吹き溜まり市にて (3)
市の入り口で解散をしてしばらく、クリフは暇を持て余していた。懐に余裕がないわけではないが、何か買いたいものがあるわけでもない。
ソルードはフォレイルたちに預け、レオナルドも見たい店があると行ってしまった。ロアルがいれば暇つぶしには苦労しないと思っていたが、いつの間にかいなくなっていた。そういえばアルグレッドと、砥石の厳選がどうのと話していたような。
もともと物欲が非常に偏っており、興味があるものと言えば魔術師の道具か薬種か本。そのどれも高額で、また今度と言っているうちに欲しい気持ちが薄れてしまう。そんなクリフにとっては、吹き溜まり市のにぎやかさはまるで自分に関係のないことのようだった。古本屋でもあれば満喫できただろうが。
民家の壁に背を預け、クリフはぼんやりと空を見ていた。
「……?」
一人の少女が、クリフの隣に立つ。ちらりと顔をうかがうが、面識はないはずだ。
だがクリフが顔を上げると、視界の端で少女がこちらを見ているのが分かる。視線を向けるとさっと顔を背けるが、そっぽを向くとまたちらちらと見上げてくる。
「…………」
不得意、とまでは言わないが、クリフは積極的に子供の面倒を見る性格でもない。似た年頃のソルードがいれば、話しかけるきっかけにはなっただろうか。いや、ソルードはまだ人見知りがある。急に話しかけられれば固まってしまうだろう。
(……あいつのあれも何とかしねぇとなあ)
三か月ほどでずいぶん人に慣れてはきたが、ソルードが目指しているのは冒険者である。だがソルードの性格は冒険者に向いているとは言えない。
本人がそれを目標にしているのであれば邪魔はしたくないが、クリフとしては冒険者になってほしいとは思わない。文字の読み書きもずいぶん上達した。ペンの持ち方すら知らなかったというのに、今ではかろうじて読める文が書けるほどだ。ソルード本人に余裕ができたら、次は計算も教えていく予定である。読み書き計算、の基本三技能を持っているというだけで、仕事探しはかなり有利になる。アンキュウの伝手を頼れば職業訓練の学校に通えるかもしれない。
そんなことを考えていると、外套の裾を引かれた。
「魔法使いですか?」
意を決した顔で、少女がクリフを見上げてきていた。クリフは目をぱちくりとさせる。
「俺が?」
「はい!」
「あのな。確かに俺は魔術師だけど、魔法使いじゃあない」
大仰な杖にマントという風体は確かに、絵本に描かれる魔法使いそのものであろうが。
クリフは膝を折り、少女に視線を合わせる。
「お嬢ちゃん、魔法使いが好きなのか?」
「……私も魔法があるから。でも、学校に行くお金がないの」
少女が小さな両手を差し出す。手のひらの中に、淡い光の玉が現れた。
生得魔法が発現しても、その後学校に通わない子供はいる。魔法という力を制御するため、多くの魔術学院は無料の出張教室を実施している。だがそれも、文字の読み書きができる子供――具体的に言うのならば、学校がある町の子供に向けたものだ。山間の村などで魔法が発現する子供は少なく、クリフのように正式な学校に通えるものは一握りとなる。
「だから……教えてほしくって。簡単な魔法が使えたら、今よりたくさん働けて、いつか学校に行けるかもしれないんです」
「……そうか」
魔法でお金を出す、と言い出さないだけ立派だろうか。
クリフは太陽を見る。まだ待ち合わせの時間まではしばらくある。
「嬢ちゃん、字は?」
「書けません!」
「元気のいいこった。字の読み書きができないと魔術も使えないぜ」
クリフはポケットを探り、短く切り詰めた枝を引っ張り出した。土の地面に魔法陣を書くためのものだ。
「名前は?」
「ハリナです」
「は、り、な……と」
クリフが綴った文字を、少女は興味深そうにのぞき込む。
「綴りは……たぶん合ってる。やってみな」
少女は指先で、クリフの字を真似る。初めて文字を綴るらしく、まっすぐに線を引くのも、大きさを合わせるのも一苦労のようだった。
「うぅん……」
足で文字を消しては書き直し、少女、ハリナは眉間にしわを寄せた。
「魔法で覚えたりできないですか?」
「でっ……。おやまあ、魔術師志望ともあろうお方が努力を厭うとはね。いいか嬢ちゃん。魔術学校ではおんなじ単語を百回も二百回も書くんだぜ」
「えっ」
クリフは地面に円を描き、そこに図形と文字を重ねて魔法陣を作る。
「この丸だって、きれいに書けるようになるまで毎日、まぁいにち書かされた。鉛筆を一本貰ってな、それがちびっこくなってもう持てなくなるまで、毎日丸を書く。そうやって覚えるんだ。そうやって、ただの人間が、魔法使いにちょっとだけ近くなるんだよ」
魔術はあらゆる物事を解決する近道として使われる。だが結局、魔術師は学院で学ぶ段階で、その道程の前払いをしていると言っていい。学び、考え、体に覚えさせる。その繰り返しの地道な積み重ねに対する報酬が、魔術師という称号だ。
「でも、私にはそんな時間ないですもん。私も【茜鴉の魔女】様みたいになりたいのに」
「【茜鴉の魔女】?」
知らないのか、と言いたげにハリナは目を丸くした。
「旅の商人の娘でありながら、賢者に上り詰めた魔法使いですよ。私も同じ隊商の子だから。忙しいし、学校にも行けないし、一つの町にいる時間も短いから、誰かに教えてももらえない。だけど、なりたいんですもん」
ふうん、とうなずいて、クリフは視線をハリナから外す。ハリナはぶつぶつ言いながら、文字の書き取りに戻った。五度目でようやく、読める文字の形になってきた。
「ほかにも教えてください。魔法の言葉とか」
「へいへい。じゃあ……」
クリフは地面に文字を書く。馬車、汽車、商品、代金。どれもこれも、商人の娘が日常で目にしそうな言葉ばかりだった。読み方を教えられると、ハリナは眉尻を吊り上げる。
「魔法を教えてくれないんですか?」
「それが書けたらな。ちょっとここで練習してろ」
クリフは立ち上がり、どこかへと歩いて行ってしまった。ハリナはしぶしぶ、書き取りを続けた。
地面に、何度も文字を書く。近くに落ちていた木の枝を折り、クリフを真似て握った。だがそうすると枝の先が上を向いてしまい、どうにも書きづらい。反対向きに握るのだろうか。だがあの金髪の魔術師は、こぶしをぐっと握ってはいなかった。そうなると、匙のようにか。この形で文字を書くとなると、またろくな線が書けなくなる。
見たものを見たとおりに。一見すれば簡単だが、形が合うようにと手本を凝視すると手元がおろそかになり、反対に手元をじっと見ていると手本の形が曖昧になってしまう。
ふと、クリフが書いていった魔法陣が目に入った。まだ形や文字の意味は分からない。だが、ささっと書いていたのだから、簡単な魔術なのだろう。
自分には魔法の才がある。
ハリナはごくりと唾を飲み込んだ。木の枝を置き、手を伸ばす。
指先から、魔法陣へと閃光が走った。空間を切り裂く青白い稲妻が、地面の円をぐるりと巡る。
「いたっ!」
冬場、金属のドアノブに手を伸ばした時のような痛みだった。ハリナは尻もちを搗く。ぴりぴりと痺れる指先を振って、目を白黒させる。目の前の魔法陣は一瞬光ったかと思うと、もうもうと煙をあげ始めた。
「えっ、えっ、やだ!」
白煙はあっという間にハリナの背を追いこす。手を振って煙を払おうとするが、そうすると余計に拡散してしまった。道行く人々が、何だ火事かと足を止め始める。
火は出ていない。しかし煙は噴き出してくる。ハリナは魔法陣を何度も踏みつけた。円が途切れ、文字がかき消されてようやく、煙が止まる。
「か、火事じゃないです、大丈夫です!」
バケツ片手に集まってきた通行人に、ハリナは必死で弁明する。まだ春先、冷たい井戸水を頭からかけられてはたまらない。煙が消え、ハリナの前に火種も焚火の後もないことを確認すると、ようやく人々は解散した。人騒がせな、と胸をなでおろす人々に、ハリナは何度も頭を下げる。
駆け寄ってきた人々とハリナの足で、地面の文字はすっかりかき消されてしまった。ハリナはため息をつき、折れた木の枝を拾う。あの金髪の魔術師は、こうなるのが分かっていてどこかへ行ったのだろうか。
しゃがみこんだハリナの前に、見覚えのある靴が現れた。ハリナは不機嫌に唇を尖らせる。
「教えてくれないから、騒ぎになっちゃったじゃないですか」
「俺のせいか?」
「そうです」
ハリナはうろ覚えの単語を、地面に書き綴る。幸い、自分の名前といくつかの単語は正確に書くことができた。言われたとおりに努力したというのに、この仕打ちである。ハリナは折れた枝を、魔術師の足元へと放り投げた。
「お転婆め」
ふっ、とハリナに影がかかった。女の声だ。驚いてハリナは顔を上げる。
「素直なほうが、魔術の上達は速いぞ」
鴉の仮面が、ハリナを見下ろしていた。濡羽色のフードから、赤い髪がこぼれている。
「……えっ」
「それに、魔術は怖いものだ。危ないものだ。それをまず理解しなければ、魔術師の卵にもなれないな」
指先を唇に当てて笑うのは、スカーレットである。ハリナもその正体に思い至ったのだろう。丸い目をさらにまん丸にして、スカーレットを見上げている。
「さて、では顔も見せたし。約束だ、クリフォード。後ほど工房をじっくり見せてもらおう」
「……はぁい」
まだ固まっている少女をそのままに、スカーレットは踵を返す。クリフはハリナの前にしゃがんだ。目の前で手を振られて、ようやくハリナは息を吸う。
「【茜鴉の魔女】様!」
「いっ……。そうだよ。憧れなんだろ?」
「うそうそ、本物!? あなた、魔女様の弟子なんですかっ?」
「いや弟子ではねぇけど……」
ハリナは興奮した様子でクリフの袖を引っ張る。輝く瞳に見上げられ、クリフは眩しそうに目を細めた。
「私も魔女様の弟子になる! 紹介してください!」
「俺は弟子ではねぇって」
「文字が書けたらいいですか? それとも学校? お母さんにもう一回お願いしてみよう! 何年くらいで魔術師になれますか?」
「……うん」
矢継ぎ早の質問に、クリフはため息を一つ返す。
「じゃあ、ほら。この近くで、無償教室がある町。親御さんにお願いしてみな」
折りたたまれた紙を差し出すと、ハリナは両手でそれを受け取り、飛び上がった。
「ありがとうございます、魔法使いさん! 早速お母さんに言わないと! さよーなら!」
挨拶もそこそこに、ハリナは走り去っていった。舞い上がった砂埃を片手で払い、クリフは苦笑をこぼす。我ながらずいぶん甘い。
魔術師を名乗るには――冒険者の『魔術師』ではなく――彼女が嫌がったような、地道で手と頭が痛くなるような努力が必要不可欠だ。おとぎ話の魔法使いのように、杖をひと振りすればぼろがドレスになり、鼠が馬になるようなことはない。そんな魔法は奇跡であり、人間の手には届かない場所にある。
それでも。絶え間ない研鑽と研究と努力の果てに、人間はほんの一握り、その奇跡の一端を手に入れた。その事実に魅了される魔術師の卵に、道を示すのもまた先達の務めだろう。
自分もまた、そうして魔術師になったのだから。
「何をにやにやしてんだよ」
降ってきた声に顔を上げると、アルグレッドとロアルが立っていた。
「別に。置いていきやがって二人とも」
「君、剣士の装備なんか見ても面白くないだろう。何か騒ぎがあったようだけど?」
クリフは「何でもない」と立ち上がり、外套の裾を払った。
「なあ」
「うん?」
「俺に二つ名つくとしたら、何だと思う?」
アルグレッドとロアルが顔を見合わせる。
歴史に名を残す魔術師には、大抵二つ名がつく。かの有名なザマルの七賢人しかり、スカーレットしかり。魔術師を志す者は誰しも、一度は自分の二つ名を考えるものだ。それは単純なあこがれである一方、自分がどんな魔術師になりたいかの展望を定めるものでもある。
クリフも望むのならば、強そうなものがいい。あいつに任せておけば大丈夫、と思われるような。
「じゃあ【太陽の魔法使い】!」
「ニアルーク語じゃ誰も分かんねぇよ」
「そもそも、二つ名ってどんなのがあるんだよ」
「【炎帝】アストラとか、【人形師】グレンとか」
「ソレなんちゃらクリフォード……ちっと長いな」
真面目な顔で言われ、クリフはにわかに恥ずかしくなった。今のところ、賢者と呼ばれるだけの武勇伝を持つ予定もない。「やっぱいい」と呟き、首を振って熱を振り払った。
だが残念なことに、義弟のからかいの種を見逃すアルグレッドではなかった。
その晩、仲間五人による渾身の二つ名を披露され、クリフは声にならない悲鳴を上げることになるのだった。




