化け物の失恋
ゲラゲラと、品のない笑い声が村に反響する。
「はあ……」
血の甘露な鉄と内臓から飛び出た糞尿の酸っぱいにおいが混じり合い、気分が悪い。
「酒呑、入るね」
私は、立ち並ぶあばら屋の中でも、立派な方のあばら屋のすだれを上げて中に入る。
「おう、茨木か」
そこでは、私の思い人が、胡座をかき眉をひそめて唸っていた。
「熊の奴がまた女をさらってきたよ」
「そうか」
酒呑は頷いて黙り込む。
「……京の方で、近々私達の討伐隊を出すという噂が流れてた」
「そうか」
酒呑は、やはり何も言わない。
いや、何も言えないのだ。私達の『抵抗軍』は大きくなりすぎた。当初は化け物として蔑まれる、人外達の尊厳を守るために戦っていたのに。組織が肥大化した今では、『化け物』が幅をきかせている。誰よりも力が強いがために大将に祭り上げられた酒呑には、こうなった組織を立て直す知識は無い。それは、悪友だった私もだ。
「……もう逃げよう?」
私は、酒呑に詰め寄り、そう訴える。
「私と酒呑だけなら、逃げれるよ!? 奥州でも、唐でもいいからさあ!」
「茨木」
酒呑は、彼の肩に置いた両手に彼の手を重ねて、静かに言った。
「茨木、確かにそれは有りかもしれねえ。徐々に開く梅を眺めながら、砂子塚の美味い酒を飲む日々に戻るのも、有りかもしれねえ。だが、今更そりゃあ駄目だ。俺は大将だ。過程はどうであれ、大将になっちまった。なら、その責任は取らなきゃならねえ」
「このっ! このっ!!」
私は、彼が真面目なことを知っている。暴れ者のように見えて、弱者には優しいことを知っている。そんな彼が、逃げるなんて選択を取れる訳が無いことは、よく分かっていた。
嗚咽を堪える私に、酒呑は赤子を宥めるように言う。
「……なあ茨木、ひとつ、頼みごとを受けてくれは、しないか?」
「っく……、何よ?」
「この山に討伐隊が来たところで、絶対馬鹿共は何人か逃げる。そうなれば、そんな馬鹿共を集めて、人間に討たれてくれ。あの馬鹿共は、化け物になってしまった。なら、せめて戦いの中で死なせてやりたい。」
「……ずるいよ。ずるいよ酒呑」
涙が溢れる。私は、こんな酷い男を、好いてしまった。その気持ちを知っておいて利用するなんて。
私に、断れる訳が無かった。
山が燃えた。配下と思しき兵を山に送り込み、乱戦にしておいてから、奴らは山に火を付けたのだ。そしてその混乱の最中で、酒呑に斬りかかり、逃げる奴は敵味方関係無く射殺したのだ。私は彼を討たれまいと戦ったが、異常に腕の良い美形の男に抑えられ、それすらままらなかった。
肉の焼ける臭いは、人間も人外も変わらない。幾人も殺し、殺された山には、目が血走った人外達が集まっていた。
「酒呑……」
地面には、あんなに大きかった男の、首のない身体が転がっている。
「茨木様……」
「茨木様」
「茨木様!」
心まで化け物に墜ちた奴らが、怒りの声を上げる。私は、右腕を斬られ、持ち去られてしまっている。これでは、全力で戦えない。彼は『討たれてくれ』と言ったが、彼を殺した討伐隊の大将、源頼光だけは、討ち取るつもりだった。あの卑怯者だけは、死んでも討ち取るつもりだった。
「酒呑……」
私は涙を拭い、【影】を広げて彼を喰らった。
「くうっ!?」
彼の力が私の中で暴れ、無くなった右腕を埋めていく。
「はあっ……、はあっ……」
生えた右腕をさすりながら、荒い息を整えて立ち上がり、私は化け物達に怒鳴った。
「お前達! 戦支度をしろ!」
歓声が上がる。
「復讐の時間だ!」
私達のいた大江山の反対側、羅城門側から京の都へ攻め込むと、敵の抵抗は全くといっていいほど無かった。一人の男が、その美形な顔を汚して指揮をとっているも、討たれるのは人間の方が圧倒的に多く、私達が京の都に侵入するのは時間の問題と言えた。
「はあああっ!」
「ぬるいっ!」
敵の指揮官の刀の一撃を交わし、水月に右の拳を叩き込む。酒呑の力を得た私の拳により、鎧が骨ごと砕ける音が発せられ、、男は燃え盛る羅城門の柱へ背中からぶつかる。手には肉を潰した感触があるというのに、男は刀を手放さなかった。
山で戦った時も思ったが、天晴れな男だ。こいつに酒呑が討たれたのなら、私も納得しただろう、そんな素晴らしい男だ。だが、彼はこの男の大将、性根の腐った源頼光に討たれた。ならばこの男を討ち取り、あの人間以下の屑を引きずり出してやろう。
「では、疾く死ね」
そう右脚を振り上げ、男の頭を蹴り潰そうと勢い良く振り下ろした。
筈、だった。
「かかさま……」
だけれど、私の耳はその声を捉えてしまった。この男にも好いた者がいると知ってしまった。右の踵は前立てをかすめて砕き、地面に着いてしまった。
「……そうか」
化け物達が僅かに抵抗する人間を食う音がする。食われる人間の断末魔が聞こえる。だけれど私の耳は、不思議とそれらを意味あるものとして捉えなかった。そんなことよりも、この男のように、死んでいく人間達に好いた者がいるという事実の方が、大切だった。
私はしゃがみ、男の何も映していないような目を見る。
「嗚呼」
人は、望まれて産まれてくるのだ。私も、人外になる前は、確かに父上や母上に好かれていたのだ。その事実を思い出し、口を開こうとしたその時。
「放て」
男の目に、あの屑とその配下が矢を射かけてくるのが見えた。
「くそっ!」
私は反射的に男の楯となった。意味が分からない。こんなことをする前に、あの塵を殺すべきなのに、何故私はこの男を守っているのだ。
矢は絶え間なく降り注ぎ、化け物と人間達の断末魔が消えていく。
「くうっ!」
だけれど、私は、酒呑すら喰らった私は、この程度では死なない。この程度では死ねない。痛みだけが背中を埋める。
「やめ」
どこまでも冷酷な声が、矢の雨を止めた。
「はあ……。はあ……」
凄い矢だ。身体を貫き、守っている男に迫ろうとしている。武人としては凄いのだろう。だけれど、こいつは将として最低だ。殺す必要の無い仲間まで殺した。
「ふむ、鬼の残党か。まだ息があるとは。俺の手柄首となれ」
屑が近付いてくるのが、何も映さない男の目に映っている。
「では、俺の立身出世の糧となれ」
そう、屑が刀を振り下ろした瞬間。
「は?」
屑は【影】に全身を貫かれた。男の目に見えるその光景は、地獄にあるという剣の山に刺された咎人のようだった。
「ハハハハハハ……」
刀が地面に落ちると同時に、絶命した屑の生命が、私の身体に流れ込んでくる。馬鹿な奴だ。私が【影】を操るのは山で散々見せたというのに、燃え盛る羅城門の明かりで出来た影に自ら踏み込むなんて。
「……やったよ、酒呑」
これで、私の復讐も終わりだ。生命の抜けきった屑から【影】を抜き、身体から矢を排出して、男を抱えて、混乱する屑の配下共へと向かう。
「ち、近付くな!?」
「そうかい」
十分離れたと感じたところでそう警告されたので、私は男を地面に横たえ、屑の下へ行く。
「なかなか良い刀だね」
屑にしては良い刀だ。鞘を奪って刀を納め、【影】へ仕舞う。私は屑の鎧の下の襟を掴み、屑を羅城門の下へと引きずっていく。
「な、何をする!?」
背後から誰かの声がした。
「この屑を燃やす。それで、私達の戦は終わりだ」
「何を!?」
激昂した声に振り返ると、羅城門の上層が落ちてきて、屑の死体は下敷きになり、私の身体は炎に包まれた。
「その男に伝えて欲しい! 『死に際に母を呼ぶとは何事か! せめて好いた女を呼べ!』 ってね!」
混乱した様子の奴らに私は満足し、影へと消えた。
作者の言い訳
久々に真面目な話を書こうと、プロットを作って作品を書いていたら、設定に過ぎない筈の文字列から情景が浮かんでしまったんです。
なので、この短編には、今書いている作品の壮大なネタバレが含まれているという。
ジャンルがローファンタジーなのは、その作品の繋がりからです。公開出来るよう頑張ります(震え)。