第10話 敵情視察
今日は水曜日。定休日である。オスカー氏との会談後最初の休日で、父親失踪後最初の、休養をとれるちゃんとした休日だ。今日ばかりは返済計画の詰めも、新商品の企画もせずにのんびりと過ごす…………そんなつもりは毛頭ない。
貧乏暇なし、働かざるもの食うべからず、タイムイズマネー、インガオホー。いろいろな言葉にある通り、さぼればさぼっただけ、最終的には損をするのだ。若干意味は違うがそんな細かいことはどうでもいい。
ちなみにルストリカには休みを出した。従業員には、出勤日は精一杯頑張ってもらって、休日はしっかり休んで疲れをとってもらってまた働いてもらう。苦労するのは経営者だけでいい。自分の思想を他人にまで押し付けるのはマナー違反です。
そういうことで、一日ゆっくりするもよし、どこかに遊びに行くもよし……といってもこの町に娯楽なんてあんまりないんだけど。たまに旅の劇団がやってくるとか来ないとか……ちなみに見たことはない。興味はあるけどいつの間にかきていつの間にか去っているような人たちだし。休日に出くわすこともないので、縁が薄いのだ。
ということで、店長である俺は休日にしかできない仕事をする。今日の予定は自分の店を離れての敵情視察。営業時間中に店を離れるわけにはいかないので、休日に行くのは当然のことだ。
視察する「敵」とは競合店舗のことで、この街には何店舗かあるのだが、今日はその中でも一番大きな—先日放火未遂をやらかしてくれた—フランお嬢様の店に行く。店名はたしか、パン・ド・フランジア。まずい上に高価なパンを売っていると噂の。自分の名前を店名につけるなんて、俺には恥ずかしくてとてもじゃないけど無理だ。しかもマズイパンを出しているなんて……絶対に表に顔を出せない。そこら辺の面の皮の厚さというか、胆の太さは見習うべきかもしれない。
とはいえ、噂は噂。自分で確かめることなく噂のみで相手を評価することは、間違っていたら大変な失礼にあたる。オスカーさんから指導も頼まれているし、この敵情視察は実力がどれほどのものかを確認するいい機会である。
ということで店の前までやってきました。金持ちの別荘に看板つけた感じの立派な店構えである。店の中からはパンの焼けるいい香りが漂っているので、今日も営業しているのは間違いなさそう。
お邪魔します、とドアを開けて進入。おしゃれな小物、絵画がいくつか壁際に並んでいて、雑貨屋も兼ねているのかと思った。けど値札はついていないので、たぶんそうじゃない。店長の趣味だろう。なるほど、いかにも女性らしくていい。うちとは客層が違うのだろうな。
雑貨を横目に、メイン商品のパンが陳列されている棚の前まで進む。並んでいるのはうちと同じようなバゲット、フィセル、ベーコンサンド。特に目新しいものはないし、見た目も美しいものじゃない。メスの入れ方が悪いのか成形が悪いのか、クープの開きが悪いし、盛大に横っ腹が裂けているものもある。パンの肌がボロボロだったりもする。
……個人的な意見だが、味がいい料理というのは大体見た目もいいものなのだ。美しい料理は、美しい料理を作れるだけの技量があることを証明しているのだから。パンはそれがより顕著。素人が作ったパンと、熟練の職人が作ったパンを見比べれば一目瞭然……この店に並んでいるパンは、素人よりはマシってところだな。
おまけに値段も倍くらいするし。よくこれで人の店を潰そうなんて思ったもんだ。仮に店が潰れていたとしても、このありさまじゃ客は来ないだろう。
職人を雇ってる、的なことを言っていたが、並んでいる商品はどう見ても職人の仕事じゃない。パンというのは、一つ手を抜いて失敗すればリカバリーにも後の作業にも余計な時間と手間がかかって余計に面倒なことになる。めんどくさいから、マジメにやるのがアホらしいからと手を抜くなんてありえないことだ。職人を騙る素人だろうか。うちの従業員でももうちょっとうまく作る。
いろいろ考えながら、とりあえず一つパンをつかんでカウンターに。接客担当の美人さんに代金を渡して、「店長に用がある。カニス・ブラウンが来たと伝えてくれ」と頼んだ。
「了解しましたー」
気の抜けた返事と共に店の奥へ消えていく店員。少し待つ。奥からドタドタと優雅でない足音とともに、ポニーテールを暴れさせながら駆け足で現れたのは、先日俺の店に放火未遂してくれやがったフランお嬢様。この店の店長。彼女は競合店の頭がやってきたと聞いてどう思ったのだろうか。
「急いで来なくてもよかったのに。それともそんなに早く俺に会いたかったのか? いやー照れるなー」
「ひどい冗談ね。いったい何の用があって来たのよ」
美人の怒り顔は怖い。できれば普通の客として来たかった。そうすれば美人な店長だなーって純粋な気持ちで見られたのに。今じゃこのくそアマが、くらいにしか思えん。
「この前の仕返しに」
「!!」
「嘘だよ。ただの敵情視察」
恨みがあっても店に火をつけるほど馬鹿じゃねえよ、と口に出すほど浅はかではない。口外しないという約束もある。
そういうことで。怯えた顔をした彼女に目的を告げて、パンをかじる。うん、マズイ。それとも自分の作るパンが美味すぎるせいで舌が肥えてしまったか? そこまで自惚れてはいないが、このパンがうちの商品よりも格下ということは間違いない。
「と、もう一つ用事ができた。よくこんな不細工でまずいパンでうちの客を取ろうと思ったな? これでいいと思うならその舌今すぐ切り落して犬に食わせろ、犬のほうがまだ味がわかる」
我ながらひどい侮辱だが、こんな生ゴミでうちの客を奪えると思われていたことよりはマシだ。俺への侮辱でもあるし、うちの客への侮辱でもある……確かにここ最近品質が落ちてはいたが、それでも最低ラインは保っていた。あんまり言いたくはないが、ここの商品は最低ラインを下回っている。
「そ、そんなに言うならアナタが作りなさいよ!」
「心配しなくてもその内そうなる。オスカーさんにこの店の指導を頼まれたからな」
「馬鹿な事言わないで!」
やってみろと言われたから、やってやると言ったらキレられた。なにこの理不尽。栄養が全部乳に行って、脳みそに必要な栄養が足りてないんじゃないのか?
「キャンキャン吠えるな。見ろ、店員がおびえてるじゃないか、かわいそうに」
カウンターからバックルームに引っ込んでしまった店員を指して。部下の管理も上司の仕事だぞ、おびえさせてどうする。
「誰のせいよ……と、本当なの。さっきの話は」
「貧乏人にも言っていい嘘と悪い嘘の区別はつくぞ。疑うならオスカーさんに確認してみろ」
「後でするわ。今日の用事はもう済んだでしょう。帰って」
「へいへい」
ここが自分の店ならば、製造担当を再教育するところだが、他人の店だ。そこまで口出しする義務も権利もない。ついでに言うと、完全な競合店なのだから放置でいい、自滅してくれればうちの客が増える。
……本来なら、それで立ち去ってもいいのだが、至極面倒なことにこの店の業務改善を命令されて、引き受けてしまったために、義務が発生してしまった。
聞いてもらえるかどうかはともかくとして、立ち去る前に口を出す必要がある。
「製造担当をもうちょっとマトモな職人と入れ替えろ。そうすりゃ多少マシになる」
「どこにいるのよ……マトモな職人なんて」
「ここに居るぞ。というのは冗談だが、お父様にあたってみたらどうだ。人脈は豊富だろうさ」
「……もういいわ。帰って。三度目は言わせないで」
「後々の手間が減るように頼むぞ。こっちも暇じゃないんでな」
捨て台詞を吐いて今度こそ立ち去る。彼女に改善の意思があるなら手助けするが、その気がなければ、店長を入れ替えない限りどうすることもできん。
プライドをめっためたに傷つけてやったんだから、反骨精神で良いほうに向かってくれることを期待する。