夏日の出
波の寄せては返す音色だけが聞こえた。
六月下旬、どこにでもある海水浴場に一人の男が佇んでいた。
年は五十を越え、がっしりとした体躯にアロハシャツとハーフパンツという出で立ち。太陽と潮を浴び続けた肌はすっかり浅黒く、髪の毛は禿げ上がっていた。
「今年も、この日が来たか」
男の後ろには小さな光が灯っていた。年季の入った木製の小屋に吊るされている豆電球。その光に照らされて、新調した鉄板が鈍き輝く。
そこが男の職場、追い求め続けた青春の姿だった。
目を閉じ、潮の匂いで肺をいっぱいにする。海の香りを嗅ぐ度に思いかえされるのは、幼少期から今までこの海で過ごしてきた思い出。
「色々な事があった。本当に色々な事がな……」
呟く男の耳に、波のオーケストラを邪魔する砂を踏む音が聞こえた。目を開け、そちらを見るとタバコを咥え、タオルを頭に巻いたTシャツ姿の若者がいた。
「よう、オヤジさん」
まだ距離があったが、細身な体と顔がしっかり見えた。もう空は大分明るくなっている。感じた以上に思い耽っていたようだ。
「タバコはポイ捨てするなよ」
「またそれかよ、もう耳タコだぜ?」
若者は顔をしかめるとサンダルの底で火を消し、吸殻をポケットから出した携帯灰皿に押し込む。
「にしても、もう前から開店してんだろうが。なんで、今日だけこんな早く来なきゃいけないんだよ?」
「これがうちの仕来りなんだよ」
「うちのっていうか、オヤジさんの仕来りだろ……」
若者はため息を吐くと、店に入っていった。それを見つめ、また海に向き直る。
男が、この仕事を選んでもう三十三年になる。若者はその中でも長く働いていた。大抵は、男の偏屈な性格や小言から一年でやめてしまう。
その姿に、若い頃の自分が重なった。
後、五年もいたら店を譲ってやってもいいと男は思っている。自分がそうだったように。
そんな事を考えながら、その時を待つ。
空は徐々に明るくなり、東の空はすっかり朝の光を称えていた。頃あいを見計らって、店の準備を進めていた若者を呼ぶ。
二人並んで海平線を見つめる。男は微動だにせず、若者はしかめっ面で。
そんな二人の目の前に海平線に沿って光の帯が走り。見つめる先が徐々に盛り上がり、黄金の道を描きながら太陽が顔を出した。
その光に照らされて男と若者が、感嘆のため息を吐く。
今日は海開き。俺たちにとっての元旦。
さぁ、海がはじまる。