ、ギルドにたむろする冒険者は増えていく。エストラニウスの国土はほとんどが雪が積もる。地面をうっすらと覆う程度ならばともかく、膝まで埋まるような中を旅する数寄者はそういない。体の熱を保つための食料も、暖を取るための薪も普段より必要になり、当然天幕や寝袋もかさばるものになる。うっかり雪の降る日に野宿をすれば、次に日の目を見るのは春になるかもしれない。そんな季節に道を征くのは、備えと頑丈なソリ、そして北方の大型輓馬を用意できる大隊商くらいであった。
「じゃ、仕事にあぶれた冒険者の方々は、どうやって冬を越すんですか?」
貸し出しの火鉢にあたりながら、レオナルドは冷たい指先をすり合わせた。ザマルに滞在中、レオナルドは家庭教師のアルバイトをしている。護衛や隊商の下働きと異なり、こちらの仕事は季節を問わず減ることはない。結果、アルグレッドたち五人の中で、現在一番忙しくしているのがレオナルドだった。
冒険者ギルドの大部屋は、五人で寝泊まりするにはやや狭い。火鉢一つで十分に部屋全体が温まっていた。トートとゼオルドは仕事に出ており、三人は火鉢を囲んでいる。
算盤を弾いていたフォレイルは、レオナルドの質問に顔を上げる。
「ええ、と……その。仕事にあぶれたまま、冬を越すっていうのは……あんまり、ない」
「?」
レオナルドが首をひねり、アルグレッドを見た。アルグレッドは昨夜まで、雪中行軍を強行した隊商についていた。そのせいか、今でもまだ眠そうだ。
「……お坊ちゃん。仕事にあぶれるってことはどういう意味か分かるか?」
「ええと、そのまま、仕事がないということですよね。仕事がないということは……あ、お金が稼げない。つまり貯えだけで過ごさなきゃいけないんですね?」
「惜しい」
アルグレッドは首を横に振った。レオナルドはもう一度思考を巡らせる。と、ぱちぱちと、フォレイルの算盤の音が耳に入った。
「……ちょっと出納見せてください!」
「うわあ!」
帳簿には収入と支出がこまごまと書き込まれている。収入はアルグレッドやフォレイル、ゼオルドが冒険者として稼いできた依頼料、トートやレオナルドの給金である。支出は宿代のほか、飲食費、風呂代、火鉢や洗濯用品の貸出料金など。更に年明けには冒険者としての更新代も支払う。アルグレッドたちは武器の手入れ用品も必要であり、ダンジョンへ向かうとなると更に準備のために金が要る。いくらギルドのサービスは格安と言えど、最終的に手元に残るのは紅茶一杯分程度だった。
それでも、アルグレッドたちは仕事があるほうだと聞いている。トートやレオナルドは月にいくらと決まった金額をもらっている。それだけでもずいぶん楽なのだと。
「……冒険者って、お金がない……ん、ですね?」
「ようやくご理解いただけたようで」
「えっ、で、でも、お金がないなら……あ、春にまとめて払うとかですか?」
「ンな信用ありきのシステム、冒険者で成立するわけないだろ。想像してみろちゃんと」
うーん、とレオナルドは唸る。
当然ながら、レオナルドは金で困ったことがない。エルディンバルラの王子として、苦労こそあれ、衣食住に事欠くことはまずなかった。走れば息が切れる長さの廊下と、高い天井。清潔なベッドで目を覚ますと、そこにはきちんと畳まれた服が用意されている。朝昼晩の三食と二度の軽食は、頼まずとも用意されている。自分がすることと言えば、公務と勉学、それから護身のための稽古くらいだ。
しかしそれは、国内、それも王宮の中での話である。旅人として外に出てみればどうか。快適な寝床が欲しければ宿に入り、腹が減れば食事を注文しなければならない。新しい服が欲しければ服屋へ、熱い風呂に入りたければ貸風呂屋へ。そのすべては、金と交換でしか手に入らない。
以前、十日は風呂に入っていないという冒険者を見かけた。あまりの異臭にギルドを叩きだされ、馬洗場に引きずって行かれていた。何故そんなに不精なのかとレオナルドが問うと、トートは呆れたように、金がないからだと答えていた。
冒険者は金がない。しかし生活するには金がかかる。いや、金がかかる生活だから金がないのか。意識する必要の有無だけで、生活に金がかかるのはレオナルドも同じなのだが。財布の規模が違うと言えばいいだろうか。
ともかく、冒険者は小さな財布に金を入れ、そこから金を出して生活する。しかし冬になると、入る金が減る。ない袖は振れないのだから、出す金を減らすしかない。衣食住で、最初に削るのは衣、つまり身だしなみだろう。髪を切らない、髭をそらない、風呂に入らない、服を替えない。しかし不潔でいるとますます仕事が減る。
次に削るのは住だ。個室から雑魚寝部屋へ、それでも足りなければ、壁と屋根を諦めるしかない。家畜小屋や物置、風の吹きこまない路地裏や雪をしのげる橋の下。冒険者ならば天幕と寝袋は持っている。風と雪さえ防げれば、寝るだけならば可能だろう。しかしギルドに出入りしなければ、更に仕事が見つからなくなる。
最後に削るのは食。一日三食が無理なら二食、それも難しければ一食。
しかし、食わなければ人は死ぬ。
「……えっ」
たどり着いた結論に、レオナルドは驚いてアルグレッドたちを見た。
「冬を……越せない、ということですか?」
アルグレッドは目を伏せて頷いた。レオナルドは両手を縮め、唇を震わせる。
「そんな……! そんなのダメですよ。人には生きる権利があるんですから」
「じゃあどうしろってんだ」
「助けるべきです。仕事の斡旋とか、炊き出しとか、仮の住居とか……とにかく、春になるまで生きられるように」
「そんなことしても、連中は金を払えねぇぜ。誰がやるんだよそんなこと」
「それはっ……ギルドとか、国、とか……」
ため息をつき、アルグレッドは頭を掻いた。
「あんたの国は、そういうことやってんのか」
「……はい。少しですけれど」
「で? 助けてもらったそいつらは、見事その日暮らしを脱したのか?」
「い、いいえ……まだ」
分かっているだろう、とアルグレッドの視線は言っていた。レオナルドは口をつぐむ。
「だから、坊ちゃん。うっかり施しなんかするなよ。たかられるぜ」
たとえば路地裏で、パンが欲しいとうずくまる男がいたとして。哀れに思ってパンを一つ渡したとする。男は泣いて感謝するだろう。
しかしやがて男はパンを待つようになる。そして、奥に仲間がいるから、パンを二つくれと言う。そこで二つ渡せば三つ、三つ渡せば四つ寄越せと言い始める。
お前にはパンを買う金がある。自分たちにはない。だから施せ。施さないなら、金をくれ。俺たちは飢えているのだから。
憐れむならば救ってくれ。
「……そうでしょうね」
施されることに慣れた人間を、誰が救えるだろう。
「それでも、諦めてしまうのは違うと思うんです」
「……それは為政者の考えることだな。坊ちゃんらしい」
「おかしいですか? 目の前にまだ生きている人がいるのに、見捨てるなんて」
「違うな。俺たちは連中を見捨てるんじゃない。自分を見捨ててないんだよ」
あくびを一つ、アルグレッドはごろりとベッドに転がった。ベッドと言っても、入り口から一段高くなっている床に布団を敷いただけのものである。アルグレッドの布団以外の三枚は、折りたたんで部屋の隅に積まれている。
「悪いな、少し寝る。散歩するならフォル連れてけよ」
「……おやすみなさい」
釈然としない顔のレオナルドを残し、アルグレッドは布団をかぶってしまった。
年明けの鐘が鳴る。綿入りの外套を着てもなお、頬をさす風が痛い。
ザマルの城壁前広場には、浮浪者の列ができていた。冒険者ギルドによる炊き出しである。年越しの日だけは温かいものをと、年に一度の恒例になっているらしい。店に群がろうとする浮浪者たちに、冒険者たちが目を光らせていた。
「ゼオ」
「ん?」
少し離れた場所で、レオナルドは両手でカップを持つ。年明けは様々な屋台が出る。その中に珍しく、濃いコーヒーを淹れる店があった。ゼオルドはミルクと砂糖たっぷりのカフェオレ、レオナルドはブラックコーヒーを買っている。店の人間ですら、よくこんなものを飲む、と言いたげな顔だった。
「僕、もっといろんなことを知らなきゃなあって思ったよ」
「……?」
国に帰れば、レオナルドは為政者側になる。今年は何人生まれて何人死んだ。穀物はいくらだ。どこそこが嵐に見舞われた。人々の生活は、そんな紙の上の数字に変わる。
だが。
是か非か。表か裏か。清か濁か。二項対立の間に広がるグラデーションの中に、人々の生活はある。何人生まれて何人死んだ。それだけの数値の裏に、人の数だけ人生がある。
そんな、当たり前の話。
「だからさ、今日は夜明けまで外にいていい?」
「夜更かししたいだけだろう」
「だめ?」
じっ、と見つめられ、ゼオルドは不機嫌な顔になる。甘えたような物言いだが、こういう時のレオナルドはとにかくしつこいことをよく知っている。
「……今日だけな」
「やったあ! じゃああそこでお菓子を買っていこう。孤児院の子たちに、今日くらいは夜更かしさせて、甘いもの食べさせたいってアンキュウ先生が。それからあそこの炊き出しも手伝いたいなあ。ゼオ力貸してくれる?」
「せめて遊べ」
「遊ぶさ。花火も買っていくよ」
「そうじゃない」
買ったばかりの財布を片手に、レオナルドは屋台へと歩いていった。何と言ったものかとひとしきり空中を睨みつけてから、ゼオルドはレオナルドを追いかける。あの様子だと、せっかくの小遣いをすべて他人のために使いそうだ。そもそもまだ値下げ交渉もできないくせに。
足早に去る二人の白い息が、夜の空気に溶けていった。




