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前編

「ねぇ、クラリス・フェーヴル。あの噂は本当なのぉ? 私達に教えて?」


 途端、一斉に視線が注がれて、あちこちから含み笑いが聞こえてきた。


 大っ嫌いなぶりっ子、ニーナが主催するお茶会。

 令嬢たちはいまのいままで王子殿下のお誕生会についてとか、国一番の美男と噂されるウィルフレッド大尉にお会いしたいとか、そんな話に花を咲かせていたのに。

 

 一部の令嬢たちの顔つきを見ると、“私についての話”が本題だったみたい。

 

 仮病を使ってでも欠席するべきだったと後悔が止まらないけれど、ここで感情的な行動に出たら私の負けだ。


「ニーナ。私は誓って、恥ずべきことはいたしておりません」


 努めて穏やかに返答すると、向かいに腰掛けている小柄で可愛らしい令嬢、ニーナ・バジュレはピクリと眉を動かし、気に食わないとばかりに睨みつけてきた。


 

 バジュレ子爵の娘である彼女は、同じ十八歳、同じ爵位の娘という立場の私が気に入らないのか、ことあるごとに突っかかってくる。


 ふわふわした長い栗色髪のニーナは子リスのような見た目ながら、中身は粘着質なヘビみたいな女。

 本当は相手になんてしたくないけれど、私だって子爵の娘だし、貴族相手に無視を決め込むなど許されるはずもない。


 あぁもうやかましい、腹立つ、面倒くさい!


 いまだってあの子は私を陥れるためだけに、こんな最悪な舞台まで用意してくれて……。

 お茶会に呼ばれた令嬢たちはニーナの取り巻きばかりで、私の味方なんて一人もいないのだから。

 


「クラリスは変な噂を流されて悔しくはないの? 事実と違うのならちゃんと正したほうがいいと思うの。川辺で私の侍女だった娘に馬乗りになった上に何度もキスをして胸元をまさぐったなんて……」


 ニーナは私を心配するかのように前のめりになって話しているけれど、目元はニヤニヤと笑っているようで、その姿にまた苛立いらだちが募る。


 ニーナの話に「まぁ、なんてひどい噂!」とか「クラリス様が暴行なんて、信じられませんわ」なんて悲鳴に似た声があがった。


 事実とはまるで違うあまりの曲解ぶりと、噂を広めた張本人の一人舞台とに胃が痛み、めまいまで襲ってくる。

 いえ、胃痛のほうは甘ったるくてしつこい味のお茶菓子(マカロン)が一番の原因なのかもしれないけれど。



 私が反論しないのをいいことに、ニーナは大げさなほどの身振りで役者のようにセリフを続け、さらに周りを煽り立てた。


「あぁでも、翌日私の侍女を買い取ったってことは……噂はもしかして事実……!? クラリス、貴女なんてことを! 慎みがなさすぎるわ!!」


 驚きの目で私を見てくるニーナに続き、他の令嬢たちも次々に口を開いた。


「クラリス様はきっと、愛に飢えてらっしゃるのね。ああ、お可哀想に」

 

「今後、フェーヴル家はどうされるのかしら? 節操や慎みを持たない令嬢でも、妻に迎えたいと願う風変わりなお方がおられるといいのだけど」


 からからと笑う声が悪夢のように鳴り響く。

 ついにこの異常な空間に耐えきれなくなり、すっくと立ち上がった。


「あらぁ、どうなさったのぉ?」

 ニーナが尋ねてくる。


「せっかくお招きいただいたところ、申し訳ございません。気分が優れないので、おいとまいたします」


 いつまでもこんなところにいたら、心が狂ってしまう。

 現に自分のあの行動が、誤ったものだったのかもと思い始めているくらいなのだから。


 早々に撤退しなければ。

 そう思う一方で逃げるように去るのもしゃくで。

 背すじを伸ばし、ゆったりと扉へと向かう。


「ねぇ、クラリス。その様子だと来月の舞踏会もお休みなさったほうが良いのでは? お城で倒れられたらと思うと、私、とっても心配ですわ」


 部屋を出ようとした時にニーナから話しかけられ、周りの令嬢たちも同意しているけれど、負けないように柔らかく目を細めて口を開く。


「ご心配には及びません。その頃には落ち着いていると思うので」


 「……そう。あまり無理なさらないでね」と、ニーナは微笑みを浮かべて、扇子で自身の手をなぞっていた。



 まったく本当になんなのかしら、あの人!

 『貴女が嫌い』なんて、わざわざ扇子言葉なんか使わず直接言えばいいのに!

 苛つきながら馬車に向かうと、そこには深々と頭を下げる三歳年下の侍女、オリヴィアがいた。


 オリヴィアは、元々ニーナの侍女で、解雇同然の状況に置かれて行き場を失っていたの。

 だから、私が彼女を雇うことにして、いまは私の世話係をしてくれているのだけど。

 それを周りから『欲望のはけ口にしたいから雇った』みたいにとられるのは一つも納得できない。



 オリヴィアは渦中の人だし、あえて会場には連れていかずに馬車(ここ)で待たせていたのに、私の表情と早すぎる帰りのせいでいろいろと察してしまったみたい。

 いつまでも頭を下げたままで、カタカタと細かく震えていた。



「クラリスお嬢様、申し訳ございません。私があの日ラルジュ川に飛び込んだせいで……」

 

「いいえ、あれは貴女のせいじゃない。私は当たり前のことをしただけだし、貴女も私も間違っていないのだから堂々としていて」


 慰めるようにそっと語りかけるけれど、オリヴィアは今にも泣き出しそうな顔をして、ぶんぶんと首を横に振った。


「けれど、私なんかを生かしたせいで、お嬢様にあらぬ噂が……きっと、私はあの時一人で死ぬべきだったんです」


「お願いだから、そんなことを言わないで。貴女は気が利くし、仕事もできて、私にはもったいないほど素敵な侍女よ。ねぇ、帰ったあとにアールグレイのミルクティを淹れてくれる? 私ね、貴女の淹れるミルクティが一番好きなの」


 オリヴィアの手をとって、にこりと微笑みかけると、「お嬢様……私、とびっきりのをご用意いたします!」と、ようやく安心したような顔をしてくれた。



 オリヴィアも私も何も悪くないのに、どうしてこんなにも振り回されなければならないの?


 私がオリヴィアを襲ったなんて、勘違いも甚だしい。

 オリヴィアは、かつての主人(ニーナ)の言いつけ通り、失くなった指輪を探すため川に飛び込み溺れてしまって。

 たまたま馬車で通りがかった私が、心肺停止状態にあったオリヴィアを見かけて人工呼吸と心臓マッサージを行い、無事蘇生できたっていうのが真相なのに。


 でもきっと、理由を話したところで『覆いかぶさるような体勢で、強引に何度も口づけた』という事実は消えないし、皆の見る目は変わらない気がしているの。

 だって、私の生きるこの世界では、人工呼吸や心臓マッサージなんて蘇生法は存在しないのだから。

 


――・――・――・――・――・――


 私には、少し不思議な過去がある。

 数ヶ月前、階段を踏み外し三日三晩意識を失っていたの。

 と、まぁここまでは、よくありそうな話。

 

 本当に不思議なのはここからで。

 失ったはずの私の意識は、一時期『日本』という異世界に飛ばされて、クラリスとしての記憶を失ったまま、とある女性の心と同化していた。


 看護師として働く彼女は、見た目こそ平凡な女性だったけれど人一倍親切で明るくて。

 笑顔が絶えない彼女の側は、いつも人で溢れていたわ。

 

 けれど、彼女は忙殺される毎日に心をすり減らしていき、次第に自然な笑い方をも忘れていった。

 

 仕事を辞めるか、続けるか。

 そんなことを考えながら眠ると、私の意識は彼女の身体から引き剥がされて……また(クラリス)として元の世界に戻ってきたの。


 目を覚まして、私が“傲慢で高慢な性格”に育つほど娘愛が規格外に深いお父様を見た途端、安堵の気持ちが止まらなくなった。


 クラリスとして帰ってこられたのはもちろん『もうあんなにキツイ(看護師という)仕事を体感しなくていいのだ』と。


 目覚めた瞬間から、日本で見たことは全部夢みたいな感覚になっていたけれど、それでも仕事のことはいまも鮮明に思い出せる。


 人が亡くなるのを間近で見たり、何もできなかったと後悔の意識で潰されそうになったり、せん妄や認知症患者に殴られたり暴言を吐かれたり。

 爵位だってないものだから、上司たちからのパワハラも壮絶だった。


 それに、世界広しと言えど、人のおしりの穴に指を突っ込んで汚物を掻き出した令嬢は、私くらいのものだと思う。


 看護師を仕事にしている方々には悪いけど、二度とやりたくない、なんて思うのも当然よね?

 というか、彼女たちも皆『宝くじが当たったら、絶対やめる!』なんて言っていたから同類かもしれないけれど。



 そんなこんなでいろいろあったけれど、私は無事に貴族として戻ってこられた。

 これからは紅茶やお菓子を楽しみ、大好きなダンスもたくさん踊って。

 やがて素敵な男性と結ばれて、可愛い子どもを生み育てて家を守るの。


 そんなふうに思っていたのに。


 なぜだか私は、ここでも人に心肺蘇生をほどこしていて、使用人たちに換気や衛生管理の重要性を説き、体調不良者の心配ばかりしている。


 名前も忘れてしまったあの女性とリンクしていたせいで、看護師としてのクセや、考え方が抜けなくなってしまっているみたい。


 ああ、本当に嫌になるわ。


 馬車に乗り込んで深いため息をこぼし、肘をついて外を見ると枯れ葉が風にのって物悲しげに落ちてきている。


 あの噂はどこまで広まってしまうのかしら……

 そんなことを思うと、心はどこまでも深く沈んでいった。


――・――・――・――・――・――


 それから数週間後の夜のこと。

 私はルリオン城へと向かう馬車の中にいた。


 王女様が踊り好きな方らしく、城内では時折ダンスパーティーが開催されるのだけれど、今回はいつもと趣向が異なる“独身者限定の仮面舞踏会マスカレード

 

 根も葉もない噂に振り回されていて家にこもりがちだった私にとって、これは願ってもいない企画だった。

 王女様ほどではないにしろ、私も踊ることは大好きだから。



「クラリスお嬢様。今夜はもうすぐ16歳になられるシリル王子殿下や、全ての女性をとりこにすると噂のウィルフレッド大尉も来られるそうですよ」


 斜め向かいに腰掛けているオリヴィアが楽しそうに言い、私は苦々しく笑った。


「お二人ともお見かけしたことさえないけれど、令嬢たちの標的になっているみたいね」


 恐らく、多くの令嬢たちはお二人の目にとまることを目指して美しく着飾り、会場入りをする。

 王子殿下から見初められればいずれ王妃になれる可能性もあるし、お城での生活だって夢じゃない。


 ウィルフレッド大尉については、女性からあまりに恋心を抱かれるものだから、挨拶としての手の甲へのキスさえしてくださらない、という噂もあるくらいで。

 美しく難攻不落な大尉の心を射止めれば、それだけで周りから一目置かれるような存在になれるでしょうし。


 令嬢たちは、喉から手が出るほどお二人からの愛が欲しいのだ。



「お嬢様は、どちらにお会いしたいというご希望はおありですか?」

 オリヴィアの問いかけに、唸りながら考える。

 以前の私なら迷わず『両方落として見せる』と言っただろうけど、一度違う人生を経験してしまったからか、いまはそんな傲慢な気持ちになどなれはしない。


 王族だけが持つという金色の瞳も見てみたいし、滅多に社交の場には現れないというウィルフレッド大尉のお顔も気にはなるけど……



「会いたい人といえばそうね、蘇生後にマントを貸してくださった方かしら。おかげで保温もできてすごく助かったんだけど、名前も聞けないままでお礼もできていないから」


 しかも、慌てていたせいで顔も声も思い出せず、覚えているのは20代半ばの男性だったということだけ。 

 オリヴィアのことばかり見ていたこともあり、思い出すも何もまず顔を見ていなかった気さえする。



「かなり質の良いマントですし、貴族の方であるのは確かなのですが、まだ持ち主がわからないみたいで……私もぜひお礼をと思うのですけどね」

 オリヴィアは苦々しく微笑み、どこか申し訳無さそうに縮こまった。


 あぁ、しまった。この話はこのにはご法度はっとかも。

 


「大丈夫よ、その方とご縁があればきっとまた会えるわ。あと、今夜はダミアンも来るのよね? いつもしつこいくらいに手紙を送ってくれていたのに、最近来ないから心配で」


 求愛の手紙が週に一回は必ず来ていたのに、なぜかぱったりと来なくなってしまった。

 元気でいるのならいいのだけど……


 

「まぁ! 今日のお嬢様はいつにも増してとてもお綺麗ですから、ダミアン様も驚かれると思いますよ。ドレスやアクセサリーも、銀のおぐしとブルーの瞳を引き立てる色合いですし、ダミアン様がどんなお顔をされるか楽しみですね」


 私にとっては言葉通りの意味だったのだけれど、どうやらオリヴィアは深読みしてしまったらしく、ぱぁっと花開くような笑顔を浮かべていた。



――・――・――・――・――・――


 ようやく馬車が城へと着き、オリヴィアと別れた私は仮面をつけて会場へと足を踏み入れる。

 天井から吊るされた巨大なシャンデリアに、大理石で作られたであろう美しい床。

 季節の花で彩られた壁に、ヴァイオリンやピアノたちが奏でる優雅な音楽。


 ダンスホール(ここ)には何度か来てはいるけれど、何度来てもその美しさに思わずため息が出てしまう。


 音の反響も良く、広くて踊りやすくて大好きな会場。

 ここでまた踊れるなんて、と楽しみに思っていたのに、ふと自分の名前が聞こえてきて。

 耳を澄ませると、会場のあちこちで私の噂が飛び交っているのがわかった。


 例えば、溺れた娘をキスで蘇らせた、というおとぎ話のようなもの。

 そして、女に欲情して、馬乗りになっていたという下世話なもの。

 あとは、クラリスは死体愛好家なのではないかという、とんでもないもの。


 どれもこれもくだらないゴシップで、退屈な貴族たちにとってはただの娯楽なんでしょうけど、私にとっては辛いことこの上ない。


 早々と帰ってしまいたいけれど、まだ舞踏会は始まったばかり。

 そんなことをすればまたオリヴィアが『私のせいだ』と傷つくだろうし、周りに『自分がクラリスです』と明かすようなものだ。


 せっかくのパーティーなのに踊りたいという気持ちも失せてしまって、人目につかない端のほうでぼんやりと会場を眺めて時間をつぶすことにした。


 ……これじゃまるで、壁の花というより日陰の草だわ。


 華やかな世界から爪弾きにされているような気がしてうつむいていると、目の前にふっと影ができる。

 不思議に思いながら顔を上げると、そこにはすっきりとした黒の仮面をまとう淡い金髪の男性がいた。


「よろしければ、どうぞ。それともどこかで休まれますか?」

 目の前には水の入ったグラスが差し出されている。

 二十代半ばから後半ほどだろうか。

 なめらかな動作からは気品を感じさせるけれど、どこか凛とした雰囲気を醸し出している人だった。


「あの、私に……ですか?」

 見知らぬ人だし、急にどうしたのだろうと思って問いかけると、その人は警戒されているのを感じたのか、“安心して”と言わんばかりに柔らかく微笑んできた。


「どこか辛そうなお顔をされていたものですから」


 その一言に納得する。

 舞踏会なのに、男性から誘われないような物陰にいるものだから、体調不良なのかと心配されたみたい。


「ありがとうございます。いただきます」

 変な噂で参っていたぶん、見知らぬ方の気づかいが嬉しくて。

 こくこく水を飲み込んでいくと、強張っていた身体がゆっくりほぐれていく感覚がした。



「少し、落ち着かれましたか」

 穏やかな問いかけに、誤魔化すように笑う。


「おかげさまで。お気遣いありがとうございます。あまりの人の多さに圧倒されてしまいまして……」


「この人数ですから、無理もありませんね。もしよければ少しの間お話ししていただけませんか? 男が一人やることもなく突っ立っているのも格好がつかないもので」


 男性は、照れたように笑うけれど、それもきっとただのこじつけだろう。

 この方は、きっと壁の花で居続ける私を気遣ってくださっている。


 私のせいで足を止めさせるのも申し訳ないし、『大丈夫。お気遣いなく』と言えればよかったのだけど……

 相当心が参っていたのか、うら寂しい気分になり、こくりとうなずいてしまったのだった。

心肺蘇生をするとき、感染のことも考えてマウストゥマウスは現在、やらなくてもいいことになっています。

心臓マッサージを正しくやることが大事!


本日、中編・後編も投稿し、完結する予定です。

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