対するこちらは本命一人の遊びなし
昨日の夜は不完全燃焼の身体と安藤さんに会えるわくわく感であまり眠れなかった。寝不足の不機嫌さと少々の後ろめたさを解消するために学校では淳に八つ当たりまくって、講義が終わると一人さっさと校舎を後にした。
待ち合わせ場所の池袋にある、目も当てられないほど落書きされ放題で可哀想な「いけふくろう」の前には既に安藤さんが腕組をして立っていた。コンビニの制服姿を見慣れた私の目に、ジーンズ姿の安藤さんは新鮮でいつにも増してカッコよく見えた。
「こんにちは、待ちました?」
安藤さんは黙って私を見詰めたまま固まっている。もしや人違い?
「どうしたんですか? 安藤さんですよね? おーい」
「うん。安藤です。いやさ、つい見とれちゃって」
「な~に言ってるんですか」
「いやまじで。ほら、店だとお客さんの顔をそんなにジ~~っと見るわけにいかないからさ。亜季ちゃん、間近で見ると本当に可愛いんだね」
「よく言われます! な~んてね。それよりどこ行きます?」
「近くにさ、餃子の凄ぇ美味い店があるんだよね」
「私餃子大好き!」
「本当? じゃあ決まりってことで」
安藤さんも餃子好きと分かると私のテンションはさらにアップした。私たちは駅構内の地下道を、自宅へ向かうサラリーマンの波を掻き分けて通り抜け、池袋の西口に出た。目指すお店は芸術劇場の裏の、大通りに面したビルの地下にあった。「中華料理万里の長城」。扉を開けると中は二十人も入れば一杯になりそうな狭いお店だった。
「小さい店だけど、安い割に本格的で何頼んでも美味いんだよね。あ、それとね」
安藤さんは急に声を潜めて、向かいに座る私の方に身体を伸ばしてきた。周りは仕事帰りのサラリーマンばかりだ。
「店員が中国人みたいなんだけど、ちょっと態度悪いんだよね。でも……」
「その分は味で帳消し?」
「その通り!」
そう言った途端に、頼んだ生ビールのジョッキを、中国お姉さんは左手をポケットに突っ込んだままハイヨーと言って少し乱暴にテーブルに置いた。その勢いでジョッキから泡が溢れ出る。私と安藤さんは目配せをして笑った。餃子は時間がかかるだろうから先に乾杯しようとしたら、もう運ばれてきた。
「鍋アッツイカラネー」
中国お姉さんは素っ気無く言って去っていった。行儀よく並んだ餃子は熱々の黒い鉄板の上で油の粒を跳ね上げ、食欲をそそる音と香ばしい匂いを存分に撒き散らしている。
「わ~スッゴイ! 鉄鍋ごと出てくるんだ! しかも四角い餃子だ」
私の喜びように、安藤さんも嬉しそうだった。
「じゃあ乾杯しますか」
「何に?」
「そりゃあもちろん……この美味しそうな餃子に!」
「あはははなにそれ~。じゃあ餃子に乾杯!」
皮はパリパリ、餡にもしっかり味が付いていて、何も付けなくても充分だった。今まで食べた餃子の中で一番美味しい。
「ところで安藤さんていくつですか?」
ありきたりなところから聞いてみようか。
「いくつに見える?」
「ん~~~そうだな……二十四とか?」
「すげえ、当たり!」
「ホントに!? やったね!」
「亜季ちゃんは学生って言ったよね? とすると十九かハタチとか?」
「ジュークです」
「おっとまだ未成年じゃないですか……」
「そうですよ~ピッチピチのティーンエイジャーです」
「ピチピチって……今どき言うかぁ?」
「安藤さん彼女は?」
やっぱ面倒くさいから直球投げてみよ。私のイメージでは本命無しの遊びで三人てとこかな。しかし返ってきた答えは。
「あのなぁ彼女いたら亜季ちゃん誘わないって」
「へ~凄いモテそうなのに」
「あ~それよく言われるけど。大きなお世話だっつーの。現実は厳しいんだ!」
まあ確かにコンビニじゃ出会いは期待できなさそうだしね。
「で? 亜季ちゃんは? いるの? 彼氏」
「……いないですよ」
対するこちらは本命一人の遊びなし。思わず嘘をついた。
「へ~凄いモテそうなのに」
「あ~真似しないでくださいよ~」
「ハハハでもさ、ホントにいないの?」
「いませんよ」
「そっか、じゃあオレ、立候補しちゃおうかな」
「でも応募者は殺到してますよ~。ちなみに面接は随時行っております」
私はにっこり微笑んで丁寧にお辞儀をしてみせた。
「何だ、やっぱりモテるんじゃん」
「そうですよ、倍率高いですから!」
安藤さんとは食事をしただけで二時間ほどで別れたけど、凄く楽しい時間だった。男の人と二人っきりであんなに楽しい時間を過ごすのは随分久し振りのことだった。
はっきりいって、ちょっとヤバいかも。顔は結構好みのタイプだし、何といっても声が直球ど真ん中どストライク。それに見た目よりずっと誠実そうだ。彼女がいないというのも多分本当なんだろうな。
ほろ酔い気分の良い気分で電車に乗っていると、バッグの中で携帯が点滅しているのに気付いた。
『今日は会ってくれてありがとう! 楽しかった。また会ってくれるかな? 倍率高くても採用されるように頑張るよ(笑) じゃあお休み』
しかしそれからちょっとした事件が起きた。
あの日から安藤さんが消えたのだ。もう三日もコンビニに来ていない。毎日通うコンビニだ。今まで二日以上続けて休みだった事はなかったはず。病気で寝込んでるとか、それとも交通事故で入院とか……
まさか避けられてる? 私と会った直後というのがより不安を掻き立てる。
今日もお店に来てみたものの、どうしていいか分からず、自動ドアの前で行ったり来たり。店員さんに聞いてみるか? でもそれは恥ずかしいかも。安藤さんとはまだそんなに親しいわけではないし。それにこれから淳と会う約束だ。私は頭の中の不安の霧を追い払うように、早歩きで浦和駅へ向かった。
いつもの待ち合わせ場所の浦和駅前に淳はまだ来ていなかった。私は携帯を開く。とりあえず安藤さんにメールだけでもしておこう。
『最近バイト休んでるみたいですけど、何かあったんですか? ちょっと心配だったのでメールしてみました。ではでは』
「亜季!」
背後から大声をかけられて不意を突かれた。危うく携帯を落としそうになる。