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蒼天のアルターレ  作者: 日凪セツナ
断章 Ⅱ
53/61

吹き溜まり市にて (1)

 地面に真っ直ぐに線を引くように、線路が地平線まで続いている。春先の空は白く霞んで、綿をちぎったような雲がぽっかりと浮かんでいた。

 グリッツェラーのゲラルディ鉄道は、主要都市を結ぶ国の大動脈だ。少なくない人が乗り降りする駅はそれだけで町の中心になりうる。大型ダンジョンの周囲ににわか景気の街ができるように、ここ数年、グリッツェラーでは駅の名をそのまま冠した町が増えていた。

 エストラニウスとの国境近く、ディレッツの町はまさにその典型であった。汽車の終点であり折り返しの地点でもある町は、ほんの三年ほどの間にみるまに町として発展していった。ちいさな宿場町は、今や両国を行き来する人々で季節を問わず賑わっている。


「吹き溜まり市、ですか?」

「そ。王子様が興味あるかは知らないけど、面白いところだよ」


 ディレッツの町名物の一つが、古今東西からの旅人が集う裏通りだった。吹き溜まりという名の通り、ふらりとやってきた旅人がそれぞれ好き勝手に露店を広げている。


「汽車まで半日あるって言うし。スカーレットさんは自由にしろって言ってたけど、君、こういうところ見るの好きじゃない?」

「好きです」


 食い気味にレオナルドが頷いて、反対にゼオルドは渋い顔をした。


「決まり。じゃあみんなで行こう!」


 ぞろぞろと、八人の旅人は市場へと歩いていった。




 フォレイルの肩に乗り、ソルードは上機嫌だった。なにしろフォレイルは背が高い。がやがやとした人混みの中でも、ずいぶん遠くまでを見通せた。


「ふおにい、あれ、なに?」


 ソルードがぺしぺしとフォレイルの頬を叩き、道の先を指差した。何やら人だかりができている。


「賭け事じゃない? あたしちょっと見てくる」


 先を歩いていたトートが、人と人の隙間にするりと入っていった。直後、わっ、と人垣の向こう側から歓声が上がる。野太い雄叫びと共に、一人の偉丈夫が拳を掲げて立ち上がった。


「何だった?」

「腕相撲だって。一回三十ユル」


 へえ、と頷くフォレイルを見上げ、トートはにやりとした。


「やってきたら? 今、三百まで賞金が上がってる」

「九連勝してる人に、勝てって?」


 フォレイルは眉根を寄せ、困ったように首を振る。


「俺はその三十ユルで、三人で肉まんでも食べたいな」

「そう?」


 ソルードは二人を見比べると、するりと地面に降りた。


「ふおにい、兄さんより強いだろ? おれも見たい!」

「クリフォードと比べられてもな……」

「じゃ、ろぉは? ろぉよりつよいじゃない?」

「それは分からない」


 そもそもフォレイルは盾士、ロアルは双剣士だ。頑強さがウリのフォレイルと速度がウリのロアルでは、戦う土俵が違う。

 そんなことを話していると、群衆の一人がそれを聞きつけた。


「やっていきなよ、兄ちゃん! 負けたって損するわけじゃねえんだし! みんなあいつに勝てないんだ、勝ったらあんた英雄だぜ!」

「……いや」

「それに、九人目が終わったばかしの今が一番、あいつが疲れてるぜ」


 あれよあれよと言うまに、フォレイルは人垣の最前列まで運ばれていった。さっ、とトートが賭け金の三十ユルを出す。


「トート」

「あはは、いいじゃない。見せてよ」


 珍しく不満げな顔をしながら、フォレイルは席についた。

 粗末な木製のテーブルに、布が一枚かけられただけの戦場だった。相手の男は右頬に大きな傷があり、それが耳に切れ目を作っている。刈り上げた髪といい剥き出しの腕といい、全身で威嚇をしているようだった。

 腕まくりをして、フォレイルはテーブルに肘を乗せる。ゆっくりと息を吐き、右腕に力を込めた。


「へえ、強いな兄ちゃん」


 男はにやにやと黄ばんだ歯を見せる。「どうも」とだけ返し、フォレイルはゆっくりと目を伏せた。審判役の男が、高らかにカウントダウンを始める。


はじめ(ファイト)!」


 声と同時に目を開き、フォレイルは右腕に力を集中させた。二の腕が筋肉の形に隆起する。余裕を持たせたサイズの服が、あっという間に内側からの圧力に悲鳴をあげた。

 相手の男が、おお、と笑う。男の腕にも血管が浮き上がっていた。左腕で掴んだテーブルの端が、今にもへし折られそうな音を立てている。


「ぐ、おっ……」


 わずかに、男の腕が押される。フォレイルは歯を食いしばり、隙間から息を吸い込んだ。腕から肩、背中に至るまで、もう限界だと軋んでいる。ごうごうと血が通う音すら聞こえそうだった。吸った息で肺を満たし、もう一踏ん張りだと自分の腕に言い聞かせる。


「――――」


 男が何かを呟いた。


「えっ?」


 ぱちり、視界の端で光が弾ける。酸欠かとフォレイルが口を開いた瞬間、右腕からすっと力が抜けた。


「どぉりゃあ!」


 男の腕が、フォレイルの右腕を押し返す。一秒も経たずに、フォレイルは右手の甲をテーブルに押し付けられていた。その勢いに体勢を崩され、椅子から滑り落ちる。


「フォレイル!」


 心配するトートの声を掻き消すように、歓声が上がった。男は勝利の雄叫びと共に右腕を掲げている。


「すげえ、十人抜きだ!」「誰か止めろー!」「白いあんちゃんもいい勝負だったぜ!」


 好き勝手に盛り上がる観衆が、フォレイルにも拍手を贈る。そう讃えられると悪い気はしない。フォレイルは照れたように頬を掻いた。


「あいつ、今何かしたよね?」

「……まあ……うん、でも、俺の実力不足だ」


 トートはむっと唇を曲げた。何か卑怯な手を使われて、実力だなどと言えるのか。かといってトートにも、あの男が何をしたか証明するすべはないのだが。


「ああ、もうっ。クリフォードがいたら絶対文句言ってるのに」

「まあまあ。ほら、俺の小遣いでなんか食べよう」


 終盤まで、男が実力で粘っていたのもまた事実。あからさまにこちらをカモにしているわけでもないのだから、そう怒るようなことでもない。

 と、フォレイルは思っていたのだが。


「おれがやる!」


 連れの少年は、飲み下せなかったらしい。

 両手で机を叩き、ソルードは犬歯を見せた。「おっ」と男は振り返り、そこに立つソルードの小ささに目を丸くする。


「おいおい、ガキじゃねえか。そんな細い腕、ぽきっといっちまうぜ」

「ふんっ! できるもんならやってみな!」


 クリフ譲りの口調で吼え、ソルードは懐から巾着袋を取り出した。止めようとする審判に、小銭が乗った手を突き出す。


「三十、とって」

「えっ? あー、ええと。坊主、本気かい?」

「ほんき!」


 ソルードはテーブルに肘をつき、男を睨み上げた。


「こら! 怪我したらどうするの」

「にゃーねぇはそっち行って!」

「ああもう、知らないからね!」


 見下ろすと尚のこと、男の目にはソルードは小さく見えた。大きな尾は目を引くが、獣人とはいえ子供である。男は顎を撫で、数秒思案したのちに笑った。適当に相手をしてやって、負かせば三十ユル増える。先刻の男を相手にするよりもずっと楽だ。


「よぉし分かった! だがな、坊主。男と男の真剣勝負だ。負けても泣いちゃいけねえぜ」


 ソルードの肘の下に、丸めた布が入れられる。それでも高さが足りず、男は腰をぎりぎりまで落とした。


「お前こそ」


 ぎらりと、オーロラ色の目が光る。闘志だけは一人前だな、と男は笑みを引っ込めた。

 重なると、うっかり握りつぶしそうな小さな手だった。審判が少年を見やり、心配するように声をかける。少年は頑なに首を横に振った。


「……はじめ(ファイト)!」


 声がかかる。これまでは固唾を飲んでいた観客が、微笑ましい、と目を細めているのが男にも分かった。十秒ほど、いかにも苦戦しているような顔をすれば、この少年も満足するだろう。

 そう、軽く力を入れて、


「えいやっ!」


 世界が回った。


「……えっ?」


 気がつくと、男は地面に転がされていた。遅れて、右腕に激痛がやってくる。

 男の右腕は、べったりと机に押し付けられていた。その勢いに追いつけずに転んだのだ。そう状況を理解して、やや遅れて、負けた、という事実が突きつけられる。

 負けた。こんな子供に、自分が。背丈は二倍、腕の太さは四倍も違う。みくびってはいたが、かといって、力を入れていないわけでもなかった。あの一瞬で、自分は確かに押し負けたのだ。


「あっはっは! おれのかち!」


 椅子の上に立ち、少年は高らかに宣言した。

 人は、理解し難い出来事に直面すると絶句する。例えばフォレイルが勝っていれば、新しい勝者の誕生に沸いただろう。だが、相手は年端もいかない少年だ。どれほど油断していたとして、まさかそんなに派手に負けるわけがない。

 だから観客が声を取り戻したのは、ソルードが男をひょいと助け起こした後だった。


「もうズルっこ、しちゃダメだぜ?」

「……お、おう……」


 男は自分の右手を見下ろす。小さな手形がくっきりと残っていた。じっとりと汗をかいている。ともすれば、折れていたのは自分の骨の方だったかもしれない。

 ソルードは審判から賞金を受け取り、フォレイルたちのもとへ駆け戻った。困惑と畏怖を浮かべる男たちなどどこ吹く風で、ソルードは両腕でフォレイルに飛びつく。


「ふおにい、にゃーねえ! これで兄さんたちにおみゃあげ買おー!」


 屈託のない笑顔に、フォレイルは苦笑を漏らした。


「情けない」

「あんたも怒ればあれくらい強いでしょ」

「怒るって難しいじゃないか」

「そう?」


 木登りの如くフォレイルの肩までよじ登り、ソルードは得意げな顔になる。クリフとロアルに、いい土産話ができそうだ。

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