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定規を使っても真っ直ぐに線が引けない

作者: 1240

 世界が始まった。

 そう思ったものの、そんな大層な事では無い。

 只、私の意識が覚醒しただけだ。

 実は世界が私独りだけだったり、私の意識だけが動いている世界を妄想したりした事は無いだろうか。

 其れの延長線上だ。

 スマートフォンを触ると午前六時丁度。

 私がいつも起きる時間は六時十分。

 嗚呼、アラームよりも目が覚めてしまった。本日は何時(いつ)もより早い起床となった。

 私は寝起きが良い。漫画やアニメでよく有る「あと五分」という事をやった事が無い。

 目が覚めてしまったならば起きるしかない。変に寝ようとすると逆に眠くなってしまう。

 ベッドから身体を起こし、ゲームを起動する。

 ログインボーナスを受け取り、終わりにする。

 これが私の日課だ。

 よく、寝る前にスマートフォンを触って眠りが浅くなると言うので、私は起き抜けにやる事にした。

 照明を付け冷蔵庫を開け、昨日買ったコンビニ弁当とサラダを取り出す。

 コンビニ弁当は電子レンジに入れ、温めを開始する。

 その間にサラダを口に入れる。

 生野菜の瑞々しい冷たさが口へ当たり、余計に目が冴える。

 シャキシャキとした食感、酸味や苦味が口へと広がる。

 テレビをつけ、いつも見ているニュース番組のチャンネルへ切り替える。

 電子レンジの動作が止まり、弁当の温めが完了した合図が流れる。

 電子レンジから弁当を取り出し、蓋を開ける。

 温かい水蒸気と弁当の良い香りが広がり、部屋の温度を上げた気がした。

 テレビからは新型のウィルスに関する報道ばかりだ。

 気の滅入る話ばかりしか入って来ない。

 弁当を口に入れる。

 美味しい。と思いたいが、素直に思えない。

 まだ私の舌は寝惚け眼を擦っているようだ。

 昔のコンビニ弁当と今のコンビニ弁当では随分と美味しくなっている。

 不味いなど余程の事が無ければ思えない程に。

 だからこの弁当もきっと美味しいのだろう。そうに違いない。

 窓から溢れる柔らかな日差しが春を感じさせる。

「この前までは暗かったのに」

 照明を付けなければ行動する事さえ困難だったのにも関わらず、今はその気配さえ無い。

 明るい日差しは今日の天気を現している。

 それに比べ、与党、野党の話から外国のニュースまでどれも不景気な話ばかり。何も良いニュースは流れて来ない。そして何も昨日と変わる事の無いものばかりだ。

 私はその変わらないニュースと同じ。ルーティンと化した出勤準備をする。

 代わり映えのしない歯ブラシ。代わり映えのしない化粧品。代わり映えのしない洋服。何時も中身が同じの鞄。

 そんないつも通りの日常にすぎない。

 支度を終えると七時を過ぎていた。

 いつもなら、まだバタバタとしている時間であるが、私はもう家から出る準備が出来ている。

「こういう時に限って忘れ物をするんだよな」

 それで一度家に帰ってといつも変わらない時間になる。

 そうなるのが嫌なので財布や定期券、書類等をチェックしてからテレビを消す。

 照明を消して玄関を開けるとフワリと風が舞い込む。

 春とはいえ肌寒い風が吹き、陽がそれに抵抗するかのように降り注ぐ。

 鍵を閉め、外へ出ると閑静な住宅街を覆う雲ひとつない青空が見えた。

 私は内心舌打ちをした。

 雲一つ無い青空が嫌い。

 ため息が出てしまう。

 “空”という漢字はウ冠ではなく、穴冠。

 空は大きな穴だ。そして今日は空っぽの穴。

 何も無い穴は(むなし)いのだ。

 そんな春の空しさが私は嫌い。

 一般的には爽やかな青空と謳う人が多いのだろう。私から遠くへ離れれば離れる程白みがかってゆくこの青空を。

 杉花粉による花粉症の人々は花粉を恨めど、青空までは恨まないのではなかろうか。

 そんな自分の性格が嫌になれど後悔はしていない。

 自分が捻くれているのには、もう慣れた。慣れに成れた。

 玄関の鍵を閉めて駅へと向かう。

 道中倒れている草花が見える。あれはポピーだろうか。

 先日は風が強く、歩くのが辛かった。

 春風は鋭く冷たいのにも関わらず、天気は穏やかで時間がゆっくりと流れているようだったのを覚えている。

 どうも萌えゆる草花も春風には抵抗出来なかったようだ。

 若草萌ゆる道路脇と爽やかな青空が私の心を沈めてゆく。

「こんなにも世界は美しいのに」

 何故私は素直に喜べるないのだろうか。

 ――いや、美しい世界に囲まれているからこそ私が一層惨めに見えるのだ。

 心から笑える日は無く、ルーティンと化した日常に苛まれる。絶望とはまだまだ程遠いが、幸福すらもまた遠い。

 そんな生活が惨めに見えるのだ。

 不幸な人からしたら十分に幸せで、羨ましいと思われてもそれ程良い生活では無い。

 苦しくも無く、痛みも無い。喜びも慈しみも穴に消えてしまった。

 倒れた草木は私の心のようだ。

 立ち直って欲しいと強く願う。

 改札を通り、階段を下りる。

 行き通る人々はマスクをしている。

 そんな非日常的光景が、今では日常化している。

 ホームにいる人は(まば)らで、普段とは違う光景だ。

 電車が来るアナウンスが流れ、いつもより一本早い電車が到着する。

 普段は混み合っている電車内もウィルスの影響か、一本早い電車かはわからないが、人が少ない。

 人が少ないながらも席に座る事は出来ない。

 いつもの混み具合が異常なのかもしれない。

 窓際の方へ詰めると電車のドアが閉まって発車する。

 車内は話す人もおらず、無気味なほど静かだ。

 窓には忌々しい快晴が映り、遠くには桜が咲いている。

 今年は桜の開花が早かったと聞く。

 揺れる車内から眩しいほどの桜が空っぽの空に向かって手を延ばしている。

 桜が散って舞い上がる姿を見て、空っぽの空は桜の花弁(はなびら)を吸い込むためにあるのかもしれないと感傷に浸ってしまった。

 嗚呼。捻くれた私には独りがお似合いなのかもしれない。

 いつもより五分早い私の日常が始まった。

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