第2話 最初の一週間
ティルト氏より借金の存在を告げられてから早くも一週間がたった。この一週間は通常通りの店の営業に加えて、関係各所へのあいさつ回りに費やした。
電話もメールもない以上、お手紙を一枚一枚手書きで出すか、直接出向いて話すか、その中間として一か所に集まってもらい、一度に話を済ませるかで悩んだが……こちらの事情で話をするからには、自分から話をしに出向くのがスジだろうと。手紙を出すにも紙は高級品だし。
ということで、一軒一軒訪ねて回って話をしてきた。
経営者が変わった、と急に聞かされて大丈夫なのかと心配されたり。ついに失踪したか、と納得する人もいたり。十人十色の反応だったが、幸いにも取引を停止するという人はいなかった。これを機に仕入れ値を上げようとする輩ならいたが、それは激しい交渉(殴り合い)の末なしになった。やはり暴力はいい、暴力は大体のことを解決する。
つまり、商品はこれまで通りに作れるということだ。商品が作れるなら、あとは客が来れば品は売れる。するともうけが出て、そこから借金が返せる。サルでもわかる簡単な理屈だ。
日が落ちてからも迎え入れてくれた関係先の皆様には感謝しつつ。一週間を無事に終えることができた。
そして、最初の一週間の営業の成果だが…………信用の失墜を売り上げという目に見える形で認識させられた。
「厳しい。厳しいなぁ」
親父が失踪したという噂はすでに町中にいきわたっているようで、そのせいだろう。売上金額は予想の七割程度。平常時の半分。予想がそもそも父親失踪直前の売り上げで、まだ普通に営業していたころに比べればかなり低めに見積もっていたのに、これだ。ある程度覚悟はしていたが、それでも胃にクル。ゲロ吐きそう。ちょっと裏に出て吐いてこよう。
「オ゛ェエ゛ェ゛……スッキリした」
売れた利益で借金を返す。サルでもわかる簡単な理屈だが、サルに商売はできない。
商品を売る。言葉にすればわずか五文字だが、その行為は様々な要素が複雑に絡み合ってできている。
需要と供給、立地、時間、品質、価格、客層、信用、その他いろいろ。
立地はいい方だと思う。そこそこ大きい都市の外縁部にあり、外周の下流民と、市街の中流民、両方の客が取れる。良いものを安く売る、という商売の鉄則を守っていれば売れずに困るってことはまずない。時間は焼き立てを朝食に間に合わせるために、日が昇るよりも早く起きて作業を始めている。
品質は、父親が作っていた頃、つまり先週までとは比べ物にならない。比較するなら数年前の、親父がおかしくなる前の水準だが……それと比べてもなんら遜色ない。むしろそれ以上と言っていい。ほかの店がどうかは知らんが。前世と今世合わせて三十年以上の職人歴だ。品質には自信がある。自分が美味いと思うものしか売ってない。材料だって利益をとれるギリギリだし、客層にあった値段設定もしてある。
……だが、最大の問題は風評、口コミだ。つい先週までおいしくないパンを売っていて、それが急に美味しくなったからと客が急に増えるだろうか。店主が借金苦に夜逃げし、息子が後を継いだばかりの店へ行きたくなるだろうか。自分が客でも、「今日は別の店に行こう」となる。
後者はもちろん、そんな醜聞を自分から流したりはしない。しかし噂として、事実を正確に突いたものが夜逃げの翌朝から流れており、開店一番客から「父親がいないけど噂は本当なのか」と尋ねられたのには驚いた。
客に嘘をつくわけにもいかないので、本当だ、と返せば「頑張れよ」と同情の視線と励ましの言葉をもらい、いつもより多めにパンをお買い上げいただいた。
気持ちは大変ありがたいのだが、一人二人に多く買ってもらえても、十人、二十人と客が減っていれば焼け石に水だ。このまま通常通り営業を続けていればじわじわと客は戻ってくるだろうが、悠長に待っている暇はない。そのような消極的な姿勢では返済する意欲も能力も欠けていると判断されてしまう。返済の見込みなしと判断されれば、損失を最小限とするために店を差し押さえられることとなり、即ち人生終了である。
何か手を打たなければ……すぐに思いつく案はいくつかある。だが効果を期待できるものはさしてない。
その数少ない有効そうな案が、試食品である。今来ているお客様にささやかなオマケをつけよう。タダで配れば乞食がダース単位でやってくるから、買ってくれた客にだけ。
あとはネズミ講を参考にしたやり方になるが、他人に紹介して新しい客を連れてきてくれた人にはオマケをもう一個プレゼント。紹介されて来てくれた客にももう一個プレゼント。紹介元には追加でオマケをプレゼント。オマケは売れ残りのパンを一口サイズに切り分けて渡せばいい。
素晴らしいプランだ。元手も手間もかからない、待ってるだけで客が増える……完璧じゃないか。
問題は少しだけシステムが複雑で、客に理解してもらえるかどうかだが……馬鹿にするわけじゃないが、全員が全員理解できるとは思えない。義務教育の存在する前世ですら頭のおかしいクレームをつける阿呆は少なからず居た。義務教育さえ存在しないこの世界では、どれほどの人がルールを理解できるだろう。
メインの客層は外周の下級市民と、街中の中級市民……期待するなら中級市民の方々だな。今減っている客のほとんどは、店を選ぶ余裕のある中級市民だし。
果たしてうまくいくか。何事もすべてがうまくいくなら人生苦労しない。何かしらの不都合は起こるものと考えて、起きればその都度対応することにしよう。幸いこの世界は、頭のおかしい客をぶちのめして叩き出した程度で処罰されることはないようだし。あまりの理不尽には暴力で対抗できる。
世の中なるようになる。ならなければ、その時だ。