その3
うちの犯した罪は親殺し。
二人の親の首に包丁を突き刺した。
世界でも上位クラスに数えられる禁忌である罪をうちは10歳の頃に犯すことになった。
それについては詳しくは語らないけど。
いや、語れないけどうちはあの夜を忘れることは出来ない。
トラウマとして、思い出としてしっかりと根付いている。
あの二人の体から噴き出る赤い血が今でもうちの体に着いているような幻覚に捉われたり。
赤い夜から目を瞑りたかった。
けど、うちは忘れられない。
そういう呪い、そういう宿命。
でもこれでいい気もしているうちがいる。
心の痛みから、トラウマから逃げてしまうよりずっといい。
うちは、大嫌いだったあの二人を覚えておかきゃいけない。
あの二人に最後に会ったのはうちなんだから。
あの二人の人生を終わらしたのはうちなんだから。
うちの人生をかき回したのはあの二人なんだから。
うちの体と心をめちゃくちゃにしたのはあの二人なんだから。
だから、うちは忘れない。
あの日以降うちは髪はショートだ。
髪が長いとあの頃を思い出すから。
二人の血がついたあの感触を思い出してしまうから。
だからうちはショートにした。
長い髪に憧れたことはあった。
けど、その度に諦める。
うちにあの髪にする勇気はまだない。
あの夜を忘れはしないけど、あの夜と同じ状況になって精神がまともでいる自信がない。
またこの手を赤に染めるかもしれない。
そう考えるだけでも嫌だ。
友達を見てそんなことを考えてしまいそうになるうちが何よりも嫌だ。
うちは全てを受け止めて。
全てを知っていて。
不幸を知って、幸せに向かっていて。
けど、綴ちゃんは何も知らない。
幸せな世界を生きている。
それをうちが壊すのはいいのかな?
疑問が渦巻いてループする。
「綴ちゃんは何も知らずに生きていてほしいよね……」
辛いことは全部うちが受け止めてあげる。
綴ちゃんが目を瞑りたくなる様なことは全部うちが背負ってあげる。
だからあなたは笑っていて。
うちの分までしっかり笑って。
うちが笑えなかった分までその世界をしっかり生きて。
そう思ってた。
ずっと、いままでずっとそう思っていた。
そう自分に思わせてた。
けど本当は違うんだって気づいてた。
そんな偽りの世界を見せてあげても辛いだけ。
現実を見たときに世界に絶望するだけだもん。
だったらあんな世界は消してあげるべき。
それがどんな結果を引き起こすんだとしても。
それで綴ちゃんが死んでしまったとしても。
それでもうちはあの世界を壊したい。
あんな世界はうちのエゴで作ったものだから。
うちが作ったものは、うちが壊さなくちゃいけない。
うちは、携帯のカメラのムービーモードを起動した。
夏もいよいよ本領発揮してきた夏の土曜日の朝。
何時の間にかクーラーも止まっていて部屋中が蒸れている。
あまりの暑さに私は目を覚ました。
「暑い……40℃超えてるんじゃないかこれ……」
額を伝う汗を拭い上体を起こす。
充電器に差したまんまでまだ少し熱を持っている携帯を開くとメールが二件来ていた。
友達と携帯会社からのキャンペーン予告のメールだ。
それと見たことのアイコンが二つ画面上に表示されていることに気が付く。
片方は映画のフィルムのようなアイコン、もう一つは「DG」と書かれた四角形のアイコン。
携帯を操作し一つ目のアイコンに合わせると「綴ちゃんへ」と言う文字が表示された。
その文字を見た瞬間全身の汗が嘘のように一瞬で引いた。
ジワっと冷や汗が首筋を伝う。
「また……あいつが……。 まだこの部屋にいるのか!」
叫んでみるが返事はもちろんなかった。
だが部屋の様子を見る限りいないのかもしれない。
携帯を机の上に投げ、私は椅子に座る。
携帯をアダプタでパソコンに繋ぎ、動画ファイルを移した。
パソコンの画面上に「綴ちゃんへ」と言うまったく同じ名前のファイルが現れる。
唾を飲みこみ私はそのアイコンをクリックした。
クリックすると最初から入っていたの動画再生ソフトが起動される。
データを読み取るためにパソコンがフル稼働を始めた。
夏にはきつい熱気が立ち込める。
そして約30秒後、ようやく動画の再生が始まった。
『あーあー、撮れてるかな? おはよう? こんにちは? こんばんわ? とりあえず、九重風香です』
画面の向こうに現れ喋り始めたショートカットの女の子。
私はその顔に見覚えがあった。
見覚えがあるなんてもんじゃない。
こいつは……。
「×××……!」
私の唯一の親友。
私の理解者。
7年前からずっと会えなくて、でもずっと会いたかった人物だ。
私とは対照的な明るい茶色の短髪。
同じ位置についていると笑った鼻の頭の傷。
嬉しいが、嬉しいけど言葉が出てこずに頬が緩む。
『久しぶりだね、綴ちゃん。直接じゃないけど言葉を伝えられてうちは嬉しいよ』
「わ……私も嬉しいよ……」
頬がにやけすぎて言葉が上手く言えない。
ああ、なんて懐かしい顔だ。
やっぱり私は×××が大好きなんだ。
好きな親なんかとは比べ物にならないくらいに。
『でも嬉しい話はここで終わり。ここからはちょっときついお話ね』
きついお話?
×××の口から出るには少し違和感のある言葉だ。
動画の再生を私は待つ。
『綴ちゃん、あなたの見てる世界は全部嘘なの。本当とは少し違う世界なの』
「……?」
×××の言っていることがわからず私は首を横に傾ける。
こんな冗談を言うような子だったかな、と小さく笑うのが限界だった。
まるで言葉の意味が解らない。
「こんなこといきなり言われても困るよね。そうだね……例えば綴ちゃん、学校には行ってる?」
「当たりま……」
学校?
そういえば学校での記憶が全くない。
私は17歳、つまり高校に通っているはずだ。
なのに受験で合格発表に行った覚えがない。
受験勉強の記憶はあるのに。
中学校での試験勉強の記憶があっても、先生から何を言われたかまったく覚えていない。
運動会に出かける記憶があっても、運動会での記憶がない。
文化祭を楽しみにしていたのに、文化祭で何をしたのか覚えていない。
なぜだ……。
どういうことだ、何故私に記憶がない……。
『それはね、綴ちゃんがこの家の中にしかいない存在だからなの』
「この家にしか……?」
『この家の中にしかいれない設定……だから』
設定だと?
どういう意味だ。
これは壮大な仮想リアリティゲームで私はその実験台とか言う意味か?
馬鹿な、私には意思がありすぎる。
それはおかしい。
『生まれつき両親に愛され、楽しい人生を送る、ごく普通の女の子。もちろんあの日は経験してない。
うちが幸せに過ごした場合の【私】。それが赤目綴、あなたなの』
「待て、待て待て! 意味が解らない……どういうことだ?」
言われてみれば段々とわかってきた。
違和感。
家の外での記憶が全くないのに、傷を負ったという事実に対する情報が補完されているのは。
私の両親が私の意見に賛成的で常に私を気遣ってくれるのは。
私が意味もなく疲れ続けているのは。
全部全部違和感だ。
理由が後付されているような違和感。
『綴ちゃん、世界をよく見てみて。そこはあなたが思っているような世界じゃないの。
うちが勝手に作った、綴ちゃんにとって都合のいい世界』
両親の名前は……。
両親の職業は……。
両親との思い出は……。
両親の結婚記念日は……。
私が怪我をした日にちは……?
私が部活を始めた日は……?
私が初めてテストで取った日は……?
ダメだ、全部思い出せる。
おかしい、『何一つ私は忘れていない』じゃないか。
人間である以上何か思い出があってもすべてが全て覚えているわけではない。
なのに全部覚えているのは何故だ。
親に関することは覚えている可能性もある。
だが何から何まで日にちを覚えているというのは人間的におかしい。
私が瞬間記憶能力なんて稀有な物を保持していた記憶はもちろんない。
『その世界はね、【私】が【うち】になったときに幸せな世界で暮らしたいと思って作った作り物なの。
だから、うちがもう幸せになっちゃったから、綴じなくちゃいけない。
いつまでも夢を見てるわけにはいかないの、そろそろ現実を見なくちゃいけないの』
てことはなんだ?
私が生きてきたこの世界は全部作り物で、全部夢だって?
笑えない冗談だ、どういう意味だかわからないね、まったく。
しかもそうだ、この話じゃ……。
『【赤】い世界に【目】を瞑って、世界を【綴】じて。いつまでもそれじゃダメなんだよ。
その世界はもういらない。うちにはもちろん、綴ちゃんにも。』
これじゃあまるで……。
私も作られた人間みたいじゃないか。
いや、そんなわけがない、そんなことあるはずがない。
そうだよな、×××、否定してくれ。
私はちゃんと生きていると肯定してくれ!
「私は確かにここにいるんだとはっきり言ってくれ!」
『ここまでの話で気づいたと思うけどね……』
嫌だ、聞きたくない。
私はそんなこと聞きたくない。
やめろ、やめてくれ!
そんなことを言うのはやめてくれ!
『綴ちゃんは、うちが作ったもう一つの人格なの』
世界が時間を止めた気がした。
私は薄く笑う。
小さく小さく、薄ら笑いを浮かべた。
次回完結です