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蒼天のアルターレ  作者: 日凪セツナ
第四章 浮木と楔
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4)カササギ村にて

 汽車の最終駅からさらに南へ半日、最後の馬宿から徒歩で数時間。日暮れ近くになって、ようやく海岸線が見えてきた。

 青草の茂った地面は、切り立った崖の先へ向かって反りあがっている。ごつごつとした崖と崖の間に、比較的なだらかな下り坂があった。土を踏み固めただけの道に、馬車の(わだち)が残っている。

 下り坂には、斜面に沿ってぐねぐねと道が敷かれていた。斜面が終わり、大地と海が接する場所に、少しばかりの平地がある。石造りの家々が、そこにひしめき合っていた。三方をぐるりと、山と崖で囲われた入り江である。

 一行がその村を見下ろすころには、太陽はすでに山の稜線に沈み、わずかに空の明るさが残るばかりになっていた。夜目の利くトートが先頭に立ち、クリフとスカーレットが明かりを準備する。

 坂のなだらかな場所に、ぽつぽつと黒い点が見えていた。アルグレッドを梯子代わりにし、トートは両手で目に庇を作る。ぐっと目を凝らすと、薄暗い斜面は、トートの目には昼間のように明瞭になった。


「牛だわ」

「牛? 家畜がいるってことか」

「でも、こんな時間なのに呼び戻してないのね」


 遠くから見るカササギ村は、すでに夜の闇の中だった。確かに、火を灯すにも油がいる。精油ならば希少だが、漁村なら鯨油や魚油で作った蝋燭も一般的だ。日が落ちたとはいえ、夕食も何もかも済ませて床に就くには、いささか早すぎる時間である。


「【周遊する異界ビースト・ファンタジア】の出現は明日だ。迎えるための祭りの準備をしているのかもしれない」


 ランプに火を入れ、スカーレットが前に出る。トートはその隣で、耳を忙しく動かした。

 斜面を半分まで下り、村が近づいてきた。相変わらず、明かりの一つも見えず、しんと静まり返っている。


「……あ!」


 声をあげたのは、ソルードだった。ロアルから手をはなし、トートに駆け寄る。


「にゃーねぇ、あれ!」


 ソルードが指さした方向に、トートも注意を向ける。ぴりっ、と一行に緊張が走った。


「子供だ」


 トートがつぶやく。石造りの家と家の間で、小さな黒い影が動いていた。

 海風が、地面を舐めて吹き上げる。そこに混ざる匂いに、トートは顔をしかめた。手の甲を鼻に当て、ソルードを後方へと押しやる。


「そいつ、【秘密箱(うち)】に入れといて」

「何か見えたのかい?」


 ロアルがソルードを抱き上げる。トートはうなずき、スカーレットに耳打ちした。


「死体の臭いがする」




 カササギ村の状況はひどいものだった。家々は荒れ、かまどに置かれたままの鍋の中身は腐っている。

 一回り大きな建物に、死体が寝かせられていた。板張りの床に敷かれた布団の数は十。黒ずんだそれらの枕元に、欠けた茶碗が転がっていた。


「水を沸かせ。全部煮沸する。水は海水を漉せばいい。井戸水はだめだ。念のためな」


 村の外れに天幕を張り、スカーレットは簡易の結界を編む。


「家は全部検めようか。生き残りがいるかも。ボクやるよ」

「頼んだ。ゼオルドとトートはここで私を手伝え。クリフォードとアルグレッドとフォレイル。集会所を任せていいか」

「はい」

「遺体は荼毘にふせ。感染症かも分からない。口と鼻を覆え。触れた手は丹念に洗え。生き残りはここに連れてこい」


 即席のかまどの火はみるみる大きくなり、夜を照らす。腕まくりをして、トートは両手で頬を叩いた。


「最後に、レオナルドとソルード」

「はい」

「お前たちは、【秘密箱(いえ)】に入っていろ」


 え、レオナルドはスカーレットを見やる。スカーレットは視線に気づき、息を吐いた。


「逃げていろというわけじゃない。私たちの食事を作っていてくれ。それに、ソルードに見せるには酷だ。お前がついていればソルードも安心だろう」


 子供扱いをされた、とソルードは頬を膨らませる。だがレオナルドはその肩に手を置き、力強くうなずいた。


「クリフォード! お前たちの家に酒はあるか?」

「ねえっす!」

「何だ酒好きのくせに。ユークリッド、酒があったら全部集めろ。蒸留して消毒に使う」

「はあい」


 村の灯篭に火を灯す。燃え残りの蝋燭が、頼りない明かりを落とした。

 集会所の布団の主は、全員すでにこと切れていた。海岸沿いの窪地で、クリフが荼毘の準備をする。家々からかき集めた薪と油はあるが、それだけでは足りないだろう。魔術で火力を底上げする必要がありそうだ。

 海岸線に沿って、細い道が西側へ伸びていた。道の始まりに、小さな看板が立っている。文字ではなく、丸い焼き印のようなものが押されていた。


「共同墓地、だ」


 フォレイルが松明を持ち、道の先へ向かう。崖の向こう側に隠れるように、墓石が並ぶ場所があった。フォレイルとアルグレッドは、墓地の隅に穴を掘る。

 空はすでに暗く、松明がなければ一寸先も見えない。寄せては引く海の音が、静寂の中、ことさらに不気味だった。黒々とした海は、足を浸せば途端に引きずり込まれそうだ。

 スコップを地面に突き刺し、アルグレッドは顔を上げる。土を掘り返すというのは重労働だ。まして暗い中、地面は固く、水分を含んだ土は重い。

 死んだ人間を焼き、骨を埋める。その行為は別に、特別なものではない。エンデの村は土葬が主で、焼くのは病気だった人間だけだった。土葬は棺に、火葬は遺骨を壺に入れる違いはあれど、最後は皆土の下に埋めていた。

 穴を掘り、死者を入れ、靴と服を一揃い、それから銀貨を一枚乗せた。七日間毎日花を供え、ひと月ごとにパンを一切れ供えた。それが済むと、あとは気が向いたときと一年ごとに、花を持っていくだけになった。

 死んだ後の世界で、不便しないように。寂しくないように。そんな祈りをこめて埋葬した。

 そこにきっと、魂はないだろうに。


(俺たちは、何に祈っていたんだろうな)


 この世界に神はいない。

 幼いころ、寝物語に聞いた神は慈悲深く、人間を取りこぼさないようにと気に掛けていた。けれどもこうして、人は死に、埋葬すらされず腐っている。冒険者のように、それを自ら選んだわけでもなかろうに。

 埋葬が神の国へ送る行為なら、神が不在のこの世界で、自分たちは何のために、他人の眠る穴を掘っているのだろう。


(……銀貨足りっかな)


 汗が頬を伝う。アルグレッドは片手でそれを拭いあげた。

 妙に感傷的なのは、きっとこの時間のせいだ。

 急いだ足音が近づいてきていた。


「勇者君、タンク君! 人手が欲しいんだ。戻ってきて」


 ああ、と頷いて、二人は両手の土を払った。




 大きな火柱の前に、クリフと、小さな影がいくつか立っている。戻ってきたロアルに気付き、クリフはそちらに顔を向けた。


「手は足りるか?」

「うん。スカーレットさんが即席で風呂釜作ってくれたから、ボクたちはそっち」


 さっ、と小さい影はクリフに隠れる。スコップを片手に、アルグレッドは火柱を見上げた。


「全部焼いたのか」

「ああ」

「……そうか。そいつらが、生き残りだったんだな」


 クリフの外套を、黒い手が握っている。少年か少女か、髪がボサボサでよく分からない。痩せこけているというわけではないが、視線も口元も無感情で、ぼんやりとした目は炎だけを映している。


「十人いた。全員子供だ。風呂炊いて、飯作るんだとさ」

「お前は一人で大丈夫か」

「火の扱いなら魔術師(おれ)に任せとけ。力仕事は頼んだぜ」


 子供の隣にしゃがみ、クリフはその手を引き寄せる。海のような黒い目の中で、炎が煌々と揺れていた。

 見上げれば、炎の眩しさに星は見えなくなってしまっている。快晴だったはずの夜空は、煙ですっかり曇っていた。

 子供はクリフに手を握られたまま、炎を見上げている。体温も呼吸も、鼓動もしっかりとしている。


(重症なのは心のほうか)


 この村には大人がいない。

 ロアルがすべての家を確認しても、生活の跡はあれど大人の姿はなかった。その痕跡も集会所の死体も、一日二日放置された程度ではああならない。

 情報通りなら、明日には【周遊する異界】は現れる。生体(ビースト)ダンジョンは、突入も脱出も難易度が桁違いだと聞いている。


『少し前から、一攫千金の噂が流れて、冒険者くずれ(・・・・・・)が何度か挑戦しているらしい』


 列車でのスカーレットの言葉を思い出しながら、クリフは沈鬱な表情になった。【八重塔遺跡ルイン・ヴェステージア】も【幻惑の森(ケイヴ・ファントーム)】も、ギルドの中では高難易度に分類される。だがこれまでは運よく切り抜けてこられた。だからと言って次もそうだと思えるほど、クリフは楽観的ではない。


『帰還割合は、ゼロだ』


 無謀とは言わないが、スカーレットもずいぶん豪胆なものである。この異常事態にも、さして動揺もせず即座に指揮を執った。考えてみれば当然だが、スカーレットは国に属する探索部隊のリーダーである。言ってしまえばザマルで最も優秀な冒険者であり、魔術師であり、考古学者だ。何が起きるか分からないダンジョン内で、『想定外』などという甘えた言葉を言っている暇はない。

 逗留予定だった村が崩壊していたとしても。


「……いや」

(俺は、やっぱ怖えわ)


 こういうところが、自分は冒険者に向いていないのだろうと思う。未知、未踏の領域に踏み込む瞬間、大抵の冒険者はそのロマンに心躍らせる。だがクリフは、転ばぬ先の杖を探してしまう。

 自分とロアルだけならば、それほど躊躇しなかったろう。だが今は、ソルードもレオナルドもいる。そして残念ながら(・・・・・)、自分が死んだら、レオナルドが困る。

 頬を叩いて、自分に喝を入れる。ほうけている場合ではない。もうじき火葬も終わる。自分だけでも、明日の準備を始めなければ。


(通信妖精と、解呪結晶と……)


 やるべきことを脳内でリストアップし、クリフは立ち上がった。




 子供十人を風呂に入れ、食事をさせ、寝かしつけるころには月が高く昇っていた。子供たちは一つの家に集まり、そこで共同生活をしていたようだ。かまどに火を入れると、数人からわっと声が上がった。


「思ったよりは元気そうだ。スカーレットさん、もう寝ていいよ。あとはボクが見ておくから」

「お前も休……、いや、そうか。お言葉に甘えるとしよう。村の様子はまた明るくなってからだな」


 ロアルを子供の家に残し、スカーレットは天幕に戻る。

 地面に布を敷いただけの寝床に、クリフが倒れていた。それを挟むように、アルグレッドとフォレイルも横になっている。むさ苦しい三人に毛布をかけて、スカーレットもその隣に腰を下ろした。

 腰の飾りがしゃらんと鳴る。ロケットペンダントに針箱、薬箱ほか七つの道具が吊るされている。曽祖母の代から受け継いでいる、淑女の道具(シャトレーン)である。

 ロケットを開く。色褪せた写真は、曽祖母と曽祖父(・・・)だと伝わっている。

 母がカササギ村を出る前に、曽祖母は亡くなっていた。スカーレットにとっては、写真と言葉でしか知らない他人だ。

 ロッキングチェアに揺られて、母は何度も、懐かしむようにカササギ村のことを語っていた。そんなに愛しい故郷を、なぜ一人で飛び出したのか。そう問うた時、母は寂しげに笑っていた。


「…………」


 ロケットを閉じ、スカーレットは横になる。煤けた匂いの海風が、静かに天幕を揺らした。




 明けの明星を見上げ、クリフは眠い目を擦った。

 春先とはいえ、朝晩は冷える。両手に息を吐きかけて擦り合わせた。

 カササギ村の中心部には、谷から流れる用水路があった。その細い川と海が交わる地点に足場が組まれ、広場となっている。橙色の、大きな鳥の絵が描かれていた。

 朝日が水平線を金色に染める。広場に一人残り、クリフは杖で肩を叩いた。ゆっくりと息を吸って、吐く。回路を流れる魔力が、意識を明瞭にさせる。


「兄上」


 振り返ると、不安げな顔でレオナルドが立っていた。


「死なないでくださいね」


 愛想笑いもない、真剣な――少なくともそう見える眼差し。しかしクリフは、ふっと口元を緩めた。


「心配するフリなんかしなくても、死なねえよ」

「……何ですか、藪から棒に」

どうでもいい(・・・・・・)んだろ、本当は」


 嘲るような声音に、レオナルドは眉宇をひそめた。


「兄上がいなければ、エルディンバルラは救えません」

「救いたいのか?」

「僕の気持ちは関係ない。救わなければならないんです」


 語気が強くなる。見透かすような兄の視線が、余裕ぶった口元が、にわかに苛立たしく感じられた。


「僕は王になる」


 朝日が水面を這い、二人の足元まで届く。


「王とは、システムです。民のためにあるのが王。だから、救わなくてはいけない。それが義務です」


 同じ形の唇から、ゆっくりと息が吐き出された。


「じゃあ」


 蜂蜜色の瞳が、レオナルドを見据える。


「なんでお前は、今、ここにいる?」


 耳鳴りがする。


『……君、だれ?』


 十四年と少し前。最後に交わした兄弟の会話は、一方的で、冷たいものだった。クリフは覚えてもいないだろう。

 それを恨みはしない。クリフもまた、被害者だ。自分たちを引き剥がしたのは大人たちで、父で、あの国だった。


「……僕は」


 王とは、国を成立させるための歯車である。

 それに都合が良かったのが自分だった。自分と兄の見分けが、あの父についたはずはない。ただ偶然、残った方が自分だったというだけのこと。


「僕は、」


 風が強く吹いている。

 こちらを見ていた兄の視線が、海の方へと逸れた。その顔に影が落ちて、レオナルドも視線を追う。


 青年が一人、水面に立っていた。


「兄弟か?」


 病的なまでに白い肌と、鮮やかな紫色の髪。瞳は黄緑色だ。悠然とこちらを見下ろしてくる顔からは、どんな感情もうかがえない。

 だが、何より目を引いたのは、その背に浮かぶ光輪だった。

 金色の朝日の中で、光輪は淡く、銀色の光を落としていた。一目で、尋常な存在ではないと分かる。

 問いの意味をクリフが理解したのは、たっぷり一秒経過してからだった。

 杖を構え、レオナルドの前に出る。びりびりと、刺すような気配がしている。ユゥロと対峙した時のことが思い出された。


「そうだ」


 刺激しないように、短く肯定する。青年はゆっくりと、クリフからレオナルドへ視線を移動させた。エメラルドグリーンの瞳に、二人の姿が浮かぶ。


「いいな」


 ぽつり。言葉をこぼしたかと思うと、青年が片足を前に出す。


「そうだ、俺も、兄が欲しかったんだっけ」


 水面を滑るように、青年が近づいてきた。クリフは片手で、レオナルドを自分の背後へ回す。できれば今すぐ走って逃げてほしいところだ。だが、それで刺激したら、すぐには庇えなくなってしまう。


「いいなぁ、いいなあ羨ましいなあ。そっくりな兄弟がいるなんて」


 青年の両手が、前髪をかき回す。


(……穴?)


 手のひらの真ん中から、髪が飛び出していた。ピアスの穴を限界まで広げたかのように、手のひらの中心にぽっかりと孔があいている。


「羨ましいから、俺にくれ」


 その孔から、緑色の目がこちらを見た。


「【盾壁(ウォール)】!」


 ほとんど反射で杖を振り上げる。ぐんと、青年の手が伸びてくる。地面から、半透明の防御壁がせりあがった。

 青年の指先が壁に触れる。瞬間、強固に組まれたはずの魔術が霧散した。


「走れ!」


 レオナルドを後方へ押す。


「兄上!?」

「走れ、スカーレッ」


 青年が触れた瞬間、クリフの姿が消えた。

 一瞬だった。瞬きをする暇すらない。そこにいたという痕跡すらなく、いなくなっていた。

 背中が粟立つ。膝が折れて、レオナルドは身を捻った。尻もちをつく寸前で受身を取り、青年に背を向けて走り出す。


「なんだ。まだいるじゃないか」


 青年の顔に笑みが浮かんだ。

 手のひらの(あな)から、魔力が絞り出される。過圧縮されたエネルギーは可視光線を伴い、空間を捻じ曲げ、まばゆい球を作り出す。

 目をきゅうっと細め、青年は笑った。

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