四季王寺巧の場合 #1
人の死に必要なのは、文脈ではない。
事実は小説より奇なりとは言うが、それはつまり「人生」というのは小説のように文脈が積み重なってできた論理的かつ情緒的なものではなく、もっと理不尽で納得のいかないことで占められている、ということに相違ない。
その日、四季王寺巧は自分の身に訪れる「不幸」をまったく予測していなかった。
季節は厳冬。時刻は二十一時をやや回ったころだった。タクミはコートにマフラーというようないでたちで、自宅近くの坂道をゆったりと登っていた。
その手に握られているのは、近所の二十四時間営業スーパーのレジ袋である。中身は安いだけが売りの紅茶の葉が占めて九百グラムほど。
これをタクミは一人で消化する。無論質が悪いものなので味わって飲むものではない。単に紅茶を淹れて読書をする、という行為そのものがお気に入りであるために、紅茶の葉が必要だった。
一度自然に覚めたものは香りが飛ぶ上にえぐみが増すので、捨ててしまうことも多い。余り良い消費の仕方とは言えないが、無趣味なタクミにとってはこれが唯一の至福の時間なので、必要経費だろう。
今朝がた大学に行く前に購入した本の続きを読もうと思いたったまでは良かったが、小道具である紅茶の葉がほとんど切れてしまっていたので、ここぞとばかりに買い足しに出向いたのである。――この行動こそが、タクミにとっては瑣末ながら重大なきっかけとなってしまった。
なんとはなしに吐き出される白い吐息が上空に昇って霧散していく様を眺めながら歩く。
タクミは暑い時期よりも寒い時期のほうが好きだった。寒さ自体は敵だが、外に出て吸い込んだ大気の清涼感がお気に入りだ。夏の咥内にはりつくようなしけった大気は好みではない。
息を吸って吐いてを繰り返して冷たく爽やかな大気を愉しんでいると、背後で自動車のクラクションが鳴り響く。閑静な住宅街の夜を劈くけたたましい音。タクミが思わず眉をひそめて振り返ると、ちょうど坂本のあたりを大型のトラックが蛇行しながら走っていた。どうやら、クラクションは車線をはみ出したトラックに対する対向車の警告だったらしい。
トラックは坂道をそれなりのスピード―― すくなくとも一般道で出すスピードではない―― で駆けあがってくる。近づいてくるにつれてわかることだが、トラックの車輪の動きはさながら酔っ払いの千鳥足のようにおぼつかない。尻が振り回されており、積荷の工事現場の足場に使うような鉄パイプが、今にも放り出されそうだった。
まったくなぜあんな状態で走行しているんだ、危なっかしい。
タクミは立ち止まってトラックが通り過ぎていくのを見守っていた。
この時、タクミはもう少し警戒すべきだったのかもしれない。しかし――。
とても思うまい。
よりにもよって自分を通り過ぎて行った直後、目の前でしっかり固定されていた鉄パイプのうち一本がするりと抜け落ち、それに続くように二本三本四本―― どんどん積荷の山が崩壊していくだなんてことは。
「は――ッ」
突然のことに反応が出来ない。
位置エネルギーを伴って完全な暴力の津波と化した鉄パイプの山が、すぐ近くを歩いていたタクミに襲いかかった。
タクミが覚えているのは、鉄パイプがコンクリートを跳ねまわる耳障りな音だけだ。あとの感覚は怒涛の衝撃に押し流され、完全についえてしまった。
後に目撃者は語る。
男性が鉄パイプの波に呑まれていく瞬間を見た―― と。
四季王寺巧。十九歳と十一カ月とんで二十五日。
二十歳の誕生日まで秒読みと迫った冬の日、彼の命ははかなくもこの世から消え去ったのであった。