0 覇王ベノム
その巨大な肉体が、細かい粒子に変わって消えていく様子を、俺はどこか他人事のように眺めていた。
「…………やっと終わった」
SSランクダンジョンのボス。
つまりこのゲームにおけるラスボスである覇王ベノムを、俺は単独討伐することに成功した。
短かったような、長かったような――いや、やっぱり長かったわ。さすがに疲れた。
VRMMO『テンペスト』。
このゲームをプレイしている100万以上のプレイヤーが、あまりの難易度の高さゆえに諦めたバトルだ。
『およそ人間には不可能』とまで言われたその偉業を、俺は10時間を超える戦闘の末、ようやく果たすことができたのだ。
これで幻の四次職『覇王』になることができる。
ニートの底力舐めんなってんだ。
俺は歓喜の雄叫びを上げることもなく、喜びに身を震わせることもなかった。出てきたのは、深い深いため息。
最終ステージである覇王城の中は、静けさで満ちていた。
両親が交通事故で死亡。そのショックで仕事が上手くこなせなくなり、退職。
円満な退職とはお世辞にも言えない終わり方だった。
上司には怒鳴られ、同僚には『仕事が増える』だの『心が弱い』だの小言を言われた。
両親を亡くしたやつに、普通そんな心無い言葉をかけるか? ありえないだろ。
あいつらは人間の皮を被った鬼か悪魔かだと思っている。
仕事を辞めた俺は、またそんなことを言われるんじゃないかという恐怖で、転職する気になれなかった。
幸い、両親が遺したお金と、自身で貯めていた貯金がある。
その貯蓄を削りながら、俺はゲーム漬けの日々を送り、現実から目を逸らし続けた。気づけば33歳である。
「このゲーム、好きだったんだけどな……」
ラスボスを倒してしまった。
大好きな食べ物の、最後のひと口を食べ終えてしまった時のような、喪失感が襲ってくる。
そんな時だった。
「なんでウィンドウが表示されてるんだ?」
覇王ベノムが跡形もなく消え去った後、その青白い画面は出現した。
ダンジョン内で選択肢のあるウィンドウが出現するのは、階層をクリアした時だけだ。
階層をクリアする毎に、ダンジョンから帰還するか、次の階層に進むかを選択できる。
すなわち、最後のボスを倒した後、進む先が無いため選択肢は出現しない。帰還一択というのが常識なのだが……
「転生って……どーゆーこっちゃ」
俺の目の前に現れたウィンドウには『帰還』と『転生』の選択肢が表示されていた。選択肢の右上にはカウントダウンタイマーがある。
残り9分24秒。
「強くてニュー〇ーム的な感じか?」
いつもと違うウィンドウに、少し好奇心が湧いてきた。
だがしかし、転生を選択すると、今まで上げた様々な職業のレベルが全ておしゃかになってしまう気がする。というか絶対そうだろう。ゲームの転生ってのは大体そんなもんだ。
「んー……」
悩む、悩む、悩む。
気づけばカウントダウンタイマーの数字は3分を切っていた。
「やっぱり、ゲーマーとして『転生』を選ばないわけにはいかないよな」
意を決して、転生のウィンドウをタッチする。
すると青白かったウィンドウが一瞬で真っ赤に染まり、注意書きのような文章が現れた。電流が走るような、パチパチという音が鳴っている。
その1――全ての職業レベルがリセットされます。
その2――所持品全てが消失します。
その3――アバター及びキャラクターネームは引き継がれます。
その4――元の世界に帰還することはできません。
それらの文章の後には、もう一度『帰還』と『転生』の選択肢が現れていた。
その1から3はわかる。
その2が俺にとってはかなり悔しいが、ここまで厳しい条件を飲めば、その見返りも期待できそうだ。
だが、その4の文章、これはなんだ?
「元の世界に帰還……? キャンセルはできないって意味か?」
それならもっと別の言い回しがありそうだが……。
んー、わからんな。
「どのみちキャンセルするつもりなんて無かったし、いいか」
俺はそれでも『転生』のウィンドウをタッチした。すると――、
「なっ、なんだっ!?」
ウィンドウに触れた瞬間、赤黒い電流のような物が、腕にまとわりついてきた。肘、肩、首――まるで蛇が獲物を締め上げるように、その電流は俺の身体を包み込んでいく。
「凄い演出だな……めちゃくちゃリア――」
――ル。そう続けたかったのだが、突如として身体が麻痺したように動かなくなった。紡ぎたかった言葉を発することができない。
処理落ちか? 一旦ログアウトしたほうが――
そう考え始めた時、一際大きな『バチッ』という音が鳴った。その耳を突き刺すような音を最後に、俺の意識は闇に落ちていった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
やけに眩しいな。
うっすらと開けた目には、キラキラした光が映っていた。たまらず眉間にシワをよせる。
眩しすぎ。っていうかなんで俺寝てんの?
……あれ? そもそも俺、何してたんだっけ?
確か覇王ベノムを倒してから、何かおかしなことが起きたような――あ、そうだ。転生だ転生。転生の選択肢を選んだんだ。
目をキツく瞑り、ググッと背を伸ばす。あくびもでた。
「勇者様が現れたぞぉおおおおおっ!!」
「――うるさ」
思わずそう呟き、耳に手を当てる。
え? いまなんて言った? っていうか誰? は? どういう状況?
目を擦りながら、なんとか瞼を持ち上げる。
まず視界に入ってきたのは、眩い光を放つ豪華なシャンデリア。次いでこれでもかと装飾を施された壁、窓から見える青空。
え? マジでどこだここ?
のそのそと身体を起こすと、VRMMOテンペストにおける最大の国家――リンデール王国の国王や、王妃、宰相や近衛兵などが居ることがわかった。彼らは揃って、喜んでいるように見える。
「……王城?」
転生を選んだら、王城スタートなのか? 目が覚めたと思ったら、なんだこの状況は――ん?
「…………目が覚めたと思ったら――?」
ありえない。それは絶対にありえない。
ダイブ型のVRゲームをしている最中に意識を失えば、強制ログアウト機能が働くはずだ。もちろんゲーム内で寝ることは不可能である。
いったいどういうことだ?
「ご気分が優れませんか? 勇者様」
声がしたほうに視線を向けると、そこにはリンデール王国の宰相がいた。確か名前は、ディーノだ。こいつから話しかけられた経験なんて、ゲームを始めてから一度もない。
俺はその言葉を無視して、頭で念じてメニューウィンドウを出現させる。あるはずの場所に、ログアウトの項目は無かった。
頭の中で様々な情報が駆け巡る。
ゲーム内で意識を失う。
妙にリアルな雰囲気で話しかけてくる宰相。
ログアウトボタンのないメニューウィンドウ。
両方の手のひらを広げ、マジマジと見つめた。
血管、シワ、感触――どれもがリアルすぎる――いや、現実そのものだ。
「まさか――ゲームの世界に『転生』した……?」
そんな荒唐無稽なことを口にする。
頭を抱え、「ありえないありえない」と何度も呟いた。誰かが肩を揺すりながら声を掛けていたが、全く頭に入ってこなかった。
そしてついには、困惑のあまり、俺はその場で嘔吐したのだった。




