病弱令嬢、「あの木の葉が落ちた時、私の命も終わるでしょう」とつぶやくも天才魔術師が絶対落とさせない
伯爵家の令嬢クレイネ・フォードは生まれついて病弱だった。青みがかった美しい髪と瞳、そして白い肌。彼女の美しさは神がかりともいえるものだった。だが、元気よく外に出てその美貌を振りまくなど、夢のまた夢。
ベッドから起き上がることもままならず、日に日に心身ともに弱っていった。
しかし、楽しみもあった。
一つは、二階にある寝室の窓から見える景色。
「ああ、今日は小鳥さんが元気に飛んでるわ。羨ましいわ」
空模様や木々の変化が、彼女の灰色な毎日に彩りを与える。自室を二階にしたのも、彼女があえて希望したのだった。
そしてもう一つが恋人である魔術師、エルガルド・ヴァスケスの来訪であった。
ノックの後、エルガルドが寝室に入ってくる。
「やぁ、クレイネ」
「エルガルド様……」
長めの黒髪に切れ長の眼、ローブを纏ったエルガルドは美男子であり、そして天才と誉れ高い魔術師だった。
魔術研究家の一族という決して身分の高い出自ではないが、その魔術の腕前を王から評価され、今では貴族と同等以上の権威を獲得している。
「具合はどうだい」
「今日は……比較的落ち着いていますね」
「そうか、よかった」
ふっと微笑むと、
「ああ、そうそう面白い話があるんだ。この間、王家で魔術を披露することになった時の話なんだが……」
こうして定期的にやってきては、魔力を用いてクレイネの治療をしたり、彼女と雑談をして楽しませてくれる。が、彼の力をもってしても、彼女の病気を治すには至らなかった。
病気を快方に向かわせるには、医療や魔術だけではなく、何か劇的にクレイネの心を変える必要があるとエルガルドは推測するのだが、十数年病魔に苦しめられてきたクレイネに病気に負けない強い心を持てというのはあまりに酷な話であった。助言や強制でどうにかなる話ではないのだ。
一方、クレイネも心苦しかった。前途明るいエルガルドの人生に、自分が足枷になってしまっているのでは、と。事実、家に籠りっぱなしの令嬢と交際があるなど、体面的にもあまり良い話ではなかった。
なので、時にはこんな弱音をこぼしてしまう。
「エルガルド様、申し訳ありません。貴重なお時間を私などのために……」
「何をいう。君のためならいくらでも時間を割けるさ。本当なら24時間ここにいたいぐらいだ」
こうした励ましも、自己評価が低いクレイネからすれば重荷になってしまう。
「ですが……もう私に時間をかける必要はありません」
「どういうことだ?」
「あそこの木……木の葉が一枚だけ残っていますよね」
彼女の言う通り、一枚だけ木に葉っぱが残っていた。寂しそうに風に揺れている。
「あの木の葉が落ちた時……私の命も終わるでしょうから」
そう言った時の彼女の横顔は「そんなことあるわけがない」などという忠告をする気を起こさせないほどの絶望に包まれていた。エルガルドは何も言えなくなってしまう。
「私の命が終わった時はどうか……自由に羽ばたいて下さいませ」
少し頬のこけた表情でニコリと微笑むクレイネ。美しいが、明らかに死相が浮かんでいる。
そして、天才魔術師は決意した。
――絶対落とさせてなるものか!
***
まず、エルガルドは問題の木の葉に魔力でコーティングを施した。
分かりやすくいうなら、魔力を接着剤代わりにして木の葉を木に留めておくような行為。まだ木の葉は生きてはいるが、これで万が一枯れることになっても、魔力のおかげで落ちることはない。
「これでよし」
さらに、エルガルドは近くにある精霊の祠にお参りをした。
「精霊よ、どうか彼女と木の葉をお守り下さい……」
木の葉を落とさなければクレイネの病気が治るわけではない。が、もはや彼としてもこのような方法にすがるしかなかった。
そして、魔力コーティングも決して万能というわけではなかった。
まず、『24時間魔力を放出しなければならない』という点。木の葉がいつ朽ちるか分からない以上、コーティングを絶やすことはできない。エルガルドは寝ながらでも魔力を放出できる訓練はしているが、大きな負担となることは間違いない。
そしてもう一つがコーティングしたところで『大きな物理的な力には耐えられない』という点。もしも誰かが木の葉を引きちぎったり、あるいは強風が吹いたらアウトである。こればかりはエルガルドがいかに天才でもどうしようもない。
だからこそ、神頼みのような真似をしたのだ。
「精霊よ、どうか……。クレイネに生きる力を……」
***
クレイネの屋敷を訪問するエルガルド。手には黄色い花を持っている。
「今日は花を持ってきたよ」
「まぁっ、ありがとうございます……」
ベッドに横たわりながら匂いを嗅ぐ。
「ああ……いい香りだわ」
「そうだろう。ウィスプの花といってね、とてもいい香りなんだ。きっと君の体も癒してくれるよ」
恋人の心遣いに感激するクレイネ。
「花といえば……あそこの木の葉もまだ頑張ってくれています」
クレイネの目線が、窓の外にある木の葉に向かう。
「ああ、君が言っていた木の葉か」
さも今思い出したというフリをするエルガルド。自分が木の葉を守っている事実を知られてはならない。彼女に負担をかけてしまう。
「以前、あの木の葉が落ちたら私の命も……なんて申しましたけど、あの木の葉は頑張ってくれています。だから、ほんの少しですけど希望が湧いてきました」
「そうか、それはよかった」
エルガルドは内心で拳を握り締める。自分の努力は無駄ではなかった。魔力を放出し続けている甲斐があった。確かに彼女の血色はよくなっている。
「ですが……」
「ん?」
「エルガルド様、なんだかお疲れではないですか?」
クレイネもまた、エルガルドの体の変化には敏感だった。24時間微量とはいえ魔力を放出し続けているのだから、疲れないわけがないのだ。
「そんなことはないさ……。ただ、ちょっと仕事が忙しいからかもしれないね」
「まあ、それなのに私のお見舞いだなんて……」
しまった、答え方を間違えた、と焦るエルガルド。
「いや、だけど君に会ったら疲れも吹き飛んだよ! ハッハッハ……」
右腕で力こぶを作る。魔術師なので、さほど大きくはないが。
「無理はなさらないで下さいね。私のことなど、後回しでよいのですから」
後回しどころか、今こうしてる間にも彼はクレイネのために魔力を放出している。最優先事項なのだ。
雑談もそこそこに切り上げ、退室する。
「木の葉が落ちないことでの効果は着実にある……。このまま続けるんだ、このまま……」
もはや日課となった祠へのお祈りも欠かさず熱心に行い、エルガルドは帰路についた。
***
ある日の午後、子供たちがクレイネの屋敷の近くで遊んでいた。
一人の子供が言った。
「あの木、あの葉っぱだけずっと落ちないよな」
「ああ、なんだか不気味だぜ! きっとお化け木の葉だ!」
こうなると、すぐにちょっかいをかけたくなるのが子供のサガである。
「よーし、俺らで落とそうぜ!」
「さんせー!」
木登りできる高さの木ではないので、石を投げつける子供達。なかなか当たらない。
すると――
「コラーッ!!!」
エルガルドが怒鳴りつけた。
「木に向かって石を投げつけるなんてダメじゃないか! 木が可哀想だろう!」
石がまともにぶつかれば、魔力コーティングでもかばい切れない可能性があった。あの木の葉の維持に、骨を折っているエルガルドが怒るのも無理はない。
「ひっ……ご、ごめんなさい……」
「うわぁぁぁん……」
泣き出してしまう子供達。
「あっ、ええと……ほら、花を出してやるから!」
魔法で花を出す。するとたちまち子供たちは喜び、木の葉のことなど忘れてはしゃいだ。その後も散々子供のために魔法を唱え、どうにか機嫌を取り戻させた。
「ったく……余計な魔力を使わせないでくれよな」
木の葉の噂を聞いた弓の達人がいた。
「一枚だけ落ちない化け物木の葉だと? おもしれえ、俺が落としてやる!」
離れた距離から、矢で木の葉を狙う。彼の腕なら一発で命中させることができるだろう。
――が、矢は直前で曲がって外れてしまった。
「あ、あれ?」
もう一矢放つ。またも外れ。
その後も何度か矢を放つも、同じように外れてしまった。
「どうなってるんだ、こりゃ?」
頭の中にクエスチョンマークをいくつも浮かべていると、いつの間にか横に魔術師がいた。エルガルドだ。
普段の彼からは想像もつかないような憤怒の形相。
矢を曲げていたのはもちろん彼の魔法である。
「うわっ!?」
「貴様……!」
弓の達人は一瞬自分が殺されるのでは、と思った。
「貴様の腕は大したものだ。認めてやろう。だが! 二度とあの木の葉に手を出すな! 分かったな!」
「わ、分かった……」
何かとてつもない事情があるのを察したのか、弓を抱え退散していく。
「危ないところだった……。たまたま立ち寄っていなければ射抜かれていたな」
大きく息を吐くエルガルド。弓の達人を退けたことに達成感を抱きながらも、自身の限界が近づいていることを感じていた。
***
クレイネとエルガルドは屋敷で窓の外を見ていた。雲行きが怪しい。王国にはこの時期、嵐が来る。その嵐が今夜にでも吹き荒れるのは明らかだった。
「嵐になりそうですね……」
「うん……」
「嵐が来たら、さすがにあの木の葉もダメでしょうね」
クレイネが寂しそうな表情で窓の外を見る。
確かに嵐が来たら、魔力コーティングなど意味をなさない。木の葉はちぎれ、どこかに飛んでいくだろう。
だが、エルガルドは――
「そんなことはないさ」
「え……?」
「絶対そんなことはない。今夜は嵐だろうから早めに寝た方がいい。だけど明日の朝には、きっと木の葉はあのままだよ」
「エルガルド様……」
屋敷を出るエルガルド。彼は覚悟を決めた。もはややることは決まっていた。
***
日が沈み、風が強くなる。
ビュウビュウと悲鳴のような音が町に響き渡る。
ベッドから外を眺めるクレイネ。
父と母がやってきて、彼女に言った。
「今日はうるさい夜になるはずだ。体に障るといけないし、早めに寝なさい」
「ええ、カーテンを閉めるわよ」
だが、クレイネはそれを拒んだ。
「待って!」
病弱な娘に似合わない大声に、驚く両親。
「あの外の木の葉が……飛ばされるところを……見届けたいの」
いつも両親に従順な娘の強い拒絶に驚いたが、二人は娘の意志を汲むことにした。
「分かった……だが、くれぐれも夜更かしはするなよ」
「私たちも今日は早めに寝ますからね」
「うん、ありがとう」
クレイネはあの木の葉がちぎれ飛ぶ瞬間を見届けようと思った。その理由は彼女自身にも分からなかった。
……
風がますます強くなってきた。
クレイネはその時が来るのをじっと見つめる。
だが、おかしい。
吹きすさぶ嵐の中、木の葉が全く揺れていないのである。
「どういうこと……?」
葉が揺れていないということは、風が届いてないということ。何らかの力が木の葉を守っているということだ。何らかの力といえば……。
クレイネはすぐに誰が守っているかが分かった。
***
嵐の中、エルガルドは木の周辺にバリアを張っていた。言うまでもなく、魔力の消費量はコーティングの比ではない。
「一晩……持つか……」
エルガルドはとっくに限界に達していた。それでも、バリアを張り続ける。全ては彼女に生きる希望を与えるために。
「持たせてやるさ……一晩どころか一週間だって、一ヶ月だって」
強気な発言だが、やはり体は嘘をつかない。これまでは豊富な魔力と天才的な素養でどうにかやりくりしてきたが、それも終わりの時が近づいている。ならば生命を燃やしてでも……とエルガルドは目を見開く。
その時だった。
「エルガルド様ッ!!!」
轟々と吹き荒れる嵐の中でもその声は耳に届いた。
最愛の人の声。クレイネの声だ。
まさか……彼女は部屋から出るどころかベッドから起き上がることも困難な身。それが階段を下りてこんなところに来られるわけがない。疲労が幻聴を生み出したのか。と、エルガルドが屋敷の方向を見る。
――いた。
「エルガルド様ぁっ!!!」
おぼつかない足取りでクレイネが駆け寄ってくる。バリアを維持しつつ、エルガルドが抱き止める。
「クレイネ! なぜここへ来た!」
「やっと……やっと分かりました。なぜ、あの木の葉が落ちないのか。ずっとエルガルド様が守って下さったのですね……」
エルガルドはつい目を背けてしまう。
「もういいのです。バリアを張るのはやめて下さい!」
「しかし……木の葉を守らねば、君の希望が……」
「いいえ!」
クレイネがエルガルドにすがりつく。
「あなたが木の葉を守ってくれていると知った時、私は分かりました。私が弱かったのだと。あなたという掛け替えのない味方がいるのに、病と……そして運命と戦うことを放棄していたのだと。なので、自分の命をあの木の葉に託してしまった」
「……」
「だけど、私はもう逃げません! だからこうして、ここまで歩いてくることもできたのです! お願いします、バリアを解いて下さい!」
エルガルドは微笑んだ。
「分かったよ、クレイネ」
バリアを解くと同時に、エルガルドの体もよろけた。強くなったクレイネを見て、安堵からかどっと疲れが押し寄せたのだろう。
「さあ、屋敷の中へ。風邪を引いてしまいます」
「ああ……」
嵐の中、二人は肩を寄せ合い、屋敷の中へ避難した。
この晩、嵐が過ぎ去るまで、二人はベッドの中で身を寄せ合った。共に疲れ切っていたが、とても幸せな時間だった。
***
朝になった。
「おはようございます、エルガルド様」
「おはよう、クレイネ」
クレイネの体調はよかった。久しぶりにぐっすり眠ったエルガルドもまた、万全とはいえないもののだいぶ回復していた。
二人で窓の外を見る。あの木には木の葉一つ残っていないはずだが――
「え!?」
驚くエルガルド。
「どうなさいました? ……まぁ!」
クレイネもまた驚く。
あの木の葉が、残っているのだ。
「信じられない……」
「まさかエルガルド様、休まずに魔法を使われていたのでは……」
「いや、使ってない使ってない! 久々に熟睡してしまったし!」
必死に否定するエルガルド。
「ということは木の葉で自力で耐えたということでしょうか」
「ああ……奇跡としか言いようがない」
「だったら……私も負けずに奇跡を起こしませんとね!」
力強く両の拳を握り締めるクレイネに、エルガルドは「もうこの子は大丈夫だ」と安堵するのだった。
さて、屋敷の外には……
「やれやれ、あれほどの天才にあんだけ熱心に祈られたなら、奇跡の一つぐらい起こしてやらんとな」
花瓶ほどの大きさの、老人の姿をした精霊が浮かんでいた。蓄えた髭を触りながら、得意げに笑うのだった。
***
その後、クレイネは必死に病と闘った。積極的に自分から歩き回り、今までは試みられなかった治療にも取り組んだ。エルガルドもまた、そんな彼女を全力でサポートした。
そして日常生活を送るには不自由ないほどまで、健康になったのである。
ある日、二人が散歩をしていると――
「あ……」
クレイネが先に気づく。ついにあの木の葉が落ちた。
「落ちましたね」
「きっと君が元気になったから、あの葉っぱももう大丈夫だと思ったんだろう」
「そうですね、きっと……」
すでに新しい葉も産声を上げている。二重の意味で木の葉は役目を終えたのである。
クレイネは落ちた木の葉を拾い上げ、エルガルドを見上げる。その上気した笑顔は、彼女なりの催促の合図。
二人は口づけを交わした。
おわり
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