異世界酒場放浪記
酒場のホール給仕が言う。
「グウェンドリエル様! 本日はお連れ様もご一緒なのですね。ささ、どうぞこちらへ! すぐに店長を呼んでまいります」
給仕の腰は物凄く低かった。
それもそのはず。
というのもグウェンドリエルはバカみたいに金払いが良い上客だからだ。
界隈では有名な『鴨』なのである。
アイラリンド超天空城を抜け出したグウェンドリエルは、まれにふらっと酒場に現れては、一回の食事でバーレティン白金貨3枚を支払っていく。
バーレティン白金貨1枚は日本円に換算しておよそ百万円相当である。
なので三百万円のお支払いだ。
グウェンドリエルはたとえ注文した料理が一品たらずであっても、必ず白金貨3枚を置いて帰るのだ。
これはグウェンドリエルが人間社会の物価など知らず、またまったく頓着しない為だった。
店側にすると、まさにグウェンドリエルは『鴨がネギを背負ってきた』状態の超上客なのである。
◇
ルシフェル一行は、店で一番広いテーブルに通された。
ジズは席に着くなり給仕に注文する。
「おい、そこの人間。このお店のお料理、あるだけ全部持ってこいなの!」
「俺はお酒! お酒ね!」
人間相手に踏ん反りかえるジズ。
一方のルシフェルは、久々のアルコールにウキウキである。
「ふんふんふーん。お酒は何があるかなぁ? 俺ビール飲みたいよ、ビール」
程なくしてオーダーした料理が山のように運ばれてきた。
何人ものホール給仕がやってきては、料理をテーブルに並べようとする。
しかし座天使メイドたちが、それを制した。
「そこまでです! 止まりなさい人間たち。あとの配膳は私どもが致します」
「は?」
「『は?』ではありません。人間風情がルシフェル様に給仕する栄誉を賜れるとでも思ったのですか? 思い上がるにも程がありましょう。いいから持ってきた料理はすべて私どもに黙って渡しなさい」
普段、ルシフェルに接する際はいつもどこか嬉しそうにしている座天使メイドたち。
物腰も柔らかい。
しかし人間への当たりは意外に強かった。
軽く冷酷さすら感じられる。
ルシフェルはちょっと引き気味である。
天使メイドらは受け取った皿を隅々まで検分し、毒が盛られていないかなど安全を確認してから配膳していく。
並べられた料理は様々だ。
例えば角兎もも肉の香草焼き。
火炎牛のとろとろタンシチュー。
王鹿赤ワイン煮込み。
エルフ豆のキッシュ。
朝摘み新鮮野菜と雷丸鳥の串焼き。
果てには飛竜ステーキまで。
どの皿からもほかほかと湯気が立ち、ジューシーな肉汁やスパイスの刺激的な匂いが香ばしく漂う。
「じゃあ、さっそく。いただきます!」
ルシフェルは手近にあった角兎の香草焼きにフォークを突き刺した。
持ち上げて口まで運ぶと、がぶっと齧りつく。
豪快に肉を断ち切った。
奥歯で咀嚼する。
「……むぐ、むぐ……」
歯に伝わる肉の弾力が楽しい。
程よく乗った脂が舌で蕩ける。
肉質はしっかり締まっており、軍鶏なんかの食感が近い感じだ。
「うん! 美味しい!」
噛むほどに滲み出る旨味。
味に野趣はあるが、それもいいアクセントだ。
エグみだって香草が上手く消してくれている。
ルシフェルは肉を堪能したせいで、ますますビールが飲みたくなった。
木製ジョッキに手を伸ばす。
ジョッキには黄金色したエールが並々と注がれている。
ふちに唇を添えて、一気に傾けた。
「んく、んく、んく……」
鼻を抜けていく麦芽の香り。
「――ぷはぁ!」
ルシフェルは、勢いよくエールを喉に流し込んだ。
タンッと軽快な音を鳴らしてジョッキをテーブルに置く。
「ふわぁ……ルシフェル様、すごい食べっぷりなの! かっこいいの!」
「ええ、ええ。私もそう思いますわ! やはりルシフェル様も殿方ですのね。男らしい貴方様も素敵ですわ!」
肉を貪ってからビールを一気しただけでめちゃくちゃ褒められた。
ルシフェルは照れ臭くなる。
そこでハタと気付く。
見ればルシフェル以外の誰も、まだ食事に手を付けていないではないか。
「えっと、どうしたの? みんなも一緒に食べてよ?」
「でもジズは……」
「恐れ多いですわ」
「なんで? もしかして俺に遠慮してるの? もしそうなら遠慮せずに食べてほしいな。だって一緒に食べた方が美味しいじゃない」
「わかったの! ルシフェル様がそう言うなら」
ジズが皿に手を伸ばした。
小さな手のひらで肉を鷲掴みにする。
「じゃあ食べるの!」
「では私も。ルシフェル様、寛大な御心ありがとうございます。それではご相伴に預かりますわ!」
ジズもグウェンドリエルも食事を始めた。
「えへへ、美味しいの!」
「そうでしょう、そうでしょう。でもここのお店は簡素な味付けの串焼きが一番美味しいのですわよ?」
賑やかな食事風景。
天使メイドたちは配膳に集中したいと相伴を固辞したが、ルシフェルの世話を焼く彼女らは幸せいっぱいである。
こうして一行は、心ゆくまで料理を楽しんだ。
◇
満腹になったルシフェルたちは、くちくなったお腹をさすりながら、食後のデザートなどを楽しんでいる。
そうしていると、店内の冒険者の会話が否応なく耳に届く。
「ミズドリュク辺境伯の件、聞いたか?」
「ああ、聞いた。大切に育てていた一人娘が、帝国のクズどもに殺されたらしいな」
「なんでもよぉ。公衆の面前で裸に剥かれて散々慰み者にされた挙句、最後には惨たらしく殺されたんだってよ」
「……ちっ、胸糞悪い話だ」
冒険者たちの雑談は続く。
「ミズドリュク伯はもうカンカンだ。怒り狂って『帝国人を皆殺しにしてやる!』って息巻いてるってさ」
「そりゃあそうだろうなぁ」
「そんなもんで、北西の国境じゃあ今、帝国との衝突が激化してるってよ。なんでも辺境伯の軍だけじゃ兵力が足りなくなって、傭兵ギルドにまで大々的に戦力の手配を依頼してるらしいぞ」
「……うへぇ。きな臭くなってきたなぁ」
「これ、こっちの王様の出方次第で、マジで帝国とドンパチが始まるかもしれないぞ」
バーレティン王国とセルマン帝国の間に不穏な空気が流れている。
ルシフェルは冒険者たちの噂話から、そのことを知った。