お怒りは鎮まりました。
静かに音もなく天から降りてきた白光。
迎え撃つは無限の砲身から轟音を伴って放たれた仄青き聖光。
ふたつの輝きがアラボトに満ちた。
互いに究極たるそれら力の奔流は、衝突し、絡まるように混じり合い、押し合う。
威力は拮抗している。
◇
セアネレイアが神罰を迎え撃ったのと時を同じくして、『信仰』の熾天使ヤズト・ヤズタが動いた。
無口な守護天使は心の内で唱える。
(異聞見聞録。……ああ、大いなる神よ。信仰を司りし我が、ただ一時でも貴方より賜った愛に背を向ける不敬を許し給う。この大罪を贖うは我が身を焼く罪過の炎である)
常からヤズト・ヤズタを包んでいる炎が、勢いを増した。
轟々と燃え盛って屈強な体躯を焼く。
ヤズト・ヤズタは業火に焼かれながらも続ける。
(――彼方の世界より参られよ、大日大聖不動明王! 我はすべての諸金剛に礼拝する。怒れる憤怒尊よ! この刹那においてただ一度、父なる神と理を同じくせん! いざ参る『異聞大神召喚』!)
天に明王が顕現した。
大日如来が化身、怒れる不動明王。
その降臨である。
これこそは第五天マオンを護りし守護天使、ヤズト・ヤズタの奥義。
多次元世界より信仰系統を異にする神々を招くという、出鱈目な技だ。
この奥義は完全に世の理を外れている。
しかし理とは父なる神が敷いたもの。
それに背くは大罪である。
だからヤズト・ヤズタは、己を罰する。
常にその身を信仰の業火に苛ませながら、果てなき時の彼方まで癒えぬ罪を贖い続けるのだ。
顕現した不動明王の尊体は天を衝くほどの大きさだった。
そのサイズは上空に発達した超巨大積乱雲にすら引けを取らない。
体躯すべてが厳しいのだ。
中でもとりわけ、日輪の輝きを宿す筋骨隆々な両腕は凄まじい。
もはや威圧感だけで大気が震えるほどである。
不動明王が超巨大積乱雲に相対した。
剛腕を構える。
光とともに大気が渦を巻いた。
不動明王の腕に絡みつく。
――オオオオオオオオオオオオ!――
異界の大神が雄叫びを上げる。
剛腕が解き放たれた。
握られた拳は神の積乱雲――神威の影響からすでに単なる雲ではなくなっている――にぶち当たり、ぶち抜く。
猛烈な嵐が巻き起こった。
しかしその嵐が止んだとき、頭上を覆っていた超巨大積乱雲は霧散し、空は晴天を覗かせていた。
◆
雲は消し去られ、空には剥き出しにされた力の奔流だけが残されていた。
これこそが神威。
神罰の中核を成す神の怒りそのものである。
神威を前にして、第六天マコンが守護天使であり、かつ七大天使統括ヴェルレマリーが、静かに佇んでいた。
凪いだ空を思わせる超然とした佇まい。
ヴェルレマリーが右手を掲げた。
その手には天の宝剣『神の審判』が握られている。
「――審判の時、来たれり!」
切っ先が天を衝く。
ヴェルレマリーは高らかに謳いあげる。
「罪なき者は仰ぎ見よ! 罪ある者は伏して祈れ! 我が名はヴェルレマリー。『節制』を司りし熾天使にして神なる裁きの代行者!」
ヴェルレマリーが神威に宝剣を突きつける。
「これより天に裁定を仰ぐ! 無垢なる力の奔流よ! これに罪過はあるか、否か!」
神の審判こそは天の裁き。
万物の罪を暴く天の宝剣。
真白だったその剣心が赤々しく変色した。
――天の裁定。
かつて天上に座した父なる神の意志だったそれは、神なきいまや天を継いだルシフェルの意志だ。
そしてルシフェルは神罰を、神威の行使を拒絶した。
この赤い輝きはその心の表れである。
ヴェルレマリーが続ける。
「……裁定は下された。罪過あり!」
ヴェルレマリーが宝剣を構える。
剣から放たれた輝きがアラボトを覆っていく。
「信賞必罰。罪には罰をもって応えん。だが憂うことはない。これより下される裁きにより、その罪は贖われるであろう」
裁きの力が満ちた。
「余すことなく享受せよ!」
ヴェルレマリーが宝剣を振り抜いた。
天の裁きは万物を断ち切る波動となって、剥き出しの神威に襲い掛かる。
アラボトが赤光に包まれた。
神威は光と共に消滅した。
◇
ボロボロになったテラスから空を見上げていたルシフェルは、思わず呟く。
「……すごい……」
数えきれないほどの砲撃が神罰を押し返し、異界からきた巨大な神が雲を霧散させ、最後には赤い光が神威を断ち切った。
あっという間の出来事だ。
あの天使たちってこんなに凄かったのか。
ルシフェルは、両脇に控えて油断なく彼を護っているグウェンドリエルとギルセリフォンを交互にみる。
この二人もあれくらい強いのかな。
そんなことを考えながら、声を掛ける。
「あ、あの……」
「――はっ! どの様な御用でございましょう、ルシフェルさま!」
「なんなりとお申しつけ下さいませですわ」
二人が膝をついた。
けれどもただルシフェルは礼を言おうとしただけである。
「あ、あの、助けに来てくれたんだよね。ありが――」
そのとき、ルシフェルに異変が起きた。
鼻から一筋の血が流れる。
ルシフェルは指で鼻血を拭った。
それと同時に身体が異常に重くなる。
立っていられない。
「……あ、あれ? ……俺、身体が……どう……したん……」
目の前が真っ暗になる。
次の瞬間、ルシフェルは意識を失って倒れ込んだ。