7 模擬戦という名の戯れ
『おい、あそこの赤髪――ベルノート伯爵んとこの娘じゃなかったか?』
『あぁ、セラ様な。ギルドマスターも一緒に来てら。稽古でもすんのかね』
『――いや、もう一人黒髪の男がいるぞ。だとしたら模擬戦か?』
『いやいやいや。さすがに相手にならんだろ。セラ様は登録から史上最速でCランクライセンスを取得した人だぞ。男のほうは顔も見たことねぇし、新人じゃないか?』
俺、レグルスさん、セラさんは探索者ギルドの裏手にある訓練場へとやってきた。
広さはフットサルのコートぐらいか?
訓練場にしては少し狭いし、王都にこれだけの広さを確保できていると考えれば広い。
一部の探索者たちは、地べたに座って談笑しており、こちらに興味を示したような視線を向けている。
「武器はこれを使え。エスアールも剣士だから剣でいいよな?」
そう言いながら、彼はインベントリから2本の木剣を取りだした。長さは60センチほど、昨日購入したショートソードと同じぐらいのサイズだ。
剣を奪うように受け取ったセラさんは、レグルスさんに何も言わず、ずっとこちらを睨み続けている。
「あぁ。俺に剣は必要ないですよ。そんなものなくても、彼女ぐらいの攻撃ならかすりもしないでしょうし」
俺はレグルスさんから差し出された木剣を受け取らなかった。彼も『煽るな』と注意するのに疲れたのか、大きなため息を吐くだけだった。
実際、あの発言は事実なんだが、言っていいことと悪いことってあるよな。今回は間違いなく悪いこと――なんだけど、彼女を怒らせるためにも必要なことだ。
もしこれが漫画なら、彼女のこめかみから『ブチッ』という効果音が鳴っていることだろう
「おい、ギルドマスター。早く始めさせてくれ」
「あー……くれぐれも殺すような攻撃はするなよ。その場合は俺が止めに入るからな。――では、双方距離をとれ」
「わかりました」
俺とセラさんは10メートルほど離れて向かい合った。
うーん、視線が鋭い。勝てる自信があるとはいえ、少しビビる。ここがゲームの世界じゃなかったら速攻で回れ右してるだろうな。
こうして立ち姿の彼女をじっくりと見るのは、初めてだな。
やはり特徴的なのはその燃えるような髪の色。風でふわりと浮き上がるその長い髪は、火が揺らめく姿のようにも見えた。
質感の良い布の服に、要所だけを守るような鎧。装備を見るだけでも、うごきやすさを重視しているのが見て取れる。
出るところは出て、引き締まるところはしっかりと引き締まったボディライン。顔も小さくて美人だし、地球にいたらモデルとかにスカウトされそうだな。
俺とセラさんを含め、ちょうど三角形になるような立ち位置にいるレグルスさんが、俺たちの準備が調ったのを確認して、声をあげた。
「では、これより模擬戦を始める。勝敗は一方が『まいった』と宣言するか、行動不能になった場合――もしくは俺が続行不可能と判断したら試合は終わりだ。それに加えて、今回に限りエスアールが5分以上セラの攻撃を躱すことができたら、エスアールの勝利とする!」
そのハキハキとした口調は、俺やセラさんにしっかりと届いたが、周囲の探索者たちにも聞こえてしまったようだ。ザワつく声が聞こえてくる。
おっと集中集中。俺は当事者だからな。呑気に周囲を気にしている場合じゃない。
「――始めっ!」
一際大きな声で、レグルスさんが叫ぶ。それと同時、
「はぁあああああっ!」
セラさんはこちら目掛けて一直線に駆けてくる。そして、剣を大きく振りかぶった。
剣豪のレベル60とはいえ、他の職業に手を出していなければAGIはF――つまり、俺とさほど変わりはない。
力任せに振るわれる剣を、俺は軽く横に飛んで回避した。いくらなんでも大ぶり過ぎだ。躱してくれと言っているようなものである。
「死ねぇっ!!」
おいおい、殺しはダメだって言われてたでしょうが。
続けざまに首を狙って振るわれた剣を、俺は半歩だけ下がり、顎を上にあげることで回避。喉元には風だけが届く。
「――っち」
「どうしました? やはりDランクダンジョンの踏破者は、この程度なのでしょうか?」
「……絶対殺す」
その後も、彼女は気迫たっぷりの剣を振るうが、その太刀筋は一度も俺の身体を捉えることはできない。
俺も久しぶりのPVPで少し緊張していたが、少し落ち着いてきた。周囲の声を拾えるようになってくる。
『お、おい――本当に誰だよあいつ! セラ様がまるで相手になってないぞ!? Bランクにあんな奴いたか!?』
『……あの、さ。信じてもらえないかもしれないが――聞いてくれるか?』
『なんだよ、勿体ぶるんじゃねぇ』
『あいつ、昨日ギルドで見たんだよ。見たことないから気になってさ』
『あん? それがどうした?』
『その時たぶん――新規で登録してた』
『はぁあああああっ!? それはさすがにありえないだろっ!?』
どうやら内容は俺のことみたいだ。
目立って身動きが取りづらくなるのは嫌だが、こうして実力を見てもらえるのは、やはりゲーマーとしては本望だ。嬉しい。
気分が良くなった俺は、少し反撃を試みることにした。
「――このっ! ちょこまかとっ!」
セラさんの攻撃は、模擬戦が始まってすでに3分ぐらい経過したが、未だに当たる気配はない。
そして、軽い動作で躱し続ける俺と、全力で剣を振るう彼女では、消耗の差も激しい。
「――はぁっ、はぁっ――死ねっ!」
彼女はそんな物騒な掛け声とともに、俺へと大きな1歩を踏み出す。そして、放たれるのは俺の右目を狙った突きだった。
それに対して、俺は彼女と同じく前へと踏み込む。右手は猫の手――掌底の形を作った。
あぁ、大丈夫だ。ゲームの時と同じで、よく見えている。無意識に口角がつり上がった。
彼女の放った突きは、俺の目尻のすぐ横を通過して、耳のすぐ上を通り過ぎる。そして彼女の勢いと俺の勢い、その2つの力が乗った掌底が、彼女の顎を捉えた。
「――がっ」
クリティカルヒット――ってな。
よーしよし。ちゃんとダメージの大きい顎を捉えることができた。昨日トカゲ野郎で回避の特訓していて良かったな。
さて、次はどんな一撃を浴びせてやろうか。
距離をとってからそう考えていると、セラさんは剣を片手にフラフラと斜めに歩く。そしてそのまま転倒した。
「……は?」
この程度のダメージなら、彼女はまだピンピンしていないとおかしい。なんといっても、VITが高いからな。だけどそれじゃこの現状の説明がつかない。
「あー……なるほど。ここは現実だから、脳震盪とか気絶とか、普通にあるのか」
ゲームではそんなことは有り得なかった。ただ、ダメージの量に差が出るだけ。俺はまだ、ゲームの世界と現実を混同してしまっているらしい。
ダメージを食らったわけでもないのに、よろよろとした足取りでレグルスさんがやってきて、セラさんの状態を見る。問題ないと判断したのか、大きなため息を吐いたあと、彼は心底困ったような表情で言った。
「お前何者だよ……なんで勝つんだよ……ディーノ様になんて報告すれば良いんだ俺は?」
「それは俺の仕事じゃありませんから。それよりレグルスさん? 勝者の宣言がまだですが」
「あーくそっ! わかったよっ! 勝者、エスアールっ!」
その言葉を聞いて、俺は右手で小さくガッツポーズを取った。それと同時に、周囲にいた探索者たちの歓声がワッと広がった。
『すげぇっ! あいつすげぇぞっ! マジでセラ様に勝ちやがったっ!』
『見ろよ、俺、手が震えてやがる。あの技量はやべぇ』
『おとぎ話に出てくる勇者とかも、こんな感じだったんじゃねぇ?』
『もしかして、実はあいつが勇者とか?』
レグルスさんが睨みを利かせているからか、直接話しかけてくる探索者はいないが、そんな会話をする声が聞こえてくる。
いやいや、違いますって。ただの元ニートですよ。
俺、勇者じゃないですから。