その1
私は漕いでいた自転車をいつも通り倉庫に止める。
そのまま庭を歩き、玄関から家へと入った。
階段を登り、私の部屋に帰るとあることに気づいた。
昔から何度も経験していることだ。
――――まただ……。また『あいつ』がこの部屋に入ったのか……
『あいつ』。
そいつの名前も知らないため、私は便宜上『あいつ』と呼んでいる。
私は見たことないくせに、家の人たちは『あいつ』を何度も目撃していた。
何故かはわからない。
その情報を聞く限りは私に似ているようだ。
背丈も顔もそっくりなそいつ。
いや、『あいつ』か。
まるでドッペルゲンガーか何かのようだが私はそう言うオカルトの類いは信じていない。
まあ、他人の空似だろう。
ともかく、そいつが誰であろうと私の部屋に侵入している事実が問題なのだ。
不法侵入、犯罪である。
「警察に相談してもまるで取り合ってもらえないし……どうしたものかな」
こんなことになったのは三年前の中学二年の頃からだ。
ある日突然部屋が荒らされていて、私は14歳ながら恐怖した。
犯罪に関わるのは人生で初めての体験だったからだ
引越しまですれば改善されるかと思い、実行。
しかし、それは引っ越しても解決しなかった。
荒らされるほどのことはなくなったものの、物の位置が勝手に動かされたり私のご飯が食べられていたりと色々なことが起こった。
奇妙だったのは被害に会うのは全て私で親たちには何の迷惑も掛かっていないのだ。
まあ、それは嬉しいことなのだが、やっぱり何か奇妙だ。
そこまで私に固執する理由がわからない。
もちろん私に固執されるような覚えもない。
私が何をしたんだ。
何をしたというんだ。
最近体中に傷もできるし、痣もよく作る。
顔に二か所切り傷もできるし本当に最悪な気分だ。
どうして私はこうなってしまったのか……。
運が悪い。
それで片づけるにはあまりにも酷い現実だった。
逃げれるなら逃げたいし、終わらせられるなら終わらせたい。
しかし人生はゲームじゃない。
セーブポイントはあってもロードは出来ないし、リセットボタンはないし、ゲームオーバーはあってもゲームクリアはない。
だから立ち向かうしかない、この問題に正面から。
「とりあえず……寝よう」
私は鞄を机に投げてベッドへと飛び込んだ。
ひんやりとした敷布団が気持ちいい。
熱した頭がだんだんと冷えていく、そんな気がした。
瞼がだんだん重くなってきた。
思考も止まる。
そして、おやすみ。
うちは目を覚まして真っ先にスカートに入れっぱなしだった携帯を取りだす。
携帯画面のデジタル時計は既に10時を過ぎていた。
寝すぎたーと寝返りを打ち布団の冷たさを堪能する。
「こんな時間に食べたら肉付いちゃうかな~」
そんな普通ぶった言葉を口にして皮肉に笑う。
うちはそんな普通な人間じゃないのに、と顔の傷と右手の痣を軽く撫でた。
眼を閉じるとじんわりと涙が出る。
眼を開き天井を見つめた。
開いたら余計に涙が零れる。
指で口の端を引っ張って無理矢理な笑顔を作った。
そして制服の袖でふき取り布団から起き上がる。
叔母さんたちが心配するからやっぱりご飯は食べよう。
軋むベットを後にし、うちは部屋をでた。
階段を降りる途中で下から登ってくる叔母さんが見えた。
すれ違いながら降りれるほど横が広い階段じゃないから、うちは上にもう一度上がる。
二階で向き合うと叔母さんは口を開いた。
「帰ってきてまた荒れてたみたいだけど大丈夫?」
今年で四捨五入して40歳になるとは思えない程若い見た目と声で叔母さんはうちに話しかける。
しかしそんなことを口にしたら容赦なくほっぺたを引っ張られるから絶対に口にはしない。
代わりに質問の答えを口にした。
「荒れてた? いやいや、ただ寝相が悪かっただけだよ」
心当たりがないからとぼけたような口調でうちは言った。
荒れてた、うちが? それとも他の何かが?
まったくわからなかった。
「そう、ならいいけど。もしものときは私に言いなさいよ、なんとかしてあげるから」
「そーさせていただきますっ! じゃあ、ご飯食べてくるね!」
「はいはい。階段から落ちないようにね」
「落ちないよーう!」
軽快な二段飛ばしでうちは階段を降りていく。
居間に行くと机の上にラップされたおかずが並んでいる。
今日は肉じゃがとサラダの簡単なものみたい。
肉じゃがの入った皿を手に持って電子レンジへ向かう。
今日もこれを食べて、お風呂に入ったら一日が終わる。
『あの頃』に比べたら随分と短い一日だ。
早いものだね、一日って。
『あの頃』を思い出すと今でも全身が震える。
顔の傷から血が流れたと錯覚したりさえしている。
地獄のような、いや地獄そのものだったね、『あの頃』は。
けど今では優しい叔母さんと一緒に暮らして幸せになっている。
少なくとも表面上は。
だから今はうちは笑える。
ケラケラと愉快に心から笑える。
けど最近物忘れが激しいかも。
叔母さんが言ったっていうことしょっちゅう忘れちゃってるし、自分が言ったことも覚えてなかったり。
気が付くと学校終ってたりなんてのもあるね。
我ながら中々やばいんじゃないですかね、これ。
そんな思考を電子レンジのチンと言う音が吹き飛ばす。
中に入れていた肉じゃがの皿を取って机に並べた。
冷蔵庫からお茶取ってコップに注いで同じように机に並べ、うちは座る。
両手を合わせて、
「いただきます」
こうして私は今日も生きる。
おいしいご飯と優しい叔母さんと少しの謎に囲まれて。