4 ギルドマスターの苦難
ギルドマスターはハゲだった。
失礼。彼の名誉のためにもスキンヘッドと訂正しておこう。
俺が取りだした王家の紋章が入った短剣を見て、受付嬢が泣き出しそうになっていた所に、探索者ギルドの長――レグルスさんは現れた。
彼に誘導されて、イケメン率いる3人パーティと赤髪の伯爵令嬢を別室に移動した。そのまま去っていきそうになったレグルスさんに、慌てて俺の前にいる受付嬢も、助けを求めて走っていった。俺の目の前から逃げ出したとも言う。
そんなこんなで、俺は現在探索者ギルド内にある個室で、優雅に紅茶とクッキーを楽しんでいる。
「まだかなぁ」
ウィンドウの時計を見ると、時刻は8時半を過ぎたところ。
俺の担当をしてくれていた受付嬢によると、あちら側のほうが話が早く終わりそうだということで、俺は後回しにされたらしい。彼女は終始俺にペコペコと頭を下げていた。
待たせてしまうお詫びといって、美味しいお菓子や高級な紅茶を用意してくれたようだけど……暇だ。紅茶やお菓子より、漫画の一冊でも置いていってくれたほうが何倍も嬉しい。無いものねだりなんだけどさ。
時計を確認してから10分程過ぎたあたりで、レグルスさんが「遅くなった」と軽い謝罪を述べてから部屋に入ってきた。
部屋にはむさ苦しい筋肉質なスキンヘッドのおっさんと、俺1人。人口密度は低いはずなのに、やけに暑苦しい。
彼は「この部屋は防音だ」と前置きをしてから、話し始めた。
「王城から話は届いてる。別の世界から来たんだって? 災難だったな」
対面のソファに腰掛けるなり、レグルスさんはそう言った。
なんだ、俺のことを知っていたのか。俺が探索者になると言っていたから、事情を知る誰かが先に話を通しておいたのかも。
「確かエスアール――だったな、お前が国を挙げての賓客だってことはわかるが、だからこそ、お前の願いは叶えられん。理由はわかるな?」
俺って賓客だったのか。元ニートとしては肩身が狭い。
「……危険、だからでしょうか?」
「そうだ。よく分かってるじゃないか」
レグルスさんは俺の答えを聞いて、満足そうに頷く。だけど俺としては、危険だからといって「はいそうですか」と引き下がる訳にはいかない。王女様の命がかかっているのだし。
「……エリクサーのことは?」
念のため、ギルドマスターが知らなくても大丈夫なように問いかける。
「もちろん、王女殿下のことも知っている。さっき男1人と女2人がいただろう? あいつらが『迅雷の軌跡』ってパーティで、この国で一番強い奴らだ。あいつらにBランクダンジョンのことは任せている――って言っても、おそらく無理だろうがな」
「彼らは何階層までクリアしてるんですか?」
俺がそう問いかけると、レグルスさんは不思議そうに首を傾げる。
「エスアールは別の世界から来たんだろう? 同じようなダンジョンがあったのか?」
「そういうわけではないんですが……探索者には興味があったので、街で軽く話を聞いていたんですよ」
本当は街の住人とは一言も会話していないけど。宿屋の主人とお金のやり取りをしたぐらいか。
「……ふむ、まぁいい。あいつらは3階層がギリギリだな。俺が現役の頃と一緒だ」
覇王ベノムのいるSSランクダンジョンという例外を除き、ダンジョンはランクに関係なく全て5階層だ。ランクによって広さは異なるが、階層の数に変化はない。迅雷の軌跡はちょうど半分の位置にいるということだ。
このまま頑張ったところで、おそらく彼らにBランクダンジョンは踏破できないだろう。できたところで、パーティの中に死者が出そうだ。
「では、エリクサーの入手を諦めているんですか?」
「……半分な。それこそ奇跡でも起きない限り不可能だろう」
レグルスさんは苦虫を噛み潰したような表情で言う。
「300年以上できていないことを、いきなりやれと言われても無理だ。王女様の命も大事だが、俺は探索者ギルドの長だからな。あいつらの命も俺にとっちゃ同じ命なんだよ。無理はさせられん」
彼はそう言って深い息を吐くと、テーブルの上の紅茶を一気に飲み干した。おい、それ俺の紅茶!
はぁ……。もっと『死んでもいいからダンジョンアタックしてこい!』みたいな雰囲気だったら、随分とやりやすかったのになぁ。優しいが故に、やりづらい。
「それでも、俺は王女様を助けたいです」
半ば俯きながら、俺はそう発言した。
彼女に大きな恩があるわけでもない。
誰かに『やれ』と命令されているわけでもない。
俺自身の生死が関わっているわけでもない。
「エスアールはこの世界に来たばかりだろう? お前が気に病むことじゃない」
「確かに、そうかもしれません。だけど――」
レグルスさんに言いたい。
俺には、王女様を助けられるかもしれない知識があると。
だけど、そんな俺自身にも確信が持てないようなことを、彼が信じてくれるとは思えない。探索者の命を想う、優しい彼がそんな無謀と思えることを許してくれるとは思わない。
俺は紡ぎかけた言葉を中断して、「こうしませんか?」と問いかけた。
「Dランクダンジョンを踏破した方と、一騎打ちさせてください」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「とりあえずFランクダンジョンだけでも済ませとくか」
探索者ギルドを出た俺は、ぐぐっと背伸びをする。長時間ソファに座っていたから逆に疲れてしまった。
あの後、頭を抱えたレグルスさんに「俺の一存では決められん」と言われたため、また明日の朝に探索者ギルドに行くことになった。たぶん、王城の誰かと相談するのだろう。いい回答が得られることを祈るばかりだ。
「Fランクダンジョンの入口は、確か街に隣接していたはずだよなぁ。今の時間は……9時半過ぎか、ギリギリだわ」
この世界のダンジョンは、朝の9時から夜の10時までしかダンジョンに入場できないらしい。これもまた、ゲームにない要素だ。
探索者を守るための決まりなのだろうけど、早くレベルを上げたい俺にとっては足枷でしかない。
俺は武器屋で手頃なショートソードを購入し、足早にダンジョンを目指した。
この世界のダンジョンは、塔のような形でもないし、地下に広がっているわけでもない。完全な姿のパルテノン神殿のような建造物の中心に、転移の魔法陣があるだけだ。
魔物が溢れ出す心配もなく、ダンジョンは貴重な資源を探索者たちに与えてくれる。だとすれば、ダンジョン近くに街が作られるのは当然のことだろう。
「懐かしい気持ちと新鮮な気持ちが両立するとか……矛盾してるな」
Fランクダンジョンの全体が眺められる位置で、俺はぼんやりと呟いた。
おっといかんいかん、時間が差し迫っているんだった。
ダンジョンの入り口は高さ2メートルほどの石塀に囲まれていて、唯一中に入ることのできる場所の近くには、個室が設置されてあった。
まるで扉のないプレハブみたいな感じだ。
「あそこで受付でもするのか?」
うーん。ゲームで見たことが無いものがあると、どうにも戸惑ってしまうな。
窓から個室内の様子を窺うと、探索者ギルドで受付嬢が着ている制服を身につけた女性が、椅子に座って大きな欠伸をしていた。
この女性の名誉のために、わざと足音を大きめの立てながら個室へと向かう。
「あのー、ダンジョンに入りたいんですが、まだ大丈夫ですか?」
部屋に入るなり、俺はそう問いかける。受付はL字型のカウンターがあるだけの、質素な部屋だった。
「はい。入場可能です」
「じゃあ入ります。何か受付が必要なんですかね? 初めてなので知らないことが多くて」
「はい。こちらに名前と職業をご記入していただきます。ルームや入場時間はこちらで記載しますので」
「了解です」
ちなみにルームというのは、ゲームでいう『鯖』のようなものだ。つまり同じダンジョンに潜っても、それぞれ別のルームに転移するため、ダンジョン内で他の探索者に出会うことはない。これはゲームと一緒で安心した。リアルでフレンドリーファイアとかシャレにならん。
帰還の方法やダンジョンでの注意事項の説明を受け、女性の「お気をつけて」という言葉を最後に、俺は部屋を退出した。
「生身での初ダンジョンか」
王女様を救わなければならない。
それが第一なのはわかっているが、今はただ、ダンジョンに潜るのが楽しみでしかたがなかった。
あのどハマりしたゲームが、今の俺には現実なんだ! これを興奮せずにいられようか!
意気揚々と転移の魔法陣に乗ると、ずずず――と腰の辺りの高さまでの石柱が、目の前に出現する。そこにはちょうどライセンスカードが収まるような窪みがあった。
窪みにライセンスカードを乗せると、ルームの選択画面が出現――空いているルームを選択すると、魔法陣が輝き出した。立ち上るその光は、俺を柔らかく包み込んでいく。
こうして俺は異世界生活初日に、ダンジョンへと足を踏み入れたのだ。