きっとその婚約破棄は、国家改革よりも難しい
人生で一度だけでもいいから立ち会いたいと思ったイベントは、だれしも心の中にあるだろう。
例えば結婚式だとか、有名アーティストのライブだとか、修羅場だとか。
私にとってのそれは、いわゆる悪役令嬢の婚約破棄イベントだったわけだが……。
「殿下、あなたとの婚約を破棄させていただきますわ!!」
まさかそっちからくるとは微塵も思っていなかったので、今大変困惑している。
「少し落ち着いてほしい。今ここがどこか分かっているのか?」
緋色の髪をなびかせ、自信満々に腰に手を当てふんぞり返っている婚約者に向かって問いかける。
諸外国の要人もいるこの宴会場のど真ん中で、なんでそんな満足げな顔をしているのか正直全くわからない。いや、自分も先に婚約破棄宣言していたらこんな顔をしていたかもしれないと思うと、あれは達成感に満ち溢れたものなのかもしれないと考えを改めた。
「もちろん!我が王国と近隣諸国の皆様方との貿易協定成立の祝賀会ですわ!!」
「では、なぜ今このタイミングでその発言を?」
「祝賀会には余興がつきものでしてよ!!」
「なるほど、私は余興で婚約破棄を宣言されたと……。」
いや、考えてみれば都合がいい。この王妃教育未履修者には悪いが、むしろ理想の展開かもしれない。
これは国内外の膿を一掃する絶好の機会だ。転生者である私は、教育水準が一定に高まれば絶対王政を撤廃し立憲民主制へ移行しようと考えていた。
国民の教育水準が低い間の我が国のような絶対王政は非常に強力に作用する。しかし住民の知識層が増え、職業選択の自由が増え、社会に疑念を抱くようになれば革命の火種となる。
これまで絶対王政、そして貴族優遇の皮をかぶり、立憲民主制の根回しを進めてきていた。何も知らない公爵令嬢は口が軽いので作戦に組み込めなかったが、すでに主たる権力者は私の計画に賛同してくれており、本来は、私からでっち上げの理由で婚約破棄を言い出す手筈だったのだ。
「よかろう、ならば私もこの場で婚約破棄を受理しよう。」
学年主席の前であらかじめ準備していた書類にサインを書き、私は高らかに宣言した。
「私、レオニス・フォン・アウレリアは!ここにエレノア・フォン・ローゼンベルク公爵令嬢との婚約を破棄すると宣言する!!」
この発言に会場はどよめき、私に取り入るためにはどうしたらいいか、ローゼンベルク公爵家とどうやって手を切ればいいかという陰謀が渦巻き始める。
そして私に婚約破棄を突きつけた元婚約者はというと、まん丸に目を見開いて硬直していた。そのくせ目はどこか虚ろである。かと思えば、その黒目はゆっくりと上へ消えていき、やがて見事な白目になった。隣にいる彼女付きのメイドがはた目から見ても分かる程度に顔色が悪くなり、石化したかのように直立不動の主人の周囲でおろおろしているのを見て、気の毒なことをしたなと、申し訳なさが胸をよぎる。
しかし動き出した計画を止めるわけにもいかない。あとは正直、こっちからやろうと思っていたことを潰されて少し腹いせに意地悪したかったこともあるので、一旦放置しておくことにした。
「これに伴い、広く諸外国からも王妃候補を募るものとする!!希望する家には、私から課題を記した書状を送る。その課題についてレポートを提出してほしい。私のこれからの王国発展のための国策と合致したものを王妃候補として婚約の検討を行う!!」
課題の内容は、漠然としたものであるが国家基盤整備や法治国家化などにおける順序や意見について記載するものだ。身分制の解体や奴隷制度の撤廃など、今の貴族には耳の痛い内容も入れている。賛同したならばこれを証拠に改革を推し進め、反対するなら権力をそぎ落としてやるつもりだ。これで改革に反対するものはいなくなるだろう。私が生きている間に成立させるなら、やや強権的に事を起こさなければ時間が足りない。これは王妃選別という名の罠だ。
そもそも、白目をむいている石像との婚約を破棄するつもりはさらさらない。そんなことをしようものなら国内の政治基盤が脆弱になってしまう。先ほどサインした書類も、婚約破棄の書類というわけではない。あれは治水工事に関する計画書の承認依頼書だ。都合よくエレノアのサインがある書類だったので、あらかじめそれっぽくなるよう用意していただけである。
公爵家にもこのあたりの計画について話は通してあり、現当主も「ショックのあまり白目をむくであろう娘が面白そうなので」などと笑いながら計画に乗ってきている。
「ではこれで祝賀会を閉会したいと思う。この度の貿易に関するご協力、改めて感謝する。ただ、各自急ぎで手を付けたいこともあるかと思うので、裏に御者も手配しておいた。必要があれば利用してくれ。」
我先にと会場から出ていく貴族たちを眺めつつ、エレノアの下に歩いていく。
確信はないが、こいつは気づいているはずだ。
「あら?もう余興は終わりでよろしくて?」
ぐるんと白目をもとに戻し、固まった体をほぐしながらエレノアはほくそ笑んでいた。
「いつから気づいていたんだ?」
「そりゃもうお父様からガッツリ聞いておりましたので。」
「ローゼンベルク卿ォ!!!!」
思わぬ裏切りに叫び声が出てしまった。この娘にしてあの親ありという事を失念していた私のミスに他ならなかった。
「大丈夫ですわ殿下。私が硬い氷の如く口を閉ざしておりましたので。」
「大層滑りやすそうだなというべきか?」
「特にぎゅっと閉じたら」と付け足すと、露骨に目をそらされた。
どれだけ情報が洩れているかわかったものではない。
頭を抱える私とは対照的に、私の愛する人はクスクスとただ笑うのだった。
★
「まったく、殿下ももっと誰かを頼ればいいのに。」
「仕方がないだろう。殿下も周囲が敵か味方かもわからぬから、一生懸命なのだ。」
お父様から殿下の計画とやらを聞き、私は思わず首をすくめた。
どうも殿下には悪い癖がある。優秀ではあるのだが、あまり人を信用してくれないのだ。
勿論その理由にも察しがつく。殿下にはバレていないようだが、私もお父様も転生者なのだ。
だからこそ殿下が、この世界の人々との道徳や倫理観の差で戸惑っているのはよくわかっている。
ちなみに殿下が転生者であることは、婚約前に「政略結婚に応じる必要はないのだぞ?」という妙に現代っぽい道徳観を提示されたあたりで察したのだが、黙っていた方が面白そうだったので内緒にしている。
「しかしまさか断罪イベントが見られるとは。全く長生きはしてみるものだ。」
「私も『あなたと婚約破棄させていただきますわ!』って言いたかったので楽しみですわ。」
殿下の計画などそっちのけで、これから起こるであろうイベントに思いを馳せる。
そもそも、殿下の計画は失敗のしようがないのだ。婚約破棄と将来の王妃の座を餌に罠を仕掛けるという話だが、お父様の手によって近代政治に近しい政策を実施しているこのローゼンベルク領は、モデルケースとしてすでに国内外問わずに広がっている。何よりローゼンベルク領への移民希望者が多すぎるため、各領が移民防止のためにこちらの政治経済を学ぶしかないのだ。
殿下もそんなことは百も承知だからこそ、私と婚約したのだろう。課題とやらも極論、転生前の社会科の授業のテストと変わらない。私なら確実に突破できるだろう。仮に本当に婚約破棄されたところで、ローゼンベルク領の発展実績ベースで再婚約だ。出来レースにもほどがある。
勿論近代的な政治戦略が、今この世界において正しいかは別ではあるが、幸いにしてこの世界にはその土壌があった。人権がないがしろにされるわけでもなく、ほどほどに民衆は勤勉で、あとは過去に作られて放置された法律の上で胡坐をかいている貴族を潰すだけだったのだから。
お父様の自領運営のおかげでそういった貴族領はすでに民を失いつつあり、あと一手足りないなぁというところにまさかの殿下のご登場である。これには父も諸手を挙げて叫んでいた。数十年もどかしい思いをしていたのだろうから、その心情は察するに余りある。
「ところで、私は当日どんなリアクションすればよろしくて?」
「殿下には、ショックで白目向いて固まるだろうとは言ってある。」
「実際、何も聞いてなければそうなると思うので絶妙なラインですわね……。」
私とて別に殿下のことは嫌いではない。彼が王妃教育を私に受けさせないのも、さっさとこの王政を排して新しい国家の形にしようという意気込みだろうし、私としても相手が転生者の方が気が楽だ。
この世界では十分に奇行と呼ばれるであろう私の行動の数々が、殿下のおかげで容認されているのも素晴らしい。
あと正体を明かして驚かれる顔が少し見たい。
そんな良環境が婚約破棄で唐突に破棄されたのなら、そりゃもうショックで寝込む自信がある。
「あとはそうだな、計画とはいえ可愛い娘に婚約破棄を宣言するんだ。ちょっとした嫌がらせをしてみようか。」
「まだ何かありまして?」
「ここに都合よく一枚の書類がある、カーボン紙を使った研究の試作品なのだが、表向きは治水工事の計画書の内容にしてある、計画責任者はお前の名前という事でここにサインを書いてもらう。で、当日殿下にはこっちにサインしてもらう。」
「まあこれだけなら普通の書類ですわね。」
「ところが不思議なことに、この署名部分だけカーボン紙が仕込まれているので、殿下がサインした瞬間、下の書類にもきっちりと直筆サインが複写される仕組みになっている。このためだけに青インクのペンを流行らせたまである。」
「何お手軽文書偽装ツール作ってるんですの……。」
開いた口がふさがらなかった。しかも縁はちゃんと糊付けされていてわかりにくくしてあるので、あまりにもたちが悪い。おそらく試作品は建前で、計画を聞いた時から嫌がらせ用に開発していたに違いない。
「二枚を重ねて端だけ特殊な糊で留めてあるから、引き剥がすとどうしても端が少し破れて痕跡が残るが……まあ一回きりのハメ技だしな。さてそんなわけで、下の書類の文面ですが、お父様一生懸命考えました。可愛い娘を不幸にする代償は何かと。その結果がこちらです。」
私は文章の内容を目にし、思いっきりむせ込んだ。
そこに書いてあるのは正式な婚約破棄届であり、まさかの枢機卿の押印までついている。
それだけにとどまらず、その下には破棄の代償として、今回の計画に伴い接収した貴族の領土をすべてローゼンベルク領とする旨と、王立高等教育機関の設立の全権をローゼンベルク公爵に一任すると書かれていた。
「ちょっとやりすぎじゃありませんこと!?」
「まあやっぱり一度ビビらせないとね。狸爺に化かされる怖さを思い知ってもらわないと。」
お父様が指を滑らせ、書類の右下を指し示す。
顔を近づけてよく見ると、『娘と再婚約した場合は無効とする』と書かれていた。
「もう詐欺師の手法じゃありませんの……。」
「でもこれで殿下も気づくだろう。私たちも、君と同じなんだってね。」
どこでネタばらししようかな~。と呑気にお父様は口遊みながら、その書類をそっと王宮宛ての集荷箱に投函した。
「ええ、そうなるといいですわね。」
私はこれから来るであろう未来に思いを馳せる。
次の祝賀会を通して、この国は、大陸はきっと大きく変わっていく。
勿論それがいいこととは限らない。それでも、理想を目指すあの方を皆で支えていこう。
その先にある景色を、私も一緒に見たいから。
★
その後、王家とローゼンベルク公爵の手引きにより王国は徐々に立憲民主制へと移行。
近年まれにみるその改革の速度に、後世の研究家は思わず舌を巻いたという。
しかし研究家を悩ませる問題が一つだけあった。それは謎の婚約破棄の書状である。
時の王レオニスは、一度ローゼンベルク公爵令嬢と婚約破棄をし、その後再婚約している。
しかしその当時の婚約破棄の書状は、考えられないほど不条理な条件が記載されていたのだ。
枢機卿の押印があったことからも、正式な書類であったことは間違いない。
しかしこの書状になぜ署名をしたのか。そのうえでなぜ再婚約したのか。
この端の欠けた書類からは、誰も読み解くことはできなかった。
一部研究家が、「実はこの婚約破棄は、レオニス王がまだ王太子だったころの何らかの計画の一部だったのではないか。ローゼンベルク公爵令嬢も知っていたのではないか」と発表したが、肝心のローゼンベルク公爵令嬢は奇行の目立つお転婆な令嬢とされており、考え難いとして支持は低い。
いずれにしても、あのような騒動を経てなお、なぜ二人が生涯をともにするパートナーとなったのか。その答えを知る者は、ついに現れなかった。




