第二話 あんただれ?
確か、学校から帰って真っ先にしたこと。
それは漫画の捜索だったはずだ。
本棚の上の上、もはや棚ではない棚板の上。天井ギリギリまで積み上げられた本と本の間に、私の目的の漫画が積まれていた。
冬休みを控えて学年末テストを終えた私は、同志と初めて貸し合いっこした漫画を読みたくなったのだ。
来年はもう、受験である。
はあ、二年の初めに戻りたい……気が重い。
そんな気持ちから逃げるために、懐かしさに身を委ねて少し息を吐きたかったのだ。
張りつめるばかりでは、勉強の効率も上がらないしね。
そんな建前を駆使して、私はあの時、棚から漫画を取ろうとしていた。
なんであんなところにっ。
過去の私の脳内で、更に過去の私にひとしきり罵倒を浴びせた後。
私は目的を遂行すべく、行動を起こしたのだった。
えーっと、脇にあるタンスが邪魔だが、わざわざこちらに登る必要はないだろう。登るには少し高いし、漫画に手を伸ばすには近すぎる。目的のものに近いのは良いが、わざわざよじ登る手間に見合うかと言われれば疑問だ。そも、狭いし。
そこで私は床に転がる雑多なものを避けて、椅子を引っ張ってくる。タンスよりは低いが、手を伸ばせば目的のものに届くはず。
捨てようと思っていたモニターやら、段ボール箱やらが椅子の周りにあるが、慎重に下りれば問題ないでしょ。
高いところは、私の得意とするところなのだ。体育の成績は悪くなかったし。
「よいしょっと」
椅子に降臨! 安定性を確かめる。
グラグラ。
まあ、許容範囲。じいちゃんちの脚立とどっこいどっこい、かな?
私は思いっきり背伸びして、漫画に手を伸ばす……。
あ、つま先プルプルしてきた。
でも、あと少し、指先でちょっとずらせば、つまめる部分ができるはずだ。
うーっ。
苦悶の息が漏れる。
だが! ここまで頑張ったんだから、わざわざ他の足場を探すのも面倒だし、力業で行かせてもらうっ!
ぐっと腹筋に力を入れて、震える足を奮起させ、指先に全集中力を込めた。
途端に。私は、空中浮遊を体験した。
1テンポ遅れて、ゴガッと、鈍い音を聞いた。
ああ、理解。
そのあとの記憶はぷっつりと途切れている。
「私、死んだくね?」
………
……
…
打ち所にも拠るだろうけど、あの狭い空間で宙に放り出されれば、私の向かう先は床の雑貨類一直線だろう。
モニターの角、尖った部分に、私の頭がぶつかる様子を思い浮かべた。
イタイイタイ痛いっ。
慌てて後頭部に手を這わせるが、傷跡もないし血もついた様子もなかった。
いや、そうだったら取り乱してえらいことになっていたと思う。
私助かった。
「……いや、助かってないよね? ここどこ?」
助かったならば、私は病院で目が覚めるはずだ。
思わず、何度目かになる独り言が漏れた。
だが、その独り言に返ってくる言葉があるとは思わなかった。
「ここは、余の安住の地であるが……貴様、我が身に不躾にも体を預けておいて、礼の一つも述べられぬのか?」
金と青の瞳がこちらを睥睨している。
白い艶やかな毛並みが、橙を反射して神々しく光っている。
頭の上に乗っかっている耳と思しき一組二対の三角形は、ぐっと後方に倒れ掛かっている。
ひと際透明でしなやかな、こちらを威圧するように口元から延びて広がった毛先は、私を逃すまいとピンと張りつめている。
でかい白猫!?
ぱたんぱたん、と太く長い尻尾が床をリズミカルに叩いている。
どうやら、起きてから感じた気持ち良いもふもふは、このでかい猫のものだったようだ。
何で気付かなかったか私!
なにこれちょうぜつかわいい!!
元より猫好きな私には、刺激強すぎである。
わきわきと、手が動くのを止められない。
しかし、様子を見る限り、でか猫は怒っているようだ。
尻尾はちょっと好奇心もありそうだけど……。
対処を間違えれば、即八つ裂きコース、かも?
前足をちらと見れば、爪がむき出しになっているのが分かる。
私の2倍もあろうかという猫に襲われれば、か弱い女子高生では無事には済まないだろう。
猫ってやっぱり、けものなんだねえ。
そんなことを思いつつも、この場をどう収めれば良いのか、思案しなければならないようだ。手もすぐに落ち着いてくれた。
言葉は通じそうなのだ、今この局面をどうしようか、頭を総動員すべきである。
まずは謝罪、それから私の身の安全を保障しなければ。
あわよくば、でか猫と仲良くしたい。
「不躾な態度を取ってしまい、大変申し訳ございませんでしたっ。添い寝してもらえて……ってえらい言葉で言えないけど……ええと、一時の安息を猫様のお傍で頂けて大変ありがとうございます」
スライディング土下座からの、初手謝罪、安定だよね。
そっと上目遣いで様子をうかがう。
しかし、猫様の耳は伏せられたままだ。何か失礼しちゃったかなあ?
お腹に寝そべってしまったことが先ず失礼に値するとしたら、もはやどうしようもない。
不可抗力ってやつだよね。
「貴様の言葉は長すぎる。もう少し端的でよい」
ぇー。何か偉いのかと思って、それっぽく返答しただけなのにっ。
意外と気が短いのかもしれない。
「えっと、すみませんでした。もふもふ最高でした、ありがとうございました」
ふんと鼻息一つ鳴らして、静かに頷く猫様。私の言葉を目を細めて聞いていたが、もう興味はないといった様子で、前足をてちてちとグルーミングし始めた。
さすが猫、自由すぎる。何となく怒られ損な気がして、がっくりと肩が落ちるのを止められない。
はぁ、結局ここどこやねん。
猫の安住の地とか言ってたなあ。
猫様との対談、そして色々と眺めた風景を思い出す。
ぼんやりと灯る熱い橙の光。
この建物の構造。
そして、猫。
ふと、冬の定番曲の一節が、頭を掠めていく。
曰く、「ねーこは こたつで まーるくーなるー」
……いやいやまさか、そんな、ねえ?
だが、私の見た風景と照らし合わせると、そこまで違和感はないのかもしれない。
でもさ。縮尺がおかしいよね……みんな巨大化してるのかな?
誰でも良いから、教えてほしい。
「猫様?」
「余の名はネロである」
超偉そうな名前だった。
なるほど。名前負けはしていないけどねー。
いや、少なくとも、人間に名付けられた猫様、なのだろうと思えた。
人間に対しては、猫って暴君なこと多いしね、という独断と偏見による見解であることは断っておきます。寧ろそこがイイっ。
はあ。そうじゃない。
すぐに現実逃避しようとする私の脳内に喝を入れる。
深呼吸して、次の問いかけをした。
「ここはどこですか?」
ちゃんとした返答だといいなあ。どきどき。
「余の安住の地と言わなかったか? 端的な言葉では貴様には足りないのか……。難儀なものだな。
ここは力の強い妖精が守る聖域にして余の安住の地、こたつの中である」
たっぷりと説明してやったぞ感謝しろ、と言わんばかりに目を細めて悦に入っている猫様改め、ネロ様。
こたつかああああ、そうだよねえええ。
どこか予感していたとはいえ、心の中では語彙力どこ行った? という叫びしかあげられない。
ネロ様曰く、「ここ、こたつ」と言われて、私には否定材料がない。
だが、壮絶に異議を唱えたいっ!!
例えば。
デスゲームに巻き込まれて見ず知らずの場所に連れてこられました、と改めて言われたり。
TRPGの世界で異次元に飛ばされました、とかの説明を神様から受ける。世界を救ってーみたいなやつ。
そんなことがあれば、寧ろすんなりと理解できたかもしれない。
そんな世界どんとこい。
面白そうだな、そう思える。
だが、こたつである。
……ちょっとかなりめちゃ知ってるやつと違うよねこれ。
ていうかこたつを守る妖精てなにいいい!?
付喪神的なやつなのだろうか?
「あのっ」
「なんだ、まだ何か?」
グルーミング途中で話しかけた所為か、ベロがちょぴっと出てる。
いろんなことに気が散って仕方ないけど、現状把握を進めなければ。
「こたつの精さん、に会わせてもらえませんか?」
「はいな、お初にお目にかかります、座敷童様」
いたよ、妖精。ノータイム挨拶だよ! 折り目正しいね!
んで、妖精うんぬん言ってたけど、猫だし、とか思ってすみませんネロ様!
蚤と虱だけが友達さー、みたいなこと考えてましたとか超言えない。
その思考を裂くように。
鈴が鳴るような声って、こんな感じなのかなあ。ころころと耳触りの良い明るい少女の声が聞こえてきたのだ。
声がする方に目を向けると、すぅっとそこから和服の人影がにじみ出てきた。
「うわっ……えと……」
「おお、良く来てくれた。これが騒ぐので、相手するが良い」
「ネロ様、仰せのままに。しかし、説明のないままお外にお連れしては驚きますでしょう? この場でお喋りしようと思いますが」
「構わぬ。余は忙しい」
「では、そのように」
ぽかんとしているうちに、和服少女とネロ様のやり取りが終わってしまったようだ。
にこりと柔らかい笑みを、私に向けてくれる『こたつの精』さん。
可愛い……ついついへにゃっと笑い返してしまう、気持ちをとろかしてくれる笑みだ。
こたつに足を入れて、温まってきたなあ、と思うような瞬間を味わった気がした。
なるほど、こたつの精に相応しい。
髪型や顔の造形が市松人形のようにも見えたが、和製ホラー感ゼロ。
春の軒先で手毬でもついてそうな、陽属性の少女といった感じだ。
陽属性って、説明が難しいけど。そんなイメージ。
「座敷童様?」
あ、私のことか。
「えっと、座敷童じゃないですけど……多分。ちょっと色々あって。とりま名前は天野愛生って言います」
「では、ひとまずは、あおい様、とお呼びしましょうか」
小首を傾げて、同意を求めてくれる。何と気遣い溢れる姿だろうか。
デキる幼女感。少女というよりは、人の対応に慣れた淑女という趣がある。
年齢は……仲良くなってから、気が向いたら聞いてみようそうしよう。
「はい、それでお願いします。
ところで……私は座敷童なんですか? ここはどこですか? 何で私はここに来たんでしょう?」
柔らかいと感じた笑みが、少しだけ硬質を帯びた気がする。
「一つずつお答えします。あおい様は……座敷童であると、思います。先代の気配が消え、あなたが現れたからです」
んー……それは、私が座敷童ではない可能性もあるよね? 先代?が消えた後に来たからと言って、だって血縁かどうかも?分からないし? そもそも血縁とかあるのかな? 世襲制とか? じつりょく主義?
なんぞ、良く分かんない業界? 的な?
だって、最近まで単なる女子高生しかしてなかったし!
そもそもこういう世界で、女子高生意識しかないよ! て言って、どんだけ理解してもらえるものなの?
溢れてくる疑問をぶつけたかったけど、少し深呼吸。
すー、はー。
答えてもらったとしても、私が頭整理できない。
そんな気がしてならなかったのだ。
ひとまず、問題を絞って質問しよう。
数学を教えてもらった時は、いつも少しずつ教わっていたものだ。
テスト前って、いつもそう。
「単に、浮遊霊? みたいな?
何というか、関係ないのが紛れ込んできただけかもですよ?」
「ええ、その可能性もあります。なので、それは一度おいておきましょう」
ぇー、そこ置いといていいのかなぁ。
にこりと笑う幼女に、どことなく気迫を感じて、話を聞くしかなさげかなーと思う私であった。
あ、これお母さんの雰囲気だ。
「あおいさま」
うう……
率直に言おう。
私の日常は退屈だった。
普通の友達関係を楽しんだり、更に同志と本の世界に思いを巡らせ語り合うのは楽しかった。
だが。
そうではないのだ。
不安に押しつぶされようとしていたはずの胸が、少しばかり高鳴ってきたことに気が付きながらも。
現世に帰りたく思わないのかという後ろめたさに、少しだけ目を伏せて。
私は、この世界の在り方が知りたくなってしまった。
もう少し、現状把握してから、決めよう。
そう、少し先の私に行動を丸投げするのであった。
幼女が出ます。