9 私は貴様が嫌いだ
現在、俺とセラさんは王都から徒歩10分の距離にある、Eランクダンジョンへとやってきていた。
周囲には何も無く、ただポツンとダンジョンがあるだけ。
外見はFランクダンジョンと同じく、神殿っぽいものが石塀で囲まれているような感じだ。街から少し離れているため、受付の近くには簡易トイレも設置されてあった。
ダンジョンの前には、これから探索に向かおうとしている探索者の姿がチラホラと見受けられる。おそらく、ほとんどの探索者は既にダンジョンの中にいるのだろう。
え? 道中のセラさんとの会話? そんなもんあるわけないだろ。
なにしろ探索者ギルドを1歩出たところで「必要最低限の会話以外するつもりはない」と宣言されてしまったからな。
俺は特別コミュニケーション能力が高いわけではないし、『わかりました』と頷く他なかった。反発する度胸がなかったのも理由の1つである。
「――では、行ってきます。おそらく2時間ほどで戻りますので、それから昼食にしましょう」
ダンジョンの受付前で、ようやく俺はセラさんに話しかけた。彼女もこれは必要な会話だと思ってくれたようで、素直に返事をしてくれる。
「――ふん。くれぐれも私の手間を掛けさせるなよ」
行ってらっしゃい――なんて言葉はもちろんない。
もし試合前に俺が煽るようなことをしなければ、こうはなっていなかったのだろうか?
……いや、彼女はそもそも護衛に付くことが不服そうだったし、機嫌よく送り出すなんてことは、どちらにせよ無かっただろうな。
特例を認めるという内容の封書と、伯爵令嬢の登場によって、すっかり憔悴した様子の受付の子を横目に見ながら、俺はセラさんに返事をした。
「わかってますよ。通信の魔道具を使うつもりはありませんから。セラさんは待っている間何をするんですか?」
読書でもするのか? それとも仮眠?
そう思って問いかけたが、彼女はそっぽを向いて、インベントリから鉄製の剣を取り出した。そして少し離れたところで、素振りを始めてしまう。
「……はいはい。これは無駄な会話ってことね」
思わずため息が漏れる。
俺がそこまで嫌な気分にならなかったのは、セラさんが言葉での返事の代わりに、行動で示してくれているからだ。
どうやら、俺の質問を完全に無視できるような子ではないらしい。根は優しいんだろう。
セラさんは黙々と鍛錬をしているみたいだし、俺もさっさとEランクダンジョンを踏破してこようか。
時刻は11時過ぎ。踏破した頃には、俺も彼女もお腹が空いていることだろう。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
Eランクダンジョンに潜って、1時間半が経過した。
当初の予定通り、俺は5階層全てを突破し、残りはダンジョンボスを残すのみとなっている。
5階層にいる全ての魔物を倒し終えた俺は、『帰還』と『ボスに挑む』の選択肢が書かれたウィンドウを放置して、その場に座り込んでステータスを確認していた。
ウィンドウに表示されているカウントダウンタイマーはまだ8分もあるし、ギリギリまでのんびりすることにしよう。
「今のレベルは9か……ボスを倒せば10になりそうだな」
レベル10になればようやくステータスが上昇する。
ゲーム通りであれば、上がる項目はVITのはずだ。
このダンジョンは砂漠タイプで、サソリやらムカデやら甲虫系の魔物が多く出現する。ちなみに今から挑むボスは、俺の記憶が正しければガゼルの魔物のはずだ。
地球に存在するガゼルは、体長150センチほどの鹿っぽい見た目の生物だが、ここのダンジョンボスは5メートル近くの大きさである。
実際のガゼルの3倍はある体躯と、角を使った突進が脅威といえば脅威か。
今の俺のステータスでは、当たりどころが悪ければ一撃であの世行きということも十分にありえる。
まぁ、スピードはそこまで速くないし、行動パターンも少ないから当たることは無いんだが。
時間が残り1分になったところで、『ボスに挑む』をタッチ――光が俺を包み込んでいく。
景色が変わり、視線の先にはこちらを睨むダンジョンボスがいた。
「よーしよし。案外俺の記憶力も信頼できるじゃないか」
ダンジョンボスは予想通り、ガゼルの姿をしていた。
ステータスに関しては完全に暗記しているが、さすがにダンジョンの魔物までは網羅していない。王都周辺だから記憶に残っているだけだ。
右手にショートソードを持ち、1歩1歩、ゆっくりと距離を縮めていく。
残り10メートルという所まで近づくと、ガゼルの魔物が「ブォオオオオオッ!!」と、大地を震わせるような雄叫びを上げた。
そして、砂を巻き上げながらこちらに向かって突進してきた。
「見たことある動き――だなっ!」
右に体重を移動させながらしゃがみ、脅威である角を回避する。そしてしゃがんだ足をバネにして、右前方に飛びながら魔物の左前脚に剣を振るった。
「かってぇなぁおいっ!」
ダメージは入っただろう。だが、傷は浅そうだ。
魔物はこちらに振り返ると、俺の攻撃などそもそも当たっていないかのように、前脚2本を大きく振り上げ、勢いよく振り下ろしてきた。
「――よっと」
それを身体の向きを変えるだけで回避した。目と鼻の先に現れた先程の傷口、俺はバックステップしながら、その場所にもう一度剣を振るう。
「ブォオオっ!」
魔物から発せられるのは、痛みによる叫びだろう。
よしよし、ちゃんと効いている。同じ場所だと、やはりダメージの入り方が違うようだ。
その後もガゼルの魔物は、頭を振るって角で攻撃を仕掛けたり、後ろ足で蹴りを放ってくるが、俺はその全てを回避しながら、しつこく同じ場所を切りつけ続けた。
そして、とうとう魔物は4本足でまともに立つことができなくなった。
「よしよし。これで楽勝だな」
まともに攻撃ができなくなった魔物に対して、俺は安心して首などの急所を狙っていく。
戦闘が始まって20分後――魔物は粒子となって消えていった。
「ふぅ……VITがないと、さすがに疲れるな。とりあえず、完全勝利っと」
魔物が消え去ると同時、俺も光に包まれていく。入った時と同じで、身体に一切怪我はない。
Eランクダンジョン――踏破達成だ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ダンジョンから出ると、セラさんは俺がダンジョンに入った時と変わらず、剣の素振りをしていた。変わった所といえば、額には汗が滲んでおり、動きも鈍くなってきているということぐらいか。
そりゃ2時間も素振りしてたらそうなるわ。
「お待たせしました。凄い汗ですが……食事の前にお風呂で汗を流しますか?」
そう声をかけると、彼女はいつものキツい視線を向けてくる。
「……踏破したのか?」
「はい。それで、どうしますか? 王都の公衆浴場の近くにも食事処はありますし――あ、それともご自宅に一旦帰りますか?」
俺の問いかけに、彼女はインベントリからタオルを取り出して「必要ない」と短く答える。タオルで額についた汗を拭いながら、彼女は言葉を続けた。
「私は貴様が嫌いだ。だから向き合って食事なぞしたくない。店で食いたいのなら1人で食べろ」
セラさんはこちらに目を向けることなく、淡々とした口調で言った。
なんというか、ここまでストレートに『お前が嫌いだ』という気持ちをぶつけられたのは、生まれて初めての経験かもしれない。
会社とかは陰口とか、嫌がらせとか、回りくどいものばかりだったからな。
「そうですか、では俺もサンドイッチとかで適当に済ませることにします。その後はダンジョンの入場制限ギリギリまで潜り続けるので、セラさんもそのつもりで食べ物を買っておいてください」
「ふん――それならば先に食事を買っておけば良かったのだ。無駄な労力を掛けさせるな」
「ん? どの道ダンジョンに行くには王都を通りますよ?」
俺の言葉に、彼女は睨みつけながら首を傾げるという、なんともアホっぽい仕草をした。もうその表情が顔に固定されてしまってるんじゃないか?
「別のダンジョンに行くのか? ここ以外のEランクダンジョンは距離がある。あまり面倒なことはさせ――「行くのはDランクダンジョンですよ」――なんだって?」
「だから、向かうのはDランクダンジョンです。ここから王都を挟んで反対――西側にはDランクダンジョンがありますよね? 食事を買ったらそこへ向かいます」
ここで初めて、彼女の表情が怒りから驚愕へと変わった。
「――なっ! 貴様、死にたいのかっ!? まだ下級職のレベル10程度だろうっ!? ここはなんとかなったかもしれないが、Dランクダンジョンは無謀だっ!」
いきなり正面から両手で肩を捕まれ、激しく揺さぶられる。
「――ちょ、止めてください」
「わかっているのか!? 自殺しに行くようなものだぞっ!」
「痛いっ! 痛いですって!」
脳と肩が悲鳴を上げていたので、俺は咄嗟にセラさんから1歩距離を取り、肩から手を離してもらう。さすがSTRが高いだけはあるな。
「だ、大丈夫ですよ。それに、Dランクダンジョンでも問題ないと証明するために、わざわざ踏破者のセラさんと模擬戦をさせてもらったんですから」
自分が負けたことを思い出したのか、彼女はまた不機嫌な表情になる。俺を強いと認めてくれているのかはわからないが、言い返すようなことはしてこなかった。
そういえばセラさんが笑ったところ、見たことないな。いつも怒っていたり不機嫌にだったり、そしてたまに驚いている。
ほとんどの原因は俺なんだが。
「…………護衛対象が死ぬなぞ、ベルノート家の恥になる」
「危なくなったら通信しますから」
セラさんの苛立った顔とバランスをとるように、俺は笑顔で答えた。もちろん、彼女が笑みを返してくれるわけなどなく、「ふん」と顔を逸らされるだけだったけど。
そして昼食後。
俺はおよそ3時間かけて、予定通りDランクダンジョンの踏破を達成した。