四季王寺巧の場合 #3
「望む世界に行ってほしい?」
タクミは謎の青年の「お願い」とやらの意図が掴めず、眉根をひそめた。
対する青年は元から細い目を糸のように細め、ニコニコと見た目だけ朗らかな笑みを浮かべている。
「どうしておまえがオレにそんなことを頼む? ……そもそもおまえはなんなんだ」
「あ、ソレ訊いちゃう? 参ったねー、隠すつもりもなかったけどさ。聞いて驚き! ……なんと僕もカミサマの中の一柱なんだよね」
「……信じられないな」
「ほんとうにそう思ってる? あんまり疑ってるようには見えないんだけど」
実のところ、今までの会話の中で薄々そうではないかと感じていたのだ。もっとも、話の流れからそう思い至っただけであって、根幹では信じきれていないことも確かである。
タクミは少し考えたあと、返答の代わりに新たな質問をぶつけた。
「おまえがカミサマとやらであるとして、なぜ例の「話し合い」とやらには参加しないんだ。これは所謂「抜け駆け」にあたるんじゃないのか?」
「ごもっともだね。確かにこれは恥ずべき「抜け駆け」かもしれないけど…… キミの「競り」には一応参加しているんだよ。ウチの主神サマがね」
「主神?」
「そうそ。何もひとつの世界につき神は一柱、って決まってるわけじゃないからね。少なくともウチの世界には結構な数カミサマがいるし、序列もある。で、その中の序列一位―― 主神がウチの世界の代表として今、会議に参加しているのさ」
「――つまりおまえは、まっとうに会議に参加している主神の意向を無視して、オレを自分の世界に引き入れようとしている、と」
「素晴らしいね、まったくもってそのとおりだよ。どう? これで僕の魂胆は理解してもらえたかな?」
「文脈的には、な」
これで自称「神」の青年の「お願い」の実態は明かされた。しかし、肝心な部分は未だ不透明なままである。タクミは息をつくと、質問を続けた。
「そこまでする理由はなんだ? オレの魂とやらにどんな価値がある?」
「ん、そういえばまだキミの魂が「大変貴重なものである」ってことくらいしか教えてないもんね。その疑問はもっともなものだ。……キミさ、キミの世界によくあるRPGゲームで遊んだことってあるかな?」
「だいぶん昔に少し。それが関係有るのか?」
「それだったら…… そうだな。例えば主人公の「勇者」。魔王を倒して世界を救うような、ものすごく強い運命を持っている者が、今ここで言うところの「高品質な魂」の持ち主なんだよね」
革命家、開拓者、発明者―― 歴史の転換期に現れ、偉業を成し遂げる人々。世界に溢れる人々とは一線を画す輝きを放つそれらの「偉人」が持つ魂というのが、「高品質な魂」なのだという。
「まぁ、世界ってのはよく出来てるもんでさ。そんなにコロコロ情勢が変わってたんじゃ落ち着かないってことで、そういう強い運命を持った魂が世に現れる確率は低めになってるわけだ。元々の絶対数が少ない上に、カミサマ会議で確率操作されてる。ま、そういう意味じゃ、必要なときには絶対に現れて世界を変えちゃう都合のいい存在、と言えなくもないんだけどね」
先程から頻繁に使われている「資源不足」という言葉は、有り体に言ってしまえば「世界情勢が行き詰まっており、しかしその現状を変えるための強い運命を持った魂の持ち主が少ない」という意味である。
――すなわち、人材不足だ。
魂は新たに産みだすとなると、そうとうな手間がかかるものであるらしい。それがタクミのような稀な魂ともなれば、費やされるコストは想像を絶するものであるという。――そんなことであるから、限りある資源を最大限利用するために、なんとも非効率的なカミサマ同士の話し合いの席が設けられているのだとか。
「運命ってのは複数重なりあうことで変質をきたす場合もあるんだって。そういう不確定要素はさしもの僕らでも「操作」できなくてさ。世界があまりにも"変わらない"場合は、新たに運命の強い魂を放り込んで経過を見ることにしてるんだよね。つまり、キミの魂を欲している世界のカミサマは、どうにかして自分の世界を「変えたい」って思っている連中なのさ」
「カミサマなら直接世界情勢に関与したりできるんじゃないのか?」
「それ、無理。強いか弱いかにかかわらず生物はみんな運命を持っているからね。それら全てに関与できるほど僕らの力は細かく作用するもんじゃないんだよなー」
「力の大きさゆえに、ってことか。ずいぶん融通がきかないんだな」
「こればっかりはね。僕らの力は世界や生物に対して、もっと根源的なところに作用しているから。例えば生命の神が存在しなければ、そもそもその世界には生命が誕生しなかったりするし」
「……面倒な話だ」
「そうそう、とっても面倒。だからこそ、こんなちまちました会議でひとつの魂を必死に取り合ってるんだけどね。運命は世界に根ざす生命たちで切り開いてねーっていう、なんとも無責任っぽいスタンスでさ。そりゃこんなテキトーな管理じゃ、「神は居ない!」なんていうヒトも出てくるよね。キミの世界なんか特にそうさ。実際は居なけりゃそもそも世界が「発生」しすらしないんだけど、そんなこと言っても理解してくれる人間はほぼ皆無でしょ?」
地球で普通に生きていた頃は、タクミもまた神の存在を信じてはいなかった。
己を救うのは常に己であり、すべての業はすべて己へと作用する。
都合の悪い時、心細い時。神に頼って祈るすべての人間を蔑んでいた。そんなタクミであったから、むしろ神々が人間やその他の生物に対して直接働きかけるようなことをしないと聞かされても、特に動揺はなかった。
――やはり神は「居なかった」のだ。少なくとも、地上に根ざす生命である限り、身近に感じるものではない。
「それで、オレに何を望む? ――勇者にでもなれと言うのか?」
「そこまでは求めないよ。ま、僕の世界で生きる他の人間の運命との関わり次第で、キミがそういう存在になる可能性はゼロではないけれど。……僕の望みとしては、キミには世界を変えるための一助となってほしい、くらいなもんでさ」
「……運命の変質、だったか。それが起こるかもしれないから、自分の世界に来てほしい?」
「気の長い話だけど、そういうことだね。……実はウチの世界って、今ちょっとヤバ気でねえ。とれる対策はとっておきたいわけよ、僕は。あんな会議に律儀に参加してる、生真面目な主神サマには悪いンだけどさ」
カミサマ同士の決まり事を破ってまでも引き入れなければならないと思えるほどタクミの魂に価値があり、なおかつ世界の情勢とやらが不安定。それが青年の姿をとった神がタクミの精神を目覚めさせた理由であるという。
「それで、オレがおまえの「お願い」を聞き入れることで得られるメリットはあるのか?」
「もちろんあるよ。僕のお願いを聞いてくれるなら、キミは"キミを失わなくても済む"」
「……何?」
それまで無表情であったタクミの眉がぴくりと反応した。そのごく小さな反応に、自称・神の青年はほくそ笑む。
「そうさ。本来魂が別の存在に生まれ変わるとき、魂が持つ記憶―― 精神は消されて白紙に戻る。当然キミも例外じゃない。ここで僕の話を蹴って他の世界に生まれ変わることになったら、ここで僕と対話している「キミ」は消滅する。永遠に、だ」
「オレが、消える……」
「だってそうだろ? いちいちヒトが前世の記憶なんて持ったまま生まれ変わってちゃ、本来あるべき運命が歪められてしまう可能性があるもんね。だからヒトが生まれ変わるときに、前世に得たものは全部消しちゃうんだ。ただひとつの例外もなく、ね」
「それをおまえならなんとか出来るっていうのか?」
「――出来るさ!」
青年は会心の笑みで断言した。
「僕ならば、「キミ」を守ることが出来る。キミはキミのままでいられるんだ。……どうだい? あれだけ死を恐れていたんだ。自分が消えてしまうのが怖いんだろう?」
「…………」
とっさに返答が浮かんでこない。
たしかにタクミは極端に死を恐れていた。しかし反面、生に執着しているわけでもなかった。
――結局、タクミがもっとも手放したくなかったのは自身の精神であったのだ。
肉体と精神は切り離すことが出来ない。どちらかが死ねば、自ずともう片方も死ぬ。精神を殺さぬためには肉体的に生き続けなければならない。そういった意味で、タクミはずっと死を恐れ、望みもしないのに生きていたのだ。
肉体的に「無」になること自体は、さほど恐怖ではない。ただ、それに引きずられて精神的な死をも迎えることはどうしても認めることが出来なかった。そんなタクミにとって、青年の言葉は何よりも甘美に聞こえた。
このまま決断せずにいれば、タクミはどこぞの世界へと転生するのだろう。
そこは地球かもしれないし、もっと別の世界かもしれない。ただ、いずれにしろ再び受肉した魂は、もはや「タクミ」ではなくなっている。同一の魂であったとしても別人として、新たな精神を構築していく。
そこに「タクミ」は残らない。彼が彼であった「証拠」は何も残らない。それはすなはち、精神的な死を意味する。
――そんなことはとうてい認められない。
今更ながら、自身に降りかかった理不尽な「死」を憎む気持ちが膨れ上がってきた。
最後に残った精神まで奪い尽くそうというのなら。……この「死」に抗ってみせようか。
生前、何物にも執着を見せなかった男が唯一執着していた己の「精神性」。
神はそれを突いた。――そして神の目論見通り、男の眼の色が変わった。
「――嘘はないな?」
「この身に誓って約束しよう。キミの精神は守られる」
「オレはオレのままなんだな?」
「そうだよ。キミはキミのままで、僕の世界で存在し続けるんだ。絶対に、この約束は破られない。"キミはずっとキミのまま"だ」
初めて、タクミが笑んだ。
歪んだ、笑みだった。
「……わかった。おまえの世界に行く」
「そう言ってくれると思っていたよ」
青年は契約を取り付けた商社マンのような信用の置けない笑みを浮かべると、懐からいそいそと書類とカミソリを取り出し、タクミへと手渡した。
「これは?」
「契約書みたいなモンだよ」
ざっと目を通してみるが、どうやら青年が属している世界の言語で書かれているらしく、判読することが出来ない。怪しく思わなくもなかったが、どうせ今更だ。
「そこの―― うん、もうちょっと下のスペース。……そう、そこね。そこにキミの血印が欲しいんだよね。あ、血印って言ってもキミは今魂だけの状態だから、血は出ないけれど。便宜的にね?」
「……このカミソリで傷をつければいいのか?」
手に持った小ぶりのカミソリを見ながら訊ねるタクミに、青年は大仰に頷いて見せた。
「えくざくとりぃ。まぁ、魂の破片を契約の証に使うってだけの話なんだけどね。そういうイメージでお願い。それだけやってもらえれば、あとは僕が約束を守るだけさ」
タクミはしばらくカミソリを見つめて考え込んでいたが、その間青年は急かすでもなく、何も言わなかった。
精神を次の人生に持ち込めるのならば、タクミにとってコレ以上のことはない。自分が自分で在り続けられるのだから。――何を迷うことがある。どうせ待っていてもこれからロクなことがないとわかっているのだ。
短く息を吸い込み、意を決して親指の腹をカミソリで傷つける。
痛みはない。血も出ては来ない。カミソリで傷をつけた部分が滲み、陽炎のように揺らぐ。
それで確信を持つことが出来た。ほんとうに自分は今、魂だけの存在になっているのだと。青年の言っていることに嘘はないのだ、と。
カミソリを青年へと返し、書類の指定された場所へと親指を運ぶ。
紙面に指が触れるか触れないか。そのギリギリのタイミングで、タクミの脳裏にふとした疑問が過る。それをそのままにしてはいけない気がして、彼は目の前で「その瞬間」を待つ青年に声をかけた。
「――なぁ、オレはほんとうにオレとしての記憶を持ち越すことが出来るんだな?」
「お? 意外に心配症だね。大丈夫、ホントだよ。キミはキミのままだよ。何があってもね」
「……なら、ひとつ質問がある。おまえはオレに言ったな? 『ヒトの運命までは、神が恣意的に操作することが出来ない』と」
「ま、それに近いことは言ったね……」
青年の笑みが消える。それに比するように、タクミの視線の鋭さが増していく。
「ヒトが転生するとき記憶を失うのは、『あるべき運命を歪めないためだ』とも言ったな」
「……言ったね」
「おまえの話を総合すると、ここでいう「ヒトの運命」は、魂の記憶が奪われて"まったく別のニンゲン"として生まれ変わった瞬間に決定される、ということになる。……だとしたら、オレはどうなる?」
「…………」
「オレがオレのまま生まれ変わるということはつまり、オレの運命を持ち越すということだ。――おまえらの理論を借りるならば」
「…………」
「そうなった時、向こうで生まれたオレの運命はどうなる? そもそもおまえの事情を知る「オレ」という自意識がそのままおまえの世界に生まれる事こそ、自分や他のニンゲンの運命を歪めることに繋がるんじゃないのか? ――つまり」
おまえは多数のニンゲンの運命を、故意に歪めようとしているのではないか。
それはとても微妙なラインの話だ。
どこまでが許されていて、どこから先が許されていないのか。タクミはそれが判然としない。もしかしたら自分がただ神経質なだけかもしれない。そう思わなくもなかった。――しかし。
少なくとも、タクミが地球での記憶を持ったまま転生するというのは、自然ではない。
いくら元が別世界で生きていた魂だとしても、「記憶」というしがらみを消されてまったく新しい「別人」として異世界で生まれ変わるのなら、問題はないように思える。新たな生命はその世界の「理」しか知らないのだから、その身を支配する運命もまた純粋なものであるはずだ。
――だが、タクミはどうだろう。
なまじ地球という世界で生きてきた前世の記憶を持ち、魂と記憶、転生のしくみや神々の目論見などの、本来知るはずもない裏事情を知ってしまっている。
そんな"純粋ではない"魂が新たに世界に生まれ変わればどうなるか。
疑問を持つだろう。――自身を包む運命に。
悩むだろう。――それがほんとうに自分のあるべき道なのかどうか。
それは実に不自然なことだ。そしてその不自然さは、目の前の自称・神によって意図的につくりだされたものに相違ない。タクミは土壇場でそれに気づいてしまったのだ。
「なんとか言ったらどうなん――」
「それに気付くのは、さ」
油断は一瞬であった。
冷ややかな表情で自分の話に聞き入っていたと思っていた青年の顔が、気づけば目の前にあった。
「――もっと後で良かったんだよ。今はまだ、その時じゃないってのに」
「何――ッ」
反応できなかった。青年の手によって、タクミの親指は書類に押し付けられていた。
「契約完了。これでキミの魂は僕の管理下に入った。――だけどね。シキオウジ・タクミ。僕は認めないよ」
書類の表面に赤褐色の文様が浮かび上がる。
耳鳴りを伴うような甲高い音が響き、小部屋全体が青白い光で包まれた。
「キミのほんとうの意味での「死」を。――キミの転生を。僕は認めない」
「何を…… 言っているんだ……」
すでに目を開けていられない。
まぶたを閉じてすら刺すように感じるまばゆい光の中、タクミは呻く。得体のしれない浮遊感が体を覆っていた。
「何事にも「抜け道」ってのがあってね。たしかに生ける人々の運命をいたずらにもてあそぶことは神々の協定で行ってはいけないことになってる。でもさ、キミは「死人」なんだよね。この意味がわかるかな?」
青年の声は聞こえていた。だが、タクミの五感はもはや正しく機能していなかった。
声を耳で聞いていない。何もかも、自分がほんとうの意味で「ひとつ」となったかのような感覚。それは混沌としていて、タクミの意識を容赦なく振り回し始めた。
「――運命の束縛から解き放たれし「死者」よ。余裕があれば覚えておくといい。キミが僕の望む役目を果たした時、もう一度僕と会う権利を与えよう。……文句ならその時に全部聞くから、ま、適当に頑張ってね」
何を勝手なことを!
タクミはそう叫んだつもりだったが、届いたかどうか。
全部が全部とろけてしまう直前、タクミはその瞬間に怨嗟の対象となった神の名を聞いた。
「『死と再生の神・アルテヤ』。――キミが僕を殴り飛ばしに来るのを、楽しみに待っているよ」
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