深淵の穴、その前に<前編>
ソスプルの小さな喫茶店は、最近のお気に入りだった。
落ち着いた雰囲気の店内は、今は私達しかいない。
「さて、だいたいこんな感じの育成計画ッス、転生は前世の記憶持ち込みでいいッス?」
「うん。ちなみに、異世界行かないで生き帰る場合はどうなるの?」
「ここで覚えた能力が向こうでも使えるッス。けど、状況でかなり変わるッス、奏さんのケースだと怪我がヤバいから後遺症は覚悟して生き返ることになるッス」
「異世界転生にもいろいろなんだね」
「人それぞれッス。取り敢えず異世界転移に限りなく近い形で、ここのスキル持ち込み…っと、お見積もりはこのくらいのソウルポイントになるッス」
「うわぁ、結構かかるね」
「全力でサポートするから一緒にがんばろうッス!」
「うん、よろしく」
「大変なのです!?」
血相を変えて一人の天使が飛び込んできた。
「モエルエル、どうしたッス?」
「あ、アルト!大変なのです!リディが…ソウル体が深淵に落ちたのです!?」
「な、なんでッス!」
ゲートリア世界創造時に出た廃産物、神々かいらないと判断したモノ、それらを放り込む穴、深淵。
その立ち入り禁止区域は、覗くだけでも罪になり罰を受ける場所だった。
「ここで間違いないッスね?」
「そうなのです、街を二人で歩いてたらいきなり眠くなり、担当していたリディちゃんがいなくなり、探していたらあそこに…」
「届きそうで届きそうにないね」
崖の途中に引っかかっているのが見えた。
「奏さんは帰るッス。兎に角、騎士団に連絡ッス」
「アルト、あそこ何か動いてないか?」
黒い影がリディちゃんを遠巻きに警戒している。
「…アレは【モノ】名前すら呼ぶ事が禁忌の深淵の住人ッス」
「助けなきゃいけないって事か」
「あれは奴らの常套手段ッス。ああやって他の獲物を誘っているッス」
「騎士団とやらはいつ頃くる?」
「すぐに来るッス。あと一度しか言わないから良く聞いてくださいッス。この穴は入ったら戻れない、魂は最後まで奴らに飴玉にされ、二度と転生なんて出来なくなる。そこが深淵ッス」
「騎士団を待つ間に、あの子がそうなる可能性が高いんだろ?なら尚更のことだよ」
「まず、自分を大切にして欲しいッス。二人も失う訳にはいかないッス!!」
分かりきった事だった。
犬を助けるため命を賭ける、そんな人がこの状況ですることは。
「アルト、ごめん」
咄嗟に掴もうとした袖口は、スルリと手の間から抜けた。
「馬鹿ッッッ!!!」
奏さんは深淵の闇に消えた。