31 ぐぬぬ……
第二章、スタートです!
街灯に照らされた石畳の道を歩くこと30分。ようやく俺は目的地である我が家にたどり着いた。
「たーだーいーまー」
玄関を通り抜け、ため息の入り交じったような言い方で家の中に向かって叫ぶ。返事はないが、人の気配は確かにあった。そもそも灯りがついてるし。
最近、思うようにダンジョンに行けずにストレスが溜まってしまっている。レベル上げがこの世界での生きがいだと言ってしまってもいいぐらいだというのに、なぜ会社員の如く朝から会議に出なければならないのか。
そしてこの家も、ストレスの要因といえば要因である。
俺が今住んでいる家は、やたらとでかい。それはもう、バカみたいにでかい。
敷地的には通常の一軒家の10倍はあるだろうし、建物自体も無駄に大きい。部屋の数も『なんの用途を想定すればこんなことに?』と疑問に思うほどだ。未だに使い道がわからん。
半分以上の部屋は物置と化す未来が見えるな。
「随分とお疲れのようだな」
リビングへとたどり着くと、短パンにシャツというラフな格好のセラが声をかけてきた。
彼女は自身の髪色と同じ真っ赤なソファに腰掛け、優雅に足を組んでいる。部屋のライトに照らされ、より一層の輝きを放つ太ももに目を向けないようにしながら、俺は「まぁな」と短く返事をした。
目の前のガラス製のローテーブルには、ティーカップが1つと、お皿に盛られたクッキーがあった。
「フェノンさんは?」
いつもならば彼女の対面にはフェノンさんの姿があり、メイドのシリーさんもいるのだが、2人とも姿が見えない。
「2人は帰ったぞ。エスアールによろしく伝えてくれと言っていた」
「あー……確かに、いつもより少し遅いか」
ステータスから時刻を確認すると、すでに夜の10時を過ぎていた。
外の暗さはいつも帰宅する8時前後と大差ないから、全く気付かなかったな。どうやら、思っていたよりも話し込んでしまったらしい。
ダンジョン踏破から約1か月の月日が流れた。
ダンジョンに潜り、宿で寝て、そしてまたダンジョンに行く――色々な意味で死と隣合わせの日々は、エリクサー獲得とともに終わりを告げ、俺の生活は劇的に変化した。
まず第一に、住む場所だ。
俺は寝心地よりも効率を優先した宿屋に30日分の料金を先払いしていたが、30日が経過するよりも先に、この家に引っ越すことになった。
しかも1000万オルという大金が手に入っているのにもかかわらず、この家の代金は無料。買ったというよりも、ここに住むよう陛下に命じられてしまったのだ。
原因はフェノンさん。
俺は今からおよそ1か月前、彼女に『恋しています』発言をされたわけだが、今すぐ婚約してくれ――という話ではなかった。なんでも、共に多くの時間を過ごして、俺の心を射止めてみせるそうだ。
なぜ彼女はここまで俺にご執心なのか……命の恩人というのなら、シンでも構わないと思うのだが――女心は不思議だ。彼と一緒に行動しているスズやライカに遠慮したのか?
そしてその『共に多くの時間を過ごす』という理由により、俺は王城の敷地内にあるこのバカでかい建物に住む羽目になってしまったわけである。
王城が家だとすると、俺の住む家は犬小屋サイズだが。
陛下が娘の恋する相手に『娘はやらん!』とご乱心してくれたらよかったのだが、残念なことに陛下公認というか、むしろ前向きに考えているらしく、俺に逃げ道は無かった。どうしてこうなった。
陛下に向かって『王女様には微塵も興味ありませんのであしからず!』なんて言えるはずもないし、俺のほうも彼女に全く興味がないというわけではないから、余計に救いようがない。
さすがに寝る時は王城に帰っているのだが、それ以外はメイド姿のシリーさんと共にこの家に滞在している。
そんな生活の中で、どうしても気になるのが彼女の『勇者様』という呼び方。
彼女の『勇者』呼びを止めさせる代わりに、俺も彼女に『様』付けで呼ぶことを禁止された。そんなわけで、彼女のことは普段から『フェノンさん』と呼ぶようにしている。
「準備のほうはどうだ? 上手くいきそうなのか?」
「ん……今よりマシになるのは確かだろうな」
セラの向かいのソファにどかっと腰かけて、天井に向かって息を吐く。
ここ最近、俺はほぼ探索者ギルドの個室に缶詰状態になっていた。息抜きにダンジョンに潜ってはいるが、楽しいというよりもストレス発散という感じになってしまっている。それもこれも、全てあのハg――ギルドマスターのせいだ。
「レグルスさんも、知識はやったんだから自分で考えてくれりゃいいのに」
「それだけエスアールを頼りにしているということだろう。王都のギルドマスターから頼りにされるなんて、普通なら喜ぶところだぞ」
「嫌だよ、面倒くさい」
俺が愚痴るようにそう言うと、彼女は眉を寄せて苦笑した。
俺が探索者ギルドに缶詰になっているのは、現在のダンジョンのルールが一部変更されるからだ。
1週間後に迫った派生二次職の発表――それとともに、一次職でもFランクダンジョン以外に入ることができるようになる。
その細かい規定を作るために、俺が呼び出されていたというわけだ。
例えば、一次職――つまり下級職でEランクダンジョンに潜るには、一度下級職のレベルを30まで上げて転職、そして上級職でDランクダンジョンを踏破した実績が必要――なんて感じだ。
新人がEランクダンジョンで負けてしまうのは、大抵戦闘の経験不足から来るものだろうしな。
その他にもレベルによる規定だったり、今後のことを見据えてCランクダンジョンやBランクダンジョンのルールも見直した。
頭よりも体を動かすほうが好きな俺にとって、この1ヶ月はまさに苦行そのものだった。
それもようやく、今日で終わり。新たなルールは完成した。
今日はゆっくり風呂に入って早く寝るとしよう。
俺としてはセラに自宅へ帰宅してもらい、所用を済ませてベッドにダイブしたい気持ちだったが、なぜか彼女に帰宅する気配はない。くつろいだ雰囲気でクッキーに手を伸ばしていた。
そろそろ帰れとも言いづらいので、話を振る。
「そっちはどうだ? フェノンさんはどの程度まで成長した?」
セラには現在、フェノンさんのレベル上げを手伝ってもらっている。
どうやら王女様は俺の思っていた以上にお転婆な性格らしく、彼女は俺との時間を少しでも増やすため、自分も探索者になると言い始めてしまったのだ。
もちろん陛下も含め全員が反対したが、彼女は意見を変えることはなく、強引に意見を押し通してしまった。周囲も生死をさまよった彼女に対し、多少甘くなっているのかもしれない。
「下級職は剣士以外、全て30まで引き上げたぞ。あと6日あれば剣士も30になるだろう」
「おぉ、上出来だな。そのペースだと、朝から晩まで潜ったんじゃないか? きつかっただろ」
「ふっ、外で孤独に素振りしているよりはマシだ」
彼女が言ってるのは、俺の護衛をしていた時のことだな。
「ははっ、そいつは悪いことをしたな。フェノンさんは平気だったのか?」
「彼女は私の後ろでずっと声援というか……まぁ話をしていただけだからな、問題なさそうだったぞ」
「なるほど」
2人は仲がいいようだし、話をするだけでも十分か。それにフェノンさんは病気で寝込んでいたから、リハビリにはちょうどいいかもしれない。
彼女たちには現在、Dランクダンジョンでレベル上げをしてもらっている。
セラのレベルならソロでも大丈夫だろうし、Dランクダンジョン程度ならば、フェノンさんに危険はないだろう。その辺り、俺よりセラのほうが神経質になっていそうだしな。
……で、セラはいつまでいるつもりなんだ?
「なぁ、そろそろ――「そ、そういえばな!」」
俺が話しかけようとすると、セラは慌てた様子で声を被せてきた。
「シリーは弓士の上級職――神弓士のレベル50みたいだぞ。大人しそうに見えるが、実力は中々のものらしい」
へぇ……それは確かに意外だ。
あの美人メイドさんが弓を構えている姿を想像すると、それだけで絵になりそうだ。そんな絵画があるのなら、部屋に飾るのもやぶさかではない。
「彼女のパーティ入りも検討しておこうか。フェノンさんのことを心配してたみたいだし、ボーナスのことも成り行きで話しちゃってるからな」
シリーさんは2人がダンジョンに潜っている間、いつかのセラのように外で待機しているらしい。その理由は、彼女まで潜ると経験値が3分割されて、レベル上げの妨げになってしまうからだ。
で、それは慌てて話すようなことか?
「時間も遅いから――「お、お腹が空いただろう! 何か作るぞ!」」
また声を被せられた。彼女は何がしたいんだ?
「帰りに屋台で串焼き食べたし、ギルドで軽食を食べたから大丈夫だ」
「そ、そうか……」
セラは消え入るような声で言うと、視線を下に落とした。
そしてその隙に、俺はようやく本題を切り出すことに成功した。
「家まで送るから、今日はもう帰れ」
先程までの優雅な姿勢はどこへやら。彼女は膝の上に拳をのせ、ギュッと握りしめている。噛み締めた下唇は白くなっていた。漫画とかアニメだったら『ぐぬぬ』なんて言いだしそうだな。
「ぐぬぬ……」
言うのかよっ! 漫画かっ!
「なぁ、いったいどうしたんだ? 何かあったのか?」
様子のおかしいセラに問いかけた。すると、彼女は微かに口を動かす。ぼぞぼそと何かを言っているようだが「――くない」と、ほんの少ししか聞き取ることができなかった。
「ん? なんて言った?」
「――たくない」
「すまん、聞こえん」
少し大きめの声量となったが、それでもまだ聞こえない。俺の目は確かに良いが、耳は一般的な聴力しかないのだ。
首を傾げる俺に、彼女はきっ――と睨むような視線を向けてくる。
「今夜は帰りたくないと言ったんだっ!」
セラは耳を赤くして、羞恥を堪えたような表情で叫んだ。
……え? どうしてそうなる? フェノンさんに続き、まさかセラまで?
頭の中を疑問符と感嘆符が支配し、意味ある言葉の連なりを作り出すことができない。俺はただただ、呆然とその場に立ち尽くすことしかできなかった。




