10)魔術師たちの楔
日が高く昇り、崩れた岩山を照らす。乾いた風が、砂埃を舞い上げた。
エヴを閉じ込めた木は形を変え、一本の大木となっていた。その狭いうろにエヴが収まっている。大木の根元に、ロアルが寝転がっていた。
「しっぽ君、暇?」
「だからその呼び方やめろって。クソほど暇だが、何だ?」
ロップロップは大木を挟んで、ロアルの反対側に座っていた。腕の中には古びた竪琴がある。弦が一本足りない以外は、まだまだ立派に使えそうだ。
「協力してもらった木は元に戻したし、人頭果は下手に手を出せないし。エヴがこのまま大人しくしていてくれる限り、ずぅっと暇だ」
「ちょっとお話ししない?」
「疲れるから嫌だ」
ロアルの物言いは、ロップロップにとってやや不快だった。短気であるとは自覚しつつ、それはそれとして、嫌なものは嫌なのだ。
「ボクの話じゃない。君の話を聞きたいのさ」
「俺の?」
「君がどうして、無関係なカササギ村の人たちのために危険を冒していたのか。口の堅さは保証するよ。どうだい?」
水筒の栓を抜き、ロップロップは鼻で笑った。
「お前みたいな若造には分かんねえよ」
「おや心外。生まれ年から数えれば、八百歳くらいにはなるのだけど」
ロップロップは果実水を吹き出す。「はあ!?」と大木越しに振り返ると、ロアルは両手でピースサインを作っていた。
「おまっ、人間なのに……、人間?」
「審議中かなあ」
「……ああそう。で、そんな人生経験が豊かでいらっしゃるあんたが、なんで俺の身の上なんか知りたがる」
「興味さ。あまり知的でない好奇心」
「下世話」
「自覚はあるよ」
不機嫌な顔で、ロップロップは腕を組んだ。
「そんな長生きならお前、子供がいたこととかは?」
「ないね。友人の子を預かったりはしていたけど」
「じゃー理解できないだろうがな。カササギ村のあいつらはなぁ、俺の子の友人なんだ」
指先を弦に当て、ロップロップは息を吸う。
「百年くらい前までは、神様が降りる七日間、外のカササギ村とこの世界は繋がってた」
弦を弾く。指はまだ覚えている。歌詞も覚えているが、声が出てくれなかった。仕方なしに歌を飲み込んで、ロップロップは言葉を続けた。
「この竪琴を置いて行ったやつが、道を作った。この竪琴を道標に。そこの廃村は、カササギ村からこっちに移住してきた奴らの村だった」
「……へえ。てっきり【周遊する異界】の蒐集品に、源人類もいたのかと思ってたけど」
「神様は珍しいモンしか集めねえよ。長耳妖精とか、火炎妖精とかな」
竪琴を抱え直し、ロップロップは上を見た。枝葉の隙間から、よく晴れた空が見える。吹く風が、ざあっと木々を揺らした。
「で、その村のとある娘と俺は、恋仲だった」
「おやロマンチック」
「茶化しても面白くねぇぞ」
竪琴を抱える手に、力がこもる。
「もう百年、会えてないんだ」
エルフの寿命は長い。百年、二百年生きた程度ではまだまだ若造だ。四百年でようやく折り返しを迎え、運が良ければ一千年も生きる。
対して人間は、年齢が三桁に届くことはまずない。十五にもなれば一人前の扱いだ。
「……それさ」
「分かってるよ、人間の寿命くらい」
ロップロップは語気を強める。足を縮め、竪琴に額を当てた。
「……分かってる。道が閉じたあの日から、もう何もかも手遅れだって。だけど、手遅れなら尚更、自分の心を慰めるくらいはしたいだろ」
「……何か、約束でもしたのかい」
ロアルの言葉は問いかけのようで、何かを確信しているかのような調子だった。ゆっくりと息を吸って、吐いて、ロップロップは肯定する。
「歌を、な。帰ったら、聞かせてやるって言ったんだ」
百年経てば、人間たちの村は何もかも変わる。村長の子であるヨナーシュですら、この世界を【どこにもない国】と呼んでいた。エルフとの交流も、もう一つのカササギ村のことも、彼らにとってはすでにおとぎ話に過ぎないものだった。
神の気まぐれか誰かの悪意か、道は閉ざされ、たった七日の交流も不可能になった。明日には戻るからと言って、妻と子はカササギ村の祖父たちを訪ね、そのまま帰ってこられなかった。
「奥さん、美人だった?」
「ああ、そりゃあな」
目を閉じ、ロップロップははるかな記憶に頬を緩める。
「綺麗な琥珀色の瞳でな。気が強いが細やかな心配りもできて、誰にでも分け隔てがなくてな。エルフの中には、赤ん坊みたいな年齢の人間を見下すやつもいたんだが、あいつはそういうお堅い爺にも負けなかった。俺も何度言い負かされたことか。娘もまたあいつに似て可愛くってなあ。さぞ美人になっただろうな。ああくそ、あいつの婿に挨拶できなかったのが一番の心残りだぜ」
「よく喋るね」
「お前が聞いてきたんじゃないか」
木の向こう側から身を乗り出し、ロップロップはロアルのフードをつかんだ。
「ちょうどいい。もっと聞け」
「……いいけどぉ」
甘ったるい惚気を吐く戦士の顔は、未だ、すでにいない彼女らの夫であり、父である自負に満ちていた。はいはい、とそれを聞き流しながら、ロアルは思考を巡らせる。
ロップロップがヨナーシュたちに手を貸していた理由は分かった。エルフの族長が、消極的ながら手を貸してくれた理由も。
だが、こちらからカササギ村へ帰る手段がないということが、これで証明されてしまった。
ロアルは懐から、月の鍵を取り出す。【秘密箱】への鍵だ。これが使えればあるいは、全員無事に脱出できたかもしれない。全員をロアルかクリフの鍵で招待し、ソルードの鍵から出てもらえばいいのだから。
(だけどここは、幻想種の縄張りだから使えない、と)
精霊と幻想種、どちらが強いかという話ではないらしい。クリフ曰く、幻想種の生成する縄張りというのは一つの世界だ。そこだけの理屈とルールが存在し、その内側では理に従わざるを得ない。つまり、この世界を作った幻想種【周遊する異界】が『外に出る道はない』と決めてしまえば、外に出る手段は存在し得ないということだ。
(抜け道があるとすれば)
エヴは、カササギ村に来ていた。そしてエヴが使っているのは、人間の魔術だ。人間の魔術ならば、幻想種の布くルールに逆らいうる。
(スカーレットさんはどこに行ったんだろう)
さすがにクリフには、荷が勝ちすぎるだろうか。
(……今日を入れて、あと五日)
そろそろ、タイムリミットを考えなければいけない時間だ。
昼過ぎまでたっぷり眠ってから、クリフはレオナルドに起こされた。エルフたちが用意した寝床は木の葉と蔦でできており、程よく涼しく、風がよく通る。快適なこの場所でまだぐずぐずと眠っていたかったが、そうもいかないらしい。
「兄上……クリフに客人です」
「俺に?」
目をしょぼしょぼとさせながら、クリフは体を起き上がらせる。その向かいに、客人が腰を下ろした。
「久しぶりだな」
「……スカーレットさん!?」
「私が三日ほど仮眠をしている間に、いろいろと事態が動いたらしいな」
「みっ……、あえ、ええと、今までどちらに?」
大慌てで服を着こみ、クリフは座りなおした。スカーレットはぽりぽりと頬を掻く。
「話すと長くなる。先に始めたい作業があるので、それをしながらでいいか」
「は、はい」
レオナルドに寝覚めの一杯を貰い、クリフは喉を鳴らしてそれを流し込む。スカーレットは肩掛けのかばんから、黄ばんだ紙束を取り出した。クリフとの膝の間に置かれたそれは、紐で綴じられた古い本のようだ。
「エヴの設計図だ」
「……はい?」
「正確には、エヴと名乗るあの青年に刻まれた、魔術の一覧と言うべきか」
スカーレットの指が、ぱらぱらとページをめくる。黒々とした文字が、びっしりと書き込まれていた。
「結論から言う。あいつは、村人たちによって作られた現人神だ」
仮面を持ち上げると、スカーレットの琥珀色の瞳があらわになった。
「あら……何ですか、それ?」
「現人神。神の概念があった時代、全知全能たる神を魔法で造ろうという一派があったんだ。……カササギ村は、その一派の隠れ里だったらしい」
「人造人間みたいなもんですか?」
スカーレットは目を伏せ、首を横に振る。
「お前のことだ。もうエヴの魔術を、いくらかは視ているだろう」
「それは……はい」
「あれが、かの一派が追い求めた現人神の正体」
スカーレットの指が、一つのページで止まった。
「十年かけて百五十六の魔術を刻んだ、死ねない人間だ」
そのページにあったのは絵だった。ほかの文字と異なり、木炭で描かれているようだ。
やせこけた人間の、後ろ姿のスケッチである。両腕は左右、肩よりも高い場所に吊り上げられ、手の甲から手のひらまで杭が貫通している。両足は膝を折りたたんだ状態で、腰回りに粗末な布が巻かれていた。
「これが、彼なんですか」
レオナルドが、クリフの横からのぞき込んでくる。
廃村へとつながる、あの大穴の出口を思い出す。地面からの高さはクリフの胸ほどまでしかなく、常に日が当たる方角にあった。
大きさはちょうど、人ひとりが膝を折って収まる程度。
嫌な汗が滲み、クリフは浅い息を吐く。
「吐きそうだ」
「お前が正常で助かる」
何が一番おぞましいかといえば、そのスケッチの詳細さと、その下に書かれた『万事順調なり』の文字か。これを記した人間は、立ち上がれないくぼみに磔にされたエヴを、嬉々として描いたのだろう。自分たちの望む現人神が造れそうだと。
「彼は……生贄だったんですね」
掠れた声で絞り出し、レオナルドはしばし黙った。
スカーレットが本を閉じ、クリフは眉間に指を当てる。嘆息だけが、妙に大きく聞こえた。
一分ほど、二人の魔術師は口を開かなかった。
長い魔法の歴史には、凄惨な事件がいくつもある。魔術師の候補生はそんな事件の歴史から、魔術の危険性と人の業を、いやというほど頭に叩き込まれるのだ。
だが、それはあくまで歴史上の事件。過去の物語である。
エヴはまだ生きている。
「……百五十六個の反転魔術っすか。二人で、今から、五日以内で」
「現実的じゃないな」
顔を上げた時には、すでに二人とも、次のことを考え始めていた。まだ感情が追い付かないレオナルドに、蜂蜜と琥珀色の目が向けられる。
「クリフォード。多分、お前と私は同じことを考えている」
「そうっすね」
クリフの手が、レオナルドの左手をつかんだ。
「えっ? えっ、え?」
手袋を脱がせ、クリフはレオナルドの左手のひらを揉む。されるがままになりながら、レオナルドはクリフとスカーレットを何度も見比べた。
「今、ほんっ……とうに、心から、お前がここにいてよかったと思ってる」
「え、あ、ありが」
「ちょっと痛むぞ」
「いっ!?」
クリフが、両手でレオナルドの左手を挟み込んだ。針で刺したような痛みに、レオナルドは声を上げる。
「よし」
クリフの手が離れると、レオナルドの手のひらに、刺青のように円が刻まれていた。
「ひどいですよ今のは」
「痛むって言ったろ」
「直前すぎるんですよ!」
レオナルドは、ひりひりする手を振る。
「じゃあ俺こいつ引き受けるんで、後のもろもろはスカーレットさんにお任せしても?」
「ああ。一日で仕上げろ」
「それはレオ次第っすね」
微苦笑を浮かべ、スカーレットは立ち上がった。
「では始めよう。最終目標は変わらず、カササギ村への帰還。その前提条件として、障害になりうるエヴを倒す必要がある」
「エヴの魔術の解除は、俺とレオで引き受けます」
心臓が跳ね、レオナルドはクリフを見る。
「軽く戦った感じ、あいつはあらゆる魔術を無効化する魔術装甲を持っています。レオの負担を軽くするためにも、最低限、それだけは対応してほしいです」
「承知した」
「あの、僕、僕だけ承知していないんですけど」
立とうとするクリフの裾をつかみ、レオナルドは「そもそも」と続けた。
「エヴを倒すことと、帰還することは繋がらないでしょう? 道を塞いでいるのが幻想種なら、エヴは関係ないじゃないですか」
「……その辺はまた後で。お前はそれより、速く魔術を使えるようになれ」
「だからできないですって、僕は」
クリフがレオナルドの頬をつまんだ。
「お兄様が懇切丁寧につきっきりで教えてやる。まずは『できない』禁止な」
「ひえ……」
「お前、真面目にその魔術への苦手意識どうにかしねぇと、後々めちゃくちゃ面倒くさいことになるぞ」
クリフがレオナルドを引きずって出ていく。仮面を降ろし、スカーレットもそのあとを追った。
木材を担ぎ、ソルードは坂を下っていた。カササギ村に到着して三度目の朝。今日は、牛小屋を修理する予定だ。
「ソルくーん! 朝ごはんできたよぉ」
シャーリが呼んでいる。木材を下ろして、ソルードは返事をした。
「牛乳だけ持って行くから、先に食べてていいよー!」
ソルードの声に、シャーリが片手を挙げて返事をした。
朝日の中で、やはり水鳥の神は悠然と佇んでいた。三日目ともなると、見慣れるを通り越して見飽きてくるものである。何度か、無駄だと言われながらも呼びかけてみたが、ソルードの言葉に対しては全くの無反応だった。
「ええと、バケツ、バケツ……」
すっ、とソルードの背後から、顔の高さにバケツが差し出された。すでに牛乳が満杯に入っている。
「あれ? ありが……と……」
両手でバケツを受け取りながら、ソルードは上を見る。自分より背の高い子供は、この村にいなかったはずだが。
「どーぉいたしまして、ソルード・ラージェ君?」
兎の耳を揺らす青年が、にいっといたずらっぽく笑っていた。
牛小屋の修理を早々に終え、海辺の広場に子供たちは集っていた。突然やって来た青年に、皆が興味津々になっている。
「お兄さん、獣人?」
「あはは。そう見える? ユゥロって呼んでくれ」
青年、ユゥロ・ユワレは、板の床にあぐらをかいて座った。
「状況は大体分かった。つまり」
背後の水鳥を見上げ、ユゥロは犬歯を見せる。
「この神様の腹の中に、みんないるんだな」
「そう。ゆーにぃ、行ける?」
「そうだなぁ……ちょっと様子を見ないと何とも。ソルは何か、手掛かりになるもの見つけたのか?」
「ん」
ソルードは頷き、吟遊詩人の絵本について話をする。それはカササギ村に住む子供ならば、誰もが知っている御伽話だ。それが何か大事なのかと、シャーリたちは首を捻っていた。
「ええと、つまり。うたう楽器が、どこかにある、はず。だけど、妖精とけんかした人が、その楽器……ライアー? を壊しちゃって、怒った神様が、それを持っていってしまって、道は永遠に閉ざされたって」
「……そうか」
ユゥロはしばらく、口元に指を当てて黙り込んだ。
海風が、兎の耳を軽く揺らす。ユゥロは膝を叩き、立ち上がった。
「よぅし分かった。お兄さんちょっと出かけてくる。ソル、おいで」
「?」
手招きされ、ソルードはユゥロの後について行く。子供たちから十分離れると、ユゥロはソルードを家の影に引っ張り込んだ。
「ゆーにぃ、なに?」
「よく頑張った」
ユゥロの大きな手が、ソルードの頬を挟んだ。
「あんな字で『にーさんとろぉが連れてかれた』なんて書いてあるから、そりゃもう、大急ぎで来たけれど。お前は僕が思っていたよりずっと強いし、ずっと立派だった。留守を守っていてえらいな。えらい」
「……、」
すん、と鼻を鳴らし、ソルードはぎゅっと目を閉じた。
「もう少しだけ、頑張れるか?」
「ん」
「いい子だ」
ソルードをその場に座らせ、ユゥロはスッと背筋を伸ばした。
仰々しく、水鳥に向かってゆっくりと歩く。白い燐光が、ユゥロを縁取った。様子を見にきた子供たちが、自然と道を開ける。
「祈れ、人の子たちよ」
右手を振ると、銀色の蝶が空中に舞った。
「君たちの願い、このユゥロ・ザハリアーシュ・ユワレが承った!」
蝶の羽ばたきが光を落とし、光の粒が、海の上に道を作る。透明な階段を踏み、ユゥロは【周遊する異界】に向かって走り出した。
水鳥が、ゆっくりと首をもたげる。最後の一段を蹴り飛ばし、ユゥロは跳んだ。青年から少年へ、そしてさらに小さな兎へと、その姿が移り変わる。
「お邪魔しまぁす!」
水鳥の胸元に、ざふっ、とその体が飛び込んだ。
魔術の基本というのは、知覚できない魔力を理解するところから始まる。
「だが今回は時間がないので、俺と魔力回路を接続して、俺が杖を通しての魔力操作全般を担当する。レオに覚えて欲しいのは魔法を使う感覚だ」
「ま、魔法をつかう、かんかく」
草地に正座し、レオナルドは緊張した面持ちになる。その隣には、ゼオルドが不満顔で座っていた。アルグレッドに引っ張られて来たらしい。
「俺はスカーレットさんからまた話を聞いてくるから、基礎だけ教えておくな」
「うぅ~……よろしくお願いいたします先生……」
手袋のない左手を、レオナルドは何度もさする。ゼオルドの肩を押さえて座り、アルグレッドはにやにやとクリフを見上げた。
「よろしくお願いします先生」
「やめろクソ兄貴」
少し笑ってから、アルグレッドは表情を改める。
「真面目に聞くぜ。親父は感覚派でな。魔法大国出身なのに魔術のまの字も知らねえのはやばい気がする」
「……はあ。じゃあ講義をはじめまぁす」
杖を置き、クリフは地面にあぐらをかいた。
「人間が扱う魔法、現代においては魔術と呼ばれる技は、即ち小規模な世界改変だ」
クリフが手を振ると、空中に黒板のようなものが現れる。クリフは草の指示棒でそれを示した。
「全て物質は原素子からなり、全て事象は魔素によってなる。これが魔術の基本思想だ。生命の根源は星の内海に揺蕩う膨大な量のオド。これがマナで形成された物質に宿ることで一己の存在として定義されて……大丈夫か?」
「て、哲学、ですね?」
レオナルドは汗を浮かべながら、何度もうなずいている。その隣で、ゼオルドは遠い目をしていた。
「あー……例えば」
クリフは足元から、小石を一つ拾い上げる。
「これはなんだ?」
「石です」
「そうだな。どうしてそう思う?」
「えっ……石ですから?」
クリフは軽く石をにぎった。
「これは土だ」
クリフの手から、ぼろぼろと土が落ちる。レオナルドは目を丸くした。クリフの手や袖を探っても、小石は出てこない。
「これが、魔術だ」
レオナルドは、落ちた土に指を押し当てる。手のひらの熱と石の冷たさのどちらもが、まだ残っていた。
「……なるほど」
「なるほど!?」
ゼオルドは驚いてレオナルドを見る。
「なんとなく理解しました。ジルさんの特別授業を受けても、いまいち頭に入ってこなかったんですけど」
くるくると指先を回しながら、レオナルドは言葉を探す。
「つまり、石がそこにあるから石だ、と思うんじゃなくて、石だと思っているから石がそこにあるっていうことですよね」
「合格!」
ゼオルドが挙手をした。
「先生。離脱していいですか」
「別に俺ぁいいけど」
「ダメだお兄さんは許しません」
アルグレッドに肩を押さえつけられ、ゼオルドは不満顔になった。
「……さて、前置きが長くなったが、つまり認識により事象を生じさせる、あるいは捻じ曲げるのが魔術の根幹。そのエネルギー源として、空中を漂う無垢な魔力と、人間の肉体、それから言葉を使っている」
クリフは指示棒を放り投げ、立ち上がって外套を落とした。上着に手を掛けながら、言葉を続ける。
「肉体とは魔力炉と回路のこと。オドの通り道だ。魔力を操るっていうのは、肉体を通して、魔力を自分の意志に染めるってことだな」
上着を脱ぎ、クリフは肌を露出する。「【術式起動】」と唱えると、青白い光が心臓のあたりから腕の外側を這って、手の甲まで走る。
「ただ、これをやりすぎると、取り込んだ魔力と自分の境界が分からなくなる。だから間に魔導鉱石……こういう水晶を噛ませて調節する」
「クリフの水晶が大きいのは、その回路が優秀ってことでしたけど……」
「ああ。魔力回路は瓶みたいなもんだと思えばいい。魔力という水を入れて、出す。バカでかい樽を持ってても、口が小さくちゃ意味ないだろ?」
アルグレッドが挙手をする。
「はい兄貴」
「その魔力回路? っていうのは、誰でもあるもんなのか?」
「理論上はな。もちろん生まれつきの差はあるが」
「じゃあなんで、魔術を使える人間とそうじゃない人間がいるんだ」
「すっげぇ長くなるけど、聞くか?」
クリフが腰に手を当て、アルグレッドは首を横に振った。
「じゃあ小難しい話はこの辺にして、魔力に意志を乗せる訓練だ」
クリフは上着を羽織り、レオナルドの前に座りなおした。
「今回は生得魔法の制御だから、今言った二つが頭に入ってればいい」
「認識による事象の定義と、魔力操作の基礎ですね」
「というわけで」
腰のポーチから、クリフは小さな瓶を取り出す。コルク栓のガラス瓶だ。内側には、薄水色の欠片がいくつか入っている。
クリフはレオナルドに両手を出させ、その上で瓶をひっくり返した。瓶からは欠片ではなく、半透明の液体が落ちてくる。
「うわ、えっ!?」
粘度の高いそれは、明らかに瓶の容量を超えて溢れてきた。手のひらに触れるとひんやりする。あっという間に、レオナルドの両手はいっぱいになった。淡い水色で、心なしかこんもりとしている。
「スカーレットさんお手製の魔力スライムだ」
「し、す、スライム?」
「かかってる魔術を解除すれば水に戻る。そしてお前はそれができる」
同じ瓶を三つレオナルドの前に置き、クリフは立ち上がる。
「目の前のそれが、『水になる』と思え。できると信じろ。心の底から」
「……でも」
「でもじゃない。できると思えばできる。その確信が、魔術師の力だ」
困惑顔のレオナルドの肩を叩き、クリフは笑って見せた。




