103 最終決戦、開幕
ベノムの封印をノアが解き放つことで、この世界の命運を懸けた戦闘がいよいよ開始される。
長かったような短かったような……そんな不思議な感覚はさておき、開幕直後に襲いかかってくる敵の攻撃には注意しておかないといけない。ここまできて一撃で負けたらアホみたいだ。
「じゃあ僕は姿を消しておくよ、君の準備ができたら教えてくれ」
「わかった」
戦闘においてノアがすることといえば、俺の回復や魂以外の部分をベノムの破壊から守ること。つまりこの場に残ったとしても意味がない。
ソロで戦うことを専門としていた俺としては、周囲に人の姿がないほうがやりやすいから、正直にいってノアには消えてもらっていたほうが助かる。観客という意味でなら別に構わないが、そんなことで無駄に力を使う必要もないだろう。
「っふーー……」
息を大きく吸い込んでから、強く吐き出す。
そして腕、肩、脚――身体全体のストレッチを行なった。
別に身体が強ばっているような感覚はないけど、これは俺がベノムに挑戦し続ける中で生まれたルーティンみたいなものだ。
意識せずとも、脳が戦闘モードへと自動で切り替わる。
「さぁて、やるかね」
最後に首を左右に倒して、手にした白蓮を虚空に振るう。
地球ですごした数十年の年月よりも、ノアによって作られたこの世界で生きてきた数年のほうが、断然濃い。悲しいことに、その半分以上は俺とノアの二人きりの生活だったし、心は仲間が消えたことでズタボロにされていたけれども。
それでも、やはり俺にはこの世界が――このレベルがあり、スキルがあり、職業があり、魔物がいるこのファンタジーな世界が好きだ。
命の危険が付きまとう探索者という仕事も、地球では味わえないスリルを俺に与えてくれる。
「必ず助けるからな」
首から下げていたユカリムスビの彫られた首飾りを数秒眺めてから、戦闘の妨げにならないようインベントリにしまった。
フェノンとの再会。
セラとの再会。
迅雷の軌跡や、レグルスさん――そして他のこの世界の人たちと、再び顔を合わせ、話をしたい。
考えだしたらキリがない。この世界ですごした記憶が、まるで走馬灯のように次々と頭に思い浮かんでくる。初めて会った時の表情や、サプライズパーティのこと。一緒にダンジョンに潜ったこと、最後に顔を合わせた時のこと。
「死ぬわけじゃないってのにな」
多少ベノムの動きが変わっている可能性は、ノアから聞いている。
そりゃゲームと違ってシステムで動いているわけじゃないのだから、当然といえば当然だけども。多少強くなっているぐらいは想定しておくべきだろうな。
「ノア、いいぞ」
どこにいるのかわからないので、俺は空に向かって声をかけた。
するとすぐに、脳に直接響くように「了解」という短い返事がくる。
その声色だけで彼女が緊張しているということがわかるのは、長く共に過ごしてきたからだろう。
棒立ちのまま、俺から二十メートル弱の位置にいるベノムに視線を真っ直ぐに向ける。
ガラスのような封印が、ライカやセラが消えた時と同様に薄くなって消えていく。その最中、ベノムの巨大な瞼がゆっくりと持ち上げられた。
白い眼球に黒い瞳。鉄パイプの太さぐらいはありそうな血管が、稲妻のように不規則に走っている。
ベノムの目が完全に開ききった時――完全に消え去るよりも前に封印はガラスが割れるような甲高い音をたてて砕け散った。
「久しぶりだな」
思わず、友人にでも話しかけるような口調で俺は言った。もちろん耳も口もなく、目玉だけのベノムから返答があるわけもない。ギョロギョロと眼球を動かして、周囲を見渡している。
ベノムの身体の真下から、控えめに見ても直径一メートルはある太い肉のトゲが七本生えてきた。これはこいつにとっての脚みたいなものであり、支えるだけで動くことはない――はず。
いったいお前の体積はどうなってるんだ――とツッコミを入れずにはいられない変化である。
その脚によって五メートルほど身体を持ち上げると、視線を宙にさ迷わせていたベノムの視線がこちらに向いた。
そして唐突に、なんの前触れもなく――俺の身体、そして地面が物理的に沈む。床が砕け、俺の身体にも大量の水に押しつぶされるような感覚が襲ってきた。
ベノムは相変わらず、重力魔法をノーモーション、ノータイムで使うらしい。こっちは発動までに時間が掛かるっていうのに、ずるいよなぁ。
そんな俺の嫉妬の気持ちを知るはずもないベノムは、問答無用で瞳から紫色の光を放つ。直径一メートルの鉄槌が襲ってくるような印象だ。
「――これもゲーム通りか。ノアも随分と忠実に作ってくれたもんだ」
鍛え上げられたステータス。そして賢者のスキルである身体強化の力を頼りに重力魔法から無理やり横に跳んで抜け出し、すんでのところで光を回避する。
この光に当たってしまえば、どんなプレイヤーだろうとエリクサーを使わざるを得ない。この紫の光は石化の魔法であり、当たりどころが悪ければ一瞬でゲームオーバーである。
この光が身体をかすめたとして、そして石化をエリクサーで回復できたとしても、エリクサーは一度使用すると向こう一時間は使用できなくなる。だからこの開幕の石化魔法は全力で回避しなければならない。
それにしても、直径一キロの理不尽な魔法とかになっていなくて本当に良かった。
攻撃を回避されたベノムは、すぐさま自身の目玉を青白い結界で包み込む。七重になったその結界は、直接的には攻略不可。ゲーマーなら誰もが直感的に気づくだろうが、本体に攻撃をするためにはまず脚を破壊する必要がある。
さて、じゃあこちらからも仕掛けるとするか。
「白蓮は壊されないようにしてくれよ」
どこかで見ているであろうノアに向かって呟き、俺はベノムに向かって駆け出す。極めて高い再生能力のあるこの太い七つの脚、まずはこれをどうにかしなければならない。
ゲームと同様であるのならば、目玉本体からの攻撃はなくなり、脚七本がそれぞれ別の手段で攻撃を仕掛けてくるはずだ。
脚はその場所から不動ではあるものの、魔法は使うわ触手は伸びてくるわでやりたい放題である。だが、俺にとって多対一の状況はもはや慣れっこであり、むしろ得意分野と言ってもいい。
急接近した俺に向かって無数の触手が襲いかかってくる。それぞれの触手に意思が宿っているかのように、頭や喉、心臓などの急所を的確に狙っている。槍のように迫ってくるソレを、俺はいつも通り、普段通りに最小限の動きで回避。
そしてさらに接近した俺は、脚から放たれる火や土の射出魔法を身体を回転させながら躱し、その勢いに任せて記念すべき最初の一太刀。白蓮による一撃を浴びせる。
「体力の心配がないと言うなら、一本ずつ丁寧に片付けていこうか」
切りつけられたベノムの脚――傷は浅いものの、その場所にはしっかりと白蓮によって白く淡い光が灯されていた。




