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第6話 放火(未遂)

 パン屋の朝は早く、夜は遅い。店を閉じたら売れ残りの処分と、窯の中にたっぷりと積もった灰の掃除。それから金勘定。諸々済ませたら、今日もいつも通り遅い。新商品の開発と、計画の修正がなければもう少し早く眠れるのに。と思いながら、焼けた金型を寝かせて素早く引っ張り、型からパンを出す。そしてミトンを脱いですぐ起こす! 底面、側面もしっかり焼き色がついており、頭も焦げていない。あとは冷めるまで時間をおいて、自重で潰れなければひとまずヨシ。味も、食感もよければさらにヨシ。試食は今日の昼食に。

 ……試作、何回目だっけ。十回目? まあ、なんとかうまくいった。


「さて。水浴びて寝るか」


 いつか浴槽いっぱいの湯に肩まで浸かってゆっくりしたいなー、とか考えながら。それには温泉地帯に引っ越すか、王族になるかしか方法がないよなーと半分あきらめて。というのを、ほぼ毎晩繰り返している。夢はかなわないから夢なのだ、と毎夜変わらぬ考えを抱いて眠るのだが。

 服を脱いで裏の井戸に出たところで、今日はいつもと何かが違うことに気が付く。日々変わらない生活をしていると、些細な変化も気づけるほどに、繊細になるものだ。具体的に何が違うかというと、店の裏のほうがほんのりと明るい。


 おかしなことだ。月明りも満月でなければこれほど明るいことはない。星明りもまた同じく。街灯も近くになければ、魔法使いでも日が暮れてから出歩くことはあるまい。光源となるもので残るのは、火。すわ火つけか! 閉店の危機を乗り越える算段をしているところに、閉店の危機(物理)の危機到来とは! 人生クソだな! やってらんねえ!!


 急ぎ井戸から水を汲み、表に走る。そこにいたのは昨日見た金髪娘! 片手にたいまつをもって、店の裏口に積んだ薪の上に!


「待たんかいゴラァ!」

「ひぃ!」


桶を持ったまま全力でスプリント。水をぶっかけてダイナミック消火、からの、逃走を図る小娘を捕まえて、拳を握り固めて……顔面に! は思いとどまり、腹に一発重いのをくれてやる。へそより上に、胸より下に。一番キツイ部分に正義の鉄拳がめり込む。いいザマですわね。もちろんこの程度では済ませませんわよ! 放火未遂の罪が、膝を土で汚す程度で許されるわけがあるかよ。


「放火は未遂でも死刑だぞ? わかってんのか? わかってるよな? わかってなくてもやっちゃいけねえってことはわかるよなぁ! ナァ、なんとか言えよ!」

「——っぐ、こんなっことして……許されると」

「てめぇ、頭に蛆わいてんのか。そりゃこっちのセリフだドアホ!」


 ひとしきり怒鳴りつけた後、大声をあげては近所迷惑だろうと気付く。怒っているからと第三者に迷惑をかけてはいけない。隣家まで100m以上あっても、大声を出せば聞こえる。


「来い!」

「っいたい! 痛いわやめて! 誰かー! 助けて、犯される!!」

「やかましい!」


 ポニーテールをつかんで引っ張る。掴むのにちょうどいいな。痛い? 知るかボケ。お前は罪を犯した。制裁を受けるのは義務であり、被害者には制裁を与える権利がある。俺は正当な権利と義務を執行しているだけだ。

 強引に店の中へ引きずり込み、文句を叫ばれながら事務所まで連れ込んで、部屋に閂をかける。そして服を着る。


「私を誰だと思っているの! こんな侮辱が許されると、おッ」


 腹パン二発目。どうにも立場が分かってないようだから、わからせねばならない。


「金貸しティルトの三女。容姿はいいが性格は最悪。貴族らしい傲慢不遜、厚顔無恥、

行き遅れのどら娘。道楽で経営するパン屋は味が悪く値段も高い店員の態度も悪いおかげで赤字経営。おかげで嫁にも行けず、親には厄介者扱いされていて、どうにか処分できないかと思われている」

「っざけんじゃないわよ! 誰よそんなこと言ったやつは! 家族もろとも埋めてやるわ!」

「誰でも知ってる噂だよ」


 宝石を埋めたような瞳を見開いて、顔を目の色と正反対の真っ赤に染めて、キレた野犬のようにキャンキャン騒ぎ立てる。なるほど、噂に違わぬ性格の悪さ。火のないところになんとやらだが、なんということだ。

大半が事実だ。見た目はいいが性格がこれでは。よほどの度量がなければ嫁に迎えるなんて無理だろう。少なくとも俺には無理だ。一夜限りの相手にしても身分が重い、そりゃあ売れ残るワケだ。

 売れ残りと揶揄されなくとも、この性格ではその現実を受け止めるだけで重いストレスになりそうだ。それで性格に悪さに磨きがかかる悪循環。どうしようもないな。どうするつもりもないけれど。

期待はしないし、許すつもりもないが、一応聞いておこう。


「謝罪をする気は?」

「あるわけないでしょう!」

「悪いことをした認識は?」

「あるわけ……ないじゃない」

「火付けは未遂でも死罪。わかっているな?」

「誰が私を裁けるというの! 貴族よ! 庶民が触れることさえ許されないのよ!!」

「裸に剥いて髪を切って顔を焼いて灰で汚せば、貴族も農民も変わらんよ」


髪の毛つかんで引っ張られてるのに、許されないとは笑わせる。ぐっ、と唾をのむ音がやけに大きく響いた。


「脅しているつもり?」


 強気なのは言葉だけだ。腕を組み、威張るふりをしているが手は袖を強く掴んで細かく震えているし、声なんか明らかにビビってる。

 自分の置かれた状況は分かっているようだ。貴族の肩書が暴力から身を守ることに対して何の役にも立たないことは、先に証明済み。この場にいるのは被害者と加害者で、男と女で。場を支配するのは血統ではなく、暴力である。


「そうする前に聞いておくことがある」

「……答えたら許してくれるの?」

「どうかな。だがまずは正直に答えることだ。ただし嘘をついたらそこで終わり」

「わ、わかったわよ。何を聞きたいの」

「どうして俺の店に嫌がらせをする。この前は人を雇って。今度は放火だ。ここまでされる心当たりは全くないんだが、俺の親父が何かしたか?」


 例えば。強姦とか……はないか。そんなことをしたら今頃親子仲良く土の下だろうから。もう少しマイルドな何か。


「……この店があるせいで、私の店に客が来ないのよ! この店さえなければ私の店がもっと盛り上がるはずなのよ! 何年もかけて準備して、ようやく追い出せたと思ったらなんで借金まみれの店を継ぐのよ!! 頭おかしいでしょ!! 台無しじゃない! 私の時間を返しなさいよ!!」

「……」


 絶句。である。俺の親父が何かしたから、跡を継いだ俺にも憎しみをぶつけているのかと思ったらそうじゃなくって。ただの逆恨みで俺の親父が借金まみれになるように仕向けて? その借金を俺が継いだから俺のことまで嫌ってる?

 うん、うん。クズ過ぎてびっくりするね。人間って怒りが極まるとかえって冷静になるもんなんだね。

たった今、カッとなって刺したと供述した人間の気持ちが理解できた。うんうん、ついやってしまいたくなるよね。わかる。でもやっぱ人殺しはダメだよね、と壁にかけてある斧に伸びる手を止める。

 なら犯すか? いや処女だったらまずいだろ。


「チャンスをやろう。死ぬか、生きるかの二択だ」

「あなたに私の生死を決める権利はないわ! あなたの死を決める権利は私にあるけどね」

「……」


 ガラン、と薪割り用の斧を手に取る。頭は重く、分厚く、頑丈にできている。そいつを振りかぶって、薪にたたきつける。パカン、ときれいに二つに割れました。お前の頭もこうなるぞ、と。言葉にしなくとも伝わっただろう。

 奴隷商人でも知り合いに居たならまだ他にやりようはあったかもしれんが。そんな伝手はないのだな。まっとうな人生を歩んでいるおかげで。


「できれば俺も殺人はしたくないんだ。後片付けが面倒だからな」

「なら今すぐ私を解放しなさい。今ならまだ許してあげるわ」

「人の店に火をつけようとしてタダで帰れると?」

「じゃあ何をしろっていうのよ!」

「ん、まずは……」


 服を脱げ。跪いて俺の足に口付けして命乞いをしろ。とか言いたいけど、自重。そんな一円の利益にならないことよりも、金になることをしよう。発注用の羊皮紙を一枚とって、いくつかの文章を書き込む。

 怒りで沸騰した脳みそで、とりあえず罪を認めさせるだけの文章を。


「これに署名を」


 内容は以下の通り。

「 誓約書

・罪人は放火の罪を認め、これを償うため被害者のあらゆる命令に従う。

・上記に伴い発生したすべての責任は罪人が負う。

・罪人は被害者の財産、身体すべてに今後一切の危害を加えないことを誓う。

・この書類は、罪人と主人のどちらかが死ぬまで有効とする。

被害者 カニス・ブラウン 罪人           」


知識もないので雑に思いついたことを書いただけだが。ほしいのは罪を犯したという証明、自白書なのでこれでいい。当人の店は赤字経営らしいし、慰謝料は期待できないので、身内を脅してふんだくるためにこの書類が必要なのだ。その身内とは、オスカー・フォン・ティルト。この店の債権者だ。具体的にどうやって毟るかはこれから考えるとして。まずは無駄にプライドの高いこのカスに、この書類にサインさせなければならない。


「さあ。サインと拇印をどうぞ、お嬢様」

「何よこれ! 私が何をしたっていうの!」

「人の父親に借金させて……はまあ引っかかった親父も悪いとして。営業妨害に放火未遂、十分な犯罪行為だ。清い体のまま生かしてるだけでもありがたいと思ってもらおう」


やっぱり裸に剥いて縄で縛っておくくらいしとくべきだったか。めんどくさいからって手を抜いたのが間違いだった。やはり万事徹底すべきだ。中途半端が一番いけない。

 だが今更脱がすのもめんどくさいのであった。


「書くのか、書かないのか。はっきりしろ」

「書かない」

「……ああそうかい」


 と返事をして腹にもう一発拳をぶちこむ。おとなしくなったら頭にずた袋をかぶせる。


「おヴ……っ」


 古の偉い人は言いました。

鳴かぬなら、鳴かせてみせよう、ホトトギス。

 鳴かぬなら、鳴くまで待とう、ホトトギス。

 鳴かぬなら……殺してしまえ、ホトトギス。


 できるだけ努力はするし、待ちもする。だがそれでもダメなら、その身で罪を償ってもらうほかない。

 鼻歌を歌いながら、桶に水を一杯に溜めて戻る。部屋の隅に縮こまっているお嬢様。袋からはみ出るポニーテールを引っ張って床に引きずり倒す。

 さあ。プライドは恐怖と苦痛に対してどれだけの耐性があるのか、実験して確かめてみようかな。


 用意するものは一つだけ。水を張った桶。やることは簡単。死なない程度に頭を水に沈めるだけだ。口だけは達者なお嬢様だが、抵抗する力は弱い。



……で、結論を言うと三度目で意識を失い、四度目で嘔吐。五回目でようやく折れた。

 これまでまともな暴力を受けた経験などないだろうに。いきなり本格的な拷問を受けて、一発目で折れないのは大したものだ。

そして俺の手にはサインと拇印を頂戴した羊皮紙が二枚。一枚は控えで、もう一枚はティルト氏への脅迫……もとい、交渉に使う。控えを置いてあるのは、万一逆上して破られたりしたときのために。

 ……まあ、したたかな金持ちのことだ。破るくらいならその場で殺すか、後で闇討ちの二択だろうな。そうならないよう、できるだけ穏便に話し合いで済ませたいところ。幸い、彼は娘と違い話せばわかる理性的な人間だ。交渉でお互いに良い落としどころを見つけてすり合わせができることを祈る。

 できなければ大急ぎで自警団の詰め所に控えを放り込む。金貸しは人に恨まれる仕事だし、敵は多い。口実という火種さえあれば簡単に燃え上がるだろう。騒ぎが起きれば借金を踏み倒したい輩がそろって大暴れ……と、いう寸法だ。損得を計算すればどっちがいいかなんてきっとわかってくれるはず。


 さて。では今に思考を引き戻しまして。部屋の隅っこで膝を抱えてガタガタ震えて命乞いをしているお嬢様の処分をどうするかを考えねば。

 このまま帰していいものか……いや良くない。夜中に出歩かせるのは危険だ。暴漢に襲われる可能性だけじゃなく、月の光に中てられた妖精にさらわれるかも。


 しかし明るくなるまでかくまえばどうなるか。イイトコのお嬢様が若い男の家に……悪いうわさが立つ確信がある。人のうわさは大好物だが、自分がターゲットにされるのは御免被る。


 追い出して事故にあわれては……真っ先に疑われるのは俺だ。不肖の娘といっても、腐っても貴族だ。報復は死を伴うものとなる。

 噂と死と、どっちがマシかなんて、言うまでもないよなぁ。


「朝まで居ろ」

「……な、これ以上、わたしに何する気」


 髪を濡らして、涙を浮かべて、おびえ切った表情でこちらを見る美女。いかんな。何かに目覚めてしまいそうだ。 


「もうお前に用はないが、夜で歩くのは危ないからな。朝になったら帰るといい」

「……朝、朝ね。朝になったら、パパに言いつけてやるんだから……」

「おう。明日の朝に一緒に行こうか。一緒にお前のやらかしたことをパパに説明しに行こう」


 言葉には勢いも鋭さもなく。それ以上の反論もなく、この日の会話はこれで最後となった。

 倉庫に閉じ込めておいて、臨時休業の札を表に出しておいて、わらのベッドで眠りについた。


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