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蒼天のアルターレ  作者: 日凪セツナ
第三章 薔薇と兎
28/61

10)ひなたの国

 外から響く笑い声に、ゆっくりとグレンは目を開く。遠い昔の記憶をくすぐられたような、懐かしさに涙が滲んだ。

 口から泡が出て、自分が水中にいると気付く。だが息苦しさはなく、まだ夢の中にいるかのような心持だった。


「起きたか」


 涼やかな声に目だけを動かすと、瑠璃色の女が立っていた。日の光が透けている。水の精霊だ。


「こんがらがった呪いだった。だがそれが、お前の命を救ったな」


 何かを言おうとして、また口から泡だけが出る。どうやら自分は、精霊が作った水のゆりかごの中にいるようだ。


「あの兎に感謝するんだな。その女王の皮がなければ、お前は脊髄から全て腐って溶けていた」


 ルル・リ・テハウが手を振り、ぱしゃんと水が弾ける。

 木製の診察台に、一人の青年が落下した。腰を打ったらしい青年は、呻きながら片手で空を掻く。狭い診察台の上で身をよじると、そのまま床に転がり落ちた。


「げほっ、ごほっ……オエッ」


 肺に残る水を吐き出して、青年は自分の喉に手を当てる。そこで初めて、驚いたように顔を上げた。

 精悍な青年だった。年齢は二十代後半、小麦色の肌に深い茶色の瞳を持っている。ウェーブがかった黒髪が頬に張り付いていた。筋肉質とまではいかないが、引き締まった健康そうな肉体である。


「おはよう、グレン・リーデバルド」


 下着一枚で呆然とする青年を、ルル・リ・テハウはそう呼んだ。




 生まれた時と同じ肉体。研鑽の末に刻んだ魔術の刻印も、魔力回路も、間違いなく自分のものだ。三百年ですっかり見慣れた、少女の手ではない。力をこめれば、握った木の枝がミシミシと鳴った。リハビリは必要ないだろうか。


「グレンさん、ハユが服見繕ってくれたっすけど」

「クリフォード」


 診察台に座ったまま、グレンは顔を上げる。先に最終検査を終えた後輩は、上機嫌で服を運んできた。


「やっぱ俺のじゃぱっつぱつだし。飯は? もうすぐ昼らしいっす」

「遠慮しておく」

「待て。食え」


 揺らぐ天井から、ルル・リ・テハウが降りてきた。


「飯は食え。内臓を動かすべきだ」


 指さされ、グレンは唇を曲げた。


「金色の魔術師、お前が連れていけ。もう不老じゃない。飯を食って寝ないと死ぬぞ」

「うぃっす」


 クリフが杖を回すと、グレンの体が浮かび上がった。

 ハユ・エ・トゥラから渡された服は、薄手のシャツと大判の一枚布だった。着替えながら木の葉の階段を降り、広場に向かう。突然現れた見知らぬ男にも、水の集落の子供たちは臆せず駆け寄ってきた。


「クリフォード」

「はい」


 しゃがんで子供たちを構いながら、グレンは、明日の天気の話でもする調子で言った。


「魔術、教えようか」

「……厳しいっすか」

「さあな」


 腕に子供をぶら下げて、グレンは立ち上がる。声を上げて、少年は足をじたばたとさせた。


「成果は保証しよう」


 グレンを見上げ、クリフはゆっくりと息を吐く。日の下で見ると、グレンの黒髪にはわずかに、ルル・リ・テハウの瑠璃色が混ざっていた。ココアブラウンの双眸に、クリフの姿が浮かぶ。

 目を伏せ、クリフは静かに頭を下げた。


「光栄です」

「かしこまらないでくれ。慣れてない」

「無理っすよ。あんた教科書に名前があるんだもん」


 ふ、とグレンは口元を緩める。顔かたちは違っても、その表情にクリフは見覚えがあった。目の前にいるのは確かに、あの華奢な少女だったグレンなのだ。


「雪解けまで三か月。お前が望むだけの知識をやろう。知りたい魔術があれば言え」

「んーじゃあ」


 クリフは、眩しい蒼天を見上げる。冬の空には、白い太陽が浮かんでいた。柔らかな日の光が、地面を照らしている。


「旅人の本の魔術……と、黒魔術を」


 親に呼ばれ、子供たちが昼食の手伝いに駆り出される。クリフとグレンは、ぽつんと広場に取り残された。


「……心変わりか?」

「まあ、ちょっと。仮面の……あいつ、俺の相方なんですけど」

「よく知っている」


 首を手でさすり、気恥ずかしそうにクリフは視線を泳がせる。


「今の俺の実力じゃ、いつか、命を選ばなきゃいけないときがくる気がして」


 今回のように、運よく助けが来るとは限らない。自分か、ロアルか。そうなったときにロアルを選べば、今回のように怒られる。だがだからと言って、とっさに自分を選べるような性格ではないことも自覚している。


「強くなりてえなって思ったんです。明日も、あいつと一緒にいるために」


 うなずきながら、グレンはそれを聞いていた。真剣なグレンの反応がなお恥ずかしいのか、クリフはそわそわと落ち着きがない。


「で、それが俺の旅の目標にもなったら、うれしいなって思って」

「そうか。……ところで」


 腕を組み、グレンは笑いを漏らす。


「それは、あの仮面には言わないのか?」

「言えないっすよ、恥ずかしい!」


 ぶんぶんと首を振るクリフ。

 その数歩離れた背後に、ロアルは佇んでいた。

 グレンを見、ロアルは口の前に指を立てる。ざあ、と吹いた風が木の葉を揺らした。その音に紛れ、ロアルは身を翻す。クリフが振り返るより先に、その姿は消えていた。


「あの、何か?」


 グレンの視線を追ったクリフが、首をひねる。グレンは首を横に振った。


「あの仮面の名前は?」

「ロアルっす。ロアル・ユークリッド」

「……ユークリッド」


 穏やかだったグレンの顔が、一瞬、驚いたような表情を浮かべる。まばたきの後、ぐっと細められた目が、懐旧の色を浮かべた。

 ぽん、と大きな手のひらがクリフの背を叩いた。


「妙な巡り合わせもあるもんだな」

「……それって」


 強風が、二人の間を吹き抜ける。白煙を舞わせ、一羽の兎が二人の間に割り込んだ。


「内緒話か。僕もする!」

「声デッケェなあ!」


 飛び込んできたユゥロを追って、ソルードがやってくる。


「こっちも話は終わったぞ。クリフォード、午後は暇か? 暇だな。ソルは字を習いたいそうだ」

「そーだ!」


 ユゥロによりかかって、ソルードもクリフを見上げてくる。クリフはぐりぐりとソルードの額を撫でた。頭を揺らされながら、ソルードは「えへへ」と笑う。


「勤勉でなにより」

「いひひ。じができる、ぼうけんしゃなれる?」

「冒険者は十六歳以上だ」


 ソルードの耳が下がる。クリフがしゃがみ、自分の肩を叩いた。ソルードは肩に乗り、両手でクリフの頭につかまる。


「ソルは冒険者になりたいのか?」

「ん! ろぉとにいしゃの、やくにたつ。おれの、夢!」

「そうか。……そっか。じゃあ字は読めないとなあ」


 クリフの肩の上で、ソルードは得意げに鼻を鳴らす。


「ちょっとできる。せんせぇおしえたから」

「そいつぁ初耳。動くぜ」

「あぃ!」


 両腕と尾で、ソルードはクリフにしがみつく。肩車したまま、クリフは炊事場へと歩き出す。早く、と一人の子供が全身で呼んでいた。水の集落の炊事場では、大きな鍋が火にかけられている。木から削り出した素朴な椀が、人数分積み重ねられていた。


「今日はチーの実とヘヴァとラトスリのブリガットリをマハにしたラーだよー!」


 座った四人の前にスープが差し出される。


「……なんて?」


 グレンを見ると、グレンはスープを一口啜り、「美味いやつだ」とだけ言った。




 しんしんと降り積もる雪が、ついに森の奥深くまで届き始めた。

 夜も更け、冷える空気で息が白くなる。毛布を巻き付けたソルードを背負い、クリフは広場に降りた。風の集落はすっかり復興も終わり、家々の落下した痕跡のみが残っている。

 石碑の前では、ロアルが待っていた。クリフの足音に、黒々とした影がゆっくりと振り向く。


「なんだよ、話って」

「うん。少し歩こうか」


 ロアルが先導し、二人の冒険者は、明かりのない中をゆっくりと歩む。見上げると、晴天に星が瞬いていた。

 冒険者ギルドは二十四時間、いつでも人の気配がする。夜半過ぎに帰ってきて昼まで寝ており、夕方また出かけていく冒険者も少なくない。

 だから、これほど見事な星空というのは、クリフにとっても久しぶりだった。

 白い墓所の近くで、ロアルは足を止める。月明りもない夜でも、白い地面と墓所はうすぼんやりと輪郭が見えた。振り向いた仮面の、銀色の蝶が闇に浮かび上がる。


「ボクという人間……。人間? まあ仮に人間と呼称するこの自我は、当然、肉体がない。脳もない。そんな不確かなボクだけれど、君に、誠実でありたいと思ったんだ」

「……はーん?」


 胸元に手を当て、ロアルは一度、うなずくような動作をする。


「だから、話す。ボクが話していない、ボクという存在について」


 ゆるく吹いた風が、木々を揺らした。黒々とした木の葉の影は、得体の知れない怪物のように変形する。

 地面に布を敷いて、クリフはそこに胡坐をかいた。背中から膝の上へ、ソルードを移動させる。毛布にくるまれて、ソルードは穏やかな寝息を立てていた。

 クリフの隣に腰を下ろし、ロアルはしばらく、空を見上げる。石の瞳の中を、すうっと星が横切った。それに気づいてクリフも夜空を見るが、星屑はすでに燃え尽き、その軌跡は辿れなかった。


「対空迎撃部隊【選定者(ヴァリキュアラ)】隊長」

「……ん?」

「ボクの肩書きの一つ。王女様の傍仕えなんて言ったけど、ほとんどの人生はこっちだった」


 流れる星をつかむように、ロアルは手を伸ばす。


「もしかしたら、君とボクで誤解があるかもしれないから。君は、ボクが八百年前に生まれて、しばらく生きて死んだ亡霊だと思っているだろう」

「……まあ」

「ボクはね」


 指先を外套留に触れさせ、ロアルはクリフに顔を向けた。


「約五百年、生きていた。魔術機工学の体でね」


 表情のない仮面が、少し寂しげに俯いた気がした。


「対軍兵器の試作機(プロトタイプ)。君たち風に言うなら……人間とゴーレムを二対八で混ぜたのがボク、ってとこかな?」

「………………」


 クリフの腕が、ロアルの胸倉に伸びる。


「は?」

「……秘密にしてごめん」

「お前、じゃあ……、お前、その体になったせいで、死ねなかったって」

「クリフ」


 ロアルの指が、クリフの唇に触れた。


「とりあえず最後まで聞いて。ね?」

「……分かった」

「ありがとう。それで、大体三百年前に稼働を停止して、半年ほど前に覚醒した。肉体はもうとっくになくなっていて、なのに魂だけが、こうして物質に宿っていた」


 空色の外套留の内側に、光が宿る。クリフはそれを見、口を開こうとして、言葉を飲み込んだ。


「それから、ボクは気づけば、地上にいた。……この間ははぐらかしてごめんよ。地上に来た理由はあるよ。けれど、どうやってかは覚えていない。……そう、覚えていないんだ。既に脳のないボクに、忘れるという機能はないはずなのにさ」


 ロアルの胸元を放し、クリフはゆるく唇を噛む。暗闇での問答が、否が応でも思い出された。


『たとえボクが千年生きた竜だって、怖いものはあるんだぜ』


 信じられない言葉だった。今でも正直、半分は信じられていない。

 明日が怖いという気持ちは分かる。けれど、と憎々しげに思っていた部分もあった。

 けれどロアルは、追いかけている目標(ほし)がある。その根拠となる思い出がある。恐れていると言いながら、前へ前へと進む理由を掲げられている。

 その根拠となる記憶が、不完全なものであろうとも。


(……まぶしい)


 クリフには到底、真似できない。


「お前は、強いな」

「…………そうかもね」


 言い淀みに、クリフは失言を自覚する。だが、開こうとした口に、手袋の指先が当てられた。


「さて、ここからはボクの仮説だ。記憶が不完全なボクが地上に降り立ったとして、ボクはいったい何者なのか」


 とん、とロアルの指先が、仮面の額を叩いた。


「自意識、自我という意味では、ボクは人間だったと思っているし、ここにあるのはボクの魂だと思っている。肉体のないボクを君は【亡霊(マッドラム)】と定義した。それは誤りではないはずだ」

「自我があるのは不思議だけどな」

「ね。それで、兎君……ユゥロと話していて、もう一つ不可思議なことがあったんだ」


 胡坐をかき、世間話でもするような調子でロアルは続ける。


「ユゥロは夢見せの幻想種(かみさま)として覚醒したときに、人々の記憶からは去った。だけどボクは、ユゥロを覚えていた」

「……おう」

「だからボクの記憶って、記録からインストールされてるのかなって」

「……うん?」


 指先をくるくると回し、ロアルは言葉を探る。


「インストール……ええと、書き写す? うん。記録されていた誰かの記憶をベースにして、都合の悪いところを抜き取って、このボクを作り上げた。だから、本来人間の記憶には残っていないはずの、ユゥロ王子のことが残っていた。どうかな」

「……魔術機工学の話は分からねえ。が、それが可能だとして、何が言いたい」

「うん。ボクはね」


 胸元に手を当て、首をかしげる。フードの奥で、知らない顔が笑っている気がした。


「誰かの目的を達成するために作られた、お人形さんなんじゃないかな」


 ざあ、と風が吹く。吸った息の冷たさが、喉の奥に突き刺さるようだった。クリフは口を閉じ、目を伏せる。もう一度瞼を上げると、蜂蜜色の瞳に、銀色の蝶が映った。

 風に目を細める。蝶が瞳を滑り落ちた。目尻に溜まった熱いしずくは、夜風であっという間に乾いてゆく。


「ロアル」


 呼ぶ声の優しさに、ロアルのほうが若干戸惑ったように返事をした。


「ねーよ、バカ」


 クリフの手が、仮面の額を小突く。


「お前がお人形さん? こんな我の強い人形がいてたまるかってんだ」

「いると思うけどね。君の否定の根拠は何なのさ」


 真正面からの否定が気に障ったらしい。ロアルの声音はやや不機嫌だった。身じろぎするソルードを抱えなおし、クリフはしびれた足を片方伸ばす。


「お前には魂があるんだ」

「……それだって、ただの魔力源かも知れないじゃないか」

「機械の歯車回すのに使うならな。魂……オドには記憶が宿る。失われない命の証明だ。そんなものゴーレムの核に使ってから記憶を上書きなんてしたら不具合起こすわ」

「あ、そーお? オドの記憶は情報なんだから、魂を魔力還元して圧縮解除する仕組みを組み込めば情報の有無を抜きにしてエネルギー源として消費できるんじゃない?」


 クリフは口の片端を上げる。ロアルが議論に乗ってくるのは珍しい。


「変性魔力の還元は、魔力回路を触媒にするのが一般的だ。つまり人体。それを別のモノで代替するなら、お前の本体にそれが組み込まれているはずだけど、この間裏見てもただのピンだったじゃねえか」

「人体を丸ごと兵器にできる時代の技術だよ? (オド)肉体(マナ)も還元しちゃえば効率のいい魔力源って言ってたじゃないか。ボクが外部から魔力を取り込まないで単独行動が可能ということは内部に強力なエネルギー源を持っているということ。それは物理法則をある程度無視できる魔力じゃないと成立しないんだよ」

「お前、結構強情だな」


 早口で息継ぎのない反論に、クリフは呆れたように諸手を挙げた。


「そんなにお人形さんになりてぇならいい。別にお前の正体がどこの誰であれ、俺がやることは変わらねえからな」

「……ああ、もう。ボクに夢を見るなっていうのに」

「お前だって俺を魔法使いって言うくせに」

「…………」

「…………ふっ……」


 しばらく睨み合っていた二人は、ほとんど同時に相好を崩した。


「何笑ってんのさ」

「お前だって笑ってるじゃねえか」

「……ふふ。あーあ、なんだか気が抜けちゃった」


 地面に転がり、ロアルは腕を広げる。クリフも横になり、腹の上のソルードを撫でた。寝床が動くたびに、ソルードはもぞもぞと身じろぎする。黒い尾が、がっちりとクリフの片足を捕まえていた。


「結構覚悟してたんだぜ? 不気味の谷ってあるじゃない」

「割れ鍋に綴じ蓋っつったのお前だろ」

「星キレイ?」

「話逸らすの下手だな。綺麗だよ」


 いつの間にか、風は凪いでいた。ロアルが伸ばした指先が、クリフの頬に触れる。クリフが振り向くと、ロアルはかすかに肩を上下させた。


「……寒い?」

「わりと」

「ふふ。宿に戻ろうか。ソルこっちにちょうだい」


 ロアルに引っ張り上げられると、ソルードの尾はするりとクリフを放した。小さな手が、ロアルの服にしがみつく。その頭を撫で、クリフはロアルに視線をやった。


「何?」

「あんま心配かけんなよ」

「わあ、君にだけは言われたくない」


 うすぼんやりとしたロアルの視界で、金色の光が、呆れたように首を振るのが分かった。


「……でも、そうだね。ソルの安眠のためにも、気を付けようかな」


 肉体のない自分に、睡眠は必要ない。食事も、ひとときの休息すら。こう、と思うままに器を動かして、人のまねをして剣を振るう。クリフの視線も、眠るソル―ドの息遣いも感じられない。太陽や蜂蜜にたとえられるクリフの髪や瞳も、オーロラのようで美しいと称えられるソル―ドの双眸も。どれほどない目を凝らしても、ぼんやりとした凹凸にしか感じられない。


「ねえ、クリフ」


 右手を差し出し、首を傾げる。そこに、自分の魔法使いがいるのだと信じるように。


「次は、どこへ行こうか」


 その手を握り、クリフは頷いた。


「付き合ってやるよ。どこへだってな」


 不明瞭で、不確実で、不確定な世界で。

 自分もいつか、恐れず明日を迎えられるだろうか。

 ロアルの無言の問いに、クリフはただ、ひたすらにまっすぐな眼だけを返す。そんなクリフを見上げ、ロアルの手に少しだけ、力がこもった。


(ああ、本当に)


 良くも悪くも、この魔術師の青年は実直だ。彼がもし、あとほんの少し自尊心が欠けた人間であれば、さぞ多くの人間に有り難がられただろう。都合よく使い潰されて何かを失ったとしても、それを自分の実力不足と言うような男だ。


(君ってば)


 ひっそりと、アルグレッドの苦労をしのぶ。さぞヤキモキしただろう。そのくせあの義兄もこの義弟も、向き合えば素直になれないときた。


「君に会えてよかった」


 ならば自分が、何度でも伝えよう。どれほど伝わっているかは知らないが。

 金色の瞳が揺れて、唇がへの字に曲がる。手がつながれていれば、逃げ場はない。


「俺もだよ」


 ぐっと一度眉間にしわを寄せて、ようやくクリフは、その言葉を受け止めた。




 いつかと同じ夢を見ている。

 抜けるような蒼天が、頭上に広がっていた。色褪せた町並みの中に、春の風が吹いている。自分を先導する誰かが、ふと足を止めて振り向いた。


「どうしたんだよ、アニー。もうすぐ一等席だってのに」


 黒いフードで、顔が見えない。だが、不機嫌に唇を曲げるその口元を、知っている気がした。再び足を動かすと、その誰かは上機嫌で自分の手を引く。

 細い路地を抜けると、さっと視界が開けた。遮るもののない蒼天。見下ろした先に、花畑が広がっていた。本島と橋一本で繋がっているだけの浮島だ。純白の雲海の上に、色とりどりの花畑が浮かんでいる。


「なあ、アニー。オレさ……」


 風が吹く。

 その『誰か』のフードが落ち、瞬間、夢の世界は急速に遠ざかった。掠れる景色に手を伸ばし、導かれるように口を開く。


「ロアル!」


 開いた目に、自分の手と天井が映った。

 息を吐き、クリフは胸元を握る。寒い朝だというのに、ひどく汗をかいていた。心臓の拍動が耳にうるさい。

 夢の景色は、朝日と重なって薄れてゆく。だが声だけははっきりと、耳に残っていた。

 幾度となく見てきた夢。起きれば霞と消え、見たことすら忘れていた。今も、何を見たか、具体的な説明をしろと言われれば困る程度に霞んでいる。

 だが、あれはロアルだった。


「……まさか、【不夜の王国跡ルイン・ロスティペーロ】の……?」


 窓から外を見る。夢の中とたがわない、澄んだ青空だった。


(つづく)

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