運命を決める1打
佐藤明日香は高校の野球部のマネージャーをしている。その高校は毎年、
「目指せ甲子園!」
なんて言っているけど、1回戦で勝てればすごいといわれるほど弱商高校だった。明日香がマネージャーをして3年目、過去2年間はどちらも1回戦コールド負け。初年度なんて、10点差以上つけられての敗戦だった。
それでも、明日香には野球部に行き続ける理由があった。
「よう。佐藤!今日もきてくれたんだな。」
それは同じ野球部の4番を打つ、永井幸助の存在だった。幸助は、明日香が1年の時から追い続けた野球部のスラッガー。幸助と話すために野球部のマネージャーになったといっても嘘ではないと、彼女自身も思っている。
「もう、野球部生野日課みたいなものだから。」
明日香は、自分が幸助を意識しているそぶりを見せないように、自然に笑いかける。実際、明日香のその自然な笑顔で、幸助はいまだに明日香の思いに気づいていない。
「けどさあ、俺たち、マネージャーの思いにこたえられてない気がするんだよな。去年もおととしもコールド負け。目指せ甲子園どころか、県大会決勝にすらいけないんだもんな。いつかお前らマネージャーが、野球部なんて行きたくないって言ってもおかしくないと思うんだわ。」
幸助は、普段はだれとでも笑って話す性格で、野球部では頼れるリーダー的な存在だ。そんな幸助が弱みを見せるときは数えるほどしかない。少なくとも、彼は後輩の前では笑顔を絶やさない。
「なんて、これじゃあ野球部キャプテン失格だよな。悩む前に行動しないと、それこそお前ら離れていきそうだし。よし!今日はホームラン10発打つぞ!!」
気合に満ちた幸助の表情は、いつか彼が奇跡を起こすのではないかと、明日香に思わせるほどだった。
「そんな無理しなくても。永井君は十分頑張ってるよ。」
でも、無理をしてほしくなくて、幸助には元気なままでいてほしくて、明日香はありきたりな言葉をかけることしかできない。
「サンキュ!んじゃ、バッティング練習すっから、今日もよろしくな。」
そういうと、幸助は部員たちの輪に入っていった。
野球部がバッティング練習をしている間、マネージャーたちは裏方の仕事に回る。明日香ももちろん、バッティング練習をする部員たちを支えていた。
しかし、間近で部員たちのプレイを見ているからこそ、つらくなる時もある。今年は絶対に勝ちたいって思っている野球部全員。それ自体はとても悪いことではないが、今の野球部メンバーはなんとなく空回りしていた。打球を遠くに飛ばすことしか考えていない。野球は時につなぐことも重要になる。それなのに、部員たちはホームランを打つことに一生懸命になっていた。そんな状態でいい練習なんてできるわけもなく…。
「はあ、またレフトフライか。」
「思うように飛ばないな。」
「もっとこう、上がって伸びてフェンスオーバーっていうのを打ちたいのに、なんで全部失速しちゃうんだ。」
という感じで、全員思うような成果を出せずにいた。
結局、今日の練習もほとんど成果もなく終了。練習をずっと見ているマネージャーたちだけでなく、部員たちの危機感も日に日にましていく。
「なあ、幸助。大会まであと2週間だろ?このままじゃやばいんじゃね?」
「わかってる。明日から練習メニュー変えてみるか。」
幸助がそうやって練習メニューを変えながら練習をしている姿を、明日香は何度も見ている。部員たちが輝けるように、幸助は必死になって練習メニューを組もうとしている。そのたびに、マネージャーとして力を貸せないかと思ってはいるが、自分は野球は知っているけど、トレーニングとカニは詳しくないから、入っても邪魔だと思ってとくに声をかけることすらできない明日香だった。
そんなことを考えていると、明日香の前に幸助が走ってきた。
「おお!お疲れ!今日も暑い中ありがとな。」
「うん。みんな頑張ってるよね。」
「大会まであと2週間だからな。今回こそ、少なくともベストフォーには残りたいんだ。まあ、こんなさんざんな練習見せられて、ベストフォーもなんもないよな、はは。」
苦しそうに笑う幸助を、明日香は見ていられなかった。自分は今まで彼に何かできていただろうか。いつもそばにいるのに、距離だけはなぜか遠くて、こうやって話をすることしかできていない。直接できることはないけど、少なくとも幸助には笑顔でいてほしいと、明日香は思っている。
「永井君、わたしさ、野球部のマネージャーやれてよかったよ。試合は勝ててないけどさ、永井君がこうやって頑張ってるとこ見れて、わたしはいつも勇気をもらってる。もちろん、試合に勝つのは大事かもしれない。でも、勝つためにってそんな苦しそうな顔、わたしはしてほしくないな。」
明日香は、心の中で思っていることを正直に伝えた。これは、ひょっとしたら、頑張らなくていいって言っているのではないか、一生懸命練習している幸助をばかにしているのではないか、そんなことが頭をよぎったけど、言わずにはいられなかった。
「苦しそうかあ。佐藤には、俺の顔がそんな風にうつるんだな。それは反省しなきゃ。スポーツでもなんでも、やるときは楽しく、だよな。よし!あいつらにも、もっと楽しく野球やろうぜって言ってくるわ。」
幸助の顔に笑顔が戻った。そう、その笑顔が明日香は大好きだ。その笑顔を見たくて、明日香は1年の時から野球部のマネージャーをして、ずっと幸助のそばにいた。その顔になれば、もう大丈夫だって自分に言い聞かせるように過ごしてきた。
そして、運命の大会の日。明日香には、一つの決断があった。勝っても負けても、大会が終わったら幸助に告白する。お互い3年生で、この大会が終われば引退となる。同じ学校といえど、二人に接点はなくなるのだ。その前に、明日香は告白をしておこうとおもっていた。
「いよいよ今日から県大会だ!目指せ甲子園!!力を出して、行くぞ!!」
「おお!」
野球部が一つにまとまって、それぞれ試合会場のグラウンドに入っていく。
明日香が幸助に声をかけた次の日、幸助は、いったん大会のことを忘れて楽しく野球をしようと言い出した。投げて、打って、走る。みんながただひたすらにホームベースを目指した。その中で、部員全員が自分らしいプレイというものを取り戻していった。だからこそ、今年こそは大会に勝てるって、部員の誰もが思っていた。
試合が始まると、過去2年間とは違い、投手戦な展開になっていた。こちらのピッチャーが内野ゴロの山を築いているが、相手ピッチャーは剛速球を武器に三振の山を築いていた。
6回の表、足の速い3番バッターが内野安打で出塁し、ツーアウト1塁ながら、バッターは4番。キャプテンの幸助は、相手が4番であることを警戒し、外野に深い守備位置をとることを命じる。こうすれば、大きい打球を打たれた場合、即座にボールをとり、1塁ランナーがホームに帰ることは防ぐことができる。
しかし、相手の4番はあえて長打を打たず、つなぐバッティングで三遊間を抜いてヒットを打った。深めに守っていた外野はボールにうまく追いつくことができず、足の速い1塁ランナーは3塁へ。こちらの守備位置を把握しての攻撃だった。
そして、5番バッターは初球をたたき、打球はレフト前。3塁ランナーが生還し、均衡は破れた。
「大丈夫。まだ1点だ。これから取り返そう。」
幸助が全員に声をかけ、再び守備にうつる。次のバッターをなんとか打ち取って、この回の失点を1で抑えた。
その後もお互いランナーを出してはみるが、ピッチャーが抑え、1対0のまま、試合は8回に。ここまでヒットはたくさん放っているが、ホームベースが遠い展開。この回でつないで4番の幸助に打順を回そうと考えて攻撃に挑む。もし幸助に打順が回れば1点もとれなくても、ツーアウト満塁でまわってくる。その展開になっていれば敵も消耗しているだろうし、一気に逆転できるという作戦だ。
まず、先頭の8番バッターが10球粘ってフォアボールを選ぶ。8回のフォアボールはとても貴重だ。次のバッターが送りバントでワンアウトランナー2塁。
打順は1番に戻って1番バッターもフォアボールを選ぶ。2番バッターは内野ゴロだったが、ランナーが進塁し、ツーアウト2塁3塁。ツーアウトながら、チャンスができた。
「もらったチャンス、生かさないとな。」
そういってバッターボックスに入った3番バッター。相手はここで体力ぎりぎり…とおもたら、1段階ギアを挙げてきた。ストレートの球速も上がり、コースもよくなってきた。必死に食らいついていったが、結局6球目を売って内野フライ。4番の幸助に回すことすらかなえさせてくれなかった。
「ああ。次の会、大丈夫かな。」
チーム内に不安が残る。残るは最終回。点差はわずか1点だが、チームは追い込まれていた。
そんな気持ちがメンバーの緊張をなくさせてしまったのか、先頭バッターにヒットを許し、次のバッターにフォアボール。追加点のピンチとなった。なんとかツーアウトをとり、ツーアウトランナー1塁2塁。
ここを抑えればまだ勝機はある。そう思ってピッチャーが投げたストレートを、相手バッターは狙い撃ち。ボールはライトを守る幸助のもとに。これは外野フライかと思われた。しかし…。
幸助はその打球を落球。慌てて球を拾って内野に返したが、2塁ランナーがホームインし、追加点を奪われた。
9回裏の攻撃、バッターは4番の幸助から。
「悪い。俺のエラーで、追加点を取られてしまった。」
前のエラーをひきずってる幸助に、先頭バッターとしての役目が果たせるわけがないと、部員の誰もが思っていた。回は最終回。誰もが、試合の負けというものを確信していた。ワンボールツーストライクと追い込まれ、幸助は窮地に立たされていた。
そんなとき、ベンチで戦況を見守っていた明日香が突如立ち上がり、幸助に声援を送った。
「永井君、みんなで甲子園行こうって言ったよね?自分でエラーして可能性低くなったっていうなら、バットで取り返せばいいじゃん。キャプテンの意地、見せてよ。ていうか、見せろよ!キャプテンなら、この状況、なんとかしろよ!!」
明日香は必死だった。今まで幸助の笑顔だけを追いかけてきたけど、今はそうではない。いや、笑顔になってもらうために、この勝負だけは勝ってほしかった。だから、精一杯の激励を幸助に送る。
幸助は、明日香の突如変わった態度にすこし驚いたが、明日香の言う通りだと思っていた。自分のミスは自分で取り返さないと、だれも取り返してくれない。1点とられたなら、1点取り返せばいい。その思い出打席に入りなおす。
幸助が打った打球はセンターに舞い上がる。ボールが落ちなければ、このまま伸び続ければ、フェンスを越えるかもしれない。
「伸びろ!伸びろ!超えろ!」
その場にいた誰もが打球の行方を見守る。
そして、打球はそのまま伸び続け、センターのフェンスを越えた。
「よっしゃー!幸助のホームランだー!!1点返した。しかも、まだノーアウト。いけるぜ。俺ら、まだ勝てるぜ!!」
ダイアモンドを1周した幸助を、部員全員が迎える。そして、
「佐藤、ありがとな。お前の言葉で、俺打てたわ。」
先に幸助が声をかけたのは明日香だった。明日香も、幸助のホームランが自分のことのようにうれしかった。
そんな風に盛り上がった9回裏だったが、相手チームの変わったピッチャーに後続が抑えられ、1対2で幸助たちのチームは破れた。
「いやあ、過去2年間に比べたら、めっちゃいい試合したじゃん。幸助の最後のホームラン、まじかっこよかったって。」
「そうだな。あと1歩だったけど、一番思い出に残る試合できた。」
「おお!後輩たち、あとは頼んだぞ!来年こそは、目指せ甲子園だ!」
試合には負けたが、みんな満足な表情をしていた。彼らが言う通り、大差で負けた過去2年間に比べたら、最後まで結果のわからない試合ができたこと、それ自体がチームにとってやり切った感覚を与えていたのだろう。
「みんなありがとう。今日の試合は残念だったけど、いい試合ができてよかった。それで、ほんと、最終回のエラーは申し訳なかった。あれさえなければ…」
「もう言うなよ。お前のエラーなんて、ホームランで帳消しだ!」
「そうそう。さすがキャプテン。ありがとな。」
「お前ら…」
こうして、幸助や明日香の夏は終わった。明日香は考えていた通り、幸助に告白することを実行しようとした。負けていきなりは落ち込んでいるだろうとおもったけど、部員とのやり取りを見る限り、落ち込んでそうな雰囲気はない。今なら絶好の告白のチャンスだと思った。
「永井君、ちょっといいかな?」
明日香は、帰りの準備をする幸助に声をかけた。
「ああ、いいよ。」
二人は、部員たちがいない静かな場所に移動する。こんなことを言って失敗したら2度と幸助とかかわれないかもしれない。もう、あの笑顔を自分に向けてくれないかもしれない。そうは思ったけど、このまま接点がなくなることのほうが、明日香には嫌だった。
「試合お疲れ様。永井君、すごくかっこよかった。」
「ありがとう。さっきも言ったけど、佐藤のおかげだよ。まあ、あんな大きい声出すとは思ってなかったけど。」
「あはは。自分でもびっくりしちゃった。」
なかなか本題に入れない明日香。告白というのはとても難しいと感じる。いきなり、好きですじゃおかしいけど、雑談ばかりしてると時間がたってしまう。一生懸命心の中で思いを整理しながら、明日香が語り掛ける。
「あのさ、わたし、永井君の頑張りにひかれて、野球部のマネージャーやろうと思ったんだ。部活どうしようかなって思ってた時、永井君が一生懸命野球やってるのみて、わたしも力になりたいなあって。野球詳しくなかったけど、一生懸命勉強した。だから、甲子園に行けなくても、永井君のかっこいいプレイが見れてよかった。で、これからも一緒にいたい。わたし、永井君のことが好き。」
明日香は、相手の相槌も聞こえないかのように、整理した言葉を話し続けた。そして、やっと、好きだと伝えることができた。その声は震えていたし、最後のほうは涙もにじんでいた。
そんな明日香の告白を、だまって聞いていた幸助。まさか、自分のために野球部に入ってくれたというのが、一番の衝撃だった。幸助は、明日香の話をすべて受け止め、自分なりの答えを出す。
「佐藤、ありがとな。ほんと、迷惑ばっかかけたし、不安にさせることも多かったと思う。でもな、最後のだけはごめん。俺さ、今回の試合、お前に頼らないように頑張ってたんだ。いつも頼ってばっかだし、これからは別々になるから。なのに、最後は結局お前の応援でホームラン打ってさ。ぜんぜんだめだよな。佐藤と一緒にいると、自分が甘えてばっかでだめになりそうな気がするんだ。だからさ、今の俺は、佐藤と一緒にいることはできない。その言葉が、負けた俺への慰めなのか、それとも本気なのか、どちらにしても、気持ちを受け取って、ありがとうっていうことしか、俺にはできないんだ。」
明日香は、何度も何度も心の中で幸助の言葉を再生した。幸助が自分を頼ってた?そして、頼ると前に進めなくなるから告白の返事は受けられない?疑問はたくさんあったけど、ただ単純に、自分が幸助のそばにいてはいけないということだけは理解することができた。
「あのホームランさ、今度こそ、俺は一人で頑張れるっていうホームランだったんだ。だから、悪い。俺、頑張るから。」
「そっか。もし、わたしがマネージャーとして永井君のそばにいなかったら、結果は違ってたと思う?」
「そんなことは、なかったとおもう。別のルートで出会っていたとしても、俺は佐藤と出会っていたはずだから。」
明日香は、幸助が一つ嘘をついていることに気づいていた。本当は一人でやっていくなんて不安に思っていること。でも、明日香にはそんな幸助を引き留めることができなかった。
「わかった。」
震える声で明日香は一言だけ残すと、その場を立ち去った。
いなくなった二人が帰ってこないということで、様子を見に行ったピッチャーの千川。二人を探して見つけたと思ったら、片方の女のほうは泣いてるし、いったいどういうことだと耳を澄ませてみたら、どうやら幸助が告白を断ったということがわかった。明日香がその場を立ち去ってから千川は幸助に声をかける。
「お疲れ様。いろいろとな。」
「おまえ、見てたのか。」
「まあ、二人が戻ってこないから様子見ってやつ?幸助、お前嘘ついただろ。」
「なんのこと?」
「お前、今でも佐藤さんのこと必要としてるだろ。それでも、自分は野球続けるために遠くに行くから、付き合えないって思って断ったんだろ?本当は、佐藤さんのこと好きなんだろ?」
「ふう。お前には、何でもお見通しだな。佐藤はさ、いいやつだよ。だから、離れる俺なんかと一緒にいちゃいけないんだ。」
「まあ、そうだな。佐藤さんには、お前なんかよりいいやつがたくさんいる。なんていってみたり。」
千川は、幸助を励ましながら、野球部のメンバーのもとに幸助と向かった。
もうすぐメンバーたちのもとに戻らなければいけないとわかっていた明日香だったが、先ほどの出来事がショックでなかなか戻る気にはなれなかった。自分が今までしていたことが、逆に幸助を苦しめていたのではないか、そんなことさえも思ったりした。それでも、自分がしてきたことだけは肯定しようと頑張っていた。
「佐藤先輩?」
考え事をしながら歩いていると、同じマネージャーで1学年下の、小寺彩音と会った。
「ああ、彩音ちゃん。どうしたの?」
「いや、先輩が戻ってこないから探しに行けって言われて。」
「そっか。迷惑かけちゃったね。ごめんね。」
「先輩、なんかあったんですか?泣いたみたいな顔してる。」
「何もないよ。」
明日香は強がるしかなかった。後輩にたいして、悩みを普段から打ち明けるような性格ではないし、自分が好きな人について、彩音に話したことはない。
「嘘ですよ。永井先輩を連れ出して、今は一人でそんな顔して、何もなかったなんてことないです。永井先輩と、何があったんですか?」
意外と、後輩にもすべてオミトオシなんだなって、明日香は思った。だったら、今思ってること、一人で考えてることを彩音に打ち明けてみよう。そう思い、心に思っていることをすべて話した。告白のこと、今までのこと。幸助の答えも。
「先輩って、やっぱ永井先輩のこと好きだったんですね。ていうか、そんな答え、自分勝手すぎます。明日香先輩が泣くことないです。少なくとも、永井先輩を恨んでいいぐらいです。だから…。一緒に発散しましょ!今から戻って解散したら、わたしとカラオケでもしましょ。普段野球部にいると、女子らしいことできてないから、今日ぐらいはいいじゃないですか。」
そんな風に励ましてくれる彩音の行動が、明日香にとってはとても嬉しかった。今まで話せなかったことだけど、勇気を出して話せてよかったっておもった。
そのあと、明日香は心の中で、幸助に対して、ありがとうとさよならを告げた。