夏すきやき
盆休みの新東名高速道路は混雑していた。
運転に不慣れなひとがこぞって自動車で繰り出す。片側三車線あるのに誰もが真ん中車線を走りたがる。
真ん中車線にできた大行列がまるで『ノロノロ動く中央分離帯』みたいになっていて、広い道路が実質真ん中で分断された二車線状態になっていた。
「コイツらアホか」
運転席のマサトが呟いた。
「自分のことしか考えてへん。もっと道路をみんなのものとして考えられへんのかいな」
私は何も答えず、ただ助手席から窓外の景色を見ていた。
富士山が後ろにある。
天気のいい日にはいつも西のほうに見えている富士山が、今は東に聳えている。
つい、ため息が漏れてしまった。それが聞こえたのか、マサトが気遣うように声をかけてくれる。
「遠くてごめんな、うちの実家」
私は急いで笑顔を作り、答えた。
「ううん? 関西なんてあまり行ったことないから、楽しみ」
「遠慮することとかちっともないで? おかんもおとんもアホやから。妹もおる言うてる。トシの近い女どうし、仲良くしたって?」
結婚して初めての盆休み。
夫の実家に行くのは二度目だった。
気さくなお母さん、無口だけど優しそうなお父さん、夫にちっとも似てないバリキャリの妹さん──仲良くやれそうにない感じはまったくなかった。
問題は私のほうにあるのだ。
軽度だが、いわゆるコミュ障というやつだ。人見知りが激しすぎる。親しくないひとと長時間一緒にいると消えそうになってしまう。
夫の家族に嫌われたらどうしよう──そんな想いが今からおおきなストレスになって、胃が重たくなっていた。
「早く出といてよかったなぁ……」
マサトがため息を吐きながら、呟いた。
「いつもなら八時間ほどで帰れるねん。今日はコレ……10時間以上かかりそうやなぁ……」
車の中はクーラーが効いていても、太陽の熱で額に汗が滲んでいた。
マサトの実家訪問が済んだら、次は私の実家にマサトを連れて行くことになっている。
私の実家は車でほんの1時間のところだが、そっちもあまり気乗りはしていない。私は家族の中でも『よくわからない子』として見られている。マサトの口が上手なのが救いだ。
私はまたため息を吐いた。会社のデスクで書類と向き合っているか、マサトと二人でまったり寛いでいるか、人生においてやることがこの二つだけならいいのに──
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「あらまー! お帰り!」
ドアを中から開けるなり、お義母さんがオーバーなリアクションで私たちを迎えてくれた。
「あらまー! マサト、しばらく見んうちにこないに大きくなってぇー!」
「ほんの一年振りでそないなわけないやろ、ビシッ!」
マサトとお義母さんがいきなり繰り広げる漫才ノリについて行けない。私は笑ったつもりだったが、表情がカチンコチンだったかもしれない。
「美咲さんもお帰り。ここはあんたのお家やさかいな、遠慮なくなんでも破壊してってなー」
「破壊するわけないやろ! 俺の嫁は何か? 暗黒の破壊神か!?」
マサトのツッコミが面白くて、ようやく口から「アハハ」と声が出た。
「わー、美咲ちゃん、お帰り!」
マサトの妹──私より一つ年下のマイちゃんが後ろから顔を覗かせた。やっぱりマサトにちっとも似てなくて、美人さんだ。
「遠いとこ、よう来てくれはったなぁ〜。相変わらずお兄ちゃんにはもったいないほどの美人さんや。こうやって並んでるの見ると、まるで奇行種の巨人と少女漫画のヒロインやわぁ」
マサトが手をチョップするように動かし、ツッコんだ。
「たとえが的確すぎるわ!」
いつの間にかお父さんが後ろから顔を出していて、私がぺこりとお辞儀をすると、恥ずかしそうに頭を下げ返してくれた。
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「ほな、行くでぇー!」
威勢良くそう言いながら、お義母さんが重厚な鉄鍋を持って現れた。
私たち四人はもう食卓に着いて、主にマサトとマイちゃんが会話しながら、夕食の準備を待っていた。
マサトがマイちゃんに聞く。
「そういえば兄貴は?」
「盆休み中も仕事らしいで。忙しい言うて帰って来ぉへんわ」
マサトは次男だ。
でも、お義兄さんは盆休みに帰省もせず、私は一度も会ったことがない。
なんとなく、マサトがご両親の老後の面倒を見るのではないか──そんな気がしていた。
「ほれっ! みんなで『わー!』て、拍手せんかいな」
鉄鍋をカセットコンロの上にそっと置きながら、お義母さんがみんなを叱る。
「ここが前半のクライマックスやで!」
鍋の中に何があるかと覗いたら、何も入ってなかった。
大体、夏なのに鍋が出てくるとは思ってもみなかった。『手伝わなくていい』『サプライズやから』と言われ、ずっと食卓に座らされていたが、これから何が始まるのか見当もつかない。
「ほな、みんなで運ぶの手伝ってんかー」
にこやかにお義母さんにそう言われ、お義父さんを残してみんなで立ち上がった。
「鍋って……夏なのに?」
私が聞くと、マサトとマイちゃんが二人揃ってニイッと笑顔で振り向いた。
「サプライズや」
「サプライズやで」
マサトがお砂糖、お醤油、みりんに料理酒を食卓に置く。
続けてマイちゃんが野菜とお豆腐を盛りつけた大皿を置く。
最後に私が、パックに入った牛肉を空いてる場所に置いた。
高級牛肉だ。赤身とサシのバランスが美しい。
何よりパックに貼られたシールにその高級さが具体的に記されていた。
100グラム二千五百円!
それがどう見ても500グラムは軽く超える量が入っている。
「さぁ、始めよかー」
私が目をハテナマークにして無言で聞くと、マイちゃんが教えてくれた。
「我が家恒例の『夏すきやき』なんよ。楽しんでな、美咲ちゃん」
「夏すきやき!?」
「夏はこれに限りますぞ」
瓶ビールの栓を抜きながら、お義父さんが初めて声を出した。
正直、私の食欲はたじろいでいた。
夏はさっぱりした、冷たいものが定番じゃないの?
カセットコンロが火花を散らし、ボウッと音を立てて、青い炎で鍋の底を舐めはじめる。そこへ牛脂が放り込まれた。
ジュウッと勢いのいい音が部屋に響く。
18℃に設定されたクーラーが負けじと冷風を送る。
マサトが牛肉をお箸で鍋に入れる。
見事なサシの入った美しい牛肉が、あっという間に茶色に変わっていく。
お義母さんがそこに砂糖をドサッと落とした。
ジュワワワワ〜!
お義父さんが醤油を手に取り、直接鍋の中へ投入する。
続いてマイちゃんが野菜や豆腐、しらたきを豪快にぶち込んだ。
何、これ……?
これ、何てやきにく?
「はは……。美咲がびっくりしとる」
楽しそうに私の横顔を見ながら、マサトが言った。
「関東ではまずワリシタを作っといてから具材を並べるもんな。こんなすきやきの作り方、初めて見たやろ?」
「う……、うん」
私はびっくりした顔のまま、彼に答えた。
「何より……夏にすきやきなんて、初めて聞いたよ」
「ささ! 早速お肉からいただき」
お義母さんが私の前の小鉢を取り、溶いたたまごの入ったそれに、牛肉を入れてくれた。
「遠慮せんと、どんどん食べてな」
私は躊躇した。
夏で弱っている胃腸が、こんな重厚なものを受け止めれられるだろうか……
しかし、期待に満ちた顔で私に注目している彼の家族を裏切るわけにはいかない。私は意を決し、お肉を口に放り込んだ。
じゅわわわわー!
噛んだ瞬間、肉は驚くほど簡単に解けた。上質な脂の甘みと、砂糖醤油の濃厚なコク。それが生卵のまろやかさで包み込まれ、口いっぱいに広がる。
重い、なんてことはなかった。むしろ、ここ数週間失われていた「飢え」のような感覚が、胃の奥から急激に鎌首をもたげるのを感じた。
「おいしいっ!」
心からの笑顔とともに、私の口から声が出た。
「お肉って、飲み物だったんですね!」
「ええボケや、美咲ちゃん」
お義母さんが褒めてくれた。
「せやけどその通りや、神戸牛はスタミナドリンクの一種やで」
「お次はコレや」
そう言って、冷蔵庫から出してきたお皿の中身を、マイちゃんが見せてくる。
そこに乗せられていたのは、薄切りにされたトマトと、たっぷりの夏新ゴボウ、そしてズッキーニだった。
「これ、すきやきに入れるんですか!?」
びっくりして私が聞くと、マイちゃんがニヤリと笑う。
「これが合うねん。何より冬と一緒のすきやきじゃ芸がないやん」
ふつふつと沸き立つ鍋の隙間に、真っ赤なトマトと緑のズッキーニ、そしてささがきにされたゴボウが滑り込んでいく。
伝統的なすき焼きの茶色い世界に、突如として鮮やかな原色が加わった。異様な光景のはずなのに、不思議と食欲をそそるビジュアルだった。
「トマトが少し崩れたくらいが食べ頃やで」
トマトと肉を一緒に箸でつまみ、再び卵にくぐらせて口に入れた。
「あ……、すごい。さっぱりしてる」
加熱されて甘みの増したトマトの酸味が、すき焼きの濃厚なタレと絶妙に調和していた。ズッキーニはタレの旨味を吸いながらも、シャキッとした瑞々しい歯ごたえを残している。新ゴボウの土の香りが全体の味を引き締め、いくらでも食べられそうな錯覚に陥る。
「これなら全然しつこくないね」
まるで本当の家族の前ではしゃぐように、私ははしゃぎはじめていた。
「いくらでもいけちゃう」
そんな私を見て、お義母さんが嬉しそうに言う。
「せやろ? 冷房をガンガンに効かせた部屋で、熱くて酸味の効いたすき焼きを食べる。これがうちの夏の贅沢よ」
「若い美咲さんには色々と苦労があることだろう」
ビールで酔ったのか、無口なお義父さんが口を開いた。
「悩んだ時には肉を食え。肉を食えば元気になる」
美咲はふふっと笑った。
東京での『忙しい』と『まったり』しかない生活よりも、『楽しい』のあるこの食卓が、とても元気の出る、かけがえないものに思えた。
「シメはうどんやで!」
どーん! と冷水で締められた白いうどんを、おかんが食卓に置いた。
「わー!」
私はいつの間にか家族に溶け込んで、笑顔で拍手を揃えていた。
冷たいものばかり摂取して縮こまっていた身体が、あったかい夏すきやきに温められて、どんどんと解けていった。




