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蒼天のアルターレ  作者: 日凪セツナ
第四章 浮木と楔
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15‐1)夢でさえも叶うなら

 時を遡る。それは、誰しも一度は願い、夢を見る行為である。

 不可能だからこそ憧れる。かつて科学と魔法を手に入れた人間は、当然のようにこの永遠の命題に挑み、惨敗してきた。

 余白の最終定理は証明され、空に浮かぶ月の裏すら暴かれていた時代である。生物であれば逃れられない、時間という最大の(ルール)に手をかけるのは、人類の夢でもあった。

 仮説。反証。実験。繰り返された試行錯誤は少なくない犠牲を生み、いくつかの研究チームは共通の答えを出した。

 すなわち、人類が存在する世界における時間遡行は不可能であるということ。


「まさか、そんな架空(フィクション)を体験できるなんてね」


 ずいぶん昔の知識を辿り、ロアルは小さく笑った。

 百年前のイワサザイ村は活気があった。異邦の商人が市を開き、小高い岩山の上に舞台ができている。その岩山のふもとに、黄緑色の扉が作られていた。

 ロアルはロップロップに竪琴を握らせ、胴体の中に収める。


「もう少し頑張っておくれよ」


 屋根の上に伏せ、ロアルは夜を待った。


「なんでそいつを連れてきたんだ?」


 ロアルの前に、エストレーラが下りてくる。


「百年くらい眠れば、彼も元気になるだろう?」

「そりゃあそうだが……」

「ボクはね、悲劇にはハッピーエンドが欲しいんだ」


 ロアルは仰向けになり、喧騒を聞く。その中に、知った声が一つあった。


「……まして、その悲劇の引き金を引くのが、ボクだったんならね」


 知った声は、若い女の声と話している。すぐに追いつくから。先に行っているように。ぐずる子供の声を、明日にはいい土産を持っていくからとなだめすかして。


(……ああ、嫌だ)


 もうじき夜が来る。自分が竪琴をすり替えれば道は閉ざされ、エルフの父と人間の母子は永遠に引き裂かれてしまう。

 けれど、()()()()()()()()()()()。過去の出来事は変わらない。その過去と、ロアルが旅立った現在が地続きである限り。

 変えられるのは、過程だけだ。


「ねえ、神様」

「?」


 服越しにロップロップを撫で、ロアルはエストレーラを見下ろす。


「ちょっとお目こぼし、してくれない?」


 エストレーラは腕を組み、眉間にしわを寄せた。




 不思議な夢を見た。

 ロップロップは眠っていた。程よく温かいが、よく揺れる寝床だった。目を開けるのも難しいほど、全身が疲れきっていて、夢の中だというのに息をするのがやっとだった。

 竪琴の音が聞こえる。それが、ロップロップの目を醒まさせた。瞼を開くと、白と緑が入り混じった、光の道の中にいた。まだ半分眠っているような、夢の中独特の意識でロップロップは立ち上がり、誰かに手を引かれて歩き出した。

 ずいぶん昔、同じ場所に来た気がする。しかし思い出そうにも、意識に靄がかかったようだった。どろんとした眠気が絶えず、頭の芯を支配しているような。

 冷えた空気が頬を撫でる。ざざ、と、砂がこすれあうような音がする。


(……海の音だ)


 眠たくなって倒れそうになると、手を引いていた誰かに肩を叩かれた。


「君の奥さんを、紹介してくれる?」


 意識が覚醒する。

 吹き抜ける夜風が、ロップロップの背を押した。


「……え?」


 潮の匂い。砂と水の感触。空に浮かぶ、青白い月。

 カササギ村だ。

 竪琴の音が聞こえる。何故とも思わないまま、ロップロップは走り出した。まだ体は重い。だがそれが何だという。

 夢か幻か。夢でもいい。幻でもいい。今、自分はカササギ村にいる。この感覚だけは本物だ。

 見慣れた道を走り、見覚えのある角を折れて、知っている家にたどり着く。木戸は軋みながら押し開けられた。窓から差し込んだ月明かりに、三人の寝姿が浮かび上がる。


「……サルビア、カメリア」


 ふらりと近づく。呼吸が速くなっているのが分かった。膝をつき、腕をいっぱいに伸ばして、ぎゅう、と二人を抱き寄せる。

 よく知っている感触だった。よく知っている体温だった。もうとっくに消えてしまったと思っていた記憶が、大波のように蘇ってくる。


「ごめんな……ごめんなぁ」


 震える息を一つ吐くと、あとは涙しか出なかった。

 道が閉ざされたと知ったあの日。言い争う人間たちに割り行って、どういうことだと怒鳴り散らした。諦めきれず、道を探してほうぼうの島を訪ねて回った。人間の魔術にも手を出した。春が来るたびに娘の齢を数えていた。その数が人間の寿命に近付いて、数えることをやめてしまった。

 少しずつ、思い出は遠くなっていった。長い長い一生の、ほんのしばらくの道連れ。たった数年の記憶を抱きかかえているために、いろいろと犠牲にしたものだ。

 こんな夢を見ることも、もうないと思っていた。


「……あなた?」


 声に、はじかれたように顔を上げる。ああ、ああそうだ。彼女はこんな声だった。


「どうしたの? 明日の朝、来るって言っていたじゃない」

「……、」


 話したいことがたくさんある。言わなければならないこともたくさんある。だというのに、喉からは嗚咽しか出てこない。


「サ、ルビ、ア」


 ようやく、名前が呼べた。月光の中で、琥珀色の瞳が微笑んでいる。ああそうだ。彼女はいつもそうして、愚鈍な自分を待ってくれた。


「……どうしたの、ロップロップ」


 何かを、言わなければ。重たくなる体の中で、ぐるぐると思考が巡っている。

 もしも。

 もしも過去に戻れたのなら。二度と会えないと知っている自分が、妻に何を言えばいいのか。

 二度と会えないならば死んだも同じだ。未練を残すようなことを言って、彼女の傷を増やすのか。


(ああ、最低だ)


 会いたかった。声を聞きたかった。いずれ時間に引き裂かれても、最後までその笑顔を見ていたかった。彼女にも、そうあって欲しいと願っていた。


(……これはエゴだ)


 忘れてくれ、とどうしても言えない。自分に囚われて(呪われて)くれたらと願っている。短い命が終わるその日まで、明日になれば会えるかもしれないと期待してほしい。自分だって数十年、諦められなかったのだから。

 こんな執着を、愛だなどと言えるものか。


「……少し、遠くへ、行くから」


 ゆっくりお眠りと、柔らかな頬を撫でて。


「戻ってくるまで……、元気で」


 ロップロップは微笑する。震える言葉に、願いを乗せる。

 どうかその命が、健やかであるように。

 どうかその運命が、穏やかであるように。


「…………うん」


 静かな寝息が聞こえてくる。ロップロップは懐を探り、そこから一つの鏃を取り出した。まだ飾り彫りを施しただけの、刃のない石の欠片だ。震える指で、それを妻の手に握らせる。


(ああ、もう……夢が終わる)


 また、どろりとした眠気が襲ってくる。目を閉じれば、二度とここには戻ってこられないと分かる。

 妻の首と娘の額にキスをして、ロップロップはそのまま体を横たえた。




 ロップロップを右腕に、弦が十九本揃った竪琴を左手に、ロアルは夜の道を走った。

 イワサザイ村には、弦の足りない竪琴が残っている。既に道は閉じ、朝が来れば騒ぎになるだろう。その前に、この竪琴とともに、見つからない場所に隠れなければ。


「さて、どこにしよう」


 イワサザイ村のある島から、ワイヤーを滑り降りてエルフの島へ。湖の水平線が、もう白み始めていた。少しのんびりしすぎただろうか。


「あの湖の近くがいいな。ロップロップも、それなら早く元気に……」


 森を抜けたところで、ロアルは足を止める。少し先を飛んでいたエストレーラが、怪訝な顔で振り向いた。


「……見つからない、場所」


 ロアルの腕の中で、ロップロップが顔を上げる。震える手が、ロアルの外套を握りしめた。


「夢の礼に、教えてやる」


 絞り出すような、感情を押し殺した声だった。


「……あはは。それは、ありがたいなあ」


 夜が明ける。藍色だった空が橙色に染まり、島の影はより濃くなった。水平線の果てから現れた太陽が、目覚めの時だと世界を照らす。

 静かな暁の中、ロアルはまっすぐに、ロップロップが示した方角へと走った。

 百年の鶴首がやってくる。




 暗闇で、竪琴の音が反響する。


「ロップロップ。……ああ、もう寝たんだね」


 沈黙に飽きて呼びかけ、またロアルは口を閉ざす。

 ロアルの視界では、薄緑に色付いたロップロップの輪郭と、白いエストレーラの輪郭がはっきり見えていた。エストレーラはロアルの膝に乗り、小さな足をぱたぱたとさせている。


「君も暇なのかい」

「うん? ああ……そうだな」

「それじゃあ、君が話し相手になってくれると嬉しいな」

「庭師もそれを言っていたな」


 エストレーラはひょいと立ち上がる。


「人間は、寂しいと死ぬのか?」

「まあね」

「ふうん。難儀な生き物だ」


 ロアルは笑う。


「君たちだって、寂しいから、この箱庭を作ったんだろう」

「………………」


 しばらく黙ってから、エストレーラはロアルを見上げる。


「ああ、そうかもしれないな」


 二人が黙り、暗闇にまた竪琴の音だけが響く。


「何を話そうか」

「俺様には話せることはないぞ。ここに来るために力をたくさん使ってしまった。俺様たちの声も聞こえないし、俺様は生まれて数か月だ」

「そう。じゃあボクが話そう。昔、たくさん、たくさん本を読んだからね。けれど、百年となると、さすがに時間が勝りそうだ。……まあ、きっとクリフがボクたちを見つけてくれる。その日まで、のんびりお話していようか……」

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