九話 現れた王
そこは薄暗い密室だった。
密会をするには理想郷であるその場に二人の男と未知の女がいた。
仄かに漂う灯りが彼らを映す。髭を生やしたがっしりと鍛えられた体躯をした赤髪の男は腕を組んで述べる。
「それは真か?」
訝しむ赤髪の男に、眼鏡を掛けた白髪の青年は鼻を鳴らす。
「誠だとも。嘘偽りは存在しない。行けばわかる。そこに真偽の天秤は転がっているのだから」
にやりと歪に笑う青年に赤髪の男は不快に目を細める。それは確かなる疑問と疑心であった。
青年の口から出たもの全てを信じるほど赤髪の男は愚物ではない。
赤髪の男は青年を観察する。本当の真偽を確かめるために。
「嫌だな。そんなに睨まれちゃ眼も泳ぐし、肩もすくむさ」
「貴様を信じるに値する根拠はどこにある?」
「あはっ僕を信じられないかね?」
「……当たり前だ。俺たちと貴様は敵種。今こうして話しているだけでも知られてみろ。全てが傾くぞ」
赤髪の男が声を落とす。それに怯えることなどなく青年は余裕綽々に笑う。
「その通りさ。我々は秘蔵に手を出しているさ。知られることなど許されない。しかし……それこそが僕の証明にならないかい?」
「どういうことだ?」
首を傾げる赤髪の男に青年は眼鏡をくいっと上げ、嗤う。
「危険を犯してまで敵種に協力を願っている」
「——っ‼」
「僕はその過ちを犯さなければいけないほど、彼らは危ないという事さ。今すぐにでも実行すべきだ。〈パンドラ〉を手に入れるために。欲望のために、さっ!」
その言葉自体に説得力は伴っていた。ここで一つでも間違えば赤髪の男も青年も死ぬ。それが揺るぎない真実であるからこそ青年の見解が窺える。
それでも、彼という人間が信用できない。
……どうもこの話は嘘くさい。ただでさえ——
男の思考を遮断させたのは鶴の一声。
「私が誓いましょう」
戦慄が暗闇を塗った。絶対的な証明であった。疑いようのない肯定であった。
「……『神様』のお墨付きとは」
赤髪の男は笑った。卑屈に笑う。自らの浅はかさに嫌気がさし頭をがしがしかく。
神様と言われた未知の女は、「まだ神様ではないのだけれども」と謙遜して薄く笑う。
「なら決まりだ。今後ことは追って話す。どうか裏切らないでほしい」
青年の懇願に赤髪の男はふんっと鼻を鳴らす。
「‥‥‥裏切る要素がどこにある?」
「違いないさ。それとくれぐれも気お付けてくれよ。欲望者」
男が出て行った密室で青年は堰を切って嗤う。恐々に嗤う。
「本当に馬鹿だね。馬鹿すぎるね!」
手で目を覆い天井を向いて嗤う。
「真の正しさを理解していない。たった一言、あなたの一言だけでこんなにも信じるとは!嗚呼、哀れだ。哀れさ!哀れすぎる‼僕の何を信じた?何に真実があった?どこに決定打があった?貴女の誓いだけであんなに速く納得したのさ。これを嗤わずして何に嗤う――ッ‼」
「それは私への侮辱かしら?」
未知の女は微笑む。その笑みは怖いほどに美しい。
「まさか!これは貴女への称えだ!貴女という神が千の軍勢をぼくの手の中に収めてくれたのさ。確かに彼自身の欲が有れども、ここまで完璧に事が運ぶとは!感謝?そんなものでは足りない!僕の手を取って下さった貴女様に僕の忠義、命を捧げるなど容易い!――貴女には感謝しきれません」
「ふふふっ、いいことね。私のために貴方には頑張ってもらわないと」
「全ては貴女様のために……そして、世界に紡ぐ新たな神話のために」
*
あちらの世界から戻ってきて三日が経った。
この三日間、私は相も変わらず日常を満喫していた。
学校に行って魔術、剣術、体術、座学などを学び、クーラ、ビオレッタ、ティアと楽しく過ごしていた。
そして私は思う。日常とは幸せをつくる世界であり、非日常とは憧れるものである。
だから、私は精一杯ティアたちとの日々を楽しみに刻んだ。過去をも塗りつぶすように。
でも、私の中に芽生える小さな蕾が大きくなっている事にも気が付いていた。
彼に会いたい、と。
約束をした。また会おうと手を繋いだ。
私は待ち焦がれている。
今日は月が青く輝くのだろうか。私の胸はそのことで一杯になっていた。
学校が終わり、帰宅路をティアと歩いていた。今は青の火曜日の四時。つまり月はまだ出ておらず、青い空に雲が所々に浮かんでいる。待ち焦がれる私なんて恋する乙女みたく思えるがそんなものではなく、興味と好奇心が募る未知への歓喜なのだ。月が速く出ないかとため息が漏れた。
「どうしたのため息なんてついて?」
「うんうん。なんでもないわ」
「そう?なんだか恋する乙女のような顔をしていたけど?」
「えっ?私そんな顔してないわよ」
「うんうん。ここ三日くらいねしてるよ」
「嘘っ⁉」
自分で自分の顔を確かめる。ほっぺをもみくちゃにしたり、抓ったり……
「そんなことしたら綺麗な顔が台無しよ」
「私より綺麗なティアに言われてもね……」
「ふふ。ありがとうね」
嬉しそうに微笑むティアに私も笑う。
暫く歩いていると前方から喧騒が一気に増強していた。慌てて私達もみんなと同じ方向に眼を向ける。
「王子様の馬車だわ」
ティアの声が私の耳には確かに聴こえた。
王子様‥‥‥
こちらへ向かって来る馬車には二人の男と女の人が描かれた勲章が模様されている。
それは確かに王族の証。白馬はゆっくりと私たちの前で停止した。思わず目を開く私たちと民衆はざわめく。
そうして、開かれた扉から出てきたのは、灰色の髪に華奢にも思えなくない細身で逞しい体躯をした好青年、この国、中立国アウトクラシアの現王グリス・フォワ・ティングレムその人だった。
中立国もっての最高者に私とティアは慌てて頭を下げる。
周りにいた市民たちも一斉に頭を下げてその場に留まる。
沈黙が流れるその光景を見たグリスは苦笑い。グリスは王でありながら王としての扱いの加減に困っていた。
王としてこの国を導いていくことを使命と理解し、国民に対して友好的に接しようと努力しているが、民は王様との関わりに畏怖してしまっている。王として当然だとしても、グリスとしては嫌で仕方がない。
「まあまあ皆さんお顔をお上げください。そのように畏まらなくてよろしいですから」
その声に民衆はおずおずと顔を上げていく。目に良いのだろうかと戸惑いが見て取れた。そんな中一番最初に顔を上げて言葉を発したのはティアだった。
「これはグリス・フォワ・ティングレム殿下、お目にかかり恐縮です」
「ティアも久しぶりだね」
「ええ、殿下もお久しゅうございます」
王子の前で堂々と見せるティアに民衆は揃って眼を点にする。
「ユリスも久しぶり」
「お久しぶりです殿下」
「その口ぶりは君には似合わないね」
そう言うとグリスとティアは一緒に笑い始めた。
(民衆の前だから気を使ったのに……)
不貞腐れる私にグリスは妹を見るかのような慈愛を目に宿して見つめていた。
「それはそうと二人に用事があるんだけれど、屋敷までよろしいかな?」
私とティアはお互いを見つめ合い、そして軽く頷いた。
「ありがとう。それじゃあ馬車に乗ってくれ」
馬車に乗るグリスの後を私たちは続いた。
「ティア、足元にお気をつけて」
そう言いながら手を伸ばす。それはまるで王子が王女を支えるかのように。
眼を丸くしたティアは少し顔を赤らめながらグリスの手を掴んで馬車に乗り込む。
「ありがとうございますグリス王子」
「いえいえ。私がしたかっただけですから」
そこにはハートが浮かんでいるような甘く愛しい光景であった。
無論、私には甘すぎで射し伸ばしてくれる手は何処にもなかった。
屋敷に通された私たちはグリスの後を追いある一室へと通された。
そこはグリスの書斎であり、しっ切りなしに携える本棚には千と越える本があり、大きな窓から差し込む日向がほかほかと書斎を明るくしていた。窓から見える中庭には色とりどりの花々が咲き誇っている。
「わあー!」
ティアは感動のあまり声を漏らして窓辺に近寄り花々を見つめる。
「綺麗‥‥‥」
陽光を浴びるティアの髪は薄い金色に輝き、零れ落ちる感嘆はうっとりとしていた。
「ティア、花たちを見てきても構わないよ。その間ユリスと話をしておくから」
「良いのですか?」
「ああ。いいかいユリス?」
「‥‥‥はぁー、いいわよ。ティア迷子にならないようにね」
「ありがとうございます!あといくら私でも迷子に何てならないんだからね」
「よろしくお願いしますサナさん」
「はい。お任せ下さいまし」
使用人のサナはお辞儀をして「ティア様こちらです」と案内する。
ティアの膨れっ面は満面の笑みへと変わりサナと共に部屋を出て行った。
暫しの沈黙の後、グリスは私と自分のコーヒーを入れて客人用の机に置く。
私はため息をぐっと堪えて席に着いた。それを見て私の前に座るグリスの顔は真剣そのものだった。
「で、何があったの?」
私の唐突な質問にグリスは肩をすくめる。
「君には敵わないね」
「ティアをわざわざ部屋から退室させたり、私たちを王自ら迎えに来るなんて何かあったのかしか考えられないわ」
グリスは沈黙する。私は一息吐いてグリスを見据えた。
「さあ話して。従兄」
*
これは別のこと。
その昔、約三百年前、異端の少女はこの世界に新たな革命を起こして闘いを望まない平和な国中立国アウトクラシアをつくり上げた。
異端の少女はニル・ティングレムという白髪の男性と恋に落ち、子供二人を出産した。
青い髪の女の子と灰色の髪の男の子は生まれた時から魔法の才に恵まれていた。それは正しく神童と呼ばれ始めるほどに。
ニルは中立国アウトクラシアの王となり民を導いた。異端の少女は幸せであった。子供に恵まれ、民衆に信頼を受け、愛する者と望む優しい世界をつくり上げれることに喜びを描いていた。
しかし、それは長くは続かなかった。子供たちが4歳になったある日、反乱が起こった。我が種族を誑かしたと二つの種族が中立国アウトクラシアに、否、異端の少女に矛を向けたのだ。少女は必死に逃げ回った。罵声を受け、攻撃され、裏切られた。
ついにはニルとも離れ離れになり、深い深い森の中に彷徨い続けた。助けを求めるよりも先に敵に見つかり、異端の少女は炎の爆発と共に姿を消した。
その後、少女の死を聞かされたニルは彼女の意志を受け継いで中立国アウトクラシアを復興させた。
武力を禁じ、罵りを禁じ、協力を尊重し求めあう優しい国を作り上げた。
少女が残したこの国と宝玉のような我が子供を大切に大切に育てた。
しかし、この国に残っていたのは灰色の髪の子だけであった。
少女と共に姿を消した青髪の女の子は少女と共にどこかで生きている事だろうとニルは強く強く心に刻み涙を流した。
これはティングレム家の書庫に隠されていた真実である。
異端の少女の血を受け継いだ明主にしか見る事の出来ない真実であった。