82 認識された初めての崩壊
激しい耳鳴り。
バグ画面を見ているかのような、景色の崩壊。
頭に直接響いた子供の『ベノムを倒せ』という声。
家を包囲するように出現した、6つのダンジョン。
ひとまず起こったことを頭の中で列記してみたが、一つとして原因や理由がわかるものがない。唯一確かなことといえば、明らかに『普通』ではないということぐらいだ。
なにか良くないことが起ころうとしている――そんな気がした。
公爵家や王家の警備兵が慌ただしく通信の魔道具で連絡を取っているのを横目に、俺は出現したダンジョンのランクを確かめるために、ダンジョン内部へと通じる転移の魔方陣へと近づいていった。
「エスアール様! 危険です! こちらはまだランクも確認できていないので、不用意に足を踏み入れないほうがよろしいかと」
こちらに気付いた警備兵の一人が、焦った様子で声をかけてきた。
俺は声がしたほうを振り返って、笑顔を浮かべる。混乱しまくってはいるが、作り笑顔をするぐらいの余裕はあった。
「平気ですよ。だいたい予想はできていますし、いざとなれば緊急帰還で帰ってきますから」
「ですが……」
「大丈夫ですって。自分で言うのもアレですが、実力的に適任でしょう?」
警備兵の返事をまたずに、神殿のような建物に足を踏み入れる。
俺は一刻も早くこの訳のわからない現状を解明したいのだ。
警備兵たちの視線を浴びながら、出現した石柱にライセンスカードをセット――、
「やっぱりSランクだよな……」
予想通り、Aランクダンジョンの踏破歴がない俺のライセンスでは、転移の魔法陣は起動しなかった。やはりここはSランクダンジョンで間違いないのだろう。
警備兵に俺のライセンスカードでは入れなかったことを伝えて、腕を組む。
……となると、残りの5つも同じランクのダンジョンと考えるべきだろうな。それがわかったところで、なんの解決にもなっていないことがネックだが。
しかし念には念を。
俺は出現したすべてのダンジョンにライセンスカードをセットしてみて、入場ができるかを確認して回った。案の定、一つとして入ることはできなかったが。
実際にダンジョンの中に入ることができれば、魔物の種類でどの国に出現するはずだったダンジョンなのかを確認できるのだが、今の俺にはそれができない。
見たことのない魔物がでてきてくれたら、ゲームの世界にはなかった新たな要素として納得できるんだけどな。
ダンジョンから少し距離をとって、慌てた様子の警備兵たちを眺めながら考える。
「全部Sランク以上ってのはわかったけど……」
わかったがゆえに、わからなくなった。
VRMMOテンペストでは、どの国のダンジョンが踏破されようが関係ない。Bランクダンジョンが踏破されたら世界中にAランクダンジョンが出現し、Aランクダンジョンが踏破されたら同じく世界中にSランクダンジョンが出現する。
他の5つの国もこのリンデール王国と同じようにSランクダンジョンが6つ出現しているのだろうか? それともゲームと違い、踏破した国にだけダンジョンが出現するような仕組みになっているのだろうか?
……駄目だ。わからん。
王家やギルドに各国の状況を聞き出してもらおうかな。
そう思って、手が空いてそうな警備兵を探すために周囲を見渡すと、風になびく真っ赤な長髪が目に入ってきた。
彼女は驚いたように目を丸くして、きょろきょろと周囲を見渡していた。そりゃ家の周りにたくさんダンジョンができれば驚くわな。
セラは俺と目が合うと、小走りでこちらに向かって駆けよってくる。
「エスアール! これはどういうことだっ!?」
「いや、実は俺にもさっぱりわからないんだよ。とりあえずSランクダンジョンっていうことは確認したが、なぜこんな場所にこんな数現れたのか……」
「貴方でもわからないのか……」
そう言って、彼女は考え込むように顎に手を当てる。
本当なら、彼女たちに今頃気持ちを伝えられていたというのに……上手くいかないもんだな。
そういえば。
「セラ。このダンジョンができる直前、子供の声が聞こえなかったか? 頭の中に直接聞こえるような感じのやつ」
「いや、聞こえていないと思う。ダンジョンができたのも、警備兵たちの騒ぐ声で気付いたからな。それまではのんびりコーヒーを飲んでいたよ」
では、目まいや耳鳴りはどうかと尋ねると、彼女は真剣な表情で顔を横に振る。
……ふむ。あれは俺だけに起こった現象なのだろうか? それとも、セラだけに起きていない現象なのか?
わからない。
「エスアールに聞こえた子供の声とやらは、なんと言っていたんだ?」
「あぁ、ベノムを倒せってさ」
「? ベノムとはなんだ? 魔物か?」
やはり、普通は知らないはずだよな。なにしろこの世界にはまだ存在していないダンジョンにいるのだから。知っているほうが異常である。
「まぁそんなところだ――、ひとまず警備兵たちは忙しそうだし、フェノンとシリーにも子供の声が聞こえたかを確認してみようか。彼女たちは家にいるんだよな?」
家の周囲には彼女たちの姿は見えない。おそらく偵察としてセラだけが様子を見に来たのだろう。
フェノンたちに聞けば、ダンジョンが出現する直前に起きた謎の現象が、俺だけに起きたのか、それともセラにだけ起きなかったのかがわかるはず。
そう思ってセラに問いかけたのだが、彼女は固まっている。驚いたというよりも、ポカンとしているような顔だ。
セラはその表情を維持したまま、首を傾げた。
そして、俺の心臓はギュッと縮まることになる。
「えっと、すまない。フェノン? とシリーとやらは、エスアールの友人か? 初めて聞く名だが」
………………は? 初めて聞く名――?
「……おい、温厚な俺でもさすがに怒るぞ。いまは冗談を言っている場合じゃない。緊急事態と言ってもいい状況なんだからな」
心臓が鼓膜を揺らすほどに、激しく鳴っている。
言葉ではセラを責めながらも、彼女の表情は冗談や嘘を言っているときのものではないことはわかっていたからだ。
頼む、お願いだ。冗談だと言ってくれ。
「しかし、本当に知らないんだ」
「そんなわけないだろうがっ! フェノンはお前の親友だろうっ!? お前が命がけで救おうとした王女じゃないかっ!」
俺のまくし立てるような言い方にビクビクしながら、セラは申し訳なさそうな表情で答える。
「エ、エリクサーのことか? あれは第一王女の、ラピス様のために――」
「その人は第二王女だろっ! 俺が言っているのは第一王女の、フェノンのことだ!」
ほとんど関わることのない人だが、その名前はフェノンから聞いていた。ラピス様は第二王女であり、病気のフェノンに代わり、他国の王子と婚約することになった人だ。
「なんなんだよ……」
会話がまったくかみ合わない。
俺が困惑しているのと同様に、セラも混乱しているのがひしひしと伝わってくる。
落ち着こう。
深呼吸をするんだ。
俺は一歩セラから遠ざかって、目を閉じた。大きく息を吸い、ゆっくりと吐く。それを三度繰り返した。
それから俺は無言でセラの手をひき、近くの警備兵の所に歩いていく。彼女はされるがままに俺についてきた。
忙しそうにしているかどうかなんて関係ない。一番近くにいる警備兵の肩を掴み、無理やりこちらに向かせて話を聞きだす。
そして、理解した。
この世界の人々は、フェノンとシリーが消えたことに気付いていない。それどころか、もともと居なかったことにされている。
ただ一人。俺というこの世界の異物を除いて。




