79 偽悪者
飲めや踊れやといった楽しいパーティは、夜遅くまで続いた。
今回は酒に溺れるような人は現れず、酔っ払った誰かさんを俺が介抱をしなければならない事態に陥ることはなかった。はたして幸か不幸か、神のみぞ知るということにしておこうか。
身分問わず全員で協力して食器やテーブルの片付けを行い、それぞれの部屋で日付の変更を迎える。
実に楽しい1日だった。
願わくば、俺以外の6人も『楽しかった』という気持ちを抱いたまま眠りについてほしい。
「――愛されてんなぁ」
ベッドで仰向けになり、ユカリムスビが彫られたお守りを天井に向かって掲げる。両手にはもちろん指ぬきグローブが嵌められていた。
この光景を誰かに見られたら、『そんなに嬉しいのか』なんてからかわれてしまいそうだが、まさにその通りなのだから言い訳もできない。ノックの音が聞こえたら極めて迅速に隠さなければ。
「ふんふふーん」
無意識に鼻歌を口ずさんでしまうぐらいに機嫌がいい。
この世界へとやってきて、本当に楽しいことばかりだ。
フェノンが病気に脅かされていた時はさすがに慌てたが、今となってはそれも一つのイベントのように思えてくる。
タイムリミットまでにエリクサーを入手せよ! みたいなクエスト。
……完全にゲームをしている時の思考回路だわ。ここが現実だということは、もうだいぶ前に理解したつもりだったのに。
「ステータスがある世界を現実だと認識するのは、俺みたいな現代日本人にはハードル高いんだよなぁ」
だが、お遊びの気分だといつ油断して死ぬかわからない。爪で引っかかれて減るのはHPではなく、この身に流れる血液なのだから。
そして当然、死者は蘇らない。ここは現実なのだから。
「SSランクダンジョンは――挑まないほうがいいのかもな……」
覇王ベノムが登場する、VRMMOテンペスト最大の難所。
このSSランクダンジョンだけは、他のダンジョンと様相が異なり、階層がないうえにステージは城だ。
その覇王城の中には、圧倒的な存在感を放つベノムだけがポツンと佇んでいる。
しかしその難易度は、一つ下のSランクダンジョンとは次元が違う。
「万が一死んだら、セラたちに申し訳ないし」
俺が覇王ベノムを単独で討伐できたのは一度だけだ。なにしろ討伐してすぐにこの世界に来ることになったのだから。
そしてその勝利には、何千何百という敗北が下地になっている。
悔しいことに、俺のベノムに対する勝率はコンマ1パーセントを切っているだろう。
だが、負けるつもりはない。
勝つ自信もある。なんといっても、俺は頂に辿り着いた男なのだから。
だが、死ねばそれで終わりだ。
「挑むって言ったら、間違いなくセラは怒るよな。フェノンは『エスアールさんなら大丈夫!』なんて根拠もない自信を持ってそうだけど」
裏声でお転婆王女様の声真似をしてみて、一人でクスクスと笑う。我ながら似てなさすぎて笑えた。
やっぱりダメだよな。
あの二人を残してこの世界を去るなんて、考えられない。
彼女たちと婚約できたとして――そして子供を授かったとして――、
「残されるほうは、たまったもんじゃないよな」
俺は自分を納得させるために、囁くような声で呟いた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
~???Side~
「SR君はきっと、僕を恨むだろうな」
世界を映し出す鏡には、パーティメンバーから貰ったプレゼントを愛おしそうに眺めるSR君の姿が写っている。ユカリムスビの絵柄が彫られたお守りを、彼は赤子の頬でも撫でるような優しい手つきで触っていた。
「本当にごめん」
謝って済まされるようなことではないと重々承知している。それでも僕は映し出される鏡に向かって頭を下げた。
もちろん、SR君はこちらを見ることができないため、何も反応はない。頭を下げるという行為は、あくまで僕の自己満足だった。
「……大丈夫かな」
これから待ち受ける地獄のような未来に、はたして彼の精神は耐えることができるだろうか。
正常な思考をすることは、おそらく不可能だろう。
僕が介入して、なんとか正気を保ってもらわないといけない。そうでもしないと、誰も助からない。誰も救われない。誰も報われない。
「僕が彼の立場だったとしたら、間違いなく殺したくなるほど憎むだろうね」
全て奪いさる。それも、計画的に。
自分で考えておきながら、倫理観に欠けていると言わざるを得ない。
加えて、SR君が僕の想定通りベノムを滅ぼすことができたとしても、僕が彼に与えられるものは、せいぜい完全な転生の権利ぐらいしかないのだ。
地球の創造神と違って、僕はそれほど優れた神ではない。力不足を嘆くばかりである。
「本当にごめん」
謝罪の言葉を、もう一度口にした。
彼と顔を合わせても謝るつもりはない。だから、今のうちに好きなだけ頭を下げておく。
謝るなら最初からするな――などと言われないように、僕は『悪』としてSR君に向き合うつもりだ。その覚悟は、ずっと昔に済ませている。
地球の創造神と交わした契約を守るためには、こうする他になかったのだ。彼に『地球に帰りたい』と思わせないようにするためには、仕方がなかったのだ。彼に命懸けでベノムを殺してもらうには、大切な物を奪い去るしかなかったのだ。
……なんて、そんなの言い訳だ。
本当は自分が救われたいだけなのに、屁理屈を並べて計画を正当化しようとしている。反吐がでるような思考だ。
我が子を大事にする地球の神は、さぞかしお怒りだろう。
こんな僕の考えも、きっとあの創造神様はお見通しなのだろうけど。
「頼んだよ」
もうまもなく、僕の創造したこの世界の住人――迅雷の軌跡が、Aランクダンジョンを踏破するだろう。すなわち、ベノムの封印に穴が開けられ、世界は目に見えて崩壊を始める。
力を付け過ぎたベノムに、力を奪われている僕は抗うことができない。
彼の『大切』が、壊れていく。
だけど、僕は彼を信じている。
セラ=ベルノート以上に、SR君の強さを信じている。
救いのない世界を乗り越えて、この世界を救ってくれると信じている。
およそ50億人に1人しかない『目』の適合者。
そして唯一にして最大の難関――ベノムを『単独』で討伐しうる存在。
彼以外にはありえないだろう――そう、僕は確信している。