2)冒険者ロアル・ユークリッド
各地に点在する迷宮。その多くは過去の文明の遺構であり、大戦で失われた技術や歴史を回収するのは、冒険者にとって一番稼ぎになる仕事だ。
近年でこそ国立のギルドがあり、冒険者の身分は保証されているが、つまりは市民権を持たない根無し草の集まりである。明日の糧を得るためには、危険を承知でダンジョンに飛び込むのが最も効率がいい。特に、発見されたばかりの未踏破ダンジョンは最高の稼ぎ場だった。
だが、ダンジョンに挑むにも準備が要る。その中で冒険者が最も重視するのが、仲間を集めることだった。冒険者の数が増えた昨今では、十人を超える大人数のパーティも珍しくなくなってきている。
ギルド経営のカフェの中央を陣取るのは、そんな大人数パーティだった。中央でジョッキを掲げているのが、リーダーだろうか。両手で数えても足りないほどの人数が、その男一人の掛け声にそろってジョッキを掲げる。
「まるで、おとぎ話の勇者様だぜ」
カフェの片隅で、壁に背を預けてクリフは独りごちた。二人用のテーブルには、紅茶が一杯だけ置かれている。
ああしてまだ日も暮れないうちから酒で盛り上がれるパーティもあれば、クリフのように唐突な解雇にその日暮らしを余儀なくされる冒険者もいる。きっかけは命を賭した一攫千金か、太古の遺物へのロマンか、はたまた、人生へのささやかな反攻か。冒険者唯一の共通点は、自由であることくらいだった。
「はーぁ……魔術師ってだけで雇ってくれるお優しいパーティ、いまどきねぇもんなあ」
「じゃあボクに雇われてくれるかい?」
背後からの声にクリフは咽せる。振り向くと、先の仮面の人物がそこに立っていた。室内であるにも関わらずフードは被ったままで、手には大皿を持っている。
「やあ探したよ。君も冒険者だったんだ。ボクもさ! と言ってもすこぉし前に登録したばっかりで、右も左もわからないんだけど!」
少年のような明るい声。だが出で立ちはといえば、クリフの外套が純白にも見えるほどの黒さだ。夜空色のローブと目深にかぶったフードで、肌どころか髪の毛の一本すら見えない。
「お前っ……お前も冒険者、だったのか?」
「そうだとも。パーティは目下募集中なんだ。ちょうど魔術師がいなくって困ってたのさ」
大皿をテーブルに置き、仮面の冒険者はクリフの向かいに椅子を持ってくる。椅子に横向きに腰掛けると、片肘をテーブルに置いて頬杖をついた。灰色の指先が、とんとん、と仮面の頬を叩く。
「これはボクの奢りだから。年頃の男の子はたんと食べないとさ? 君はボクの恩人なんだし。空腹はいけない。ひとりぼっちでおなかが空いていると、哀しくなっちゃうからね」
大皿には、肉と野菜がぎっしりと詰まったサンドイッチが山積みになっていた。いらない、と言おうと口を開いた瞬間、クリフの腹が派手に鳴る。
「あっはっは! 素直でよろしい。お食べ。そんな顔をしないで、ほら」
「いやいい、いらねえよ。これ食ったから雇われろって言われたらたまったもんじゃねえからな」
クリフは皿を押しやり、足を組んで明後日の方向を向く。残り少なかった紅茶を流し込むと、心なしか空腹は悪化した。だが眉間に皺を寄せ、サンドイッチからは目を逸らす。
「仲間が必要じゃないのかい?」
「俺は自分を安売りはしねえっつってんだ」
「あ、そう? じゃあボクは安売りしよっかな。あそこだったら混ざってたら入れてくれそうだし」
仮面の冒険者は、賑やかなカフェの中央へと顔を向けた。先刻ほどの騒がしさはないが、宴の華やかな雰囲気には変わりない。
「人間、獣人、亜人種もいっぱい。リーダーはあの弓術士かな。君も入ったら?」
「イヤだね。騒がしいのは嫌いなんだ」
「ふーん? それに関しては同意見」
お前が一番騒がしい、とクリフは眉間に指の背を当てる。そうでなくとも、大人数のパーティに入るのは御免被りたい。クリフの役職は魔術師、ただでさえ他人と比べられやすいのだから。
「なぁんか、暗いねえ、まったく」
「あ?」
「折角、ボクという出会いが目の前にあるのに。出会いには笑顔を添えるものさ。そんなんじゃ、来る幸せも逃げちゃうぜ?」
クリフの顔が、苛立ちに歪んだ。人の気も知らないで、と言いかけたクリフの口に、仮面の冒険者はサンドイッチをねじ込んだ。そうやって口を塞いだまま、灰色の指先がクリフの鼻先に突き付けられる。
「ボクはロアル。ロアル・ユークリッド。闘士で双剣士。ボクとしては君に魔術師を引き受けてほしいな。なぜって? この出会いを運命だと思うからさ!」
黒い石の奥で、何かが光ったような気がした。クリフは片手でロアルの手を押しのけ、もう片手でサンドイッチを支える。光ったそれが目なのかどうかも分からないが、どうやら本気で自分を勧誘しているらしい。
「……たしかに、うまい話ではあるけどよ」
口いっぱいに入っていたパンと肉をようやく飲み込んで、クリフは詰まっていた息を吐く。うんうん、と頷いて、ロアルは「どう?」と右手を差し出した。考えの読めない仮面はやはり不気味だが、その動作はどことなく憎めない。
クリフは一度目を閉じ、そのまま天井を仰いだ。
「クリフォード・セル……いや、クリフでいい」
もう一度ロアルを見て額に手を当て、歯の間から長い息を吐く。にぎり返すと、ロアルの手はほのかに暖かかった。
「エストラニウス国の東の果てから来た。魔術師、得意なのは強化術だ」
「ありがとう、太陽色の魔法使い君!」
顔が見えなくても、満面の笑みであることが分かるような声だった。
握手の手をぶんぶんと上下させると、ロアルは勢いよく立ち上がった。
「やったぁ! これであと二人、盾士と助士がいればダンジョンに挑めるんだよね」
「あんたソロだったのかよ!?」
魔術師がいない、という物言いからして、それ以外は揃っているとクリフは思っていたのだが。確かにロアルは一言も、他の役職が揃っているなど言っていない。そもそも、空から降ってくる得体の知れない冒険者に仲間がいたのならば、それはそれで怖いような。
「勧誘してくるともさ! 魔法使い君はこれ食べちゃって」
「いや、待っ……待てってーの!」
席を離れようとしたロアルの肩に、クリフは杖の先端を引っ掛ける。「ぐえ」と声を上げながら、ロアルは席に引き戻された。
「お前の仲間ってことは俺が命預かるんだ。テキトーに勧誘されてたまるか」
「あらー優しいじゃん。それじゃ、どんな人がお望み?」
「そんな簡単に……」
クリフの目が、ロアルの背後へと滑る。ふいに言葉を途切れさせたクリフに、ロアルは首を傾げてその視線を追った。
四人の冒険者が、カフェに入ってきたところだった。先頭に立つのは黒髪の男で、腰から大きな剣をぶら下げている。その後ろに、弓を背負った女が一人、盾を持った男が一人、帽子を目深にかぶった少女が一人続いていた。クリフは外套のフードを引っ張り上げ、目線を下に向ける。ロアルは四人を眺めてから、クリフに向き直った。
「お知り合い?」
「あー……まあ」
「ふーん」
ロアルは大皿をクリフのほうへと押しやり、立ち上がる。
「二人でも、受けられる仕事はあったよね」
「あ? ああ、まあ……」
「うん、そうしよう。まずは互いのことを知らなければね」
ロアルは両手を合わせてうんうんと頷くと、軽い足取りで、カウンター横の掲示板へと向かっていった。そこには、簡単な依頼がいくつか貼り付けられている。ロアルはしばらくその前に仁王立ちしていたが、やがてその首が、体ごと傾いた。その後ろ姿にため息をついて、クリフも席を立つ。
「魔法使いくーん」
「呼ばれなくても分かってるよ」
剣士達の横を通り過ぎ、クリフはロアルのほうへと向かった。追い越す一瞬、剣士と目が合ったが、クリフはふいと顔をそむけた。帽子をかぶった少女が、クリフに気づいて「あ」と声を漏らす。
「あんた、どういう仕事がお好みだよ」
「やっぱりダンジョンに行きたいよね。冒険者の華じゃない?」
「助士なしでのダンジョンはきちぃぞ……」
言いながらも、クリフは数枚の張り紙をピックアップした。ロアルはそれを受け取り、しばらく黙って眺める。表情は全く見えないが、じんわりとした困惑がクリフには伝わってきた。
「……もしかして字が読めないとか」
「読めるさ、読めるとも。字は。ただ君達の言語がまだよく分からないだけで」
「それを字が読めないっつーんだよ」
結局クリフが選んだ一枚を持って、ロアルはカウンターへと向かった。あとをロアルに任せ、サンドイッチを放置していた席に戻る。と、剣士と一緒にいた女が、クリフを追ってきた。背負った大ぶりの弓が、女の歩に合わせて揺れている。
「あんたさぁ」
女はクリフが座るなり、腕を組んでクリフを見下ろす。クリフはそちらに顔を向けず、残っていたサンドイッチを口に運んだ。女は鼻を鳴らし、高圧的な声音で続ける。
「あんな怪っしいヤツと組むくらいなら、アルに頭下げればいいじゃん。アルだって鬼じゃないんだから」
「…………」
「そうまでして冒険者続けたいワケ? 田舎に帰ったほうがいいって、アルも何回も言ってたのに」
「うるせぇな。もう仲間でもなんでもないんだから放っとけよ」
ち、と舌打ちを一つ、女は顔を険しくした。爪先がいらいらと床を叩き、一つに束ねられた髪が左右に揺れる。全身から不機嫌を滲ませる女に、クリフは面倒そうに顔を逸らした。
「おやおや何だい、おっきい赤ちゃんがいるじゃないか」
戻ってきたロアルが、女の顔を覗き込む。女はぎょっとして数歩退いた。ロアルはカウンターで受け取ってきた紙をクリフの前に置く。
「悪いけどさ。この魔法使い君、もうボクの仲間だから。返してって言われてもイヤだからね?」
女はじろじろとロアルを見ると、「気味悪い」と小さく呟いた。
いらいらとした足取りのまま、女は二人の席から離れていく。クリフはフードに手を突っ込み、頭を掻いて「あー」と視線を泳がせた。
「気にしないでくれ。性悪なんだ」
「はじめましてで笑顔がないなんて、寂しい人だね。ボクが気味悪いのは認めるけどさ」
「認めるのかよ」
「だって顔が見えないんだよ?」
ロアルは道化のようなしぐさで自分を指さした。
「にんげん、外見が九割って言うじゃない」
「いや知らないが。で、通行証と地図は?」
ああ、とロアルは持ってきた紙を広げた。
西に傾いた日が、町を橙色に染めていた。ロアルはギルドで受け取った地図を眺め、隣を歩くクリフを見上げる。
「【珪砂遺跡】は初心者向けだって」
露店の並ぶ商店街は、冒険者でにぎわっていた。ロアルはフードが落ちないように片手で押さえた。
「ああ、俺も何回か潜ったことがある」
「でも地図まであったんじゃ、迷宮だなんて言えないね。形は確かに入り組んでいて、迷宮じみているけれど」
「……。今日はもう日が暮れる。明日の朝から向かうが、いいか?」
「もちろん。従うよ、せーんぱい?」
丸めた地図を仮面の口に当て、ロアルはクリフの顔を覗き込むように体を傾けた。
「成功はお前にかかってんだぞ、双剣士」
パーティは原則四人以上と定められており、二人組、三人組はパル、一人はソロと呼ばれる。しかし魔術師はその特性上、ソロでの活動が極めて難しい。
クリフが得意としてきたのは後衛。ダンジョン内で戦闘が必要になったとき、前に立って戦ってくれる闘士や盾士がいなければ始まらない立ち位置だ。
「あんた、強いんだろうな」
「強いとも。期待してくれていいよ」
ロアルは、腰に吊るした剣の柄を叩く。背中側に交差するように差された武器は、長さこそロアルの腕ほどだったが、幅広で湾曲しているのが鞘から伺い知れた。
「それで、何を準備するんだい? ボクも多少はお金があるよ」
「とりあえず、食料。それから油紙の天蓋、それから……」
必要なものを指折り数えながら、クリフはロアルから地図を受け取った。ロアルは露天商を眺め、物珍しそうにきょろきょろと顔を動かす。
「色々な店があるね」
巨大なダンジョンが発見されると、一年もしないうちに周囲に町ができる。
隠されていた財宝、古代の遺物、あるいは考古学的に価値のある云々。ダンジョンに眠る『お宝』は多種多様だが、大多数の人間にとっての判断基準は共通している。
金になるか、ならないかだ。
「ここは大きいダンジョンが近いからな」
冒険者がダンジョンに潜り、宝を持ち帰る。始めは分かりやすい金銀財宝で、掘っ立て小屋のような宿に金を落として去っていく。それが繰り返されるうちに宿も増え、冒険者相手の商売をする人間が増え、商店街のような様相を呈してくる。そうして快適になると更に冒険者が増え、ダンジョンのより深くまで潜れるようになる。必然、持ち帰ることができる財宝も増える。
そうして、にわか景気の町ができ上るのだ。
「ルイン……なんだっけ? あの穴ぼこ」
「【八重搭遺跡】」
「行きたいよねえ」
「命知らずにもほどがあんだろ……」
二人分の圧縮食料を片手に、クリフは呆れたようにロアルを見下ろした。
熱線が、空を切り裂いて飛んでくる。熱で急速に膨張した空気が、ぱん、と弾ける音がした。
「うわああああああ――っ!」
悲鳴とともに、ロアルが宙を舞う。かろうじて熱線の直撃は避けたようだが、同時にどこかの罠を起動してしまったらしい。爆風とともにくるくると回転して、クリフの後方に顔面から着地した。
「【盾】! 【重】、【重】【重】!」
赤い光が、空中に六角形の盾を描く。四重になったそれの二枚目までを、熱線が貫いた。杖を掲げて盾を展開したまま、クリフは歯を食いしばる。砂混じりの熱風が、クリフの頬を叩く。
正方形の狭い通路。後方は地図の端、前方には、粘土で造られたような兵士。関節の数が人より多いそれが、体を折りたたむようにして通路を進んできている。ナナフシの化け物のようでもあり、子供が作った粘土細工のようでもあった。理解できるのは小さな胴と細長い四肢があること、そしてよく曲がる首の先にあるのが顔らしいことくらいだった。
熱線は、兵士の目から発されていた。口らしきものは下顎がなくなっている。円筒を寄せ集めた腕と指が、砂色の壁を削りながらこちらへ来る。
「あんた闘士だろ! 俺より前に出て戦えよ!」
「そうか、なるほど!」
ロアルは両手を、ローブの中に突っ込んだ。
「ボクが倒せばいいんだな!」
「バッ……カじゃねえの!?」
滑らかに抜き放たれたのは、青みを帯びた銀色の刃。飾り気のない刀身は、ぎらりと無骨に光った。
峰はゆるやかに反り、刃もそれに合わせるように湾曲している。短剣とも片刃剣とも違う、切っ先にいくに従って幅の広くなる片刃。船上剣のようでもあったが、それにしてもここまで幅広ではないだろう。柄頭には、刃と同じ色の石がはめ込まれていた。
双剣を逆手に持ったまま、ロアルは腰を低くして走り出す。はっとして、クリフはその背に杖の先端を向けた。魔力を吸った水晶が、青く光る。
「【防御壁】【付加】!」
不可視の鎧が、ロアルを包む。ロアルは身を低くしたまま、粘土兵の眼前で跳んだ。目にもとまらぬ速さで振るわれた刃が、熱線の根源を十字に斬りつける。そのまま天井まで跳んだロアルは、体を反転させ、天井を蹴って垂直に落下する。
「うわ、わ」
もうもうと砂煙が舞い上がる。クリフは口と目をかばいながら、風の魔術を編んだ。水晶が淡い緋色に光る。
「【突風】!」
風で砂煙が吹き飛ばされると、床の上に崩れ落ちた粘土兵の上半身と、その上に立つロアルが現れた。ナナフシのような下半身が、右へ左へと蠢いている。ロアルが乗っているのは、その短い胴だ。その中心を、刀が貫いていた。
「大丈夫か?」
「そんなに心配しなくても。ボクはそうそう簡単に……怪我をしたりはしないさ。それよりご覧よ」
ロアルは、刃先で粘土兵の体を差した。
「こいつ、魔術機工学の遺物だぜ」
クリフは恐る恐る、ロアルが示した場所を覗き込む。
複雑に組まれた歯車の中心に、水晶製の核があった。水晶の芯は青白い光を宿しているが、表面はくすみ、ヒビが入っている。粘土兵の動きに合わせて、歯車がガタガタと不規則に回転した。
「ここ、地下牢だったんだろうな。こいつは見張りだ」
「魔術機工学……って、あの?」
「うん、あの。……世界を滅ぼした技術だよ」
ロアルの刀が、水晶を叩き割る。と、痙攣していた下半身も、ぐったりとして動かなくなった。支えを失った歯車が、ばらばらと地面に積み重なる。
「……ねっ? ボクは強いだろう」
短い沈黙を明るい声で突き破り、ロアルは両手を広げてみせた。クリフは目を瞬かせ、それから呆れたように笑う。
「まあ、生きて帰れそうではあるかな」
「へへっ。じゃあたんまり、お宝をもらって行っちゃおう!」
おーっ、とロアルは拳を掲げた。