3)空の王国
報酬は、三日分の宿代にはなりそうだった。報酬受け渡しのテントで粘土兵のことを言うと、水晶の原料よりそちらのほうがずっと価値がある、とギルドの考古学者に呻かれた。クリフが念のためもぎ取ってきた粘土兵の首は、明日中には鑑定が終わるらしい。
「コア割らなきゃよかった!」
屋台に囲まれた野外食堂。その片隅で、ロアルは両手でテーブルをばんばんと叩いた。
「水晶があんなに安く買いたたかれるなんて。量産型兵士がそんなに希少ならそっちを討伐対象にしてよ、もう!」
「初心者に無茶言うなよ。お前だから勝てただけでだな」
そもそも、【珪砂遺跡】であの兵士に出くわす冒険者は少ない。初心者向けとして開かれており、詳細な地図が既に作成されている【珪砂遺跡】だが、その実態は地下五階のれっきとした迷宮である。地下三階までは安全が確保され、水晶片もそこかしこに点在している。ダンジョンの空気に慣れる程度ならば、わざわざ危険を冒す必要はないのだ。
「にしてもさ、これ、そんなにいっぱい出土しなそうだけど。水晶っていうからには、ケイ素化合物なんだろう?」
「け……なんて?」
「ケイ素化合物」
ロアルは、小さな欠片を指先に挟んで光に透かす。半透明の欠片は、頭上に浮いた明かりの光を吸って橙色になっていた。
「水晶って灰結晶だぜ。魔導鉱石……俺の杖についてるコレの材料」
「灰結晶?」
「ああ。このあたりは大戦で特にひどく焼かれたらしくてな。土の下のほうは全部灰なんだよ。それが魔力に反応して結晶化してそうなるんだとさ」
「……ふうん」
ロアルは欠片を指先で放り投げ、空中でキャッチする。クリフは、一向に減らないロアルのコーヒーを指差した。クリフの前には大皿の料理があるのに対して、ロアルは一杯のコーヒーしか注文していない。
「あんた小食だな?」
「んー、うん、食事は好きだけど。今はこれを外さないほうが大事」
ロアルは自分の仮面をとんとんと叩く。
「でも手袋は外せよな。洗ってないだろそれ」
「ボクってばびっくりするほど日光に弱いんだ」
「亜人種か。だとしても今は夜だぜ」
「月の光って、実は日光なんだよ。ご存じでなーい?」
「バカにしてんのか?」
肩を震わせて、ロアルは笑う。無表情なはずの仮面が、笑みを浮かべているように見えた。ロアルは減っていないままのコーヒーをクリフに押し付けて、席を立つ。
「宿で先に休んでるよ。君がお腹いっぱいになったら、これからの話をしよう?」
そう言うと、ロアルは荷物を持って行ってしまった。一人残されたクリフは、ふー、と息を吐いて頬杖をつく。
「……変な奴」
冒険者、というフィルターをかけてみても、ロアルは周囲から浮いている。顔に傷があるからと仮面や包帯で隠す者もいるが、それでもロアルほど徹底してはいない。
そして、剣術。クリフも双剣士をそう何人も見たことがあるわけではないが、空中で舞うようなロアルの動きからして、実力者であることは疑いようもなかった。大体、床を蹴って天井に着地する人間など見たことがない。
例えば冒険者ギルドと契約している玄人が、初心者の手解きのために正体を隠して近づいてきた、と考えればどうだろう。だが、突入の準備やダンジョン内での動きは素人そのものだ。そもそも依頼に書かれた文字が読めていない時点でそれはあり得ない。だいいち、クリフに対してそんなことをする理由が思い当たらない。
では本当に初心者だとして、いったい何者なのか。いろいろと想像すると、あの仮面の下に何か、後ろ暗いものがあるように思えてならない。
「……まあそれはお互い様か」
クリフも解雇された身、クエストをこなし、金を稼ぐためにはとやかく言っていられない身分だ。
半分残った料理を、クリフは一つの屋台に持っていく。皿を回収しているそこでは、宿に持ち帰れるように深い器に料理を移してもらうことができる。
四角い器の縁をクリフが撫でると、白い蓋がぴたりと器を閉じた。器の内側に急に現れた蓋に、屋台の女は「便利だねえ、魔法って」と感心したように言った。クリフは空になった大皿を渡すと、礼を言って宿に足を向けた。
「便利なだけでいいなら、どれだけ楽か」
他でもない、このささやかな魔法が、クリフの悩みの種であった。
ノックをして、クリフは宿の部屋に入る。滑りこみで何とか取れた一室だ。
「入るぞ」
「やあお帰り!」
ロアルは、天井の梁に片足を引っ掛けて揺れていた。逆さになって浮いている影に、クリフの喉から「ひょあッ」と声が漏れる。
「何やってんだ!?」
クリフは、落としかけた器を両手で受け止めた。ロアルは両手で着地すると、しなやかな動きでそのまま立ち上がった。双剣はベッドに立てかけられていたが、ローブも手袋もそのままだ。およそ、くつろいでいる姿には見えないが。
「重力を感じていたのさ。お腹はいっぱいになったかい?」
「いやお前……お前……」
狭い一室には、入口からすぐの左右にベッドが詰め込まれていた。クリフはその片方にどさりと座る。ダンジョン内でもそうないような不意打ちだった。しかし当のロアルはといえばけろりとしており、クリフの驚きなどまるで意に介していなかった。
「お前、蝙蝠の獣人とかじゃねえだろうな……」
「まさか。蝙蝠は哺乳類ではトップスリーに入るくらい苦手だね。君にだってあるだろう? 普段と違う視点に浸りたくなるときとか」
「分からんでも……ねえような」
ベッドに腰かけ、ロアルは芝居がかったしぐさで両手を広げる。
「さあ、これからの話をしよう」
「その前に、お前も飯を食え」
クリフが器を差し出すと、ロアルの動きが止まった。
「ここなら明かりはランプだけだ。どーぉしても見られたくねえ傷だとかがあるなら、俺は外で待ってる。圧縮食料だけじゃ体がもたねえだろ」
ロアルは器を受け取ると、しばらく下を向いて黙った。
「……驚いた」
ぽつりとそう呟くと、ロアルはクリフを見上げる。そして、うん、と小さく頷いた。
「ありがとう。これはあとでゆっくりいただくよ。君には時間がない。ゆっくり眠る、それもまた大事なことだからね」
ロアルは器をベッドに置く。クリフはそれを目で追ったが、それ以上は何も言わなかった。
「ボクは明日以降も、君と一緒に冒険したいんだけど、どう?」
「そいつは光栄。俺のほうから断る理由はねえな。……ただ」
「ただ?」
ロアルが首をひねる。クリフは一度、ゆっくりと息を吸った。
「いや、その。俺、パーティをクビになったばっかりなんだよ」
「知ってるよ? 昨日の赤ちゃんたちだろ」
「だから、お前は気にしねえのかな……と」
「……んー?」
ロアルは片足を膝に乗せ、頬杖をついた。考え込むように「うーん」と声を漏らしながら、手袋の先で仮面の頬を叩く。
「でも、ボクは君が欲しいと思った。誰かが君を評価して、それで君が解雇されたとしても、ボクには関係ないね」
「……そういうもんか」
「そうともさ」
立ち上がり、ロアルは窓に近づく。
窓の向こうはすっかり夜の帳が降りていた。屋外食堂は客が減り、交代で酒場がにぎわい始める。大急ぎで引き揚げてきたパーティが、荷車をがたごととさせながら道を走っていった。ロアルは窓枠に両手を乗せ、それからくるりと体を反転させる。明るい部屋の中で、クリフの金髪はやはり、太陽のように光っていた。
「君が君自身を低く見積もるのは君の勝手。ボクが君を最高の魔術師だと評価するのもボクの勝手。もちろんその逆もね。ボクを使い物にならないポンコツだと君が思うなら、パルを解散するのは仕方ない。悲しいけどね」
「思うわけねえだろ」
「じゃ契約続行だ。嬉しいね。昨日の今日で、こんな素晴らしい仲間ができるなんて」
差し出された握手の手を、少し躊躇ってからクリフはにぎり返した。ロアルはぶんぶんとその手を上下させる。それに振り回されて、クリフは顔をほころばせた。
「ありがとう。ありがとう、魔法使い君。ボクの願いに少し近付いた」
「はいはい。せいぜいこき使ってくれ。ただ、」
クリフは、ベッドに置いていた杖を執る。下端で床を軽く突くと、ごん、と重い音がした。
「魔法使いじゃなくて、魔術師な。旧時代の魔法と現代魔術は根底にある思想からして違う。そのあたり、結構デリケートなんだぜ」
「それは失礼。でも、勇気あるものを勇者というように、君はボクにとっての魔法使いなんだ。気を悪くしたなら、改めるよ」
「……まあ……悪い気は……しないがよ」
視線を泳がせ、クリフは唇を尖らせた。
「君こそ、ボクを好きなように呼んでくれていいよ。ロアルでもユークリッドでも、漆黒の堕天使とでも?」
「それは呼ぶほうが恥ずかしいヤツだろ」
確かに漆黒で、空から落ちてきてはいるのだが。クリフはベッドに座り直し、足を延ばして天井を仰いだ。
「疲れたな」
「そうだね。おやすみなさい」
「……お前、寝る時もその恰好なのか?」
ロアルはブーツだけを床に置き、シーツを肩までかぶって丸くなっている。クリフは脱いだ靴を揃え、外套と上着を脱いで壁にかけた。窓から入る夜風は冷え、上半身だけでも下着だと寒いほどだった。ベッドの上から手を伸ばし、クリフは窓を閉める。ランプを消すと、部屋はすっかり暗くなった。
ベッドのロアルを見ると、肩がかすかに上下しているのが分かった。息を吐き、クリフは自分もベッドに横になる。思えば昨夜は準備に忙しく、今日も早朝から午後までダンジョン内で気が休まらなかった。無事に帰れたかと思えばギルドでの納品に手間取り、余った水晶片を売れる商人を探し……と、なにもかも不慣れな二人で無駄に時間がかかってしまった。
考えてみれば、これまではクエストの選定も手続きもリーダーであった剣士が引き受けていたので、クリフもロアルのことを言えないくらいには無知だったわけだ。
額に手の甲を当て、クリフは目を閉じる。途端に睡魔に襲われ、意識が遠くなった。
夜明けとともに、ロアルは寝床から起き上がった。隣ではクリフがまだ熟睡している。ロアルは剣を持ち、静かに部屋を出た。
宿内はまだ静まり返っており、狭い廊下に夜の空気が残っている。底の厚いブーツは、歩くごとに重たい足音をたてた。宿の一階の食堂では、綺麗に片付けられたテーブルに、まだ酒の匂いが少し残っていた。かまどにはすでに火が入り、包丁の音が聞こえてくる。
小間使いの少年が、「おはようございます」とロアルに声をかけた。ロアルがそれに片手を挙げて返すと、少年は初めてロアルのほうを振り向いて、ぎょっとしたように半歩引く。
宿を出て、細い路地から宿の裏手に回る。と、丸太にぼろ布を巻き付けた木人がいくつか並んだ広場に出た。冒険者ギルドや宿に囲まれており、まだ朝日は差していない。木人の足元には木箱が置かれ、中にはいくつかの種類のコインが放り込まれていた。ロアルはポケットを探り、楕円形の銅貨を一つ木箱に入れる。うす平べったい銅貨には、『5E』と刻印がされていた。
双剣を抜き、木人から数歩離れる。そしてゆっくりと一度、顔を上下させると、ロアルは木人に斬りかかった。
双剣士は得てして、小ぶりな武器を扱う。片手で振り回すためには、大きさも重さも自分に合っていなければいけない。生きるか死ぬかの戦いで、うっかり自分の腕を斬りつけては笑えないだろう。一撃の軽さを手数で補うのが双剣士だが、硬い外皮を持つ魔族相手には、一方的に不利になることもある。
「ふっ!」
ロアルの一撃が、ぼろ布をざっくりと切り裂いた。
そういう意味では、ロアルは双剣士としては特異と言えた。異国風の剣は一振りで十分大きく、その一撃は、人の腕程度なら簡単に切断できそうだ。現に、ロアルに繰り返し切り付けられた木人は、ほとんど表皮をそぎ落とされた丸太になっていた。
足運びで舞い上がった砂ぼこりが、風に流される。ロアルは大きく足を開くと、腰を落とし、剣を揃えて木人を斬りつけた。包丁でおろされたかのように、薄い板が木人から飛び出す。一瞬浮いた木人の首から上は、そのまま木人の胴に乗り、かたかたと揺れていた。しかしやがて、斬られたことを思い出したかのように地面に落ちる。ごとん、という重い音と同時に、ロアルは双剣を鞘に収めた。
「すまないね、独占してしまったようで」
ロアルは、顔を少しだけ後ろへ向けた。
「いいや」
そこに立って、壁に背を預けていた剣士は、ロアルに拍手を送る。黒髪に赤を基調とした服、日焼けした腕には真新しい傷の治療跡があった。狼を思わせるような、灰色の鋭い目をしている。
「君、昨日ギルドにいたね」
「アルグレッドだ。クリフォードとかいうバカの保護者。以後よろしく」
剣士はロアルに近づき、握手の手を差し出す。ロアルは腕を組み、ふん、とアルグレッドを見上げた。
「保護者っていうわりに、クビにしたんだってね?」
「そりゃ力不足がイキがってたら、じき死ぬからな」
「じゃあ保護者ヅラするなよ。彼はもうボクの仲間だもんね」
大剣の切っ先が、地面に突き立てられた。ロアルは手のひらを上へ向け、やれやれと首を振った。
「手合わせ願おうか」
「嫉妬深い男は嫌われるぜ? お断りだね」
「そうか」
アルグレッドは剣を抜き、大股でロアルに近付く。
「え」
からん、と軽い音がして、ロアルの仮面が地面に転がった。
瞬間、ロアルの手がアルグレッドへと伸びる。
「がっ……」
気が付くと、アルグレッドは地面に倒れていた。襟首をつかんで叩きつけられたのだと、背中が痛んで理解する。痛みに顰められた顔は、しかし、ロアルのフードの奥を見てみるみるうちに青ざめた。
「お前……」
「誰が許可した?」
アルグレッドに覆いかぶさり、ロアルは片手でアルグレッドの首元を締め上げる。左手は剣の柄をにぎり、片膝がアルグレッドの腹を押さえつけていた。垂れ下がったフードの端が、アルグレッドの頬を撫でる。息がかかるほどの距離だった。
「お前は違う。お前はボクに対して何の権限もない」
アルグレッドの瞳はフードの中に向けられたまま、恐怖ゆえか揺らいでいた。口は浅い息を吐きだすことしかできず、剣をにぎっていた左手が地面を引っ掻いている。次第にアルグレッドの額には脂汗がにじみ、顔が赤黒くなり始めた。
「――ああ、でも」
ロアルは力を緩め、左手で仮面を拾う。しっかりと仮面でフードの中を隠すと、ロアルは静かに立ち上がった。アルグレッドは激しく咳き込み、身をよじってロアルの足元から離れる。
「ボクも人を殺すことは好きじゃない。お前を物言わぬ肉にしてしまうことは簡単だけれど、そうだね、うん。お前が彼の知人であることに免じて、こうしよう」
顔を上げたアルグレッドの目と鼻の先ほどに、切っ先があった。息を飲み、アルグレッドは体を硬直させる。
「見逃そう。ただし口外したら、口を裂く」
「……脅しか」
「そう聞こえないなら、耳と脳の検査をおススメするね」
くるん、と指先で剣を回し、ロアルはアルグレッドに背を向ける。
「……バケモンが」
吐き捨てるようにアルグレッドが呟いた。ロアルは振り返らず、そのまま広場を出ていく。ちょうど差し込んだ朝日で、影が長く伸びていた。
乱暴な足音に、クリフは飛び起きる。何事かと服をつかんだところで、ドアを足で開けてロアルが入ってきた。
「魔法使い君!」
「お前、今バキッつったぞ!」
「あーらら。軟弱な鍵だ」
ロアルは両手で大きな冊子を持っていた。紙束を紐で綴じ、木製の表紙と裏表紙がつけられている。
「ギルドの人に借りてきたよ。ダンジョン帳。次に挑むところを決めようじゃないか」
「はいはい。先に鍵直すからな」
ひしゃげた金属製の鍵を拾って、クリフはロアルの、金属をねじ切った脚力に身震いする。怪力自慢の冒険者でも、あんな陽気な調子で扉を蹴破りはしないだろう。
「後始末悪いね。まだ力加減がどうにも」
「お前、怪力持ちの亜人種か?」
「まあそんな感じ」
なんだその曖昧な答えは、と思いつつ、クリフは魔術で鍵を修復する。新品のようにきちんと直った鍵に、うんうんと満足げに頷いた。
「で、なんだって?」
「ダンジョン帳」
ロアルは冊子を開き、ぱらぱらとページをめくる。紙にはそれぞれ、現状で分かっているダンジョンの姿と通称などが書かれていた。【珪砂遺跡】のページでロアルが手を止める。
「成果物の……種類?」
「ああ。水晶は魔術素材。あとは考古学的な資料とか遺産とかだな」
「ふーん。書いていないダンジョンも多いね」
「探索が進んでないってことだ」
ロアルはさらに数枚紙をめくり、一つのダンジョンで手を止める。身支度を終えたクリフが、「どうした」とそのページを覗き込んだ。
そこには、蒼天に浮かぶ大きな都市の絵と、【不夜の王国跡】という名前だけが記されていた。ロアルは、絵の中の都市に触れ、ゆっくりと紙を撫でる。
「ああ、それか。あるかどうかも分から」
「あるよ」
「ん?」
「ある」
そのページを見たまま、ロアルはしばし黙る。クリフも「そうか」とだけ返した。クリフが外套を羽織り、靴を履いたところで、ロアルは顔を上げた。
「君は信じていないのかい?」
「ないわけじゃねーけど……ずっと未確認だったんだ。半年前に、南のほうでちらっと見えたとかで、イッキに信憑性がましたけど。それでもおとぎ話レベルだぜ」
「興味なさそうだね」
「行く方法がないからな。大戦前の遺跡から、飛行機でも見つかれば話は別だが」
そんなものは、資料ですら第一級の遺物扱いである。いち冒険者が手に入れられる技術ではない。
「飯行くぞ」
「ああごめん、ボクさっき食べてきちゃった。次のダンジョン決めておくから、ごゆっくりどうぞ」
じゃあいい、とクリフはロアルのベッドに座る。そしてダンジョン帳に手を伸ばすと、最後のほうのページを開いた。そこには、草原に空いた大穴の絵がある。
「お前が行きたいっつった【八重塔遺跡】がこれ」
「ふー……ん……」
ロアルは指先で文字をなぞる。クリフが指さしながら読み上げるが、生返事が返ってくるだけだった。クリフは腕を組み、息を吐く。
「お前、【不夜の王国跡】に行きたいのか」
ゆっくりと、ロアルが顔を上げた。仮面の目になっている黒い石に、クリフの姿が映る。
試すような、探るような沈黙があった。身動ぎも、息遣いすら感じられない静寂に、クリフが先に音を上げる。
「分かった、分かった。詮索しない。だけど俺だって、雇い主の目的くらい気になるんだ」
「君が知性のある人間であることに感謝するよ」
ロアルはダンジョン帳を閉じる。クリフが唇を曲げると、「ごめんごめん」と軽い口調で続けた。
「そうだね、ボクが冒険者をしている理由を話してなかった。行き先が分からないでいる先導ほど不安なものはないよね。ボクは三つ、欲しいものがあるんだ」
ロアルは親指、人差し指、中指を立てた手を突き出した。
「お宝か?」
「ご名答。『歌う竪琴』と、『風に咲く花』と、『空を征く船』を探している」
「……ちょっと待ってくれ」
眉間に指を当て、クリフは手を突き出した。
「あーその……なんて?」
「『歌う竪琴』と、『風に咲く花』と、『空を征く船』を探している」
「お前、やっぱ【不夜の王国跡】に行く気じゃねーか」
ロアルはひょいと床に降りると、「そうともさ!」と両手を広げた。
「かの王国はかつて大地を緋色に染めた。失われた魔術機工学の祖であり、空の向こう側までも優に到達した科学の王国。興味ないのかい冒険者君。蒼天のただなかにある失われた文明の柩に!」
「ねえ」
すっぱりと返したクリフに、ロアルは派手にずっこけた。
「興味持てよぉ!」
ロアルの手がベッドを叩く。舞い上がった埃に咳をして、クリフは窓を開けた。差し込んできた朝日に、ロアルがさっとフードをつかむ。既に通りは賑わい始めている。その中に見知った顔ぶれを見つけ、クリフはシッと息を吐いた。
「お前の目的は分かった」
窓枠に肘を乗せ、クリフはロアルを振り返る。ロアルは「ふーん」と両手に顎を乗せていた。
「で、次はどのダンジョンに行くんだ?」
「別にいーんだよ。興味ないなら付き合わなくって」
「拗ねるなよめんどくせぇな。同じ魔術機工学つながりなら、【八重塔遺跡】からいっぱい見つかってるっていうぜ?」
ロアルは座ったままベッドに倒れ、両腕を投げ出した。
「地上とじゃまるでレベルが違うもん。それとも、君が行きたい理由でもあるのかい?」
「あー……いや、前のリーダーが、次はそこに行くっつってたんで、調べて」
「行こう、【八重塔遺跡】!」
がばっ、とロアルが起き上がる。その勢いに、クリフのほうが「は!?」と声を上げた。
「行こう。そしてサクッと攻略して見返してやろうじゃないか。未来の賢者様を追い出したバカな奴らをさ!」
あまりにも私怨な理由に、クリフは口をぽかんと開けていた。ロアルはその勢いのままクリフを指差す。
「そして証明するのさ。君が、君自身が低く見る、君という魔法使いが最高だってことを!」
空の王国を語るのと同じ熱量で、ロアルは宣言する。当の魔術師本人はというと、暑苦しそうに首を掻いていた。