フェル(2)
飲み比べは続いていた。
第2歩兵隊副隊長ゴルムとマサトを含めて5人。幾人かは本当に怖気づいたらしい。5人での勝負になっていた。
マサトは決して酒に強くはない。5人の中ではそんなに飲める方ではなかった。マサトが1杯1杯空けていくのを必死になっている中、フェルはマサトを見つめ続けていた。
何杯飲んだだろう。いつの間にか1人また1人と脱落して、ゴルムとマサトだけが残っていた。
最初はエール。それから果実酒。蒸留酒が出てきたのは覚えている。それからは酔いつぶれないように必死に意識を保ち続けているのがやっとだった。
「ふぅ・・マサト大丈夫なのか?」
「・・・・・」
「まだまだ俺はいけるぜ?」
「・・・・・」
「よし次だ!次もってこい!」
おおお!と歓声が上がる。歩兵隊の中では賭けも始まってるようだ。ゴルムに圧倒的に賭けが集中しているが、マサトにも何人かは賭けているらしい。
マサトはそれどころじゃなかった。必死にゴルムについていくように1杯1杯空けていく。何を飲んでいるか、どんな味がするかどころじゃない。少しでも頭を上げれば、その衝撃で酔いが回りそうだ。
(無理しないで・・・)
フェルはマサトを見つめながらいつのまにか祈るように手を組んでいた。
(・・どうして無理するの・・・)
フェルには祈ることしかできなかった。1杯1杯進んでいくうちに心が痛々しくなる。
目をそらしたくなるのをこらえて、フェルはマサトを見つめ続けていた。
「ほほ・・・若いのはいいものじゃの」
ノール公がフェルの父親ジェス=アールティアスに笑いかける。
「御意」
「お主、本当にあ奴を王城に行かせていいのかの?」
「・・・王命ゆえ・・・」
「メルビンの再三の願い出を無下にしておいたのは、あ奴を娘と一緒にさせるためじゃなかったかの?」
「・・・・・」
「まぁ良い。フェルには酷な話じゃったがの」
「娘には良い婿を取らせますゆえ」
「無粋じゃの・・娘の気持ちも解っておらんとはの」
ノール公は笑いながらジェスを見た。アールティアス家の跡継ぎとしてマサトを養子に迎えたジェスだったが、王命と言えば逆らえない。親友メルビンが娘の婿としてマサトを欲しいと言ったときも一笑に付して相手にしなかった。1度や2度ではない。
「どれどれ勝負はどうなったかの・・」
もう何杯飲んだだろう。いつもならとうに潰れてしまっている量を飲んでるはずだ。
マサトは意識を朦朧とさせながらも1杯また1杯と空けていく。
ゴルムも最初の余裕が感じられなくなってきていた。いつもならとっくの昔に潰れている相手のはずが今日は食い下がってくる。このままでは負けてしまうかもしれない。
「う~~~~このままじゃ埒があかねえ!ブルータス持って来い!!」
おおおおおおお!!!歓声が一際高くなる。ブルータスはこの地方最強の蒸留酒で余程の酒飲みで無ければ飲めるような代物ではない。もちろんマサトは一度も飲んだことはない。
グラスになみなみと注がれる。
マサトはそれが何なのか解っていない。
注がれたまま、一気にあおる。
「おおおおおおおおおお!!!!!」
最強の蒸留酒をほぼ一気飲み。普通の酒ではないのだ。歓声のボルテージが一気に上がる。
「ゴルム!ゴルム!」
歓声がゴルムの背中を後押しする。負けてはいられない。
ゴルムも一気にあおる。
強烈な衝撃と酔いが襲う。マサトはいとも簡単に飲んだが、そんな簡単な代物ではない。
再びなみなみと注がれる。
マサトはさっきと同じだった。
注がれたまま一気にあおる。
頭は垂れたまま、ただ必死にあおっていた。
フェルの頬にいつの間にか涙が伝っていた。
どうしてかは分からない。
ただ、マサトが自分のために必死になっている姿を焼き付けておかなくちゃいけない、そう思っていた。
十年来一緒にいた。
それもあと数日で終わる。
いつも傍らにいてくれた。
いろいろな思い出を思い出しながらフェルは見つめていた。
「負けないで・・・」
そう呟いていた。
ゴルムはなみなみと注がれたグラスを飲み干そうとしていた。
「マサトはどうしてこんなにがんばれるんだ?」
いつもなら潰れている量。目の前の敵はいつもの相手ではなかった。
「・・・隊長は渡せねえ」
ゴルムの意地だった。
ゴルムが一気に飲み干そうとした瞬間、ゴルムの目に飛び込んできた光景。
フェルがマサトを見つめながら泣いている。
恋焦がれた相手が、自分のためじゃなく敵であるマサトのために泣いている。
・・・ゴルムは知っていた。
ゴルムが副隊長として隊長を支えてきたのはフェルへの思いからだったが、フェルは自分を見ていないこを。フェルの心の中にはいつも誰かが住んでいて、自分を見てはいないことを。
「マサトだったのか・・・」
今さらながら気づいてしまった。もしかしたらフェルもそれに気づいていないのかも知れない。兄妹以上の感情をフェルは認めてはいなかったが、フェルの心の中にはマサトがいる。
「ゴルム!ゴルム!!」
歓声が上がる。隊員たちはゴルムが杯を空けることを疑いもしていない。
「ゴルム!ゴルム!!」
歓声が一段と高くなっていく。ゴルムは一気に杯をあおっていた。
おおおおおおおおおおお!!!!
普通なら2杯も空ければ潰れてしまうような最強の蒸留酒だ。それを2人はいとも簡単に空けているのだ。
この2人でなければ、絶対に潰れてしまっているだろう。
3杯目が注がれようとしていた。
「・・・・待て」
ゴルムが注がれる酒を制止した。
「どうした?ゴルム。まだまだいけるだろう?」
観衆はまだまだ決着が着くとは思っていなかった。
「ダメだ。俺の負けだ。これ以上は飲めない。酔いが急激に回ってきたようだ」
見た目にはまだ余裕のありそうなゴルムが先にギブアップを宣言した。
「おおおおおおお!とすると、勝者は・・・・!」
「ああ、マサトだ。今日は完敗だ」
「勝者マサト=アールティアス!!!!」
勝者を宣言して、歓声が再びあがる。マサトは頭を垂れたまま、何が起こっているか分かっていない様子だった。
「おいマサト!お前の勝ちだ!」
「すげぇな!こんなに飲めるヤツだったのか!!」
「ともあれ乾杯だ!!おめでとう!!!」
観衆は無責任に盛り上がっている。マサトは何が起こっているのか訳の分からないまま、まだ必死に意識を保とうとしていた。
「終わったようじゃの」
ノール公は笑いながらジェスの方を見る。
「御意」
「お主の見込んだ男はなかなかどうして。根性もあるのう」
ほっほっほと笑いながらノール公はジェスの肩を叩いた。
「ほれ。息子が今にも死にそうになっとるぞ。お前にとってもあと数日の息子じゃ。行って肩でも貸してやれい」
「ありがとうございます」
「うむ。あと数日、親子水入らずで過ごすが良い」
フェルは勝者の宣言が成されてすぐ、マサトに駆け寄っていた。
「ばかっ!なんでそんな無理するのよ!!」
口から出た非難の言葉。決して強くないマサトが自分のために無理をしているのを非難せずにはいられなかった。
「弱いくせに・・ばかなんだから・・・」
マサトはまだ頭を垂れたままだ。返事もうつろになっている。
「・・・・次の酒は・・・?」
「もう終わったのよ・・マサトが勝ったの」
「・・・・俺の勝ち・・・・?」
「そうよ・・あなたが勝ったの」
「・・・俺の・・・勝ち・・?」
マサトは反芻するように呟いていた。それから顔を上げて、隣のフェルを見る。
「そか・・・・よかった・・・・」
そうしてマサトは意識を失ってしまった。
「貸せ・・・連れて行く」
ジェスがフェルに近づいてきていた。
「父様・・・・・・」
「愚か者よの。我が息子が酒に飲まれおって・・くだらない賭け事に本気になりおって」
「そんなことない。マサトは私のために必死になってくれただけ・・・」
「ほう・・・・いつもの『オレ』じゃないのか?」
「あ、う。。」
「とりあえず水を持って来い。部屋に連れて行く」
「・・分かりました」
「ノール公さまがお前と私に休みを下さった。数日、マサトが出立する日まで休んで良いと」
「・・・ノール公さまが・・・」
「とりあえずマサトを部屋に連れていく。お前は水差しをいくつか持ってきてくれ」
マサトは途中から何が起こったのか覚えていなかった。
気づいたらもう翌日の昼。ジェスの部屋で目が覚めたのだった。
割れるように痛む頭が昨日の飲み比べのを思い出させていた。
「なぁ・・・・」
フェルがベッドの上で呼びかける。
「ん・・・?」
「あのときの、勝者へのキス・・・まだしてない」
フェルは顔の上で手を組んだまま呟く。
「・・・冗談だろ」
「まだしてないんだ・・・・」
「いいさ。兄妹だしな」
「・・・・・・・・」
「どうした?」
フェルの様子がおかしい。
マサトは椅子から立ち上がってフェルを見つめた。
「泣いているのか?」
「・・・・・・」
「どうして泣いてるんだ?」
「・・・・・・」
「・・どうしたんだよ」
マサトは横たわっているフェルを覗き込むように近づいた。
不意に抱きしめられる。
フェルの両手がマサトの身体に手をまわしていた。
吐息が耳元に感じられる。
「フェル・・・・」
「しばらく・・・このままでいて・・・」
「フェル・・・・」
「何も言わないで・・・このままでいて・・・」
フェルの頬が触れる。涙が伝っていた。
「オレ・・・・・・マサトが好きだ」
「・・・俺も好きだぞ・・?」
ううん、と静かに首を振るフェル。
「愛してるんだ・・・あなたを・・・」