111 俺、勇者じゃないですから。
会いたい会いたいと、数え切れないほど願った人。
そんな彼女にようやく再会できたのだから、幸せの絶頂といっても過言ではないはずなのに、いきなり抱きつかれるわ、忘れたはずの俺の名前を呼ぶわ、脳の思考回路がショート寸前である。感動する暇がない。
実はノアが事前に話を通しており、それで俺の名前を知っていたのかとも思ったが、それだといきなり抱きしめられたことが説明できない。
「ちょ、ちょっと……なんで?」
というわけで、理解不能。
俺は為す術なく棒立ちになっていた。
耳元からは鼻をすする音と、しゃくり上げるような声が聞こえてくる。
「お、おいノア! これはいったいどういう状況なんだ!? セラは俺のことを忘れているはずだろっ!?」
首だけを動かして、事情を知っているであろうクソガキに問いかける。
ノアは俺の頭がパニックになっていることを知ってか知らないでか、とても穏やかな表情だ。ゲンコツ落とされたいのかお前。
「……今は生身の人間だし、ちゃんと説明するからゲンコツは勘弁してほしいかな。でもその前に――「「エスアールさんっ!!」」」
今度はリビングのほうから、俺の名前を叫ぶ声が聞こえてきた。
次いで、ここが室内であることを全く考慮していない全力疾走の足音。その床板を激しく軋ませる音は、二人分だった。
「――フェノンっ!? シリーっ!?」
彼女たちはビタッ――とセラの背後かつ俺の正面で立ち止まり、二人揃って目を潤ませている。いや、すでに雫が目尻からこぼれ落ちていた。
二人はしばしの間何も言わず顔をゆがませていたが、やがてシリーが口を開く。
「……ずっと、ずっとお待ちしておりました。またいつかお会いできると、信じておりました」
彼女は流れる涙を隠そうともせず、真っ直ぐに俺の目を見ている。
必ずまた会えると、俺も願っていたとも。シリーたちにまた会いたいと思ったからこそ、俺は孤独でも頑張ってこれたのだと思う。
そしてフェノン。
彼女は身につけている部屋着の裾を強く握りしめており、今にも決壊して泣き叫びそうな表情をしていた。
「もう、どこにもいかないで……」
丁寧な言葉遣いをする余裕もないのか、いままで聞いたことのないような口調でフェノンが言う。なんだか子供に泣きつかれているみたいだ。今世も前世もそんな経験はないから、俺の勝手な予想なんだけれども。
というか『どこにもいくな』――って、そりゃ俺が言いたいセリフだっての。前世で一人ぼっちは慣れっこだったってのに、フェノンたちのせいで寂しくて仕方が無かった。
しかしまぁ三人とも……疑いようもなく、俺のことを覚えているな。
「ノア、お前まさかと思うが……俺に嘘を吐いていたんじゃないだろうな?」
目を細くして、この世界の元管理者を睨みつける。嫌がらせだとしたら、悪質にもほどがあるぞ。
俺から疑いの眼差しを向けられた彼女は、首をブンブン横に振りながら「違う違う!」と答えた。
「僕だって直前まで知らなかったんだよ、こんなことになっているなんて」
「はぁ? なんだよ『こんなこと』って――」
わかるように説明してくれ――そう言おうとしたところで、ようやくセラが俺から身体を離した。感じていた体温がスッと引いたことで、俺の頭も少しずつ冷静になってきた。
セラは至近距離で、真っ赤になった瞳をこちらに向けている。
もしかして彼女がノアの代わりに説明してくれるのだろうか――? そう思ったのだが、
「――う、う……うぁああああっ」
号泣。
先程までの嗚咽など比ではないほどの声量で、セラが泣き叫んだ。俺の胸に顔を埋めて、ただひたすらに泣いている。
後ろの二人もセラに釣られて涙ボロボロだし。どうすんだよこれ。
ノアもおばあちゃんみたいな雰囲気で「よかったねぇ」なんて言ってないで、早くこの状況を説明してくれっ!!
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
三人が落ち着くのに、だいたい10分ぐらい掛かっただろうか。
最初に普段の姿に戻ってくれたシリーが、俺をリビングへと案内してくれる。外観もそうだったが、間取りも前とまったく同じだった。
「みんなで思い出して、同じ家を建てたんですよ」
リビングのソファに座ってから内部をキョロキョロと見回していると、シリーがそんな風に教えてくれる。
「やっぱり、シリーもフェノンもセラも……記憶があるんだな?」
「はい」「もちろんだ」「覚えています」
対面に座る三人が、それぞれ頷きながら返事をしてくれる。
嬉しい、本当に嬉しい――!
記憶が無くなれば、知り合いにすらなれない可能性だってあったのに、こうして彼女たちは記憶を保ち、また俺の名を呼んでくれている。
俺だって彼女たちのように泣いて喜びたいのだが、理解できない部分があるために感情が上手く出てこない。
「エスアールは私たちの記憶がなくなると思っていたんだろう?」
「……あぁ、その通りだ。俺は世界中の人から忘れ去られると思っていた」
自分でも、あの状況下でよく頑張ったと思う。
「エスアールと過ごした記憶も、壊れた世界での記憶も……私たちは全て覚えている。そして貴方が破壊神ベノムを倒し世界を救ったことも、別の場所から見ていたよ。本当ならばこの世界に住む全員が貴方に感謝するべきなのだろうが、記憶があるのは七人だけだからな……」
そう言ってからセラは深く頭を下げる。彼女に続き、フェノンとシリーも頭を下げて俺に感謝の言葉を述べる。
報われた――俺の心はいま、その気持ちで満たされていた。
「七人というのは、王都のギルドマスター、迅雷の軌跡、フェノン、シリー、そして私だ」
今この場にはいない、レグルスさんやシン、スズ、ライカも俺のことを覚えているらしい。というか、俺と関わりが濃い人たちばかりだな。
「消える直前に、地球の創造神様――イデア様が私たちを召喚してくれたんです。エスアールさんがこちらの世界に召喚されたように」
セラに続き、フェノンも説明をしてくれる。
えぇっと……つまり、あれか。
彼女たちはベノムに消されたわけではなく、のじゃロリ様によって別の場所に転移していただけと。
そして新たな世界が作られた時に、元の世界に戻ってきた――ってことか。
「そういうことだね。彼女たちは僕の世界の住人だから、世界を創りなおしたとしても、彼女たちが忘れられることはないんだよ」
……頭がごちゃごちゃしてきた。色々ありすぎて、完璧には理解ができん。
仕組みはどうあれ、とりあえずセラたち七人だけは俺の記憶があるということで間違いはなさそうだ。
「……というかフェノン、お前は大丈夫だったのか? 病気の頃に戻されたんだろ?」
確かイデア様は時間帯を俺が召喚された頃に戻すと言っていた。
俺の記憶が正しければ、今はそれから一年経過したぐらいのはず。
「それならば問題ありませんでした。私たち、年齢や身体は昔に戻りましたが、レベルは引き継がれましたので」
「……えぇ」
なにそれ、チートじゃん。いや俺も人のことは言えないけどさ。
迅雷の軌跡なんてAランクダンジョンを踏破していたんだし、そりゃBランクダンジョンなんて余裕だろう。
「だから世界が新たに創られたその日に、迅雷の軌跡と私でエリクサーを入手してきたんだ」
ふふん――と、やや調子を取り戻してきた様子でセラが言う。
まだ目は真っ赤だが、表情には元気が戻ってきているように見えた。
「そうか、それなら良かった……」
ふう、と声に出しながら大きく息を吐く。そしてソファの背にもたれかかり、天井を見上げた。
心配事や不安だったこと、それら全てが解消され、そして全てが俺の知らぬところで良い方向に進んでくれていた。
この世界の住人のほとんどは俺のことを忘れているらしいが、特別親しい七人が記憶を残してくれている。
考えようによっては、不用意に目立ちたくなかった俺の理想形のような状況になった感じだ。
ただ、問題があるとしたら……、
「完全に無名の俺が、陛下やベルノート伯爵にお許しを貰えるか……?」
以前はフェノンを救ったという実績などがあったからこそ、認められていたのだし。
上を見上げたまま顎に手を当てて思案していると、おずおずと言った様子で、フェノンが声を掛けてきた。彼女は俯きながら頬を赤くして、上目遣いでチラチラとこちらを見ている。
「え、エスアールさん? 私の勘違いでなければ、それはつまり――そういうことですか?」
――げ、完全に心の声が漏れ出していた。
きちんと指輪とかも用意しているのに、なんだこの遠回しかつ微妙な告白は。
「いや……まぁ、そういうことなんだけど――「嬉しいですっ!」」
居ても立っても居られないといった様子で、フェノンが俺の下へと駆け寄ってくる。そして飛び乗るように俺の膝にお尻を乗せたかと思うと、そのまま首に細い腕を回して抱きしめてきた。
「ふぇ、フェノンっ! エスアールが困っているぞっ!」
フェノンは軽いから困っているということはないが、困惑はしている。今はこんなに慣れ親しんでいるが、一応フェノンはこのリンデール王国の第一王女だからな。
たとえそうでなくとも、こんな美少女に抱き着かれたら身体が強張るのを回避するなど不可能だ。
「セラだけずるいじゃない。さっきは我慢してたんだから、今はいいでしょ」
「――くっ、確かに……まぁ、いいだろう。次は私だからな」
なんでお前が許可出してるんだよ。『いいだろう』じゃねえよバカ、お前はどのポジションにいるつもりだ。そして俺をアトラクション扱いするんじゃない。
フェノンに捕獲された状態でセラにジト目を向けていると、彼女は俺の視線から逃れるように隙間風みたいな口笛を吹いた後、思い出したように柏手を打った。
「エスアールがまた勇者になればいいんじゃないか? それならば陛下も父上も認めてくれるだろう」
セラはそう言うと、傍観者に徹していたノアに期待の視線を向ける。
彼女の『また』という発言に異論を挟みたいが、話が逸れてしまいそうなので自重した。
「それは無理だよ。だって今の僕はこの世界の管理者じゃないからね。それに、彼は確かに魔王のような存在を倒して世界は救ったけれど、勇者って柄じゃないよ」
自分でもそう思うけど、他の人に言われるとなんか傷つくフレーズだな。
「おとぎ話なんかでは勇者は世界を救ったらその役目は終わるけど、彼は魔王を倒したらそれで終わり――ってわけじゃない。なぜなら彼の本質は、頂に――頂点に君臨することだからね」
ふふふ、どう? 当たってるでしょ?
とでも言いたげに、ノアはニコニコとした表情を俺に向ける。はいはい、そうですね。
「勇者なんてキラキラしたイメージじゃないしな、俺」
ため息交じりにそんなことを口にすると、抱き着いていたフェノンが首に手を回したまま勢いよく身体を離す。自然と、見つめ合う形になった。
「エスアールさんは誰がなんと言おうと、私の勇者様ですっ!」
「ははは……そりゃどうも」
否定したところで彼女に対しては無意味だと知っているから、その場しのぎのお礼を言っておいた。
ただまぁ、口ではそう言いつつも、頭の中ではきちんと否定の言葉を浮かべている。
俺、勇者じゃないですから――と。
だってそうだろう?
なにしろ今の俺は、『覇王』エスアールなのだから。
~本編 了~
まだ、続くよ!!!
ですが、ここで一区切りとなります。
ここまでお読みいただいた貴方に、最大の感謝を!!
アフターストーリーがこれから始まるのですが、詳しいことは活動報告に記載いたしましたので、そちらをお読みいただければ嬉しいです。
実は裏で『とある企画』が進行中ですので、近日お知らせできると思います(ΦωΦ)フフフ…
なのでブクマしてくださっている方は、そのままにして頂けると嬉しいです(土下座)
本編楽しかったと思っていただけた方は、是非評価の☆☆☆☆☆を付けていただけると、作者が喜びます!!
今後とも『俺、勇者じゃないですから。』を宜しくお願い致します!
ありがとう!!
5月2日、アフターストーリー開始!