終末戦争《ハルマゲドン》
天使たちは神の言い付けを守り、人間たちをよく導いた。
勇気、正義、知恵、節制の人間的徳。
愛、信仰、希望の対神徳。
これら七つの美徳をあまさず伝え、善なる道筋を示した。
生まれたばかりの人間たちは天使の導きをよく聞き、従う。
地上には天と等しい楽園が誕生し、天使と人間はともに手を取り合って、大いに神を讃えた。
しかしこれを面白く思わぬ者どもがいた。
それは悪魔どもだ。
光あるところには影が生まれる。
輝きが強ければ強いほど、影もまた濃く強くなる。
それは父なる神の御業をもってしても覆せぬ必然であり、世の真理。
天上に天使たちがいるのと同様、魔界には悪魔どもが蠢いていた。
悪魔どもは無垢なる人間たちの足もとに這い寄り、堕落を囁く。
――より多くの富をもつ隣人が、妬ましくはないか?
――思うがままに食を、女を、幸福を貪りたくはないか?
――なぜ盲目的に天使などに従う?
――人に節制を、神への愛を強いる天使に腹が立たないか?
――怒れ! 怒れ! 怒れ!
――人に唾棄すべき在り方を強要する天使を、神を憎め!
悪魔は人を唆し、罪へと誘惑する。
嫉妬、強欲、色欲、怠惰、暴食、憤怒、傲慢……。
七つの大罪を囁き、悪しき道を示す。
人間とは弱い生き物だ。
父なる神がそうあれと定めた人間の本質は無垢。
その魂は簡単に黒く染まる。
しかして一旦黒く染まった魂は、容易に元には戻らない。
いつしか地上には憎悪や暴力が蔓延るようになり、人間たちは互いを尊重することをやめ、神に背を向け、殺し合うようになっていった。
◆
父なる神はこの状況を大いに嘆いた。
このままでは地上に生んだ我が子らの楽園が潰えてしまうと憂う。
それはとても悲しいことだ。
そこで神は一計を案じた。
人間を善き道へと導くためには天使では足りなかった。
天使と人間には種族的な隔たりがある。
これでは完全に人を導くことは出来なかったのだ。
ではどうするか。
神は人間のなかに絶大な力とカリスマを持って人を導く存在を産み落とすことにした。
――救世主キリストの誕生である。
しかしそれが世界に災禍を招いた。
キリストは天に叛逆したのだ。
神に反旗を翻したキリストは、英雄と呼ばれる数多の人間たちを引き連れて、天に攻め入った。
キリストこそは真人。
神の現身、その最たる者。
天より救世主として産み落とされ、神の権能を与えられていたキリストの力は凄まじかった。
腕を振れば嵐が巻き起こり、杖のひと振りで海をも断つ。
自らに従う英雄たちにまで神の権能で超強化を施し、悪魔の助勢すら受け、大軍となって天国の階段を駆け上がってゆく。
破竹の進軍だ。
キリストに率いられた人間たちは、当時の七大天使であったミカエル、ラファエル、ガブリエル等の護りすらをも突き破り、遂には大いなる神を討ち滅ぼした。
◆
キリストは神を滅ぼすと同時に、与えられていた権能を失い、弱体化して地上に逃げていった。
父なる神を殺された天使たちは怒り狂った。
終末戦争の勃発である。
憤怒した天使たちは地上を攻めた。
魔界を攻めた。
その怒涛の勢いたるや三界を血の海に沈めるほどだ。
天使たちは、悪魔はもとより人間たちをも根絶やしにしようとする。
しかしこれに異を唱える者がいた。
熾天使長ルシフェルである。
ルシフェルは言った。
「天使ともあろう存在が、憤怒に囚われるとは何事か。憤怒は父なる神が定め給うた大罪のひとつである。怒りを鎮めよ。またかつて神は人間を我が子と定めた。ならば人間は我らが同胞も同じ。神殺しの大罪ある者は別としても、罪なき同胞たる人間をも一人残らず滅ぼすなど言語道断である」
しかし七大天使たちの怒りは収まらない。
天は二つに割れた。
戦うは熾天使長ルシフェルただひとりと、七大天使率いる天の大軍団。
七日七晩に渡る争いが巻き起こる。
激闘の果てに勝利を収めたのはルシフェルであった。
しかしルシフェルとて無事ではない。
背に備えた六対の光輝を宿す十二翼はその半数が千切られる。
残る六翼もルシフェルが仲間である筈のミカエル、ラファエル、ガブリエル――七大天使たちを順にその手で討ち倒す都度、純白から漆黒に染まっていった。
ルシフェルは天軍すべての天使を退け、終末戦争を終結へと導いた。
しかしその時には彼の御霊は完全に闇色へと濁り果ててしまい、ルシフェルは天から堕ちたのだった。