第1話 最悪の誕生日プレゼント
吾輩は転生者である。名前はちゃんとある。カニス・ブラウンという。母には早くに旅立たれ、尊敬する父とともにパン屋を経営し、子供のころから地域の人々の食を支えてきた。贅沢こそできないが、人々から感謝と報酬を受け取るこの職には誇りを持っていた。
さて、急な話だが、私は現在大変な窮地に立たされている。「きゅう」だけに。
今日は私がこの現実とは異なる、つまり異世界だな。に生まれ落ちて二十年が経つという、記念すべき日だ。輝けるハタチの誕生日である。大人として扱われるのは十五からだが、現代人の常識も持つ己としては一つの節目である。そんな素晴らしい日に尊敬すべき父から渡されたプレゼントは、「多額の借金がある」と「探さないでください」の書置きであった。
もう一つ最悪の誕生日プレゼントを持ってきてくれたのは、父親に金を貸していたブルジョワ貴族、金貸しで成り上がったと悪い意味で有名なティルトさんだ。
自分の中ではこの日に父から経営を譲られる予定で、これからの経営ビジョンに胸を膨らませていただけに、落胆は大きい。借用書の針で刺されて、胸を満たしていた希望が、熱意が、全部がプシューッと楽しくない音を立てて抜けていく。血の気が引いていき、めまいがして、足から力が抜けて。壁にふらふらと寄りかかる。この衝撃は目覚まし時計のベルの代わりにドラゴンの咆哮で叩き起こされるのに匹敵する。そんな経験はないけども。
前触れは、思い返してみればいくつもあった。商品の製造数を減らし、休業日を増やし、休みの日には街のほうへフラフラと消えて行って、日が落ちる前に不機嫌な顔をぶら下げて帰ってきては、浴びるように酒を飲む。仕事はするが粗が多く、品質の低下は著しかった。
帳簿の数字が合わないことも増えていた。おかしいとは思った。問い詰めもした。だがそのたびに「生意気言うな」とか「誰に育ててもらったと思ってる」とか、理不尽にキレて話にならないので、めんどくさくなり不摂生で死ぬのを待っていた結果がコレだ。殺してでも……は言い過ぎだが殴ってでも止めておくべきだった。
ああだこうだと後悔の念が浮かんでは消えていく。だが、すべてはもう過去のことで、どうしようもない。目の前の現実に立ち向かわねば。
「で、どうする。彼の資産といえばこの店しかない。それを継ぐのなら、この借金は君が返さなければならないワケだが……持ち合わせはあるかい?」
上等なグレーのコートにブーツ、片手にステッキと懐中時計といういかにも金持ちファッションな紳士が、テーブルの上に借用書の束を広げて尋ねてくる。応接室といえど、所詮はパン屋のオマケの一室。調度品は質素そのものであり、彼を受け入れるには全くふさわしくない空間で申し訳なくなる。
ちなみに金額は、ざっと見たけどよく個人でここまで借金ができたものだと感心するほど。何年もかけて酒と女を買い続けていればこうなるんだろうか。
「ありませんねぇ!」
もちろん金なんてない。ないものはない。財布をひっくり返しても埃しか出てこない。店の売り上げ金は全部糞親父が持ち逃げしてくれやがったので、手元に残っているのは自分の小遣いと一か月分ギリギリの経営資金、現金以外の資産くらいだ。
「で、どうする?」
……もちろん、返す。借りたものは返すのがスジだから、踏み倒すという選択肢はない。踏み倒せる相手でもない。問題はどう返すかだが……働いて返すしかない。庭を掘って金銀宝石温泉でも湧いてくれば話は別だが、ありえないことを想定しても意味がない。
そして店を借金のカタに明け渡すという案は、当然ない。前世も今世もずっとパンを焼いて暮らしてきた。他に誇れる技能もないからして、違う仕事で食っていけるとは思えない。もしも店を売り渡したら、誰でもできる農奴か鉱夫か。運が良ければ、経験があるからほかのパン屋に拾ってもらって下っ端から再スタートできる。かもしれないが……可能性は薄い。過労死するまでコキ使われるかもしれないし。自分の店が維持できるのならそれが最善だ。
「働いて返します」
「金額は大きいぞ。いつ返してもらえるのかね」
「即答はできません。一か月待ってください。試算と引継ぎに時間がかかりますので」
「返す意欲があるなら結構。ま、ダメなら店をもらうだけだ。せいぜい頑張るといい」
返事は大変アッサリしたものだった。土地の価値は低下しないのだし、少しでも徴収できる金額が大きくなるならその方がいい、ということか。今すぐ取り上げるなんて言われなくて心底ほっとした。
「では一か月後にまた」
「今日はどうもありがとうございました。またお越しください」
腰を上げて、店から出ていくティルトさんを見送って、大きくため息をつく。
「ハァー……人生最悪のバースデーだ」
椅子に座って、テーブルに広げられた借用書を隅っこのほうへまとめて。机に突っ伏してもう一度、人生最大最長のため息をつく……そのまま魂まで抜けそうになるのを、息を吸って引き止めたら、10秒数えて立ち上がる。
休憩は終わりだ。切り替えていこう。
「もうしばらく休みはないな」
気合を入れるために、バシンっと頬をたたく。痛い。やらねばならないことは多い。道程は長く忙しいものになるだろう。だが投げ出すことはできない。それは己の人生を投げ出すに等しいことだ。
パン屋の仕事は過酷だが、農夫に比べれば事故や病気の危険も薄い。収入も悪くないし、休みも自分で決められる。上流階級ではないにしろ、中産階級程度の立ち位置にある。この立場を捨てて下層に落ちれば二度と這い上がれない……なんとしても店を守らねば。
まずやることの確認だ。もともとやる予定だった在庫の確認、材料の仕入れ先へのあいさつ回りと発注。商品単価の設定、過去の実績からの売り上げ予想。失った客からの信用も計算に入れて、紙にまとめて返済計画としてティルトさんに渡す。もちろん、この世界じゃ紙だって高級品。だがあえてその高級品にしっかりと書き込んで手渡すことで、こちらの覚悟を示すことができる。
……あとは、そうだな。もう自分の店になったわけだし、好きに新商品を作ったりしてもいいだろう。
ただし魅力的な新商品で一発逆転、ということはあり得ない。人々は慣れたものに安心を覚える。新しいものが定着するまで時間がかかる。だが出資者に意欲を見せるパフォーマンスとして、やっておいて損はない。
「一つ一つ、やっていこう」
終わらなければ、自分の人生が終わるのだ。ここで気張らずしていつ気張るのか。がんばれ、カニス・ブラウン。