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第16話

 一次発酵済の、バカ重くて柔らかい生地を持ち上げて、粉を撒いた作業台の上に放り上げる。ばふっ、と下に敷いた粉が押し出されて舞い上がり、エプロンを汚す。


「よいしょぉ! よし。じゃあ俺はこっち半分やるから、君はそっち半分の分割をやってね」

「はい!」

「秤は落とさないようにね。予備それだけしかないから」


 作業台挟んで反対側で、眩しい笑顔の従業員がいい声で返事をしてくれる。スケッパーを握り、大きな生地から棒状に切り出して、そこから小さい生地を切り出していく。ぽいぽいと秤の上に置いて、誤差範囲内に収まっていれば木箱へ。収まっていなければ微調整して木箱へ入れる。8割は誤差範囲内なので、大半は片手で軽く形を整えて放り込める。

 彼女の方は5割ほど、修正無しで放り込んでいる。大きな生地の塊がみるみるうちに小さくなっていくのは気分がいい。

 分割の作業は手が早ければ早いほど、大きさが変わらずに作業が早く進む。分割の最中にも生地は容赦なく発酵が進んでいく。発酵が進むと生地の中のイースト菌がどんどんガスを出して膨張して、目算が狂ってくるのだ。だから手の中の重み、サイズ感で調整するのだが、この感覚は口では伝えられない。手で覚えるしかない。

 彼女は趣味でやっているだけあり、その辺の感覚をすでに持っている。おかげで教える手間が大分省けた。これだけの仕事ができれば、もう少し研鑽を積めば駆け出しのパン職人としてやっていけただろう……男だったら引く手数多だ。

 ……残念なことに、この世界で女性の地位は低い。特に結婚せず、子供を持たない女性は。ルストリカはどちらも持たないため、外に出れば軽んじられる立場にある。彼女の年齢なら、居てもおかしくないというか、居ないとおかしいものだが。なにか事情があるのだろうか。軽い雑談で聞くには、少々センシティブな話題だ。気になるから、という理由で尋ねていいものではない。

 業務に影響がないなら、従業員のプライベートには干渉しないものだ。


「終わりました!」

「よし。じゃあ次はこっちを見ていて」


 考えながら手を動かしていると、分割が終了した。このままベンチタイムを取って、分割した生地を休ませる。それが過ぎれば成形に入るが、待つ時間がもったいないので別の生地を捏ねるのだ。

 今分割したのはフランスパンの生地。ハード系のパンで、高温で短時間焼成。次こねるのはソフト系のパン。生地に卵とバターを練り込んだ、とても贅沢なパンだ。これは低温で焼くため、フランスパンの後に焼くのが、窯の温度が下がっていてちょうどいい。


 高価な材料を使っているので、販売価格も多少高くなる。具体的に言えば、原価が倍くらい違う。少しだけの量を試験的に販売して、反応を見て好評なら量を増やしていく。その最中。こんな贅沢なものが作れるのも、店の売上額が徐々に上向きになっているからだ。

 このまま何事もなければ、いずれ親父が蒸発する前、おかしくなる以前の売り上げ水準に戻るだろう。戻すだけではなく、それ以上に繁盛させるのが最終目標になる。

 そうなれば、彼女に給料も払えるようになる。いつまでもオスカーさんに借りばかり作っては居られない。



 室温と、粉の温度を計る。温度計がないので指を突っ込んで勘でやらねばならない。温度計があればそんなあいまいなものに頼らなくてもよいものを……残念ながら、この近辺では売っていないのか見たことがない。


「室温が高ければ低めの水温にして、室温が低ければ高めの水温にして」


 と、ここまで説明して。一体どう言ったものかと悩む。どうしようか。


「まあ、いい感じになるように。表面がつやっとなれば。温度が合っていればいいようになる」

「ずいぶんと適当ですね」

「そうだなぁ……でもそうとしか言いようがないんだよなあ」


 しっかりと理屈と根拠はあるんだが、理屈を裏付ける数字(温度計)がないので、こういう説明をするときにはちょっと困る。感覚頼りだ。



 新しい生地が捏ねあがったので、そいつを箱にぶちこむ。捏ね終わった時間が、ベンチタイム終了なので、パンの成型を行う。また作業台に向き合って、成型スタート。

 生地をつかんで手粉の上に軽く落とし、粉を少しつける。つけすぎると粉のせいで滑って成形できず、足りなかったらまな板にくっついて汚くなる。難しい塩梅だ。

 生地を奥側へ半分に折りたたんで、真ん中に人さし指を置く。その次は指を巻き込みながら手前にひっくり返し、折り目を下にして、両手の指先に皮一枚引っ掛けて軽く締める。そして軽く伸ばす。伸ばしたら粉を振った布の上に。

 うまくやれば表面の皮が裂けずに、真っ白なでかいイモムシみたいな感じになる。例えが悪いが他に思いつかない。

 文章で説明するとこうなるが、説明だけ聞いてもできないのが手仕事。はじめての人は目の前でやって見せてもなかなかできない。コツを掴むまで何度、何日も続けて、ようやくできるようになるのだ。


「さすが本職。早いですねー」

「丁寧な仕事をするんだ。そのうち手が早くなってくる」


 彼女の方も、慣れた手付きで成形を進めている。上手に、綺麗にできていて見本のような仕上がりだ。口出しの必要がないのはとても助かる。経験者ってのは即戦力だってはっきりわかんだね。

 あとはもう少し手が早くなって、一日の仕事の流れを把握できれば、頭ゴブリンお嬢様の店の製造担当を任せることを考えてみてもいいかもしれない。発注や在庫管理とか、そういう雑務は俺がやって。悪くない案だ。忘れないように、壁にかけたメモに書き留めておく。

 紙も安いものではないので、本当に大事なこと、忘れてはいけないことを優先で書いている。レシピなどもこの中に入っている。それだけ重要なことなのだ。


「何を書いてるんですか?」

「お嬢様の店の製造担当を君に任せようかってことをね」

「ひぇ、そんな恐れ多い!」


 振り返りながら答えれば、彼女が驚いた拍子に、成形していたパン生地が顔に飛んできた。避けたら生地が地面に落ちて、勿体ないな。と考えてたら手が間に合わず、そのまま顔にべちっと命中。重量感のある生地塊が直撃し、頭の中身が揺れてたたらを踏んだ。


「あわわわあわ……! ご、ごめんなさい!」

「気にしない気にしない……どうせまだ先の話だ。そうすると決まったわけじゃないし、ボツにするかもしれない。だから今は気にしないでくれ」

「あっはい……そうします」


 顔に張り付いた生地を剥がして、まな板の隅に置く。こいつは明日の生地に混ぜよう。

 納得させられたので作業を再開。二人だと作業がどんどん進む。やっぱり人手があるっていい……もう一人くらい増えたら。と思ったけど、給料も払えないので増やすに増やせない。もっともっと儲けが出てきて、パンを山ほど作るようになって、人手が足りなくなってから……そんな日が来るといいなあ。


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