1)レオナルド
世界には希望が満ち溢れていると、何の根拠もなしに信じられていた。
少年にとっては、ベッドの上で微笑む母と、隣で笑う兄が世界のすべてだった。自分の世界はそこで完結していて、けれどそれで満ち足りていた。
母がいなくなって、世界から灯が一つ消えた。自分の世界は広くなり、母の代わりに、父を名乗る他人が居座るようになった。
『……君、だれ?』
兄の目に自分が映らなくなった日。
少年はあっさりと、世界に絶望した。
クリフたちの【幻惑の森】での冒険から、時間は少し遡る。
昼過ぎから降り始めた雪が、うっすらと道に積もり始めていた。
ヘルガの町は冒険者も多いが、それ以上に商隊や旅団の滞在が多い。食堂で暇ができるのは、昼食のピークが終わり、夕食の仕込みが始まるまでのわずかな時間だけだった。
皿洗いを終え、トートは待たせていた客人のもとへ駆け寄った。赤毛の猫耳が視界に入ると、客人は顔を上げる。
艶やかな金髪に、蜂蜜色の瞳。甘めの顔立ちは、遠くを見ているとなお、トートの知るクリフにそっくりだった。
「お待たせしたわね。話聞いたげる」
「ありがとうございます」
金髪の青年がふわりと笑う。その隣には、不機嫌な顔の青年が座っていた。肌は浅黒く、灰色のターバンから黒髪が飛び出している。銀灰色の目は鋭く、猟犬のようだ。ほとんど丸腰の金髪の青年に対して、こちらは弓を背負っていた。腰にも短剣が吊るされている。フード付きの外套は、やはり上等そうな艶のある布だった。
「でもその前に。名乗ってよね。あたしはトート。アルのパーティで助士やってる。あんたらは?」
黒髪の青年の顔が険しくなる。だが金髪の青年がそれを片手で制し、立ち上がった。
「ご無礼を。僕はレオナルド。クリフォードの双子の弟です。それ以上は言えません。こちらはゼオルド。護衛です」
紹介された青年は、立ち上がらずに頭だけを下げる。ふうん、と頷いて、トートは二人の向かいに座った。
「あいつ本当にお貴族様だったんだ。でもそれだけじゃ、こっちも何も話せないわ。怪しいもの」
「そうですか。ではこれでどうでしょう」
レオナルドは懐から、小さな袋を取り出す。テーブルに置かれると、袋の中からコインの音がした。
「依頼をします。冒険者なのでしょう? こちらは前金としてお受け取りください。クリフォードの情報をください。そして可能であれば、連れて行ってください」
「金にものを言わせても解決しないこともあるのよ、お坊ちゃん」
「知っています。この金であなた方の信用を買わせてください」
トートの手に袋が乗せられる。ずしりと重い。トートは軽く袋を上下させ、視線を鋭くした。
「あたしがこれを持ち逃げしないって確証は?」
「するんですか?」
驚いたように目を開きながら、レオナルドは小首をかしげる。それからじっとトートを見つめ、微笑した。
「しないでしょう?」
トートの尾がゆっくりと揺れる。
アークリヴァルティで流通する硬貨は大きく四種類。金貨、銀貨、銅貨、そして不揃いな欠片銭。袋の大きさと重さ、感触、そして音から、大体の額面は想像できる。この袋一つあれば、贅沢さえしなければ向こう半年は食っていけるだろう。
「…………」
「………………」
「……………………」
数秒の沈黙に、トートが根負けした。
「分かった、分かった。信用を買われてあげる」
レオナルドの頬が緩む。
「今夜アルが帰ってくる。紹介するわ。うちのリーダー、クリフォードのお兄さんなんだって」
「……お兄さん?」
途端に剣呑な空気を出したのは、背後で黙っていたゼオルドだった。耳をそちらに向けながら、トートは立ち上がってエプロンを払う。
「そ。義理のでしょ。顔も似てないし。聞いたときはびっくりしたけど、別に珍しいことじゃないわ。庶民にとってはね」
レオナルドがちらりとゼオルドを見る。ゼオルドは下を向き、唇を引き結んでいた。
「アル、と呼んでいるが。お前のリーダーのフルネームは?」
「お前、なんて言ってくる人に教える義理ないわ。さあ立って立って。夜のお客さんが来るんだから」
トートに椅子を蹴られ、二人は慌てて立ち上がった。
「故郷に帰れ!」
二人の客人の前に座るなり、アルグレッドは声を荒げた。トートは耳を伏せ、フォレイルに身を寄せる。
「……名前くらいは聞いていただいても」
「聞かなくても分からぁな。どぉせクリフの野郎を連れ戻しに来たんだろ」
「話が早い。その通りです」
床に正座をして、レオナルドは背筋を正す。アルグレッドはイライラと頭を掻いた。
「じゃあ帰れ。今更帰ってきてほしいなんてムシのいい話だろうが」
「でもあなたは、クリフォードではありません。とにかく本人に話をしてみないことには分からないでしょう」
「じゃあ結論から言うと、お前たちへの返事はノーだ」
「ですが……」
レオナルドはアルグレッドの右手を見る。こぶしを作った右手は、黒い手袋に覆われていた。日焼けした肌と黒髪、狼のように鋭い、銀灰色の瞳。
ゼオルドによく似ている。
「この件に、あなたの意志は必要ない」
厳しい声音で言ってから、レオナルドは目を伏せる。
「……失礼。僕個人の話であれば別ですが、今は、引き下がるわけにはいきません」
レオナルドが目くばせをし、ゼオルドは頷いて地図を差し出した。
「ザマルという町に、クリフォードがいると聞きました。そこまでの護衛として、あなた方を雇います」
「護衛、ね……」
額に手を当て、ちらりとトートを見た。トートは尾を足に巻き付け、身を縮める。
アルグレッドは目を閉じ、長々と息を吐く。突き刺さる視線に、自然と眉間にしわが寄った。顔を上げると、レオナルドはわずかに不安を滲ませる。
「苦労するな、お互い」
顔を向けられ、ゼオルドはムッと唇を曲げる。アルグレッドが突き出した手に、トートが前金の袋を乗せた。
「ここからザマルまで、素人が歩けば十日。トートがあいつらと最後に話したのも十日前で、その時点であと半月ザマルにいるって話だった。早馬で三日。……ギリギリだな」
「アルグレッド、引き受けるのか」
「異論が?」
「無い。けど、不安だ」
フォレイルは座り直し、ゆっくりと二人の客人を見た。
「旅慣れてなさそうだ」
「慣れてもらう。俺一人で送ってくるから、お前らはここにいていい」
「行くわよ、あたしらも。人探しなら人手が必要でしょ」
トートは立ち上がり、鞄を取る。
「じゃあ頼む。五人分」
「はーい。フォレイル、荷物持ちお願いね」
尾で肩を叩かれ、フォレイルは苦笑して立ち上がった。財布を受け取り、二人は部屋を出ていく。
アルグレッドは前金の袋をひっくり返すと、そこから金貨を三枚取り、レオナルドに突き出した。
「馬の調達はあんたらの仕事。四頭。いい馬の見分け方なら分かるだろ?」
「え、あ、はい」
両手で金貨を受け取り、レオナルドはこくこくと頷く。
「頼んだぜ、王子様」
「……ご内密に」
「分かったよ」
二人が出ていくと、アルグレッドは地図を見下ろし、頬杖をつく。
(見通しがよくて、馬宿か砦宿があって、かつ短いルートは……)
ペンを片手に、アルグレッドは息を吐いた。
一行がザマルに到着するころには、本格的に雪が降り始めていた。乗合馬車の本数も減り、城壁周辺の畑には藁が敷かれている。入国手続きを済ませ、アルグレッドは冒険者ギルドに向かった。きょろきょろと落ち着かないレオナルドは、ゼオルドに首根っこをつかまれている。
「出発したぁ?」
「ええ、ほんの数日前に。貸倉庫からどこかに荷物を移しましてね。倉庫代がもったいないとは思ったんですが、まあ、本人たちがいいって言うんで」
カウンターを叩き、アルグレッドはがしがしと頭を掻く。
「……どこに行ったとかは」
「さあねえ」
ギルドの主人は、困った顔で首を横に振った。
窓際の席に陣取り、フォレイルが地図を広げて待っていた。両手と頭に皿を乗せ、ゼオルドが昼食を持ってくる。トートはその隣で、人数分の水を運んできた。
「あいつら、もういなかったの?」
「ああ。乗合馬車を使ったってことしか分からねえそうだ」
「あんなに目立つのに」
「馬車のほうから聞き込みしてみるか……」
水と皿を受け取り、レオナルドは席に着く。
「その馬車は、どのくらい種類があるものなんですか?」
「たくさん」
アルグレッドは苦々しく吐き捨てた。蒸しパンを齧りながら、トートはフォレイルを見上げる。フォレイルは蒸しパンを二つ受け取った。
「ザマルは交通の要所でもあるし。あたしらも、ヘルガには馬車使ったもんねえ」
フォレイルが無言で、地図を指でなぞる。いくつもの街道が、ザマルへと収束していた。そのすべての行く先を訪ねて回るなど、とてもではないが気が遠くなる。
「馬車だって一台や二台じゃないし……あいつらを乗せた御者を見つけられればいいんだけどね」
「方角だけでも、絞り込めないでしょうか」
口元に指を当て、レオナルドは考え込む。
「僕たちが来たのは南西で、少なくともすれ違いはしませんでした。……予定より早く出発したってことですよね? どうしてでしょう」
「気まぐれ?」
「護衛依頼」
「雪を嫌がった、とか」
冒険者三人が立て続けに答え、そろって唸る。
「最後に会ったの、トートさんでしたよね?」
「うん。あいつらここで、子供とご飯食べててね」
「子供?」
「獣人の子。ほら、あいつら孤児院潰してたでしょ。そこの子じゃない?」
アルグレッドは「ああ」と納得したように頷いた。
「孤児院を……?」
レオナルドの問いに、アルグレッドは視線を逸らして舌打ちする。
「詳しいことは本人に聞け。あれも冒険者への依頼だろ」
「でも、ここの掲示板には孤児院のこと出てなかったし。子供預かってたってことは、知り合いでもいたんじゃない?」
「ああ、そういえば。門で聞いたのですけれど、この国は魔術学院を中心とした、学問都市だそうですね」
レオナルドが視線を向けると、ゼオルドはすっと地図を引っ込め、小さな冊子を差し出す。ザマルのガイドブックだ。
「シーラー国立魔術学院……。知り合いがいらっしゃるかもしれません。それに、僕がそんなに兄上に似ているのでしたら、また声を掛けられるかも」
「手分けするか。トート、お前とフォルで馬車協会に聞き込み行ってくれ」
「はーい」
「それなら、ここ数日で運行を取りやめた路線に聞くのがよろしいかと」
トートが首を傾げ、レオナルドは口元に指を当てる。
「予定を繰り上げての出立。倉庫を借りるのにもお金がかかるのでしょう? でしたら、繰り上げざるを得ない状況だったと考えるのが自然です」
「だが、別の依頼を受けて一時的にいない可能性もなくはないだろ」
ゼオルドの指摘に、レオナルドは首を横に振る。
「それはないよ、ゼオ。わざわざ、倉庫から荷物を移したんだろう? つまりもう戻ってこない。少なくとも数日のうちにはね。そして、多少の金銭を犠牲にしても早く出立したということは、そのあと、馬車が止まってしまうとは考えられないでしょうか?」
一通り話してからアルグレッドと目が合い、レオナルドはきゅっと口を閉じる。
「え……ええと。ですから、そのう……」
蒸しパンを飲み込んで、アルグレッドは頷いた。半分ほど残っている皿を、「食え」とレオナルドに押しやる。
「んじゃトートとフォルは北方面の馬車中心に」
「はーい。他にご用命は?」
「先に帰ったら飯たのむ」
自分の椅子をゼオルドに差し出し、アルグレッドは立ち上がる。腰を浮かせたレオナルドを制し、まだパンが残っている皿を指さした。
「休めるときに休め。それができないやつの面倒なんかみねぇからな」
「自分はまだ動けます。ご一緒します」
ゼオルドが胸に手を当てる。しっ、と息を吐き、アルグレッドはゼオルドの肩をつかんで座らせた。
「護衛が離れるんじゃねえバカ」
ゼオルドは不満げだったが、アルグレッドは構わずカフェを出た。
冒険者三人がいなくなると、レオナルドは蒸しパンと紅茶を口に運ぶ。
「ありがたく休もう、ゼオ。無理言ってる立場なんだから、従わないと」
「お前は疲れてるかもしれないけどな」
「命令。ほら、いただこう」
蒸しパンを差し出され、ゼオルドは唇をへの字に曲げた。受け取った蒸しパンからは、香ばしいナッツの香りがする。
「……承知した」
ゼオルドはコーヒーでパンを飲みくだす。
「アルグレッドさんと話す時間なら、後でいくらでも取るからさ」
「お前にお気遣いいただかなくても結構。そんな分別のつかないガキじゃない」
「そう? 僕は兄上に会ったら、話したいことが多すぎて窒息しそうだけれどね」
「どうせ向こうは覚えてないだろうに」
眉尻を下げ、レオナルドは微笑する。手のパンくずを払いながら、ゼオルドは目線を逸らした。
クリフの足取りは、案外早くつかめた。金髪に大きな杖を持った魔術師と、仮面をつけた双剣士。さらに黒い尾を持つ子供が一緒だったという。
切符売り場の少年は、仮面の双剣士のことをよく覚えていた。このくらいの背、とトートの耳の先に手を差し出してから、くるくると指を回して記憶を辿る。
切符の代金と乗った馬車が分かれば、後は駅を割り出すだけだ。探し人を乗せたであろう御者は戻ってきていなかったが、十分な収穫である。
「あいつら、すごい場所に行ってない?」
「【幻惑の森】……これは……ちょっとリーダーに相談、だな」
「ええ。流石に追っかけるのは無謀だわ」
メモを折りたたみ、フォレイルは隣のトートに視線を落とす。片耳を上げ、トートは「何?」と顔を上げた。
「不満か」
「……そりゃあね。アルも何にも話してくれないんだもん。別に人探しに付き合うのはいいけど。そんなに信用ないかなあ」
フォレイルは笑いを漏らす。
「我らがリーダーのことだ。どうせ真っ当な理由がある」
「そうかもね。……あんたは、あいつらのことどう思う? お貴族様?」
「代々身分が高い家柄、だと思う。ミドルネームがある、みたいだし」
そもそも、姓があるだけで中流階級以上であることは確定だ。エストラニウスやグリッツェラーの都市には、そうした身分を持つ人々のみが住む街もあるという。ザマルのように申請すれば入れるということもなく、こと、冒険者は市民権すらない下層の労働者として唾棄される。
貴族、と称される人々の多くは、身の回りの世話を人に任せ、一生食うには困らない。トートにしてみれば、夢のような身分である。
「なぁんで、そんないいもの捨てて、冒険者なんかに」
「……まあ色々あるんだろう」
その事情は、アルグレッドも承知していそうだった。そしてその事情を説明されていないということが、トートの不満のもとになっている。
「クリフォード、問い詰めたら吐くかな」
「ああ、あいつが一番、口が……口が柔らかそう、だよな」
顔を見合わせ、揃ってイタズラっぽく笑う。
「晩御飯、何買おうか」
「うーん……」
見上げると、空はまだ青く、夕飯には時間に余裕がありそうだった。アルグレッドの用事は時間が読めない。先にレオナルドたちに合流して、食べ歩きするのもいいかもしれない。ゼオルドはいい顔をしないだろうが、レオナルドは喜ぶだろう。
うん、とトートは頷いて、フォレイルを見上げた。
じっ、と突き刺さる視線に、レオナルドは居心地悪そうにみじろぎする。ザマルの上層に入るには、本人の身分証明が必要だ。冒険者でもない旅人のレオナルドとゼオルドは、直々の審査が必要とのことだった。ひと足さきに通行証を受け取ったアルグレッドは、他の憲兵と談笑している。後方に控えるゼオルドは、渋い顔で憲兵を見下ろしていた。狭い円筒状の部屋で見つめられると、なお居心地が悪い。
「……ほんっ……とうにそっくりだな」
「あ、えー……えへへ……その、兄に、ですか?」
「あ? おう。お前の兄ちゃんのルームメイトだったんだよ。ほい、審査通過。気分悪かったろ。悪いな。あんた、千里眼でもよく見えなくってよ」
丸椅子から立ち上がり、マティアスは通行証を渡す。折り畳まれた紙を一度開いて、レオナルドはその中身に目を通した。
「しかし、あいつの弟なあ。ツラは似てるが、中身は似ないといいな」
「兄は、どんな人なんですか?」
ゼオルドの書類を準備しながら、マティアスは苦々しい顔になる。
「変な奴」
「え」
「変なヤツだよ。名前はご立派そうなのにエキスパートはねえし田舎の出だし、口は悪いし喧嘩っ早いし……ああいや、悪い悪い。嫌なヤツじゃねえよ」
レオナルドの顔が曇ると、マティアスは早口で付け加えた。
「あいつ喧嘩っ早いのか……」
「殴り負けてばっかだったけどな。代わりに頭突きで相手の歯を折ったことがあって、あれは傑作だった」
「えっ、そ、そんな乱暴な人なんですか」
マティアスが首を掻いて視線を逸らし、アルグレッドは口を片手で覆う。通行証を受け取ったゼオルドは、渋い顔で目を閉じていた。
「……まあ、何かと、な。それでもアンキュウ先生の研究室に出入りするようになってから、落ち着いたんだぜ」
「アンキュウ先生?」
「兄貴のこと聞きたいなら尋ねてみろよ。学院警邏から話通してもらえば会えるはずだ」
上層の大通りを通過し、三人が学院の門前に着く頃には、日は西に傾き始めていた。大きく開かれた門を見上げ、レオナルドは口をぽかんと開ける。
「ここで、何を?」
「魔道具の修理工がいるらしい」
アルグレッドは左手首から、銀の腕輪を取る。かつてクリフをパーティから追い出した際、渡したものと同じデザインだ。
「あのバカも捨ててやいねぇだろ。こいつが繋がれば、お前、じかに話して連れ戻せ」
「……ちゃんと、通信手段お持ちだったんですね」
「通じるかは五分五分だ。念じとけ」
はい、と頷いて、レオナルドは両手のひらを合わせた。それを横目で見て、ゼオルドも同じように手を組む。
二人を見下ろし、アルグレッドは懐かしむように目を細めた。
五人が宿の部屋に集ったのは、すっかり暗くなってからだった。屋台で買ってきた揚げ芋を中心に、全員が渋い顔をしている。
「それで、通信、ダメだったんだ?」
「応じようって雰囲気はあったらしいがな。生きてるってことしか分からねえ。お前らの見立て通り【幻惑の森】に行ってるなら、通じなくてもしょうがねえのか……」
学院の修理工がアルグレッドの腕輪を見たところ、故障している様子はなく、ただ相手が通信魔術の届かない場所にいるらしい、とのことだった。【幻惑の森】がギルドの情報通りの場所であれば、さもありなん、といったところか。
「その森、危険な場所なんですか?」
「さあな。精霊だのなんだのって知識は、俺にはない。だがギルドがダンジョンとして登録していて、千年以上人が踏み込んでないっていうのは、十分危険ってことじゃねえか」
「どうして兄は、そんなところに……」
芋を齧り、レオナルドは表情をさらに暗くした。
「一つ確かなことは、兄君はしばらく戻らない。それだけだな。待つか」
「……心情としては追いかけたいけれど、それが得策だろうね。アルグレッドさん、いい案はありますか?」
二人の依頼人を見やり、アルグレッドも首を横に振った。
「雪道を北に向かうのと戻ってくるのを待つのじゃあ、待ったほうがいい。北東方面はずっと馬車が出ないし、まさかあいつらも、雪深くなる森に何ヶ月もいやしないだろう」
「あいつらが、帰ってこない可能性の方が高くない? 森に行ったって言っても、そうかもしれないってだけだもの」
「ギルド経由で手紙を出そう。出張所があるらしい」
ペンと紙束を差し出され、レオナルドは背筋を伸ばす。慌てて手紙を受け取るが、その口には芋が詰まっていた。アルグレッドの顔に、呆れ気味な苦笑が浮かぶ。
「美味いか?」
「む……ん……、いいえ! パサパサするし味が濃いしで口の中がぴりぴりします」
横から、ゼオルドがマグカップを差し出す。手紙を膝の上に置き、レオナルドは両手でカップを受け取った。
「ありがと。……美味しくはありませんが、新鮮です。屋台は僕の国にもありますけれど、利用したことがなくって」
「すっごいお坊ちゃんじゃない。小銭持ったことないとかマジ?」
トートはポケットを探り、銀貨を取り出す。
「し、仕方ないじゃないですか。実家は庭にキャラバンが来てくれるんですもん」
「お坊ちゃん!」
隊商が入る庭というだけで、どれほどの広さか。トートには想像もつかなかった。
「それなら世間知らずも納得ね。銀貨一枚いくらですかって聞いてきたの忘れらんない」
「あんまりバカにしてやるな。代金の計算はここの誰よりも速い」
「へえ、ご主人自慢? フォレイルの方が速いと思うけど」
急な指名に、いそいそと部屋の隅に移動していたフォレイルが声を漏らす。コーヒーで口を湿らせていたアルグレッドは、困り顔の二人を交互に見て、カップを置いた。
「計算ならクリフも速い」
「対抗してくるんですか!?」
「兄バカ!」
「バカばっか言ってねぇで、早めに寝ろ。せっかく広めの部屋を借りたんだし。明日からは逗留のための仕事探しだからな」
冒険者ならば仕事はいくらでも見つかるが、冬場となれば競争率は高くなる。都市への逗留は当然、ヘルガの町よりも宿代も食費もかかる。
「仕事、ですか」
「坊ちゃんにも多少は稼いでもらわねえとな。そっちの番犬は傭兵くらいできそうだが」
「ぼ、僕も力仕事します! 多分、できます」
腕まくりをするレオナルドだが、白い肌とスラリとした腕は女の闘士より細い。トートといい勝負である。
「やめとけ」
「う、で、でも僕も……お役に立たないと……」
「怪我されても困る」
「腕ほっそ。フォレイルの半分もなくない?」
「計算、速いなら……その、会計士とか……」
「身分証もねえやつに金勘定任せらんねえだろ。頭脳労働なら上層で探せばあるんじゃねえか」
「そういえばクリフォード、昔家庭教師やってたとか言ってなかった? ちびすけ相手に。孤児院とか支援会とかさ」
「ああ、ギルドで引き取ったガキの家もあったか?」
「あった、はず……うん。明日、聞いてみればどうだろう」
「トートもそういう仕事の方が雇われやすいんじゃないか」
「あたしぃ? パス。子供苦手なの。下女仕事また探すわよ」
項垂れるレオナルドをよそに、冒険者三人は盛り上がっている。ゼオルドはちらりとレオナルドを見ると、ぽんぽんとその背を叩いた。