吹き溜まり市にて (1)
地面に真っ直ぐに線を引くように、線路が地平線まで続いている。春先の空は白く霞んで、綿をちぎったような雲がぽっかりと浮かんでいた。
グリッツェラーのゲラルディ鉄道は、主要都市を結ぶ国の大動脈だ。少なくない人が乗り降りする駅はそれだけで町の中心になりうる。大型ダンジョンの周囲ににわか景気の街ができるように、ここ数年、グリッツェラーでは駅の名をそのまま冠した町が増えていた。
エストラニウスとの国境近く、ディレッツの町はまさにその典型であった。汽車の終点であり折り返しの地点でもある町は、ほんの三年ほどの間にみるまに町として発展していった。ちいさな宿場町は、今や両国を行き来する人々で季節を問わず賑わっている。
「吹き溜まり市、ですか?」
「そ。王子様が興味あるかは知らないけど、面白いところだよ」
ディレッツの町名物の一つが、古今東西からの旅人が集う裏通りだった。吹き溜まりという名の通り、ふらりとやってきた旅人がそれぞれ好き勝手に露店を広げている。
「汽車まで半日あるって言うし。スカーレットさんは自由にしろって言ってたけど、君、こういうところ見るの好きじゃない?」
「好きです」
食い気味にレオナルドが頷いて、反対にゼオルドは渋い顔をした。
「決まり。じゃあみんなで行こう!」
ぞろぞろと、八人の旅人は市場へと歩いていった。
フォレイルの肩に乗り、ソルードは上機嫌だった。なにしろフォレイルは背が高い。がやがやとした人混みの中でも、ずいぶん遠くまでを見通せた。
「ふおにい、あれ、なに?」
ソルードがぺしぺしとフォレイルの頬を叩き、道の先を指差した。何やら人だかりができている。
「賭け事じゃない? あたしちょっと見てくる」
先を歩いていたトートが、人と人の隙間にするりと入っていった。直後、わっ、と人垣の向こう側から歓声が上がる。野太い雄叫びと共に、一人の偉丈夫が拳を掲げて立ち上がった。
「何だった?」
「腕相撲だって。一回三十ユル」
へえ、と頷くフォレイルを見上げ、トートはにやりとした。
「やってきたら? 今、三百まで賞金が上がってる」
「九連勝してる人に、勝てって?」
フォレイルは眉根を寄せ、困ったように首を振る。
「俺はその三十ユルで、三人で肉まんでも食べたいな」
「そう?」
ソルードは二人を見比べると、するりと地面に降りた。
「ふおにい、兄さんより強いだろ? おれも見たい!」
「クリフォードと比べられてもな……」
「じゃ、ろぉは? ろぉよりつよいじゃない?」
「それは分からない」
そもそもフォレイルは盾士、ロアルは双剣士だ。頑強さがウリのフォレイルと速度がウリのロアルでは、戦う土俵が違う。
そんなことを話していると、群衆の一人がそれを聞きつけた。
「やっていきなよ、兄ちゃん! 負けたって損するわけじゃねえんだし! みんなあいつに勝てないんだ、勝ったらあんた英雄だぜ!」
「……いや」
「それに、九人目が終わったばかしの今が一番、あいつが疲れてるぜ」
あれよあれよと言うまに、フォレイルは人垣の最前列まで運ばれていった。さっ、とトートが賭け金の三十ユルを出す。
「トート」
「あはは、いいじゃない。見せてよ」
珍しく不満げな顔をしながら、フォレイルは席についた。
粗末な木製のテーブルに、布が一枚かけられただけの戦場だった。相手の男は右頬に大きな傷があり、それが耳に切れ目を作っている。刈り上げた髪といい剥き出しの腕といい、全身で威嚇をしているようだった。
腕まくりをして、フォレイルはテーブルに肘を乗せる。ゆっくりと息を吐き、右腕に力を込めた。
「へえ、強いな兄ちゃん」
男はにやにやと黄ばんだ歯を見せる。「どうも」とだけ返し、フォレイルはゆっくりと目を伏せた。審判役の男が、高らかにカウントダウンを始める。
「はじめ!」
声と同時に目を開き、フォレイルは右腕に力を集中させた。二の腕が筋肉の形に隆起する。余裕を持たせたサイズの服が、あっという間に内側からの圧力に悲鳴をあげた。
相手の男が、おお、と笑う。男の腕にも血管が浮き上がっていた。左腕で掴んだテーブルの端が、今にもへし折られそうな音を立てている。
「ぐ、おっ……」
わずかに、男の腕が押される。フォレイルは歯を食いしばり、隙間から息を吸い込んだ。腕から肩、背中に至るまで、もう限界だと軋んでいる。ごうごうと血が通う音すら聞こえそうだった。吸った息で肺を満たし、もう一踏ん張りだと自分の腕に言い聞かせる。
「――――」
男が何かを呟いた。
「えっ?」
ぱちり、視界の端で光が弾ける。酸欠かとフォレイルが口を開いた瞬間、右腕からすっと力が抜けた。
「どぉりゃあ!」
男の腕が、フォレイルの右腕を押し返す。一秒も経たずに、フォレイルは右手の甲をテーブルに押し付けられていた。その勢いに体勢を崩され、椅子から滑り落ちる。
「フォレイル!」
心配するトートの声を掻き消すように、歓声が上がった。男は勝利の雄叫びと共に右腕を掲げている。
「すげえ、十人抜きだ!」「誰か止めろー!」「白いあんちゃんもいい勝負だったぜ!」
好き勝手に盛り上がる観衆が、フォレイルにも拍手を贈る。そう讃えられると悪い気はしない。フォレイルは照れたように頬を掻いた。
「あいつ、今何かしたよね?」
「……まあ……うん、でも、俺の実力不足だ」
トートはむっと唇を曲げた。何か卑怯な手を使われて、実力だなどと言えるのか。かといってトートにも、あの男が何をしたか証明するすべはないのだが。
「ああ、もうっ。クリフォードがいたら絶対文句言ってるのに」
「まあまあ。ほら、俺の小遣いでなんか食べよう」
終盤まで、男が実力で粘っていたのもまた事実。あからさまにこちらをカモにしているわけでもないのだから、そう怒るようなことでもない。
と、フォレイルは思っていたのだが。
「おれがやる!」
連れの少年は、飲み下せなかったらしい。
両手で机を叩き、ソルードは犬歯を見せた。「おっ」と男は振り返り、そこに立つソルードの小ささに目を丸くする。
「おいおい、ガキじゃねえか。そんな細い腕、ぽきっといっちまうぜ」
「ふんっ! できるもんならやってみな!」
クリフ譲りの口調で吼え、ソルードは懐から巾着袋を取り出した。止めようとする審判に、小銭が乗った手を突き出す。
「三十、とって」
「えっ? あー、ええと。坊主、本気かい?」
「ほんき!」
ソルードはテーブルに肘をつき、男を睨み上げた。
「こら! 怪我したらどうするの」
「にゃーねぇはそっち行って!」
「ああもう、知らないからね!」
見下ろすと尚のこと、男の目にはソルードは小さく見えた。大きな尾は目を引くが、獣人とはいえ子供である。男は顎を撫で、数秒思案したのちに笑った。適当に相手をしてやって、負かせば三十ユル増える。先刻の男を相手にするよりもずっと楽だ。
「よぉし分かった! だがな、坊主。男と男の真剣勝負だ。負けても泣いちゃいけねえぜ」
ソルードの肘の下に、丸めた布が入れられる。それでも高さが足りず、男は腰をぎりぎりまで落とした。
「お前こそ」
ぎらりと、オーロラ色の目が光る。闘志だけは一人前だな、と男は笑みを引っ込めた。
重なると、うっかり握りつぶしそうな小さな手だった。審判が少年を見やり、心配するように声をかける。少年は頑なに首を横に振った。
「……はじめ!」
声がかかる。これまでは固唾を飲んでいた観客が、微笑ましい、と目を細めているのが男にも分かった。十秒ほど、いかにも苦戦しているような顔をすれば、この少年も満足するだろう。
そう、軽く力を入れて、
「えいやっ!」
世界が回った。
「……えっ?」
気がつくと、男は地面に転がされていた。遅れて、右腕に激痛がやってくる。
男の右腕は、べったりと机に押し付けられていた。その勢いに追いつけずに転んだのだ。そう状況を理解して、やや遅れて、負けた、という事実が突きつけられる。
負けた。こんな子供に、自分が。背丈は二倍、腕の太さは四倍も違う。みくびってはいたが、かといって、力を入れていないわけでもなかった。あの一瞬で、自分は確かに押し負けたのだ。
「あっはっは! おれのかち!」
椅子の上に立ち、少年は高らかに宣言した。
人は、理解し難い出来事に直面すると絶句する。例えばフォレイルが勝っていれば、新しい勝者の誕生に沸いただろう。だが、相手は年端もいかない少年だ。どれほど油断していたとして、まさかそんなに派手に負けるわけがない。
だから観客が声を取り戻したのは、ソルードが男をひょいと助け起こした後だった。
「もうズルっこ、しちゃダメだぜ?」
「……お、おう……」
男は自分の右手を見下ろす。小さな手形がくっきりと残っていた。じっとりと汗をかいている。ともすれば、折れていたのは自分の骨の方だったかもしれない。
ソルードは審判から賞金を受け取り、フォレイルたちのもとへ駆け戻った。困惑と畏怖を浮かべる男たちなどどこ吹く風で、ソルードは両腕でフォレイルに飛びつく。
「ふおにい、にゃーねえ! これで兄さんたちにおみゃあげ買おー!」
屈託のない笑顔に、フォレイルは苦笑を漏らした。
「情けない」
「あんたも怒ればあれくらい強いでしょ」
「怒るって難しいじゃないか」
「そう?」
木登りの如くフォレイルの肩までよじ登り、ソルードは得意げな顔になる。クリフとロアルに、いい土産話ができそうだ。




