39 ドラグ=マーガス
フェノンさんが連れてきた場所は、俺の予想通りマーガス公爵家の館だった。鉄製の門扉の前には、金属の鎧を身につけた兵士が二人。フェノンさんとシリーさんは、彼らに近づいて何かを話している。
「でかいなぁ……セラはここに来たことあるのか?」
「ないぞ。ここまで近づいたのも今日が初めてだ。マーガス公爵には、パーティでお会いしたことはあるがな」
「へぇ、じゃあ顔見知りなんだ」
「少し会話をしたことがある程度だ。相手が私のことを覚えているかはわからない」
「なるほどね。そういう感じか」
俺と校長先生みたいな関係だろうか。知らんけど。
そんな話をしているうちに、2人いた兵士の片方が、慌てた様子で門を開け、公爵邸のほうへと走っていった。がちゃがちゃうるさいな。
話がついたのだろうかと思い、俺とセラも彼女たちのもとへ近づいていく。
「エスアール様、少々お待ちくださいね。アポ無しでの訪問だったため、あちらにも準備が必要なようです」
フェノンさんは歩いてきた俺に気がつくと、ニコリと笑みを作って言った。
「それは構わないんですが、本当に大丈夫なんですか?」
「えぇ。叔父様はご在宅のようですし、おそらく応接室で交渉することになると思います」
――叔父様? ってことは、マーガス公爵は陛下の親戚にあたるのか?
「マーガス公爵は陛下のご兄弟なんですか?」
「はい。弟ですよ」
ふーん。
貴族の仕組みはよくわからんが、国王陛下の弟さんなのか。
顔や雰囲気は似ているのだろうかと、頭の中で勝手に想像していると、先ほど公爵邸に向かっていった兵士が、執事服を身につけた50代後半と見られる黒髪の男性を連れて戻ってきた。
髪はオールバックにして固めており、きっちりとした性格がその部分を見るだけでも伝わってくる。まるで毛の一本一本に神経が通っているように、綺麗に整えられていた。
その男性はまず、流麗な仕草でフェノンさんへとお辞儀をする。
「お久しぶりでございます、フェノン様。旦那様よりお話は少し伺っておりますが、お身体の調子はよろしいので?」
「えぇ。エリクサーのおかげで、もう悪いところはどこにもないわ」
「それは何よりでございます――皆様、私はこの館で執事長をしております、ローレンツと申します。なんなりとお申し付けください」
おそらく、シリーさんのことはフェノンさん絡みで知っているのだろう。お互い軽く会釈する程度で済ませてから、彼は俺とセラに向かって頭を下げた。
「セラ=ベルノートだ。突然の来訪、申し訳ない」
「探索者のエスアールです」
そう言って俺は軽く頭を下げる。
そして、視線を執事のほうへ戻すと、彼は興味深そうに俺のことを眺めていた。
「貴方がエスアール様でしたか。お噂は王都よりこの地まで届いておりますよ」
噂ってどの噂だよ。
称号の件か? それとも、異世界から来たということが王城から伝わっているのか? わからん。
「セラ様は幼少期にお会いして以来ですかな」
「そうだったか? 済まない、あまり記憶がなくてな」
「いえいえ、その時のセラ様はまだ幼かったので――と、すみません。まずは館にご案内いたします。皆様、こちらへ」
ローレンツさんは半身になってから、手のひらで公爵邸への道を示す。
無駄がないというか、洗練されているというか――今までのやり取りも、準備が調うまでの時間調整なんじゃないかと疑ってしまうほどだ。
ああいう姿はカッコよくて憧れるけど、やれと言われたら面倒くさい。
俺は何かに縛られるのが好きじゃないからな。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
メイド喫茶でも、もうちょっと少ないぞ――そんな感想が頭に浮かぶほど、俺たちを迎えてくれたメイドさんたちの人数は多かった。
ローレンツさんが案内してくれたのは、フェノンさんの予想通り応接室。部屋に入って時刻を確認すると、午後7時前だった。
夕食時に押しかけるなど、王女様じゃなければ不敬もいいところだ。もしかすると彼女は、宿はもちろん、夕食もいただこうとしているのかもしれない。中々に図太い性格をしている。
応接室のソファで4人並んで座り、メイドさんが持ってきてくれたコーヒーと紅茶を楽しむことおよそ5分――ローレンツさんと、青系統の色が主体のマントを羽織った40代ぐらいの男性が現れた。
豪華な衣服に、陛下と似た顔立ち――もはや疑いようもないな。彼がマーガス公爵だろう。
白銀に輝く髪は、セラやフェノンさんに負けないほど長く、うなじの辺りで三つ編みに結われている。陛下のような威圧感は無いが、あの切れ長の目で睨まれると、小さな子供なんかは泣きだしてしまいそうだ。
彼は入ってくるなり、立ち上がろうとする俺たちを手で制した。
「座ったままで構わんよ」
そう言ってから、彼は俺たちの向かいのソファにゆっくりと腰掛けた。
ローレンツさんは扉の前で直立不動の姿勢を保っている。微動だにせず、まるでこの空間には存在していないかのように、気配を殺していた。
俺やセラ、シリーさんが簡単に自己紹介を済ませると、マーガス公爵はフェノンさんやセラに声を掛けるでもなく、真っ先に俺に向かって言った。
「君がエスアール君か。聞いていた通り、随分と若い――私はこの地を治めているドラグ=マーガスだ」
彼は身体を前方に傾けて、マントの中から白い手袋に包まれた華奢な手を差し出してくる。
この世界にも握手の文化はあるんだな――というか、公爵様相手に気軽に握手していいものなのか?
ちらちらと両隣にいるセラとフェノンさんに目を向けるが、彼女たちは動揺している俺を見て、何故かニヤニヤしている。
なぜ笑う。意味がわからんのだが。
「ご丁寧にどうも……探索者のSRです」
ひとまず、ドラグ様を待たせてもまずいと思い、差し出された右の手を握り返した。なんだか、冷たい手だな。まるで人形の手を握っているみたいだ。
ドラグ様の手は、俺の手をぎこちなく握り返してくる。
……長い握手だな。
「えーっと……なにか?」
握手した状態のまま、ドラグ様は俺をじっと見つめている。何故か笑みを浮かべて。
彼はその笑みと、俺への視線を維持したまま、ソファの背にもたれかかった。どうやら握手は終わりらしい。
安堵の息を吐いて、俺も手を解こうとする。解こうと――?
……は?
「うぇえっ!?」
思わず変な声を上げてしまった。
いや、おかしいだろ! なんで手だけ残ってんだ!? ドラグ様はもうソファにお戻りになったぞ! お前も一緒に戻っとけよっ!
俺の手には、ドラグ様の手が未だに握られている。だが、その手は肘から先が無かったのだ。
この世界の住人の腕は着脱式だったのか! なるほどな――って、んなわけあるかボケ!
脳内でノリツッコミを完遂させたところで、ドラグ様が「あっはっはっは」と大きな笑い声を上げた。
余程楽しかったのか、彼は目尻に流れた涙を指先で拭いながら「悪い悪い」と、全く悪びれていない様子で言った。
「Bランクダンジョンを踏破した英雄といえど、不測の事態には慌てるものなんだな――それは義手だよ。俺はこの通り、昔ダンジョンで肘から先を失ってしまってな」
ドラグ様は、そう言いながらマントの中から腕を出す。
彼の言った通り、差し出された腕は途中で丸まっており、肘から先が無かった。
どうやら俺はからかわれてしまったらしい。どつくぞおっさん。
「相変わらずですね、叔父様」
「おう。初対面の奴にはやらないと勿体ないだろ」
相変わらず――ということは、いつもこんなことやってるのかこの人は!
なんとなく、どういった人なのかわかってきたぞ。中々にクレイジーな性格をしているようだな。
そして同時に、迅雷の軌跡やセラ、フェノンさんたちが『エスアールなら大丈夫』と言った意味も理解できた。
なにしろ俺のインベントリには、病気はもちろん、部位欠損まで完全に治癒することのできる、エリクサーがあり余っているからな。