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蒼天のアルターレ  作者: 日凪セツナ
第四章 浮木と楔
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15‐2)現だからこそ叶うもの

 多くの人間は否定するだろうが、ロアル・ユークリッドは寂しがり屋である。少なくともクリフにしてみれば、食事を摂らないのに食卓につくことを好み、眠らないのにソルードの午睡に付き合う姿は、人好きのそれに他ならなかった。

 そんなロアルが、百年、自分を待っている。


「……見つかるのか?」


 スカーレットの問いに、クリフは無言で頷きを返した。

 息を吸う。目を閉じる。瞼に当たる朝日を感じ、目を開く。黒魔術師の瞳は、たった一つの(さがしもの)を既に見つけていた。

 蜂蜜色の瞳が、水平線を――その中に佇む、一本の木を映した。

 杖で足をつき、水上歩行の魔術をかける。クリフは杖をレオナルドに預け、水面へと一歩踏み出した。少しでも身軽になりたかった。

 澄んだ水面に波紋が広がる。透明な波打ち際から、一歩、また一歩と深い場所へ。遠目にはきらきらしく、緑がかった水色に見えた湖も、その上に立てば、光を吸い込む深さが露わになる。

 水面近くを揺蕩っていた魚たちが、クリフの足音に驚いて逃げる。一定の間隔で波紋を作り、飛沫を飛ばしながら、クリフは走った。

 湖の中心が近付いてくる。水面の下に、太い木の根が見え始める。

 湖畔から見ても十分大きな樹だった。だが近付くと、それはエルフたちの住処に勝るとも劣らない大木だった。根は深く、水面の遥か下まで伸びている。水草の生えた水の底から、背を逸らして見上げた先まで、太い幹が伸びている。苔の生えた幹は複数の木が絡まりあったようにねじれ、いっぱいに枝を伸ばしていた。

 クリフは目を閉じ、幹に額を当てる。


「………………」


 竪琴の音がする。体に染みついていた疲労が、消えていくのが感じられた。


「やっぱり、そういうことだったんだな」


 大木を見上げ、クリフは薄く笑った。

 治癒の力のある湖。エルフの里だからと何の説明もなく受け入れていた。

 だが考えてみれば単純なことだ。湖すべてに、治癒の魔術が施されていただけのこと。そしてそんな芸当ができる魔道具は、この世界に一つしかない。

 だからロアルが旅立つと言ったとき、ラッタリッタは黙ったのだ。この木の中に竪琴があると――それが、竪琴を護り続けたロアルの現在であると察したから。


「じゃあ、この木はロップロップの仕業か」


 クリフは腕まくりをし、外套と靴を脱ぐ。近場の枝にそれらを括り付け、両手をこすり合わせた。

 木登りは得意なほうだ。水面を蹴って跳び、枝をつかむ。その枝を足場に次の枝へ。幸い、幹も枝も、足場には事欠かない木だった。

 ロアルがいる、という確信を胸に、上へ、上へ。木登りをするときに下を向いてはいけない。地面が遠くなっていると気づいてしまうから。


(この高さから落ちたら、水でも十分痛えだろうな)


 どれほど登ったか。まだ先はあるが、幹は一回り細くなっていた。その幹に、裂け目のようにうろができている。

 竪琴の音は、そのうろから響いていた。


「……いた」


 枝をどけ、裂け目を照らす。

 暗いうろの中に、空色の石が見えた。


「ロアル」


 うろに両手をかけ、こじ開けようと力をこめる。だがその程度では、幹はびくともしなかった。

 枝の上にしゃがみ、クリフはうろをのぞき込む。腕一本なら、入りそうだ。


「ロアル。迎えに来たぜ。ほら手ぇ出せ!」


 右手をうろに突っ込み、空を掻く。肩口まで右腕を入れると、指先に布の感触があった。

 竪琴の音が止まる。ごとり、と何かを置く音、それから布がこすれる音。

 柔らかい両手が、クリフの右手を強く、包み込んだ。離さないように、縋るようにつかんでくる両手は、よく知った感触をしていた。

 クリフはにいっと口の端を上げる。声が届いたのならば、あとは引っ張り出すだけだ。


「……ん?」


 足元で、何かが軋む音がした。

 足場にしていた枝が、にわかに震えだす。腕をうろに突っ込んだまま、クリフは幹に押し付けられた。振動はやがて大木全体へと広がる。

 それはまるで、眠っていた獣がのっそりと起き出したかのようだった。右腕が固定されていなければ、クリフはとっくに放り出されていただろう。

 振動は一分ほどだっただろうか。次に変化が起きたのは、大木の幹だった。うろの裂け目を起点に、びし、びしと割れ目が上下に広がってゆく。樹皮が内側からめくれ上がり、雲母のように剥がれ落ちた。

 幹が開く。重なり、絡まりあっていた二本の幹は、その内側に隠していた小部屋を、ゆっくりと光の下にさらした。

 小部屋には三人の旅人がいた。一人はエルフの戦士、ロップロップ。こちらは幹の内側に体を預け、半分、木と同化している。ぼんやりとした目が数度瞬きをして、クリフを見た。

 もう一人は、仮面の双剣士、ロアル。足の間に竪琴を置き、両手はがっちりとクリフの右腕をつかんでいる。仮面は床に落ち、中身のないフードが俯いていた。

 クリフは小部屋に入り、二人の前にしゃがむ。


「おかえり」


 三人目の旅人は、竪琴の上で丸くなっていた。クリフの声で、エストレーラは目を覚ます。


「……ん」


 ロアルが身じろぎをした。灰色の片手が床の上を何度か叩き、仮面を見つけて拾い上げる。


「んー……あ、あー。声、出ているかい?」

「出てるよ」

「よかった。……よかった。百年、ボクたちは見つからなかったんだね」


 幹から体をはがし、ロップロップはぶんぶんと首を振る。体を伸ばすと、ぱきぱきと関節が鳴った。


「よく寝た」

「本当に。百年もあるからお話したかったのに、ちっとも起きないんだもの」


 少し笑って、ロアルはクリフを見る。


「魔法使い君。君、どれくらいでボクたちを見つけられた? 一日? 二日?」

「聞いて驚け。まだ、お前が旅立った日の朝だ」


 ロアルにしてみれば百年。だがクリフにしてみれば、一時間も経っていない。


「……うそぉ」

「ほら、三人とも適当につかまれ。水上歩行の魔術が切れる前に戻りたい。泳げねぇんだよ俺」


 さぞゆっくり再会を喜びたいところだろうが、クリフにも都合がある。山育ちのクリフにとって、この湖の真ん中で放り出されることほど恐ろしいことはない。


「杖はどうしたのさ」

「重いから置いてきた」

「軽率だねえ」


 ロアルと、ロップロップと、竪琴と、エストレーラ。抱えるべき荷物は四つだが、クリフの腕は二本しかない。エストレーラを襟に入れ、竪琴をロアルに抱えさせ、何とか立ち上がったところで、クリフは気づく。この状態で木を降りなければならない。


「君、やっぱり軽率だよね」

「うるせぇ!」


 いつもの調子で怒鳴る。クリフとて、もう少し感動の再会になると思っていたのだが。

 どうにか水面まで下りるころには、時刻はすでに昼に近くなっていた。




 七賢人を含め、多大な功績を遺した偉人の持ち物は聖遺物と呼ばれる。


「『歌う竪琴』……賢人のライアーはその中でも特に、いろいろな話に引っ張りだこだな。何しろ楽器というのは物語映えする」


 伝説の竪琴を一目見ようと、会議場の外側には野次馬が集まっていた。その喧噪もどこ吹く風で、スカーレットは手帳にペンを走らせている。

 スカーレットとロアル、クリフ、ロップロップ、ラッタリッタに囲まれ、竪琴は座布団の上に浮かんでいた。光の粒が、絶えず滲みだしている。風に揺れる木の葉のように、竪琴はゆっくりと上下していた。


「聖遺物……」


 初めて見た、と言おうとして、クリフはふと思い出す。黒魔術の師であるグレンから、確か銀色の箱を貰った。未だに何の用途で使う何なのかが分からないが、あれも聖遺物になるのではないか。グレンはまだ死んでいないが。


「吟遊詩人は、ツァッド神が友人を欲しがっていると知っていた」


 ロップロップが竪琴を取る。


鍛冶妖精(ドワーフ)も、火炎妖精(サルマンド)も。この世界で好きに生き、緩やかに滅んだ。エルフもいつかの未来はそうなるかもしれない。だからこそ、源人類(ヒューマン)のけたたましい命に憧れたんだろう」

「けたたましい命……か」


 褒めているのか貶しているのか、それとも、長く生きる種族からのただの感想なのか。千年を生きるエルフからすれば、七十年で生まれ、成長し、老いて死ぬ人間はさぞかしせわしないだろう。


「しかしまあ、そんなことは、俺にはさほど関係がない」


 ロップロップはスカーレットを見る。視線に気づき、スカーレットは顔を上げた。ふっと柔らかく微笑んで、ロップロップは息を吸う。


「道を作ろう、旅人たちのために。長。明後日は祭りにしよう。百年前と同じように」


 ロップロップが立ち上がり、ラッタリッタは「そうだな」と苦笑した。昨晩は死にそうになっていたというのに、ずいぶん元気になったものだ。

 ぴん、と弾かれた弦が珠の音を響かせる。

 野次馬たちが道を開け、ロップロップは日の当たる場所へ歩き出す。一つ、二つと紡がれた音が、一筋のメロディーへと繋がる。


おやすみ(ヘ・アレア)いい夜に(リ・ルフェル)おはよう(ヘ・イォル)いい朝に(リ・アルル)


 百年ぶりでも、案外歌詞は覚えているものだった。竪琴が熱を帯び、歌に合わせて光を増す。

 湖を背負い、ロップロップは振り返った。

 期待を込めた人々の、その向こう側。赤い髪と琥珀色の瞳の彼女が、こちらを見ている。


(嗚呼)


 あの日、約束の歌は届けられなかった。けれど、この神器(ライアー)ならどうだろう。


(届け)


 この世界のどこにもいない、彼女たちへ。


(届け)


 ここではないどこかで眠る、彼女たちへ。


(届け――――)


 自分を知らない、彼女へ。

 ロップロップから魔力を吸い、竪琴は輝きを増す。静かな歌に応えるように、零れ落ちた光が地面に泉を形作った。下から上へ、舞い上がった光が、アーチの輪郭を描き出す。

 それは真昼の太陽の下でなお、金色に輝く門だった。

 向こう側の景色が揺らぎ、白い渦巻に塗りつぶされる。ロップロップの歌が終わると、アーチは実在する(ゲート)として固定された。


「カササギ村へ」


 ぴん、と音を一つ。霧が晴れるように、門の中に違う景色が現れる。

 青々とした水面、左右に切り立った崖と、輝く水平線――


「海だ」


 ぽつり、ヨナーシュがこぼした。


「村だ!」


 誰かが叫び、わっ、と喜びの声が上がる。ロップロップが門の前を退くと、人々が一斉に門へ駆け出した。


(ああ、海の匂いがする)


 湖とは違う、潮の匂いだ。あの匂いを、ロップロップは知っている。


「……よかったな」


 歓喜の声が遠ざかり、ロップロップは俯いたままでつぶやいた。その視界に、知っている足が割り込んでくる。


「ありがとうございます」


 ヨナーシュだった。確か彼にも、幼い息子がいたはずだ。さっさと行けと顎でしゃくって、ロップロップはしっしと手を振った。


「よかったなぁ……!」


 過去は変えられない。それは現在の否定になる。分かっている。

 ならば、これからを変えよう。二つの世界の七日間の邂逅を、千年先も護っていよう。

 もう二度と、埋まらぬ間隙に泣く誰かが現れないように。

 竪琴を胸に、ロップロップはしゃがみこんだ。

 いくつかの足音が近付いてくる。目元をこすり、鼻をすすってロップロップは顔を上げた。


「大丈夫かい」

「ああ、ロアル……悪いな、約束、守れそうにない」

「ううん。いいよ。その竪琴は、君の手にあるほうがいい。……代わりに、そうだな。あとで歌を教えてよ」

「あとで?」


 笑って、ロアルはその場から身を引いた。

 スカーレットが立っていた。

 何か言いたそうなクリフの手を引き、ロアルは門に飛び込んでゆく。数人残っていた冒険者たちも、そそくさとその後を追った。振り向けば、あれほど賑やかだったキャンプは静まり、足跡ばかりが残っていた。


「あんたで最後か」

「ああ。気を遣ってもらったらしい」


 スカーレットは、ロップロップの前で膝を折る。


「貴殿とゆっくり話すのは、これが初めてだな」

「そうだな」

「私の目的を話していなかった。エヴのあれこれで後回しになってしまったが」


 スカーレットは腰の飾りから、ロケットペンダントを外す。


「この写真に写っている、曾祖父を探しに来たんだ」

「金髪の魔術師から聞いたよ」

「そうか。では端的に聞くが」


 琥珀色の瞳が、ロップロップをまっすぐに見た。


「貴殿が、私の曽祖父だな?」


 迷いのない声は、確信を持っていた。

 同じ目線で、二人の視線が重なる。ロップロップの瞳が揺れた。


「……証拠とか、あるのか?」


 往生際悪く、ロップロップは唇を尖らせる。

 知られるのが嫌、というほどでもないが。ただ自分の気持ちは可能な限り、胸の内にしまっておきたいというだけだ。何も、悲劇の主人公になりたいわけではない。

 自分の行動に、他人から見た理由はつけられたくないものである。

 スカーレットは七つ道具(シャトレーン)から、小物入れを取った。ネジ式の鍵を開け、蓋を外す。内側には、白い綿が詰まっていた。

 そしてその綿の中から、小さな鏃が取り出された。


「貴殿のときさかの矢を見せてもらった。同じ刻印があった」

「……、」

「私なりに、いろいろと調べたんだ。曾祖父がエルフではないかと思い当たり、その文化についての文献をあたった。現代の人間にしては、エルフに詳しいつもりだ」


 鏃に刻む印にはいろいろな意味がある。最も一般的なのは、功労者の識別だ。誰が射った矢か、鏃だけになっても判断ができるように。個別に刻印を持っている部族もいれば、師弟で引き継ぐ場合もある。ロップロップは前者だった。


「……そっか」


 ぽつり、ロップロップは独り言のように呟く。


「私が曾祖父を探しに来たのは、別に、私自身のルーツを知りたいからじゃない」


 腰のポーチから、スカーレットは手帳サイズの包みを取り出した。蝋を塗った紙で丹念に包まれたそれは、手のひらより一回り大きな、木の板だった。蝶つがいで繋がれた二つ折りの板に、一枚の紙が挟まっている。


「祖母に頼まれたんだ。いつか巡り合うことがあれば、これを渡してほしいと」


 ロップロップは、差し出された紙を受け取った。写真だ。皺もなければ、色あせてもいない。

 何の変哲もない、家族写真だった。中心に立つのは若い男女。緊張した面持ちで、二人とも真っ白に着飾っている。男の後ろにはその両親と思しき男女が、女の後ろには、やや年老いた女が一人。その隣に、一人分の場所が空いていた。


「………………」


 震える手に、涙が落ちる。慌てて目元をこすり、ロップロップは顔を上げた。

 スカーレットは一度目を閉じ、それから微笑を浮かべる。


「時間ならある。……話をしよう、ひいお爺様」


 その顔があまりにも、記憶の中のサルビアに似ていたものだから。ロップロップは涙をいっぱいに溜めたまま、笑ってしまった。

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